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塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー過去ー
【31】
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「本当に残念でしたね。噂によると、北東北に建つ神社の後継の話を辞退されたとか。ご友人のために」
友人の単語に蓬は固まってしまう。いずれ他の神社の後継になるつもりだとセイから聞いていたが、まさかその話がもう来ていたとは思わなかった。しかも友人の――蓬のために拝辞していたというのも。セイの母親の頭上まで降りてくると、蓬は聞き耳を立てたのだった。
「ええ。そうです……。蓬晴は……生前のあの子は、毎日その方の元に出向いていました。毎朝早くから厨で米を炊いておむすびをこさえて、鼻歌混じりに汁物の用意をして。今朝もそうだったのです。『今日こそは友人の口から上手いと認めさせる』と息巻いて、家を出て。それなのに……それなのに……ううっ!」
突然末の息子が失われて、まだ心の整理がついていないのだろう。無理もない。手巾で目元を押さえるセイの母親に背を向けると、蓬は母屋に足を向ける。これまで幼少のセイが体調を崩す度に様子を見に来ていたので、セイの部屋はすぐに分かった。昔と違い、玩具が減って、書物が増えたものの、本質的なものは何も変わっていないような気がした。整理整頓や掃除が行き届いているところも、手入れされた武具が壁に立て掛けられているところでさえも。ただ、この部屋の主を除いては――。
その時、セイの部屋の襖が開いたので、期待を込めて顔を上げる。しかし入って来たのはセイの父親である宮司とセイの長兄、そして帽子を手に持った黒い紳士服の初老の男性であった。
「ここが実弟の……蓬晴の部屋です……」
意気消沈した長兄に案内された初老の男性は、書きかけの半紙が置かれたままの書き物机や神道に関する書物が所狭しと並べられた書棚をじっくりと眺めながら話し出す。
「本人には会えましたか?」
「今日は警察で調べるため、病院で預かるそうです。事件性が無いかはっきりさせておきたいと。父と会いに行きましたが、とても人様に見せられる状態ではなく……」
「そうですか……。蓬晴くんはとても真面目な好青年でした。成績や素行にも問題なく、学部や学年を問わず多くの学生たちにも慕われて。行く行くは父君や兄君のような立派な宮司になったことでしょう」
「ありがとうございます……」
宮司が深々と頭を下げる。セイが神饌を奉納するようになるまで、蓬の本殿に神饌を献納していたのはこの宮司だった。ここ半年近く姿を見かけなかったが、以前にも増してすっかり老け込んだように見える。
「先程ご母堂からもお話しを伺いましたが、最近蓬晴くんには新しいご友人が出来たそうですね。これまでは授業が終わっても、遅くまで大学の図書館で勉強して、私ども教授に教えを乞いていました。それが授業を終えるなり、すぐに帰宅するようになりました。ご友人が待っているからと、学友からの誘いも断り、神道以外にも科学や料理に興味を持つようになったとか」
「うちの倅がそんなことを……」
「そのご友人が関係しているかは存じませんが、約半年程前からこの辺りの皇神について調べる姿を見かけるようになりました。地域信仰について研究している私の元にも何度か訪れましてね。生家で祀る皇神についてもっと知って詳しくなりたい、特に神々の神名について知識を深めたいと仰っていました。とても信仰熱心なのですね。喪が明けられましたら、ご神体を祀られる斎庭にも参拝させていただきたいものです」
「その蓬晴の新しい友というのは……我が家の皇神のことなのです……」
「おや、そうなのですか」
自らを教授と称した初老の男性が意外と言いたげな顔をする。長兄が溢した言葉に宮司は肘で突いて止めたものの、長兄は肩を落としたまま話し続ける。
「半年程前から、この地を守護する豊穣の神への供物の奉納は弟が担うようになりました。本来は長兄であるおれ……わたしが行いますが、弟からの強い要望もあって役割を代わったのです。この地の神は長らく供物を受け取ってくださらなかったのですが、弟が奉納するようになってからは受け取るようになったというのもあります。それで弟自身も非常に張り切り、不敬にも奉るはずの神を友人などと呼ぶようになりました」
「ほう……。皇神と友好関係を築いていたのですか。地方を中心に神社が廃れ、各地の神が地上から離れているこの時代に。審神者でなく友人と」
「弟の話では、守護神からは一度も友と呼ばれなかったそうです。それでも魂は通い合っているから友だと言い張っていました。お恥ずかしい話ではありますが……」
「いえ。貴重なお話をありがとうございます。お忙しいところ、私の我が儘にお付き合いいただきまして。蓬晴くんが熱心に皇神について調べていた理由が知れました。きっとご友人のために、奔走していたのでしょう。改めて、この度はお悔やみを申し上げます。学長も会議が終わり次第、帝都を発つと申しておりました。明日弔問に訪れるかと」
