扉の先のブックカフェ

ミドリ

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22 再会

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 大学にも大分慣れてきたある日。大川さんは同じ学部の友人に誘われて、初めて合コンに参加することになった。

 これまで彼女が出来たことはなく、高校で何度か告白をされたことはあったけど、勉強第一だったから全て断ってきた。そんな大川さんは、男女交際についてはかなり奥手の方だ。

 だからきっとうまく話せないし盛り上がれないからと断ったけど、顔がいいのがひとりは来ないと二次会まで持ち込めないんだと泣きつかれ、それもどうなんだと思いつつ、参加を受諾した。

 そして、弟が生きていた時に、大学に入ったら学生生活を謳歌しようと思っていたことを思い出す。正直なところ、知らない人間に会うのは億劫ではあったけど、男女交際というものに興味がなかったと言えば嘘になる。

 年相応にはしゃいだことのなかった大川さんにとって、合コンに参加するという事実だけでひっくり返りそうな気分だったらしいけど。

 幹事である友人と一緒に居酒屋に着くと、別の大学の女子側の幹事ともうひとりが既に到着していた。四対四の合コンだけど、どうしてもひとり来たいって子がいて女子側は五人になる、と謝られる。

 どうしても来たいなんて凄いね、と若干その情報に気圧されながら友人と笑い合っている内に出席者は続々と到着した。八人揃ったところで乾杯をする。乾杯といっても、全員未成年者だからソフトドリンクだ。

 例の子はまだ到着しておらず、女子の幹事が「なんかあの子、あちこちの合コンに飛び入り参加してはつまみ食いしてるんだって。勢い凄くて断れなかったけど、遅れるなら来たいなんて言わなきゃいいのにね」と苦々しげに男子側の幹事に愚痴を言うのが聞こえた。

 一見仲が良さそうに見えても、女同士には色々あるんだな。それまであまり深い交友関係を築いてこなかった大川さんは、戦々恐々としたという。

 大川さんは、隣の席に座ったやや派手めの女子と会話をしていたけど、あまりうまく会話が続けられず、その子は別の男子の方に行ってしまった。押し出される様に大川さんの隣に座ったのは大人しそうで地味めの子で、この子なら本を読むのかなと思い好きな本が何かを聞いたところ、穏やかに会話が盛り上がったという。

 お勧めの本も沢山教えてもらい、段々楽しく感じ始めた頃。

 奥に座っていた大川さんとその子以外の六人は、固まって楽しそうに会話をしていた。そんな彼らが、突然ざわつき始めたのだ。隣の女子が教えてくれる。

「遅れてた子が来たみたいだよ」
「へえ」

 時間を守らない人はあまり好きじゃない大川さんは、先程聞いた話もあり、あまり興味が持てなかった。男連中がどうも浮足立っているのでちらりと見ると、少し派手めの格好をした可愛らしい雰囲気の女子がいる。かなり美人だけど、やや作られた感じがしてしまい、正直大川さんは近付きたくないと感じた。

 そのまま隣の女子と会話を続ける。

 あちらでは改めて乾杯をしている様子だったけど、大川さんたちは気にせず会話を続けた。

 すると、来たばかりの女子のものだろう。高めの可愛らしい声が、嬌声を上げ始める。媚びを多分に含んだ声色に、周りの女子たちは引き気味の様だけど、男子たちは蕩け気味だ。故意か素かは分からないけど、あれじゃあ女子の敵が増えるだけだろうと思いつつ、遠目から眺めるに留めた。

「だってえ、本当だもん! ○○大、私も受けたんだけど馬鹿だから落ちちゃった! 尊敬だよお!」

 そして、その声には聞き覚えがあった。だけど、そんな明るい声なんて聞いたことは一度もない。だから、似た声なんだと思った。

 でもどうしても気になりその女子の顔を改めて見たけど、やっぱり見覚えのある顔じゃない。そうだ、そんな筈がない。そう思い、また視線を隣の女子に戻した時、幹事の男子がその子の名を呼んだ。

