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10 困りごと
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「――ということで、あれから毎日帰り際にキスされるんだけどさ」
「あんたそれ自慢?」
えっちゃんのじとっとした視線を肌にひしひしと感じつつ、私は慌てて首を横に振った。
決して自慢じゃない。確かにキスの直前はいつ来るのかとドキドキするし、重なる唇も「うわこれ何ですか」というレベルで柔らかく、感触としては全然悪くない。何度されても慣れないので、固まっている間にいつの間にか終わっている触れるだけのキスだけど。
でも、問題はそこじゃなかった。もっと深刻な問題が、現在私の前には立ちはだかっているのだ。
「ほら、龍くんって実家にひとり暮らししてるでしょ?」
「あー、駅前の高層マンションだっけ? コン、コン……」
「コンシェルジュ」
そっと小声で教えると、えっちゃんは何も聞こえなかった素振りで続けた。
「コンシェルジュ付きって相当よねえ」
人の助けをまるでなかったように振る舞うえっちゃんはさすがだと思ったけど、今の私は切実に助言を求めている。細かいことで争っている場合じゃないので、触れないことにした。
ヒソヒソと声を潜めながら、えっちゃんに近寄る。腕が触れ合うと、ほにゃっと柔らかかった。オーラは優しい黄色なので、親身になってくれているのがよく分かる。やっぱりいい奴だ。
「キスするようになってから、家に遊びに来ないかって毎日聞かれるんだよね」
「お、王子も人の子か。盛ってますなあ」
えっちゃんは、男が近くにいなければそこそこ遠慮がない発言をする。こういうところも堂々と見せれば相性のいい彼氏ができると思うけど、えっちゃん曰く男は幻想を追いがちだから清楚に見せかけるのがいいんだそうだ。
清楚さの欠片もない私の方が先に彼氏が出来てしまったので、現在えっちゃんの持論の存在価値は揺らいでいる真っ最中だけど。
「いやさ、なんて言うか、じわじわと追い詰められている感というか。時折龍くんの目が、獲物を狙う獣みたいに見えたりするんだよね」
えっちゃんが真剣な顔で頷いた。
「追い詰められて狙われてるよね、確実に」
「だよね?」
やっぱりそうか。私よりも耳年増なえっちゃんの言うことだから、間違いない。
絶対に家に行くなと春彦に言われていたから疑いつつもそうしていたけど、あいつの意見が正しかったってことだ。うるさいと思っていたことを申し訳なく思った。
あれから春彦には、うまいこと誤魔化しつつ状況を説明するのが難しくて、当たり障りのないことしか報告していない。
そもそも、なんで春彦に龍とのことを逐一報告しないといけないのか。
そんな根本的な疑問は残っているけど、幼い頃から私の保護者的ポジションにいた春彦だ。私の一挙手一投足を観察して、変な方向にズンズン進まないか見守るのがライフワーク化しているのかもしれない。
そんな心配性の春彦に貞操の危機となり得ることを相談出来る筈もなく、こうしてえっちゃんを捕まえて必死に相談しているという訳だ。
えっちゃんが、半眼で私を見る。
「で、あんたは心の準備が出来ていないと」
ヘッドバンキングさながら、私は頭をブンブン上下に振った。
「そもそもさ! 何でこんなに好かれてるのかが分かんないんだよ!」
これまでずっと心に留めてきた疑問を、とうとう口にした。そう、全てはこのひと言に尽きるのだ。
「私のどこがよくて付き合ってる訳? 愛想笑いしか出ないしさ、緊張しすぎてどもるしさ、いつも手汗掻いてるしさ!」
自分で言うのは悲しいけど、一体私のどこがいいのか、本当に理解出来なかった。
「まあ……確かに。私もそれは不思議に思ってた」
えっちゃんは遠慮がない。だけどこの場合、オブラートなんて拳でぶち破るくらい遠慮のない意見を述べてくれる方が有り難かった。
それほどに、私の頭上にはクエスチョンマークが山のように浮いていたから。
「私の性格がいいとかさ、絶世の美女だとかさ、秀才だとか笑顔が可愛いと常日頃言われてるとかあればいいけどさ、ないじゃん?」
「ないね」
えっちゃんは容赦ない。ちょっとぐさっとくるものはあったけど、話を続行することを選んだ。それほどに、切羽詰まっていた。
龍は今日も校門前で私を待つ筈だ。ここ数日は何だかんだと言い訳を作り、会うまでの時間を出来るだけ引き伸ばしていた。
それでも待っていた。会えば笑顔で出迎えてくれる。だからきっと今日もいる。何時間だろうが絶対待たれる。もう申し訳ないを通り越して、怖かった。
「胸もないし色気もないし」
えっちゃんが追い討ちをかける。嫌味じゃない、真剣だ。その証拠に、眼鏡の外は冷静な青のままだ。
「春彦と同じこと言うなよ」
私がぼそっと言うと、えっちゃんが微妙な顔になった。えっちゃんは小学校から一緒なので、春彦のことも知っている。だけど、私が春彦の話をすると、何故かえっちゃんはいつもこんな顔になった。
「ま、勝田くんは置いておいて」
あからさまに話を逸らす。どうやら春彦はえっちゃんにはあまり好かれていないらしい。哀れ、春彦。
私は心の中でちょっとだけざまあと思った。でもちょっとだけだ。
春彦が私の心配をしてくれているだけなのは、私だって分かっている。それが段々小言みたいになってきているのがうるせえなと思うことはあっても、春彦がいい奴なことに変わりはないから。
「ていうかさ、小春」
えっちゃんが、真剣そのものの表情で尋ねてきた。
