賽の河原の拾い物

ミドリ

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40 託された希望

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 見事なドリフトを決めながら、車が病院のエントランス前に停車した。

 春彦のお父さんが、助手席の手すりに必死でしがみついていた春彦のお母さんに言う。

「母さん! 君が皆を病室まで連れて行ってくれ!」

 お母さんは大きく頷くと、勢いよく後部座席を振り返った。

「分かった! さ、小春ちゃん、春彦! 走るわよ!」
「はい!」

 少し逆流しかけている胃の中身を食道の入り口で必死に食い止めつつ、春彦の手を引っ張り車の外へと出た。

 この辺りでは一番大きい総合病院のエントランス前は、救急車が数台並べるほどの広さがある。でも他の車がいなくてよかった、とちょっとホッとした。病院前で事故なんて、笑えない。

 そういえば、と車を振り返った。

「部長!」

 青黒いオーラに包まれた部長は、口を押さえながら手を振っていた。駄目らしい。

 私は春彦を向くと、大きく頷いた。半分透けた春彦の顔には、期待が感じられる小さな笑みが浮かんでいる。あとちょっとで、春彦は元の身体に戻れるんだ。

「春彦!」
「うん!」

 先に病院内に駆け込んでいた春彦のお母さんが、困惑気味の黄色や青のオーラを纏う看護師たちに「急ぐんです! 後で面会手続きするから!」と叫んでいた。

 私と春彦が手を繋ぎながら病院内に駆け込むと、春彦のお母さんの相手をしていた中年の看護師が目を見開く。

「は、春彦くん!?」

 お母さんが、看護師の二の腕を揺さぶった。

「お願い! 行かせて!」

 ベテランそうな看護師は、瞬時に判断した。彼女のオーラが、一瞬で明るい色に切り替わる。

 受付ホールに鳴り響く、腹からの声を出した。

「――行って下さい!」
「ありがとうございます!」

 春彦のお母さんは素早く頭を下げると、小さな身体で全速力で先導し始めた。彼女の不安と期待が混じり合ったオーラを、必死で追う。

 面接時間は過ぎているんだろう。病院の廊下は薄暗く、足元から照らされる照明が非現実感を醸し出していた。

「こっちよ!」

 春彦のお母さんが、廊下を出た所にあるホールを右側に折れる。

 走っている間にも、春彦の身体はどんどん薄くなっていく。

 だけど、私と繋いでいる手は、まだしっかりと感触があった。だからきっと大丈夫だ。お願い、間に合って。

「う……っううう……っ!」

 泣いている場合じゃないのに、また涙と嗚咽が漏れる。私に襲いかかってきているのは、恐怖だった。

 春彦を失うことなんて、考えたこともなかった。今日初めて目の前にその可能性を突きつけられて、私は泣き叫んで頭を抱えたくなるくらいの恐怖を感じていたのだ。

 消えないで、いなくならないで。これからもずっと傍にいて。春彦のおはようがないと、私の一日は始まらないんだから――。

 ホールの右側にあるエレベーターホールに、春彦のお母さんが飛び込んでいった。

 エレベーターのボタンを、バンバンバン! と連打する。すぐに来ないことを悟ると、「四階よ!」と怒鳴り、ホール中央にある階段へ向かって走り出した。

 私と春彦は、その後を必死で追う。春彦を現世に取り戻す為に。

 繋がれた春彦の手は温かい。だけど、荒い息を繰り返しているのは私だけだ。この事実が春彦が生身でないことを語っていて、焦燥感に身が焼け爛れそうになっていた。

 早く、早く。なのに足は、これ以上早く動いてくれない。

 もっと運動しておけばよかった。野球部の練習を見て「凄いなあ」なんて呑気に構えていた私は、馬鹿だ。

 お願い、春彦が戻ってきたら、もっと色んなことに真剣になるから。だからお願い、今だけは早く動いてよ、私の足!

 すると。

「きゃ!」

 春彦のお母さんが、階段の中ほどで転んでしまった。膝を角で打ったのか、うずくまってしまう。

「おばさん!」

 慌てて駆け寄り助け起こそうとすると、彼女は首をブンブンと横に振った。

 決死の表情の中に浮かぶ期待を含む微かな笑みが、私に勇気を与えてくれる。

「大丈夫だから!」

 太陽のように眩い山吹色の希望に満ちたオーラが、更に激しく煌めいた。龍の白とは違う、本物の輝きだ。

 こんな時なのに、なんて綺麗なんだろうと思ってしまう。

 彼女の笑顔に応えたい。ようやく輝きを取り戻した彼女のオーラを、もう曇らせたくはない。

 お母さんは、階段の上をビシッと指差した。

「小春ちゃん行って! 部屋は四階に登って右! 425号室だから、行って!」
「――はい!」

 春彦のお母さんは、三年間待たせてしまった私に、それでも春彦の命を託してくれた。薄情な私が、鍵となる賽の河原の小石を持っているからだ。

 何としてでも春彦に生きていてほしいから、彼女は一番可能性の高いものを選択した。

 託された。ずしりと重いものを背中に背負ったのを感じながら、私は彼女の横を一段飛びで走り抜ける。

「小春! 頼む、頑張ってくれ!」

 春彦が、いつものように私を応援してくれた。

「勿論!」

 この先暫く立ち上がれなくなっても、そんなもの春彦の命に比べれば屁でもない。動け、動け、私!

 はあっはあっと枯れそうになる息を繰り返しながら、どうしたって流れ続ける涙を拭うことなく、階段を駆け上って行った。
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