扉の先のブックカフェ

ミドリ

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 最初に上映された作品は、昔懐かしの耳の大きな未確認生物がタイトルになっているものだった。

 主人公の家にやってきた、可愛らしい目がくりっとした生物。飼うのに必須の3つあるルールを、主人公たちは順繰りと破っていく。

 その生物は、恐ろしい兄弟を生み出す。その先に待っていたのは、繭から孵った兄弟たちにもたらされた惨状――というものだ。

 かなり昔の映画だけど、デジタルリマスターというやつなんだろう。画質はよく、可愛らしい人語を理解するマスコットキャラ的生物の動きにほっこりする。

 町を襲う恐ろしい怪物と化した兄弟たちを次々に退治する主人公たちの活躍は、見ていてハラハラした。

 途中から段々と怖い展開になってきたけど、最後は悲しい別れもあれど文句なしのハッピーエンド。

 エンドロールが流れ、次の映画の開始まで暫しの休憩に入った。

 お互い緩く繋いだままだった手を、大川さんがそっと離す。

「ホラー映画って思ったよりも怖くないんだね」
「ね。私もちゃんと観られたから、なーんだって思っちゃった」

 勿論途中にドキッとさせられる箇所はあったけど、それでもまあ大丈夫だった。足を伸ばそうか、と大川さんと外に出ることにする。

 陽が大分長くなったけど、湖の向こうに見えるのは段々と近付いてくる闇だ。一番星が赤く焼けた空に一際輝いていて、都内で見るよりも星が近い気がした。

「何か食べようか」
「うん、そうだね」

 どちらからともなく手を繋ぐと、私たちは屋台を覗き始める。

 やっぱり手を繋ぐと焦りが真っ先に表面に浮き出てくるけど、それでもこの手を繋いでいたいと思った。

 トルティーヤと唐揚げ、それにガパオライスを購入し、車に戻る。

 少し気恥ずかしかったけど、二人で分け合いながら食べる車内食は最高だった。

 スピーカーからは、相変わらずおどろおどろしい音楽が聴こえてきている。だけどこの程度なら次も大丈夫と高を括った私たちは、手早く食事を終わらせると、早く始まらないかなあなんて呑気なことを言っていた。