「あんた、そもそも王子のこと好きなの?」
私は、咄嗟に何も答えられなかった。
「あんたそれ自慢?」
えっちゃんのじとっとした視線を肌にひしひしと感じつつ、私は慌てて首を横に振った。
決して自慢じゃない。確かにキスの直前はいつ来るのかとドキドキするし、重なる唇も「うわこれ何ですか」というレベルで柔らかく、感触としては全然悪くない。何度されても慣れないので、固まっている間にいつの間にか終わっている触れるだけのキスだけど。
でも、問題はそこじゃなかった。もっと深刻な問題が、現在私の前には立ちはだかっているのだ。
「ほら、龍くんって実家にひとり暮らししてるでしょ?」
「あー、駅前の高層マンションだっけ? コン、コン……」
「コンシェルジュ」
そっと小声で教えると、えっちゃんは何も聞こえなかった素振りで続けた。
「コンシェルジュ付きって相当よねえ」
人の助けをまるでなかったように振る舞うえっちゃんはさすがだと思ったけど、今の私は切実に助言を求めている。細かいことで争っている場合じゃないので、触れないことにした。
ヒソヒソと声を潜めながら、えっちゃんに近寄る。腕が触れ合うと、ほにゃっと柔らかかった。オーラは優しい黄色なので、親身になってくれているのがよく分かる。やっぱりいい奴だ。
「キスするようになってから、家に遊びに来ないかって毎日聞かれるんだよね」
「お、王子も人の子か。盛ってますなあ」
えっちゃんは、男が近くにいなければそこそこ遠慮がない発言をする。こういうところも堂々と見せれば相性のいい彼氏ができると思うけど、えっちゃん曰く男は幻想を追いがちだから清楚に見せかけるのがいいんだそうだ。
清楚さの欠片もない私の方が先に彼氏が出来てしまったので、現在えっちゃんの持論の存在価値は揺らいでいる真っ最中だけど。
「いやさ、なんて言うか、じわじわと追い詰められている感というか。時折龍くんの目が、獲物を狙う獣みたいに見えたりするんだよね」
えっちゃんが真剣な顔で頷いた。
「追い詰められて狙われてるよね、確実に」
「だよね?」
やっぱりそうか。私よりも耳年増なえっちゃんの言うことだから、間違いない。
絶対に家に行くなと春彦に言われていたから疑いつつもそうしていたけど、あいつの意見が正しかったってことだ。うるさいと思っていたことを申し訳なく思った。
あれから春彦には、うまいこと誤魔化しつつ状況を説明するのが難しくて、当たり障りのないことしか報告していない。
そもそも、なんで春彦に龍とのことを逐一報告しないといけないのか。
そんな根本的な疑問は残っているけど、幼い頃から私の保護者的ポジションにいた春彦だ。私の一挙手一投足を観察して、変な方向にズンズン進まないか見守るのがライフワーク化しているのかもしれない。
そんな心配性の春彦に貞操の危機となり得ることを相談出来る筈もなく、こうしてえっちゃんを捕まえて必死に相談しているという訳だ。
えっちゃんが、半眼で私を見る。
「で、あんたは心の準備が出来ていないと」
ヘッドバンキングさながら、私は頭をブンブン上下に振った。
「そもそもさ! 何でこんなに好かれてるのかが分かんないんだよ!」
これまでずっと心に留めてきた疑問を、とうとう口にした。そう、全てはこのひと言に尽きるのだ。
「私のどこがよくて付き合ってる訳? 愛想笑いしか出ないしさ、緊張しすぎてどもるしさ、いつも手汗掻いてるしさ!」
自分で言うのは悲しいけど、一体私のどこがいいのか、本当に理解出来なかった。
「まあ……確かに。私もそれは不思議に思ってた」
えっちゃんは遠慮がない。だけどこの場合、オブラートなんて拳でぶち破るくらい遠慮のない意見を述べてくれる方が有り難かった。
それほどに、私の頭上にはクエスチョンマークが山のように浮いていたから。
「私の性格がいいとかさ、絶世の美女だとかさ、秀才だとか笑顔が可愛いと常日頃言われてるとかあればいいけどさ、ないじゃん?」
「ないね」
えっちゃんは容赦ない。ちょっとぐさっとくるものはあったけど、話を続行することを選んだ。それほどに、切羽詰まっていた。
龍は今日も校門前で私を待つ筈だ。ここ数日は何だかんだと言い訳を作り、会うまでの時間を出来るだけ引き伸ばしていた。
それでも待っていた。会えば笑顔で出迎えてくれる。だからきっと今日もいる。何時間だろうが絶対待たれる。もう申し訳ないを通り越して、怖かった。
「胸もないし色気もないし」
えっちゃんが追い討ちをかける。嫌味じゃない、真剣だ。その証拠に、眼鏡の外は冷静な青のままだ。
「春彦と同じこと言うなよ」
私がぼそっと言うと、えっちゃんが微妙な顔になった。えっちゃんは小学校から一緒なので、春彦のことも知っている。だけど、私が春彦の話をすると、何故かえっちゃんはいつもこんな顔になった。
「ま、勝田くんは置いておいて」
あからさまに話を逸らす。どうやら春彦はえっちゃんにはあまり好かれていないらしい。哀れ、春彦。
私は心の中でちょっとだけざまあと思った。でもちょっとだけだ。
春彦が私の心配をしてくれているだけなのは、私だって分かっている。それが段々小言みたいになってきているのがうるせえなと思うことはあっても、春彦がいい奴なことに変わりはないから。
「ていうかさ、小春」
えっちゃんが、真剣そのものの表情で尋ねてきた。
「あんた、そもそも王子のこと好きなの?」
私は、咄嗟に何も答えられなかった。
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