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第十四章 狗神と蛟
93.呪詛
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その亮太の叫びは狗神に届いただろうか。何があったかなんて、言わなきゃ分からないじゃないか。
「イヌガミ! 話してくれ! 俺はそれでもお前から離れないから!」
「アキラ様もなのー!」
蛟がアキラの代理みたいになっているが、事実だろうから亮太も頷く。そこで自分もと言わないあたりが蛟らしいといえばらしい。
「あのアキラがお前に何があろうが諦める訳がないだろうが!」
悪神になったって蓮と居ると言っていた奴だ。絶対に離すつもりはアキラにはない。
「イヌガミ!」
旋回しながら、亮太は待った。きっとこの声は届く筈だから。聞こえないなんて希薄な関係は築いてこなかったつもりだ。
「話すまで離れないぞ! お前俺のことはよく分かってんだろ!」
「亮太はお節介なのーお人好しなのー!」
うん、まあそうなんだがそこは重ねて言わなくても。
だが蛟のそれが効いたのか、狗神がピクリと反応し亮太達を見上げた。
「リョ……」
「うん、いるぞ! 聞いてるぞ!」
どちらで反応したのだろうか。お節介か、お人好しの方だろうか?
宙に四つ足で立つ八岐大蛇を纏った狗神の上空を旋回しながら、亮太は狗神からの反応が返ってきて嬉しくなり、思わず笑みが溢れた。
「教えてくれ! 何がそんなにお前を追い詰めた!?」
「リョウ……タ……亮太」
「おうっ!」
赤い目の狗神・八岐大蛇と目が合った。その奥に、いつものあのポーカーフェイスの蓮の顔が見えた気がした。いた、ちゃんといた!
「レン!」
笑顔になった亮太の目からぼろぼろと涙が溢れてきた。それが風に乗って宙に消えていく。
「……亮太、私は罪を犯しました」
いつもの蓮の声だった。悲しい程に静かな声色だった。
「うん」
亮太は涙をぐし、と袖で拭いて狗神・八岐大蛇を見つめた。やっと語る気になってくれたのだ。
「私に『蓮』という名を与えてくださったのは、アキラ様の前の 櫛名田比売でした」
アキラの前の櫛名田比売? 昔いた櫛名田比売の現身ということか。そういえば神は時折現れたと前に蓮が言っていた。櫛名田比売ももしかしたら何度か葦原中国に生まれることがあったのかもしれない。それはアキラと同じ魂を持つ者なのか、それとも全くの別人か。
蓮が傍にいることを考えると、同じ魂なのかもしれない。
「私は、姫様をお慕いしておりました」
狗神・八岐大蛇がそう言った時、その身体を覆う禍々しい雰囲気が少し和らいだ様に見えた。
「元は祟り神として恐れられていた私を、かの方は神使として選ばれました」
その時のことを思い出しているのだろうか。唸り声が止んだ。
「貴方は優しい子だ、恐ろしい見た目で損をしているのを見るのは忍びない。だから若くて見目麗しい青年にしてあげるから人生を楽しめと、人間のあの姿を与えられました」
つまりイケメン蓮の姿は前の櫛名田比売の好みということか。成程、それじゃあ同じ櫛名田比売のアキラが好きになる筈だ。まあそれを除いてもとんでもないイケメンではあるが。
それまでどんな恐ろしい姿をしていたかは聞かなくてもいいだろう。祟り神と呼ばれていたのなら、そこそこ禍々しい姿だったのかもしれない。
「姫様はアキラ様と同じく背中に八岐大蛇の封印を宿しておりました。私は微力ながら 須佐之男命のお手伝いをさせていただきました」
そこには今の蛟と同じ役割の神使はいなかったのだろうか。
「 須佐之男命は八岐大蛇を退治しました。草薙剣は高天原の使いが用意された鞘に納められ、葦原中国には平和が訪れました。……姫様以外の者にだけ!」
狗神・蓮がそう言った瞬間、凪いでいた雰囲気が一変し辺りの空気を震わせた。蛟が即座に反応し、再び少し距離を置きつつ旋回する。
「イヌガミ! 聞いてる、ちゃんと聞いてるぞ!」
何か狗神を怒らせてしまう様なことがあったのだ。元の祟り神の顔を覗かせてしまう様な我慢のならない何かが。
そしてそれはきっと櫛名田比売についてだ。こいつは自分のことでは我慢する。こいつが怒るのは、アキラへの悪影響がありそうなことを亮太がした時だけ。
「八岐大蛇を退治した 須佐之男命は英雄として崇められ、長年八岐大蛇に縛られ生きてきた姫様を蔑ろにしたのです!」
