扉の先のブックカフェ

ミドリ

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23 邪魔

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 大川さんは、Mと会わない様に心掛けた。友人が大学を案内すると言っていたから、キャンパス内を彷徨かなければきっと大丈夫だと考え、そしてそれは間違ってはいなかった。

 衝撃の再会からひと月が経ち、段々と気持ちも落ち着いてくる。

 あれから時折、あの時楽しく本の話を出来た彼女と連絡を取る様になっていたこともあった。

 Mと同じ大学らしいので、交流を続けることに多少の抵抗はあった。だけど最後に見たMは別人の様に明るく、あまり女子と関わろうという感じも見受けられなかった。今のMと彼女とでは、まるで接点がなさそうだ。

 だから油断したのだ。

 彼女と会う約束をした。会ってお茶をしようという些細なものだ。

 悪いとは思ったけど、大川さんは彼女の大学がある駅ではなく、互いの大学の中間地点にある比較的大きな駅を指定させてもらった。間違ってMに会いたくなかったからだ。

 大川さんにとって、Mは最早友人と呼べる様な関係ではなく、最初から最後まで自分を欺いた、理解不能な存在に成り果てていた。

 きっと、自分の母親と一緒で、大川さんとは見えている世界が違うんだろう。そう思うことで、辛うじて理解したふりをした。

 待ち合わせた駅の改札外。そこにいたのは、困惑した表情の彼女と、一見清楚だけどよく見ると胸元は深く、スカートの横のスリットも大胆に入っている服を着て周囲の男性の目を奪いつつ艶やかに笑っているMだった。

「やっぱり大川くんだった! 私のこと、忘れたなんてないよね?」

 そう言いながら、彼女の腕に腕を絡ませる。意図が分からず、大川さんは思わず尋ねた。「何しに来たの」と。大川さんの嫌そうな声色は分かっただろうに、Mは一切めげた様子を見せなかった。

 彼女に行こうと声を掛け、Mにはっきりと「じゃあ」と別れを告げる。だけどMは気にせずに付いてきた。

 無視しても、二人で会う約束だからと言っても、一切聞き入れなかった。相手にしないままカフェに入ったけど、そこでも椅子を持ってきて二人の会話を遮り、自分と大川さんが如何に仲がいいのかを彼女に語った。

 大川さんが如何に親身になって自分のことを心配してくれたのか。大袈裟に、だけど少しの真実も交えながら語るそれは、大川さんには全くの赤の他人の話を聞かされている様に思えた。

 明らかに邪魔されている。彼女も困り果てた様子だったから、大川さんは後で連絡するからと彼女に言い、早々にカフェを出た。

 駅までの道のりの間に、Mは昔の知り合いではあるけど、連絡先も知らない。Mが語っている内容は誇張されたものだから信じないでくれと伝えると、分かったと言って笑ってくれた。

 それでもMはまだしつこく追いかけてくる。そしてあろうことか、「大川くんは私のことが大好きだったんだよね!」とのたまった。

 だから大川さんは、「君のことを好きだったことは一度もない」と真実を述べた。もういい加減にしてほしかった。自分にまとわりついて何をしたいのか、何を得ようとしているのか、理解出来なかったから。

 大川さんの言葉に、隣を歩いていた彼女がくすりと笑った。Mの虚偽を、彼女は見抜いていたんだろう。そしてそれを見たMは、いきなり道路に飛び出して車の前に立ちはだかり、叫んだ。

