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同じ釜の飯を食うて、水魚の交わる間柄となる
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店内を興味深そうに見ていた莉亜だったが、やがて各カウンター席やテーブル席に置かれた小さなアクリルスタンドが目に留まる。自分の席にも置いてあるアクリルスタンドを手に取ると、そこにはおにぎりに関する豆知識や商品の説明が書かれた手書きと思しきチラシが挟まっていた。他の店でも同じようなものを見かけたことがあるので、金魚が人の世を真似て作ったのだろうか。
色鉛筆や筆ペンなどで色鮮やかにして目を引くようにするだけではなく、子供でも分かるように平仮名と漢字を併記して、顔が書かれたおにぎりや食材のイラストも書かれていた。これなら料理が提供されるまでの待ち時間に親子でも楽しめそうであった。こういった小さな子供連れに向けた細やかな気配りができるのも、やはり子供がいるという金魚ならではだろう。
「お待たせしました、莉亜様。塩おむすびと鮭のおむすびをお持ちいたしました。今日のお味噌汁は青菜と油揚げですわ」
「ありがとうございます」
チラシが挟まったアクリルスタンドを元の場所に戻すと、金魚が黒塗りの盆を置いてくれる。灰色の長皿の上には三角形に握られた塩おにぎりと全体を海苔で巻いた鮭のおにぎりが乗っていた。また金魚柄の漆塗りの椀には細かく切られた鯖と油揚げが入った具沢山の味噌汁が入っていたのだった。炊き立ての米と白い湯気が立つ味噌汁の匂いに空腹が刺激される。いつもの癖でそのまま食べようとするが、ブログに書く約束をしたことを思い出すとスマートフォンを取り出す。大学で出来た新しい友人と食事に行くと、必ずと言っていい程、毎回ブログやSNSの投稿用に料理の写真をスマートフォンで撮っていた。けれどもそういったソーシャルメディアをやっていなかった莉亜はこれまで料理の撮影をほとんどしてこなかったので、この撮り方でいいのか不安になりながらも角度を変えつつシャッターボタンを押していく。
その間、金魚は床に小皿を置きながら、「ハルちゃんにはいつものかつお節ですわ」とカウンターで寝転んでいたハルに声を掛けていた。ハルは軽々とカウンターから床に着地すると、小皿に入ったかつお節を一心不乱に貪っていたのだった。
ようやく撮影を終えた莉亜は「いただきます」と両手を合わせてから、最初に塩おにぎりを食べ始める。見た目や匂いは蓬と一緒だったが、口に入れた瞬間、ざらりとした舌ざわりと共に、ほど良い塩の塩辛さと米の甘さ、そしてわずかな苦みを感じたのであった。
(あれっ……? この味、どこかで覚えが……)
どことなく覚えがある味のような気がして首を傾げる。気のせいかと思い、もう一口食べてみたが変わらなかった。今にもその答えが閃きそうだが、どう言葉にしたらいいのか分からなくてもどかしい。何かが足りないのか、目の前にあるのに手の中からすり抜けてしまう。まるで雲を掴むようであった。
莉亜が不審そうに手の中の塩おにぎりをまじまじと見ていたからだろう。金魚が不安そうな声で「何か問題がありましたか……?」と恐る恐る尋ねてくる。
「なんでもありません。この塩おにぎりもとても美味しいです。実は蓬さんのお店以外の塩おにぎりを食べたことが無かったので驚いていたんです。塩おにぎりでも、やっぱりお米や炊き方が違うと味わいが違いますよね」
「ええ。そうです。同じ米でも炊き方一つで味が変わりますし、何より塩おむすびは塩が味の決め手となりますわ」
「塩ですか?」
「莉亜様は塩にも種類があるのはご存じでしょうか。海から獲れる海水塩以外にも岩塩や塩湖塩などですわ。塩によって口に入れた時の味や食感も違いますし、食材との相性も異なりますの。米、魚、肉、野菜、果物、卵など、私たちが普段食している塩だけでも、食材によって向き不向きがありますわ。料理以外の用途もそうですわね」
「料理以外に塩を使うことというと、神棚へのお供えやお清めですか?」
料理以外で塩を使う場面といえば、やはり祖父が毎朝の日課として行っていた神棚への供物が思い出される。莉亜の神社はセイの神社と宗派が違うのか、お供えの内容は多少違っていたものの、米、御神酒、清水、盛り塩は共通していた。