何となく分かった。要は調子に乗ってしまったのだろう。男って奴はいつの時代もそんなことをやってるらしいが、まだ若く周りから功績を認められてチヤホヤされたら、まあ大体の男は調子に乗るだろう。亮太くらいおっさんだと、崇めてくる奴らの裏側に見え隠れする別の思惑に気づくこともあるが、人生経験が少なければ致し方ないとも言える。
それに振り回された方は溜まったものではないが。
「姫様は、 須佐之男命はまだ元服を迎えたばかりの若者、いずれ落ち着くと私を諭されました」
亮太は調子に乗っているリキの姿を思い浮かべてみた。リキには悪意が見受けられない、あるのは純粋さのみだ。あれが代々引き継がれているものならば、あのまま周りの褒め称える言葉を鵜呑みにしてしまったということだ。うん、疑わなさそうな分相当厄介そうだ。
言っても無駄、多分そういう状況になったのだろうことが容易に想像出来た。それを苛々して何とかしようとする蓮に、落ち着け無駄だと諭す櫛名田比売。目に浮かぶ様だった。
「ですが、私は……」
狗神・八岐大蛇が言い淀む。許せない何かが起きたのだ。ここを吐かせない限り、先へは進まないだろう。
「言ってくれ! イヌガミ!」
狗神・八岐大蛇は泣いている様だった。涙は見えない、だが赤い瞳は揺らいでいた。後悔の念なのか、やってやったぞという気持ちの昂りか。いずれにしてもそれは昏い方に傾く。
狗神がどんなことをしたんだって、必要ならば叱ってでも、それでもそこから狗神を引き揚げてやる。必ずだ。
だから亮太は叫んだ。
「俺を信じろ! イヌガミ!」
亮太はお人好しで疑うことなんて出来ない単細胞のおっさんなのだ。うまいこと狗神に乗せられている内に八岐大蛇退治もすっかりやる気になってしまう様な、何とも単純な人間だ。
だからこそ信じて欲しかった。亮太は狗神を見放さないことを。亮太は今まで自分のこの目で見てきた狗神だけを信じていることを。
「亮太……」
「教えてくれ! その後どうしたんだ?」
躊躇う様に、それでも狗神・八岐大蛇は話し始めた。
「私は……姫様の乳姉妹で大変仲が宜しかった侍女が 須佐之男命の子を孕み、その子諸共身投げをし姫様が嘆き悲しまれた時に、呪詛をかけたのです!」
須佐之男命はやってはならないことをやってしまったのだ。それでも信じて待っていた櫛名田比売から、彼女の大切にしていた者をあっさりと奪った。それを知った時の櫛名田比売の嘆きに、狗神が怒り狂った様が映像となって亮太の脳裏にくっきりと浮かんだ。
狗神にとって櫛名田比売という宝を傷付けられるのが一番許せないことだというのに、年若い須佐之男命は彼女を軽んじる余りそんなことにすら気付かなかったのだろう。
彼だけに非があるのではなかろう。周りの人間も、そこに至るまで見ないふりをしたり、いやもしかすると敢えて焚き付けていた可能性だってある。なんせ相手は葦原中国を治める神だ。日本武尊がいない世界では彼が事実上のトップである。媚びへつらい、保身の為になら何でもする輩はどこの世界にでも一定数存在する。
そこに人身御供として差し出されてしまったのが、櫛名田比売の乳姉妹だったのかもしれない。
「イヌガミ、教えてくれ! どんな呪詛をかけたんだ!?」
「二度と結ばれぬ様にと!」
それは魂からの叫びだった。
「二度と姫様と結ばれることがない様にと、私は須佐之男命を呪いながら噛み殺したのです!」
狗神・八岐大蛇の周辺に再び瘴気がぶわっと吹き出した。
「イヌガミ! 話してくれ! 俺はそれでもお前から離れないから!」
「アキラ様もなのー!」
蛟がアキラの代理みたいになっているが、事実だろうから亮太も頷く。そこで自分もと言わないあたりが蛟らしいといえばらしい。
「あのアキラがお前に何があろうが諦める訳がないだろうが!」
悪神になったって蓮と居ると言っていた奴だ。絶対に離すつもりはアキラにはない。
「イヌガミ!」
旋回しながら、亮太は待った。きっとこの声は届く筈だから。聞こえないなんて希薄な関係は築いてこなかったつもりだ。
「話すまで離れないぞ! お前俺のことはよく分かってんだろ!」
「亮太はお節介なのーお人好しなのー!」
うん、まあそうなんだがそこは重ねて言わなくても。
だが蛟のそれが効いたのか、狗神がピクリと反応し亮太達を見上げた。
「リョ……」
「うん、いるぞ! 聞いてるぞ!」
どちらで反応したのだろうか。お節介か、お人好しの方だろうか?