 そして始まった次の作品は、テレビの中から女の人が出てくるかの有名なあの映画だった。

「こ、こわ……」

 それ以上何も発せなくなり、怖い場面になる度に「ひっ!」とか情けない小さな悲鳴を上げる私だったけど、恐怖を感じているのは大川さんも同じだったみたいだ。

 とにかく、私の手を握る力が半端ない。横顔をそっと窺うと、あの大川さんが完全に怯え切った表情を浮かべて固まっていた。

「お、大川さん! 大丈夫!?」

 思わず肩を揺すると、大川さんは今にも泣きそうな顔で振り向いた。

「あんまり大丈夫じゃない、こ、怖い……」
「よ、寄り掛かり合いましょう! そうすればきっと大丈夫!」
「よ、寄り掛かって……いいの?」
「私も怖いの!」

 スピーカーからは、相変わらず映画の音声が流れ続けている。

「う、うん……!」

 大川さんは大きく頷くと、左腕を私の肩に回し、両手で輪を作ってその中に私をすっぽりと収めた。

「……怖さは半減するかも」
「そ、そうだね……」

 ……寄り掛かるのではなく抱き締められる形になっているけど、いいんだろうか。

「寄り掛かっていいよ」
「あ、う、うん」

 初めは遠慮がちに寄り掛かる。大胆に寄り掛かったらなんて思われるだろうと考えると、どうしたって少し遠慮したものになった。

 そうこうしている内にも、勿論映画は止まることはなく、ストーリーはどんどん進んで行く。

 いつの間にか再び映画に見入ってしまい、気が付けば私たちは互いに遠慮なく寄り掛かっていた。

「ひゃ!」
「……!」

 素っ頓狂な声を上げる私と、文字通り固まる大川さんは対照的だ。

 最後に、結局は人間が一番怖いんじゃないか、というエンディングを迎え、エンドロールが流れ始めた。

「お……終わった……」
「大川さん、大丈……」

 明らかにホッとした声色で呟く大川さんを至近距離から振り返ると、すぐ目の前に大川さんの顔があり、思わず私の全ての動きが停止する。

 大川さんと目が合うと、大川さんは私を見てふにゃりと安堵した様に微笑んでくれた。

 大川さんの顔が、ゆっくりと近付いてくる。

 車内はもう暗いけど、会場に設置されたスポットライトの白い光が大川さんの横顔を映し出していた。

 いつもは白い筈の赤みを帯びた頬が、子供みたいだと思う。

 熱を帯びた真っ直ぐな眼差しは、疑いようもなく私への想いを伝えてくれていた。

 唇が、僅かに重なる。すぐに離れると、私たちは目だけで笑い合い、ゆっくりと瞼を閉じていった。

 二度目に触れた唇は、まるで磁石が引かれ合うが如く、暫く離れることがなかった。



 帰りにサービスエリアに寄り、二人でマスターへのお土産を選んだ。

 私の保護者だと言ってくれたことが、天涯孤独の私にとってどれほど嬉しく思えたか、マスターは理解してくれているんだろうか。

 マスターが私の背中を押してくれて、そのお陰で私は大川さんをもっと知ることが出来た。

 マスターには感謝してもしきれない。大したお土産ではないけど、感謝してる気持ちが少しでも伝わればいいな。

 そう思いながら選んだのは、マスターが好きそうな珍味と、それによく合いそうなにごり酒だった。

「じゃあ、車に戻ろうか」
「うん」

 手を繋いで隣を歩く大川さんに感じるのは、やはり激しい動悸じゃない。ドキドキする瞬間はあるけど、それよりも強く感じることがあった。

 この人を笑顔にしてあげたい。この笑顔を守りたい、そんなじんわりと身体の奥底から湧き上がる温かな気持ちだ。

 私に出来ることなんて、きっと隣でお互い大好きな本の話をすることくらいなんだろう。守ってあげたいなんて、もしかしたらお門違いなのかもしれない。

 だけど、一見落ち着いて取り乱すことなんてない様に見えていた大川さんが、実はそうじゃないってことが今日一日で分かってきた。

 そして私は、それが嬉しいから。

「……車、まだ怖い?」
「あ……そういえば」

 車に戻る最中、大川さんが遠慮がちに尋ねてくる。

 私自身すら忘れていたことを、大川さんは気に掛けてくれた。嬉しくない筈がない。

「大川さんといたからか、もうすっかりそんなこと忘れてた」
「……本当?」
「うん、本当」

 私が笑顔で見上げると、大川さんは明らかにホッとした顔になって肩の力を抜く。

「ありがとう、月島さん」
「え?」

 何がありがとうなんだろう。理由が分からず聞き返すと、大川さんは照れくさそうな表情で続けた。

「その……僕にそんな大事なことを委ねてくれて、ありがとう」
「大川さん……」

 両親の事故以降、車に乗ることを避けていた。車での遠出を提案してしまったことを、事情を知らなかったとはいえ、もしかしたら大川さんは後悔していたのかもしれない。

 言葉で伝える大切さ。いつか言おうでは遅いかもしれないことを、私も大川さんも知っているから。

 だから大川さんの言葉は、真っ直ぐに感情が乗ったものなのかもしれない。

 だったら私も伝えよう。ちゃんと、はっきりとこの口で。

「大川さん」
「うん」

 大川さんの手を握る手に、力を籠める。

 大川さんは、私の次の言葉を穏やかな表情のまま待ってくれていた。寄り添う様に。支える様に。

 ああ、この人のこういうところが好きなんだ、と認識する。

「大川さん、私を連れ出してくれてありがとう」
「……うん」
「私の恐怖を取り除いてくれて、ありがとう」

 にこりと笑うと、一瞬驚いた顔になった大川さんだったけど、すぐに微笑み返してくれた。

「もう怖くない。あれとこれとは別なんだって、大川さんが私に教えてくれたから」
「……ん」

 照れ臭そうに微笑む大川さんの笑顔を、この先もずっと隣で眺めていたいと強烈に願った。
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