「私のことが好きだって言ったのは嘘だったの!?」

 周りの非難する様な視線。明らかに戸惑っている彼女。そして迫る車。

 こんな状態で怪我でもされたら、大川さんが悪者になってしまう。大川さんは咄嗟にMに駆け寄ると、腕を引っ張って歩道に引き寄せた。

 その瞬間、Mは大川さんの首に抱きつくと、「嬉しい!」と言った。



 仲良くなりかけていた彼女との連絡は、その後途絶えた。最後のメッセージは、「Mが怖い」だった。

 Mと同じ大学の彼女は、大川さんとの交流を深めることではなく、自分の身の安全を選んだのだ。だけどそれも仕方ないと思えた。だから、それでお終いにした。

 大学に行けば、相変わらずMと定期的に会っているらしい幹事をした友人が、Mは奢らないと怒るんだけどそこも可愛いと惚気を聞かせる。

 Mは可愛いから、明るくて人懐こいから、自分と一緒にいてくれる為には貢いでる形になっても仕方ない。そう言って惚気ける姿を見るのは、恐怖でしかなかった。

「携帯にロックを掛けると嫉妬して怒るんだよ。可愛くない?」

 そう語る友人の目は、盲信者のそれに見えた。

 まさか、さすがにそこまでしないだろう。まだその時点では、大川さんの中にも彼女に常識が多少は残っているだろうという希望が辛うじて残っていた。

 またひと月が経ち、少しずつ怯えにも似た感情が収まってくる。試験勉強に没頭していたら、Mの存在を忘れることが出来た。

 試験も終わり、ほっとひと息をついたある日。

 見知らぬ番号から電話が掛かってきた。

 大川さんの携帯番号は、前はどこかの社長が使っていたのか、しょっちゅうその社長宛の電話が掛かってくる。変更の連絡をもらっていないなら縁切りされたんだろうに、と思いながら電話を取ると。

 Mだった。

 ロックを掛けさせなかった携帯から、大川さんの番号を知ったに違いない。

 あまりの衝撃に何も喋られないでいると、Mは泣きながら以前のことを謝ってきた。

 整形は、このままだと玉の輿にも乗れないと母親に強制されて行なったこと。

 大学への進学をきっかけに、親元を離れて奨学金で頑張っていること。

 お金がなくて、大川さんの友人にいつも奢ってもらって悪いと思っていること。

 大川さんに再会して、あの時のことを同じ大学の彼女に喋られるのが怖くて思わず嘘を吐いてしまったこと。

 まくしたてられる内容は、どれもこれも本当の様に聞こえた。だけど、大川さんはスーツの男にしなだれかかっているMの姿を目撃している。あれがあったから、Mの訴えのどれくらいかは分からないけど、嘘が含まれていると知ることが出来た。

 カフェでMが喋った内容は、少しの真実に嘘を大量に塗りたくったものだった。きっと、全てがそうなんじゃないか。

「……あいつには何も言わない。だからもう、僕に構わないでほしい」

 大川さんは、決別の言葉をMに告げた。Mは、自分が整形したことを大川さんの友人にばらされたくないんだろう。大川さんと距離を縮めていた、Mと同じ大学の彼女を大川さんから遠ざけようとした理由。それが大学内での自分の噂を避ける為だと思えば、納得もいった。

 許せるか許せないかはまた別の話だったけど。

 Mの周りに、Mの秘密を知る大川さんと繋がっている人間を置きたくないが為にあんなことをした。そう考えれば、理屈は通る。

 だとすると、塾で一緒だった子たち皆に同じことをしてるんだろうか。さすがにそれはないんじゃないか。だから大川さんは考えた。Mが大川さんにここまでするのには、まだ別の理由があるんじゃないかと。

「また……友達に戻れないかなあ?」

 甘える様な泣き声で言われたけど、大川さんは拒絶した。あまりにもMに都合のいい話の内容に、反吐が出そうになる。

 別の理由があったとしても、それはもう大川さんには関係のないことだと、それ以上尋ねるのは止めておいた。もう関わりたくない。忘れてしまいたかった。

「もうお互い何も知らない赤の他人で過ごそう。誰にも何も言わないから」
「……うん、ごめんね」

 しおらしいMの言葉に、これでようやくMに煩わされない日常に戻るかと思うと、早くその電話を切りたくて堪らなくなった。

「連絡先、消してくれるかな」

 こんなに冷たい台詞は、これまで他人に対し使ったことはない。大川さんの体中の神経が、そうしてでも全力で関係を断てと訴えてきたから。

「大川くん……」
「連絡先、消して。じゃあ」
「まっ」

 通話を切ると、大川さんは暫しその場に佇み、やがて気を取り直すと履歴に残ったMの番号を着信拒否に設定したのだった。
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