賽の河原の拾い物

ミドリ

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16 別れ

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 放課後になり、いよいよ龍と話す時が来た。

 死地へ赴く武士さながら、龍が待つ校門へと勇ましく向かう。

 ――いた。また何かの本を読んでいる。このまま前を通り過ぎたらどうなるかな、と少し臆病な気持ちが顔を覗かせた。

「あ、小春ちゃん」

 残念ながら、龍は遠くからでも私を見つける。おかっぱとコッパー色の眼鏡の組み合わせは、目立つのかもしれない。

 龍の元に小走りで駆け寄ると、先手必勝とばかりに早速切り出すことにする。

「龍くん、この間は先に帰ってごめんね、実は今日は話があって……うおっ」
「小春ちゃん、心配した……!」

 龍が、いきなり抱きついてきた。ザワワッと周囲がどよめく。ぎゅうう、とかなり力を込められて、痛かった。擦れる龍の制服からは、清潔な石鹸の香りが漂う。

「りゅ、龍くん! 落ち着こうか!」
「……もうちょっと、このままで」

 いやここは校門前なんだよ、龍は他校生だけど私はあと三年ここに通うんだよと言おうとしたところで、こちらに気付いた先生が「こら他校生! 何やってるんだ!」と怒鳴ってきた。

 龍はパッと顔を上げると、朗らかな笑みを浮かべる。

「やば、逃げよう」
「ちょ、りゅ、龍く……!」

 龍は私の手を掴むと、いきなり走り出した。病み上がりにダッシュはきつい。当然のことながら私の息はすぐに上がってしまって、足がもつれて転びそうになる。だけど、龍は止まってくれなかった。

 あ、転びそう――!

 限界で、叫ぶ。

「――龍くん! もう走れない!」
「あ! ごめん、病み上がりだったね!」

 隣の駅まであと半分の距離になった辺りで、ようやく止まってくれた。人気のない、閑静な住宅街のど真ん中だ。

 足がガクガクいって膝から崩れ落ちそうになると、龍が慌てて私を抱き止める。

「大丈夫?」

 ゼエ、ゼエ、と荒い息を吐きながら首を横に振ると、龍が済まなそうな笑顔を見せた。

「久々に会えたから、つい。ごめんね?」
「き、きついよ……!」
「うんごめん、許して?」

 とりあえず、このまま龍に抱き締められている訳にはいかない。別れ話をする前にイチャついてちゃ駄目だろう。

 息を整えつつ、龍から身体を離そうと腕に力を込める。すると何を思ったのか、龍は当たり前のように私の唇を奪ってしまった。

 唐突に口を塞がれてしまったことに驚いて、固まる。でも固まってちゃ駄目だと思いまた離れようとしたけど、反対に身体を引き寄せられてしまった。

「りゅ、ま……っ」

 渾身の力で抵抗を試みたけど、龍は繰り返しキスを重ねてくるだけで離れてくれない。勢いが怖すぎる!