宙に四つ足で立つ八岐大蛇を纏った狗神の上空を旋回しながら、亮太は狗神からの反応が返ってきて嬉しくなり、思わず笑みが溢れた。
「教えてくれ! 何がそんなにお前を追い詰めた!?」
「リョウ……タ……亮太」
「おうっ!」
赤い目の狗神・八岐大蛇と目が合った。その奥に、いつものあのポーカーフェイスの蓮の顔が見えた気がした。いた、ちゃんといた!
「レン!」
笑顔になった亮太の目からぼろぼろと涙が溢れてきた。それが風に乗って宙に消えていく。
「……亮太、私は罪を犯しました」
いつもの蓮の声だった。悲しい程に静かな声色だった。
「うん」
亮太は涙をぐし、と袖で拭いて狗神・八岐大蛇を見つめた。やっと語る気になってくれたのだ。
「私に『蓮』という名を与えてくださったのは、アキラ様の前の 櫛名田比売でした」
アキラの前の櫛名田比売? 昔いた櫛名田比売の現身ということか。そういえば神は時折現れたと前に蓮が言っていた。櫛名田比売ももしかしたら何度か葦原中国に生まれることがあったのかもしれない。それはアキラと同じ魂を持つ者なのか、それとも全くの別人か。
蓮が傍にいることを考えると、同じ魂なのかもしれない。
「私は、姫様をお慕いしておりました」
狗神・八岐大蛇がそう言った時、その身体を覆う禍々しい雰囲気が少し和らいだ様に見えた。
「元は祟り神として恐れられていた私を、かの方は神使として選ばれました」
その時のことを思い出しているのだろうか。唸り声が止んだ。
「貴方は優しい子だ、恐ろしい見た目で損をしているのを見るのは忍びない。だから若くて見目麗しい青年にしてあげるから人生を楽しめと、人間のあの姿を与えられました」
つまりイケメン蓮の姿は前の櫛名田比売の好みということか。成程、それじゃあ同じ櫛名田比売のアキラが好きになる筈だ。まあそれを除いてもとんでもないイケメンではあるが。
それまでどんな恐ろしい姿をしていたかは聞かなくてもいいだろう。祟り神と呼ばれていたのなら、そこそこ禍々しい姿だったのかもしれない。
「姫様はアキラ様と同じく背中に八岐大蛇の封印を宿しておりました。私は微力ながら 須佐之男命のお手伝いをさせていただきました」
そこには今の蛟と同じ役割の神使はいなかったのだろうか。
「 須佐之男命は八岐大蛇を退治しました。草薙剣は高天原の使いが用意された鞘に納められ、葦原中国には平和が訪れました。……姫様以外の者にだけ!」
狗神・蓮がそう言った瞬間、凪いでいた雰囲気が一変し辺りの空気を震わせた。蛟が即座に反応し、再び少し距離を置きつつ旋回する。
「イヌガミ! 聞いてる、ちゃんと聞いてるぞ!」
何か狗神を怒らせてしまう様なことがあったのだ。元の祟り神の顔を覗かせてしまう様な我慢のならない何かが。
そしてそれはきっと櫛名田比売についてだ。こいつは自分のことでは我慢する。こいつが怒るのは、アキラへの悪影響がありそうなことを亮太がした時だけ。
「八岐大蛇を退治した 須佐之男命は英雄として崇められ、長年八岐大蛇に縛られ生きてきた姫様を蔑ろにしたのです!」