「Mさん、今度うちの大学に遊びにおいでよ! 俺が案内するからさあ!」

 身体中の血が下にズドンと落ちていく感覚が、大川さんを襲う。過去にこれを味わったのは、弟の死を知らされた瞬間と、母親との縁切りを言い渡された瞬間だけだ。

「ええー嬉しい! 憧れてたんだあ!」

 盛り上がる、Mと呼ばれた女子と幹事の友人。唖然として二人を眺めていると、Mが大川さんをちらりと見た。作られた笑顔から感じる、明らかに含みのある、絡む様な視線。

「大川さん? どうしたの?」

 先程まで穏やかに会話を交わしていた隣の女子が、訝しげな顔で大川さんに尋ねた。

「その……ごめん、急に具合が悪くなって」

 大川さんがそう言うと、その女子が大川さんの顔色を窺い、頷く。

「本当だ。顔、真っ白だよ。どうする? 帰るなら、私が駅まで付いていくけど」

 どうせ他に話す相手もいなそうだし。ボソリと呟かれた言葉に、彼女もMのことをよく思っていないことが分かった。Mは、ああして毎回場を自分中心に持っていくのだろう。女子の幹事がいい顔をしていなかった理由が、これではっきりする。

「うん、悪いけどいいかな……本当に無理」

 もう、この場にはいたくなかった。

「分かった。じゃああっちに話してくるから、帰る準備して待っててくれる?」
「うん、ありがとう……」

 全てをその子に任せ、大川さんは逃げるようにしてその場を立ち去った。友人たちは何事かといった顔で見ていたけど、挨拶ですらMの近くには寄りたくなかった。

 大川さんを駅まで送ってくれた女子と連絡先を交換し、駅で別れる。帰路、何を考えどうやって帰ったのか、全く思い出せなかった。

 ――あれはあのMだ。間違いない。

 忘れかけていた不快感が、蘇ってきた。



 後日、大学で幹事だった友人と偶然すれ違うと、具合はよくなったかと心配された。あの後は真っ直ぐ帰って休んだことを伝えると、無理に合コンに連れ出したことを謝られる。

 そちらはどうなったのかと探りを入れると、女子の幹事は用事があると言って帰ってしまい、残りの男子二人と女子二人は二次会でカラオケに行ったと教えてくれた。

 そして、幹事だった友人は、終電がなくなると困るというMを駅まで送っていく途中、突如定期がないと騒ぎ出したMの鞄の中を探している間に終電が行ってしまい、急遽二人でホテルに泊まることにしたそうだ。

 ホテルと聞いて、最後にMを見かけたあの日のことを思い出す。目眩と同時に、頭が痛くなった。

 一体何がどうなっているのか分からなくて何も言えない大川さんに、友人はMと寝たことを喋った。ちなみに定期は鞄の底敷きの裏にあったそうで、朝になり、持ち合わせがないというMに変わってホテル代を友人が出した。

 また今度会う約束をしたんだと嬉しそうに語る友人に、一体何が言えるだろう。

 定期は本当に偶然底敷きの裏にあったのか。それすら疑い始めた大川さんは、友人にひと言だけ尋ねた。「僕のことは何も話してないよね?」と。

 すると、友人は答えた。実は、合コンにいたお友達を今度紹介してと言われたと。

 ゾクリと背筋が凍りついた。僕は人見知りだから絶対紹介しないでくれと慌てて友人に伝えると、友人は「お前を紹介したら彼女を盗られそうだから紹介しねえよ、馬鹿」と笑って返してくれた。

 この友人の近くにいると、またMと会ってしまうかもしれない。

 Mに直接被害を受けた訳じゃない。だけど、得も言われぬ不可解さと不気味さを否が応でも感じてしまい、大川さんはその友人から距離を置くべく、同好会の部室に入り浸ることになったのだった。
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