 なのに、伊達眼鏡の外は相変わらずムカつくくらいに真っ白だ。

 なんでキスしてるのに白いままなの、と叫びたくなった。

 普通はもっとピンク色とかちょっとそっち系の色になるのに。少なくとも、今まで見てきた人は皆そうだったのに。

「――や!」

 両手の拳で、龍の胸を叩いた。するとようやく龍の顔が離れ、腕の力が緩められる。

「ハア……ッちょっと……っ!」

 もう少し落ち着いた状況で話したかった。春彦の意見も聞き入れて、もっと大勢の人がいる所で話そうと思っていた。

 だけど、今この場で言わなければきっとまた流される。

 龍のペースに呑まれて、龍が望むことだけしかできなくなる。

「小春ちゃん?」

 龍は、どうしたの? とでも言わんばかりの涼やかな笑顔を浮かべて、不思議そうに私を見下ろしていた。

 自分は間違っていない、この子は一体どうしたんだろう、困ったな。そう言われている気しかしない。

 ――もう、うんざり。

「今日は! 話があるの!」
「うん? どうしたの、急に大きな声出して」

 龍は大人びた雰囲気を崩さない。私はいつも、この雰囲気に呑まれていた。子供っぽいと思われたくなくて、背伸びした。

 憐れまれると悲しいから、必死だった。馬鹿みたいだ。どんなに背伸びしたって、私の本質は変わらないのに。

「わ、別れたいの!」

 ――とうとう言った。

 さあ龍はどういう反応を見せるか。嫌だと怒るか、それとも泣くかな。

 何を考えているか分からない顔で私を見ている、龍の反応を待つ。

 最後くらい、人間的な負の感情が見たかった。龍だってただの人なんだから、きっとある筈。そう期待していたのかもしれない。

 だけど、龍の反応はやっぱり龍そのものだった。

「……小春ちゃん、どうしたのかな。何がどうしたのか、僕にちゃんと説明してくれる?」

 龍は微笑むと、私の両手を龍の大きな手の中に包み込んだ。別れ話中に、相手に微笑まれながら両手を握られているこの状況とは如何に。

「だ、だからね、龍くんのことは友達としては好きだけど、彼氏としては好きになれなかったっていうか」
「出会ってすぐに付き合ったもんね。僕は小春ちゃんのことはすぐ好きになったけど、うん、温度差があるのは分かるよ」

 思ったよりも龍は冷静らしく、ほっとする。だけど、考えてみれば龍はいつも冷静だった。何で安心したのか、自分でも分からない。そもそも、龍は怒らないのに。

「そ、それにですね、私も友達とも遊びたいっていうのもあってですね」

 何故か敬語になる私に、龍は切れ長の目を細めてゆっくりと頷いた。

「僕もちょっと束縛が強すぎたって自分で呆れてたところだよ。特にこの間なんて、びっくりしたでしょ。ごめんね」
「あ、うん、まあね、あはは……」

 ちゃんと言ってやるぞと意気込んでいたのに、龍の態度があまりに普段通りなので、完全に肩透かしを食らっていた。

 別れ話中に愛想笑いをするなんて、普通はあるんだろうか。ない気がする。

 伊達眼鏡の外に見える龍のオーラは、相変わらずぶれることなく白く輝いていた。やっぱりこれは龍が聖人君子に近い感性を持っている証拠なんじゃ、と思わざるを得ない。

 それなら案外すんなりと別れられるかもしれない、と期待した。我ながら冷たい考えだけど、それでも龍なら笑って許してくれそうだ。

「ということで、ここは一旦お友達に戻りませんかね……?」
「友達に……」

 龍が、考え込むように目線を下げて、黙り込む。私はひたすら待った。手を握られ続けながら。

「……うん、分かったよ」
「龍くん……!」

 ほっとして、涙が出そうになった。だけど、涙を見せることで、実は龍と別れたくないんだと勘違いさせたくない。だから必死に堪えた。

「ねえ、手を繋いで駅まで送ってもいいかな?」

 すんなりと引いてくれた龍の最後の願いは、私の良心が私に「それくらいやってやれよ」と言う程度には切なかった。

 だから、こくりと頷く。

 そして私と龍は、駅までは恋人として、最後の時間を過ごしたのだった。



「――ということで、別れました」
「おめでとう! よくやった!」

 春彦の表情は明るい。人の別れ話を聞いておめでとうはないよねと思ったけど、私にあれこれアドバイスを授けていた身としては、感慨深いものがあるのかもしれない。

「にしても、随分あっさりと引いたな。お前の話だと執着が凄かったから、もっとごねるかと思ってた」

 春彦の意見は尤もだ。私自身、もう少し話を聞いてもらえずズルズルといくんじゃないかと恐れていた。

 それほどまでに龍は私の自由を奪い拘束していたのだと、今更ながらに果敢に挑んだ自分の勇気を褒め称えてやりたかった。

「まあ正直、一緒にいると肩凝るっていうか、イケメンだし凄くいい人だったんだけど、何かねえ」

 さもありなん、と納得顔で春彦が頷く。

「お前、基本ズボラだもんな。インテリきちっと系の奴とは、はなから相性が悪かったんだよ。ひとつ学べたと思えばよかったじゃないか」

 貶されているような気もするけど、春彦なりに私の健闘を称えてくれているんだろう。

「――じゃ、いってくる!」
「おう。事故には気を付けろよ!」

 こればかりは、春彦には大丈夫だなんて軽々しくは言えない。

「肝に銘じます!」

 敬礼のポーズを取ると、春彦はにこやかに手を振ってくれた。
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