何となく分かった。要は調子に乗ってしまったのだろう。男って奴はいつの時代もそんなことをやってるらしいが、まだ若く周りから功績を認められてチヤホヤされたら、まあ大体の男は調子に乗るだろう。亮太くらいおっさんだと、崇めてくる奴らの裏側に見え隠れする別の思惑に気づくこともあるが、人生経験が少なければ致し方ないとも言える。
それに振り回された方は溜まったものではないが。
「姫様は、 須佐之男命はまだ元服を迎えたばかりの若者、いずれ落ち着くと私を諭されました」
亮太は調子に乗っているリキの姿を思い浮かべてみた。リキには悪意が見受けられない、あるのは純粋さのみだ。あれが代々引き継がれているものならば、あのまま周りの褒め称える言葉を鵜呑みにしてしまったということだ。うん、疑わなさそうな分相当厄介そうだ。
言っても無駄、多分そういう状況になったのだろうことが容易に想像出来た。それを苛々して何とかしようとする蓮に、落ち着け無駄だと諭す櫛名田比売。目に浮かぶ様だった。
「ですが、私は……」
狗神・八岐大蛇が言い淀む。許せない何かが起きたのだ。ここを吐かせない限り、先へは進まないだろう。
「言ってくれ! イヌガミ!」
狗神・八岐大蛇は泣いている様だった。涙は見えない、だが赤い瞳は揺らいでいた。後悔の念なのか、やってやったぞという気持ちの昂りか。いずれにしてもそれは昏い方に傾く。
狗神がどんなことをしたんだって、必要ならば叱ってでも、それでもそこから狗神を引き揚げてやる。必ずだ。
だから亮太は叫んだ。
「俺を信じろ! イヌガミ!」
亮太はお人好しで疑うことなんて出来ない単細胞のおっさんなのだ。うまいこと狗神に乗せられている内に八岐大蛇退治もすっかりやる気になってしまう様な、何とも単純な人間だ。
だからこそ信じて欲しかった。亮太は狗神を見放さないことを。亮太は今まで自分のこの目で見てきた狗神だけを信じていることを。
「亮太……」
「教えてくれ! その後どうしたんだ?」
躊躇う様に、それでも狗神・八岐大蛇は話し始めた。
「私は……姫様の乳姉妹で大変仲が宜しかった侍女が 須佐之男命の子を孕み、その子諸共身投げをし姫様が嘆き悲しまれた時に、呪詛をかけたのです!」
須佐之男命はやってはならないことをやってしまったのだ。それでも信じて待っていた櫛名田比売から、彼女の大切にしていた者をあっさりと奪った。それを知った時の櫛名田比売の嘆きに、狗神が怒り狂った様が映像となって亮太の脳裏にくっきりと浮かんだ。
狗神にとって櫛名田比売という宝を傷付けられるのが一番許せないことだというのに、年若い須佐之男命は彼女を軽んじる余りそんなことにすら気付かなかったのだろう。
彼だけに非があるのではなかろう。周りの人間も、そこに至るまで見ないふりをしたり、いやもしかすると敢えて焚き付けていた可能性だってある。なんせ相手は葦原中国を治める神だ。日本武尊がいない世界では彼が事実上のトップである。媚びへつらい、保身の為になら何でもする輩はどこの世界にでも一定数存在する。
そこに人身御供として差し出されてしまったのが、櫛名田比売の乳姉妹だったのかもしれない。
「イヌガミ、教えてくれ! どんな呪詛をかけたんだ!?」
「二度と結ばれぬ様にと!」
それは魂からの叫びだった。
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