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塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー過去ー
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次の日、まだ昼つ方というにも関わらず、あの男は昨日と同じように竹包と竹筒を携えて現れた。昨日のこともあって、顔を合わせづらいこともあり、今日こそ黙殺しようと決めたその矢先の出来事だった。本殿に竹包と竹筒を供えていた男が発した高ぶるような大声に神は危うく木から落ちそうになったのだった。
「お~い! そこにいるのだろう、神。お前食ってくれたのだな! おれが作った塩むすびを! やはりおれの言った通り、美味かっただろう! なぁ?」
「……相変わらず煩い嗣子だ。神を祀る神域では静寂を保つように教わらなかったのか?」
渋々といった体で神は隠れていた木から降りる。男は小言にも全く動じる様子もなく、ただ高らかに笑っただけであった。
「神への参拝方法なら童の頃から父上に口がうるさいくらいに言われている。が、おれとお前は知らぬ仲ではない。親しき仲にも礼儀あり、とも言うが、親しいなら多少の無礼講も見逃すのが、知友というものだろう」
「一度も友と思った覚えはない」
「それで、おれが握った塩むすびはどうだった? 美味かっただろう。余った分を今日の昼餉として家族で食してきたが、母上は涙を溢されていたからな。『神饌のためとはいえ、こんなに米と塩を使ってしまって……』と。父上も頷いておられたぞ」
母親の言葉は感動というより、嘆きのような気がするが、その意味に気付いているのだろうか。自分の意固地が原因とはいえ、宮司一族の家計はとんでもないことになっているのではないかと不安が募る。近い将来、宮司一族によって、この地から追い出されるのではないかと。
「我は食っていない。獣が食ったのだろう」
男の言葉を認めるのも癪に障るので、神は嘘をついて隠してしまう。男は「そうか……」と肩を落としたかと思うと、本殿の前に座り込んだのだった。
「盗られてしまったのなら仕方ない。それなら今日はお前が食べるまでここにいるぞ」
「なっ、何を言い出す!? キサマは書生だろう。書生なら書生らしく、こんなところで油を売っていないで勉学に励んでくるがいいっ……!」
「今日の授業は昼前で終わりだ。この後は空いている、というより空けてきた。お前とはじっくり膝を突き合わせて話しがしたいと思ってな」
「キサマと話すことなど無い」
「それでもいい。話したくなったら話せ。それまでおれはここにいる。何だったら、ここで夜を明かしてもいい」
「好きにしろ」
この時、男はすぐに諦めて帰るだろうと神は高を括っていた。男が帰ってからゆっくり塩おにぎりを食せばいいとも。
しかしそれから数刻経っても、男は本殿の前から動く気配はなかった。本殿の前に胡坐を掻いて両腕を胸の前で組み、目を瞑っていた。瞑想しているようにも、寝ているようにも見える男が気になり出し、神は音もなく男に近づいて行く。すると、急に男は目を開けたかと思うと、言葉を発したのであった。
「何故塩むすびを食わない」
「昨日も言ったが、この姿では食えない。物を食すには口がなければならないが、この姿以外になれない」
「これまでの神饌はどう食していたのだ。ずっとその姿だったわけではあるまい。古文書にお前の姿絵が描かれていたが、しっかり人の形をしていた。その姿で食してきたのではないか」
確かに、宮司一族に伝わる古文書には神の本来の姿である現人神の姿――あの冷笑主義者のような姿、が描かれている。
何百年も前に神に仕えていた清き乙女の口述から、当時の宮司が絵にしたためたものとされており、遠い昔に神もその古文書を見たことがあった。実際の現人神の姿とは細部が違うものの、ほとんど同一と言える絵であろう。
男は古文書を通して神の本当の姿を知っているようだが、現人神の姿を直接この男に見せるのにはまだ抵抗があった。
「それも神と人が密接な関係だった往時の話だ。人の信仰が減りつつある昨今、神の姿はおろか、神の名すら覚えていない」
これも嘘であった。今はまだ神としての名も姿も覚えているが、信仰が減って神饌が奉納されなくなった時、神力が減少して、いずれ神としての姿だけではなく、神としての名も消える。文字通り、世界から消滅するだろう。