祖父からは、米は神に対する感謝、御神酒は神の好物、清水は生命の源、盛り塩には清めの意味があると聞いている。毎日取り換えることで、神への畏敬と感謝を表すとも。
「そうですわ。古代には歯磨きや入浴剤として、今でも身体の揉みほぐしや按摩、家畜の飼料や工芸、染料に使われています。莉亜様が仰られた神棚へのお供えや自宅などに供える盛り塩、葬式の際に渡される清めの塩には、いずれも邪気を払う効果があるとされている粗塩が使用されていますわ」
「粗塩ですか?」
「はい。粗塩は海水を天日干しや塩窯で煮つめて作られます。海水は水の神様、天日干しや塩窯は火の神様を現すと言われているからですわ。水と火は私たちの生活に最も深く関わっており、時には命を脅かす存在にもなります。そういった意味では、火の神様と水の神様は人やあやかしたちと深く関係のある神様とも言えますわね」
「確かに、そうですね」
「神事で使用するのに良いとされているのは、そういった神様と縁のある粗塩が良いとされています。勿論、安価で手に入りやすい食塩などの精製塩でもいいのです。お住いの地域によっては流通している塩も違っているので手に入りづらいこともあるかと思いますわ」
「粗塩が海水から作られているということは、当然海のない場所に住んでいる人たちは手に入れられないということですよね。今と違って、昔は電話やインターネットで取り寄せるということも出来ないですし、そうなると主流になる塩は地域で変わりますよね」
「今のように便利な世の中となるまでは、食糧との交換や遠方から行商に来る商人から手に入れていたようですわ。ただそれだと入手に時間だけではなく、費用も掛かります。やはり自分たちで作った方がどちらも抑えられますから。そうして日本の各地で独自の製塩法が開発されていったのですわ。特に文明開化が起こった数百年前に現在使用されている全ての製塩法が完成してからは、同じ種類の塩でも地域ごとに使用されている製塩法が違ったようですので」
例えば同じ海水から作る天然塩でも、日照時間が長い日本の南西地域は昔ながらの天日干しによる製塩法だが、寒冷や夏場も霧に覆われることのある東北地方の太平洋側では海水を煮つめた塩窯による海水直煮釜、北陸や山陰地方では人の手を加えない天然の砂浜を塩田とした揚浜系の塩田法によって塩を製造している。
それぞれの地域の気候や立地に合わせた製塩法が確立されたのは近世であり、その頃から各地で塩の製造方法や種類が分かれたと考えられているらしい。
色鉛筆や筆ペンなどで色鮮やかにして目を引くようにするだけではなく、子供でも分かるように平仮名と漢字を併記して、顔が書かれたおにぎりや食材のイラストも書かれていた。これなら料理が提供されるまでの待ち時間に親子でも楽しめそうであった。こういった小さな子供連れに向けた細やかな気配りができるのも、やはり子供がいるという金魚ならではだろう。
「お待たせしました、莉亜様。塩おむすびと鮭のおむすびをお持ちいたしました。今日のお味噌汁は青菜と油揚げですわ」
「ありがとうございます」
チラシが挟まったアクリルスタンドを元の場所に戻すと、金魚が黒塗りの盆を置いてくれる。灰色の長皿の上には三角形に握られた塩おにぎりと全体を海苔で巻いた鮭のおにぎりが乗っていた。また金魚柄の漆塗りの椀には細かく切られた鯖と油揚げが入った具沢山の味噌汁が入っていたのだった。炊き立ての米と白い湯気が立つ味噌汁の匂いに空腹が刺激される。いつもの癖でそのまま食べようとするが、ブログに書く約束をしたことを思い出すとスマートフォンを取り出す。大学で出来た新しい友人と食事に行くと、必ずと言っていい程、毎回ブログやSNSの投稿用に料理の写真をスマートフォンで撮っていた。けれどもそういったソーシャルメディアをやっていなかった莉亜はこれまで料理の撮影をほとんどしてこなかったので、この撮り方でいいのか不安になりながらも角度を変えつつシャッターボタンを押していく。
その間、金魚は床に小皿を置きながら、「ハルちゃんにはいつものかつお節ですわ」とカウンターで寝転んでいたハルに声を掛けていた。ハルは軽々とカウンターから床に着地すると、小皿に入ったかつお節を一心不乱に貪っていたのだった。
ようやく撮影を終えた莉亜は「いただきます」と両手を合わせてから、最初に塩おにぎりを食べ始める。見た目や匂いは蓬と一緒だったが、口に入れた瞬間、ざらりとした舌ざわりと共に、ほど良い塩の塩辛さと米の甘さ、そしてわずかな苦みを感じたのであった。