「教授もご多忙のところ、出張を切り上げてまで来ていただきありがとうございます。きっと弟も冥途の土産になると喜んでいるかと存じます」
友人の単語に蓬は固まってしまう。いずれ他の神社の後継になるつもりだとセイから聞いていたが、まさかその話がもう来ていたとは思わなかった。しかも友人の――蓬のために拝辞していたというのも。セイの母親の頭上まで降りてくると、蓬は聞き耳を立てたのだった。
「ええ。そうです……。蓬晴は……生前のあの子は、毎日その方の元に出向いていました。毎朝早くから厨で米を炊いておむすびをこさえて、鼻歌混じりに汁物の用意をして。今朝もそうだったのです。『今日こそは友人の口から上手いと認めさせる』と息巻いて、家を出て。それなのに……それなのに……ううっ!」
突然末の息子が失われて、まだ心の整理がついていないのだろう。無理もない。手巾で目元を押さえるセイの母親に背を向けると、蓬は母屋に足を向ける。これまで幼少のセイが体調を崩す度に様子を見に来ていたので、セイの部屋はすぐに分かった。昔と違い、玩具が減って、書物が増えたものの、本質的なものは何も変わっていないような気がした。整理整頓や掃除が行き届いているところも、手入れされた武具が壁に立て掛けられているところでさえも。ただ、この部屋の主を除いては――。
その時、セイの部屋の襖が開いたので、期待を込めて顔を上げる。しかし入って来たのはセイの父親である宮司とセイの長兄、そして帽子を手に持った黒い紳士服の初老の男性であった。
「ここが実弟の……蓬晴の部屋です……」
意気消沈した長兄に案内された初老の男性は、書きかけの半紙が置かれたままの書き物机や神道に関する書物が所狭しと並べられた書棚をじっくりと眺めながら話し出す。
「本人には会えましたか?」
「今日は警察で調べるため、病院で預かるそうです。事件性が無いかはっきりさせておきたいと。父と会いに行きましたが、とても人様に見せられる状態ではなく……」
「そうですか……。蓬晴くんはとても真面目な好青年でした。成績や素行にも問題なく、学部や学年を問わず多くの学生たちにも慕われて。行く行くは父君や兄君のような立派な宮司になったことでしょう」
「ありがとうございます……」
宮司が深々と頭を下げる。セイが神饌を奉納するようになるまで、蓬の本殿に神饌を献納していたのはこの宮司だった。ここ半年近く姿を見かけなかったが、以前にも増してすっかり老け込んだように見える。
「先程ご母堂からもお話しを伺いましたが、最近蓬晴くんには新しいご友人が出来たそうですね。これまでは授業が終わっても、遅くまで大学の図書館で勉強して、私ども教授に教えを乞いていました。それが授業を終えるなり、すぐに帰宅するようになりました。ご友人が待っているからと、学友からの誘いも断り、神道以外にも科学や料理に興味を持つようになったとか」
「うちの倅がそんなことを……」
「そのご友人が関係しているかは存じませんが、約半年程前からこの辺りの皇神について調べる姿を見かけるようになりました。地域信仰について研究している私の元にも何度か訪れましてね。生家で祀る皇神についてもっと知って詳しくなりたい、特に神々の神名について知識を深めたいと仰っていました。とても信仰熱心なのですね。喪が明けられましたら、ご神体を祀られる斎庭にも参拝させていただきたいものです」
「その蓬晴の新しい友というのは……我が家の皇神のことなのです……」
「おや、そうなのですか」
自らを教授と称した初老の男性が意外と言いたげな顔をする。長兄が溢した言葉に宮司は肘で突いて止めたものの、長兄は肩を落としたまま話し続ける。
「半年程前から、この地を守護する豊穣の神への供物の奉納は弟が担うようになりました。本来は長兄であるおれ……わたしが行いますが、弟からの強い要望もあって役割を代わったのです。この地の神は長らく供物を受け取ってくださらなかったのですが、弟が奉納するようになってからは受け取るようになったというのもあります。それで弟自身も非常に張り切り、不敬にも奉るはずの神を友人などと呼ぶようになりました」
「ほう……。皇神と友好関係を築いていたのですか。地方を中心に神社が廃れ、各地の神が地上から離れているこの時代に。審神者でなく友人と」
「弟の話では、守護神からは一度も友と呼ばれなかったそうです。それでも魂は通い合っているから友だと言い張っていました。お恥ずかしい話ではありますが……」
「いえ。貴重なお話をありがとうございます。お忙しいところ、私の我が儘にお付き合いいただきまして。蓬晴くんが熱心に皇神について調べていた理由が知れました。きっとご友人のために、奔走していたのでしょう。改めて、この度はお悔やみを申し上げます。学長も会議が終わり次第、帝都を発つと申しておりました。明日弔問に訪れるかと」
「教授もご多忙のところ、出張を切り上げてまで来ていただきありがとうございます。きっと弟も冥途の土産になると喜んでいるかと存じます」
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