口伝えや祝詞などを通して、誰かが神の神としての名前を憶えていてくれるのなら、かろうじて神力を持たない只人のような神のなりそこないとして、この世界に存在を保っていられる。
だがいずれ神としての名を忘れ、存在すらも人間たちから忘れられた時、存在証明を失った神は塵のように世界から消える。これまで信仰を失って、霞のように時代の中に散っていった、八百万の神々と同じように――。
「お~い! そこにいるのだろう、神。お前食ってくれたのだな! おれが作った塩むすびを! やはりおれの言った通り、美味かっただろう! なぁ?」
「……相変わらず煩い嗣子だ。神を祀る神域では静寂を保つように教わらなかったのか?」
渋々といった体で神は隠れていた木から降りる。男は小言にも全く動じる様子もなく、ただ高らかに笑っただけであった。
「神への参拝方法なら童の頃から父上に口がうるさいくらいに言われている。が、おれとお前は知らぬ仲ではない。親しき仲にも礼儀あり、とも言うが、親しいなら多少の無礼講も見逃すのが、知友というものだろう」
「一度も友と思った覚えはない」
「それで、おれが握った塩むすびはどうだった? 美味かっただろう。余った分を今日の昼餉として家族で食してきたが、母上は涙を溢されていたからな。『神饌のためとはいえ、こんなに米と塩を使ってしまって……』と。父上も頷いておられたぞ」
母親の言葉は感動というより、嘆きのような気がするが、その意味に気付いているのだろうか。自分の意固地が原因とはいえ、宮司一族の家計はとんでもないことになっているのではないかと不安が募る。近い将来、宮司一族によって、この地から追い出されるのではないかと。
「我は食っていない。獣が食ったのだろう」
男の言葉を認めるのも癪に障るので、神は嘘をついて隠してしまう。男は「そうか……」と肩を落としたかと思うと、本殿の前に座り込んだのだった。
「盗られてしまったのなら仕方ない。それなら今日はお前が食べるまでここにいるぞ」
「なっ、何を言い出す!? キサマは書生だろう。書生なら書生らしく、こんなところで油を売っていないで勉学に励んでくるがいいっ……!」
「今日の授業は昼前で終わりだ。この後は空いている、というより空けてきた。お前とはじっくり膝を突き合わせて話しがしたいと思ってな」
「キサマと話すことなど無い」
「それでもいい。話したくなったら話せ。それまでおれはここにいる。何だったら、ここで夜を明かしてもいい」
「好きにしろ」
この時、男はすぐに諦めて帰るだろうと神は高を括っていた。男が帰ってからゆっくり塩おにぎりを食せばいいとも。
しかしそれから数刻経っても、男は本殿の前から動く気配はなかった。本殿の前に胡坐を掻いて両腕を胸の前で組み、目を瞑っていた。瞑想しているようにも、寝ているようにも見える男が気になり出し、神は音もなく男に近づいて行く。すると、急に男は目を開けたかと思うと、言葉を発したのであった。
「何故塩むすびを食わない」
「昨日も言ったが、この姿では食えない。物を食すには口がなければならないが、この姿以外になれない」
「これまでの神饌はどう食していたのだ。ずっとその姿だったわけではあるまい。古文書にお前の姿絵が描かれていたが、しっかり人の形をしていた。その姿で食してきたのではないか」
確かに、宮司一族に伝わる古文書には神の本来の姿である現人神の姿――あの冷笑主義者のような姿、が描かれている。
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男は古文書を通して神の本当の姿を知っているようだが、現人神の姿を直接この男に見せるのにはまだ抵抗があった。
「それも神と人が密接な関係だった往時の話だ。人の信仰が減りつつある昨今、神の姿はおろか、神の名すら覚えていない」
これも嘘であった。今はまだ神としての名も姿も覚えているが、信仰が減って神饌が奉納されなくなった時、神力が減少して、いずれ神としての姿だけではなく、神としての名も消える。文字通り、世界から消滅するだろう。
口伝えや祝詞などを通して、誰かが神の神としての名前を憶えていてくれるのなら、かろうじて神力を持たない只人のような神のなりそこないとして、この世界に存在を保っていられる。
だがいずれ神としての名を忘れ、存在すらも人間たちから忘れられた時、存在証明を失った神は塵のように世界から消える。これまで信仰を失って、霞のように時代の中に散っていった、八百万の神々と同じように――。
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