(あれっ……? この味、どこかで覚えが……)
どことなく覚えがある味のような気がして首を傾げる。気のせいかと思い、もう一口食べてみたが変わらなかった。今にもその答えが閃きそうだが、どう言葉にしたらいいのか分からなくてもどかしい。何かが足りないのか、目の前にあるのに手の中からすり抜けてしまう。まるで雲を掴むようであった。
莉亜が不審そうに手の中の塩おにぎりをまじまじと見ていたからだろう。金魚が不安そうな声で「何か問題がありましたか……?」と恐る恐る尋ねてくる。
「なんでもありません。この塩おにぎりもとても美味しいです。実は蓬さんのお店以外の塩おにぎりを食べたことが無かったので驚いていたんです。塩おにぎりでも、やっぱりお米や炊き方が違うと味わいが違いますよね」
「ええ。そうです。同じ米でも炊き方一つで味が変わりますし、何より塩おむすびは塩が味の決め手となりますわ」
「塩ですか?」
「莉亜様は塩にも種類があるのはご存じでしょうか。海から獲れる海水塩以外にも岩塩や塩湖塩などですわ。塩によって口に入れた時の味や食感も違いますし、食材との相性も異なりますの。米、魚、肉、野菜、果物、卵など、私たちが普段食している塩だけでも、食材によって向き不向きがありますわ。料理以外の用途もそうですわね」
「料理以外に塩を使うことというと、神棚へのお供えやお清めですか?」
料理以外で塩を使う場面といえば、やはり祖父が毎朝の日課として行っていた神棚への供物が思い出される。莉亜の神社はセイの神社と宗派が違うのか、お供えの内容は多少違っていたものの、米、御神酒、清水、盛り塩は共通していた。
祖父からは、米は神に対する感謝、御神酒は神の好物、清水は生命の源、盛り塩には清めの意味があると聞いている。毎日取り換えることで、神への畏敬と感謝を表すとも。
「そうですわ。古代には歯磨きや入浴剤として、今でも身体の揉みほぐしや按摩、家畜の飼料や工芸、染料に使われています。莉亜様が仰られた神棚へのお供えや自宅などに供える盛り塩、葬式の際に渡される清めの塩には、いずれも邪気を払う効果があるとされている粗塩が使用されていますわ」
「粗塩ですか?」
「はい。粗塩は海水を天日干しや塩窯で煮つめて作られます。海水は水の神様、天日干しや塩窯は火の神様を現すと言われているからですわ。水と火は私たちの生活に最も深く関わっており、時には命を脅かす存在にもなります。そういった意味では、火の神様と水の神様は人やあやかしたちと深く関係のある神様とも言えますわね」
「確かに、そうですね」
「神事で使用するのに良いとされているのは、そういった神様と縁のある粗塩が良いとされています。勿論、安価で手に入りやすい食塩などの精製塩でもいいのです。お住いの地域によっては流通している塩も違っているので手に入りづらいこともあるかと思いますわ」
「粗塩が海水から作られているということは、当然海のない場所に住んでいる人たちは手に入れられないということですよね。今と違って、昔は電話やインターネットで取り寄せるということも出来ないですし、そうなると主流になる塩は地域で変わりますよね」
「今のように便利な世の中となるまでは、食糧との交換や遠方から行商に来る商人から手に入れていたようですわ。ただそれだと入手に時間だけではなく、費用も掛かります。やはり自分たちで作った方がどちらも抑えられますから。そうして日本の各地で独自の製塩法が開発されていったのですわ。特に文明開化が起こった数百年前に現在使用されている全ての製塩法が完成してからは、同じ種類の塩でも地域ごとに使用されている製塩法が違ったようですので」
例えば同じ海水から作る天然塩でも、日照時間が長い日本の南西地域は昔ながらの天日干しによる製塩法だが、寒冷や夏場も霧に覆われることのある東北地方の太平洋側では海水を煮つめた塩窯による海水直煮釜、北陸や山陰地方では人の手を加えない天然の砂浜を塩田とした揚浜系の塩田法によって塩を製造している。
それぞれの地域の気候や立地に合わせた製塩法が確立されたのは近世であり、その頃から各地で塩の製造方法や種類が分かれたと考えられているらしい。
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