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第2章 北条家戦争

次なる一手

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 翌朝、もののけ討伐軍は藤沢宿を出立。当然ながら、小田原へ引き返すという発想は全くなかった。

「もののけたちは、今日も攻撃を仕掛けてくるでしょうか?」

「たぶん仕掛けてこないんじゃないかな」

 奈々の質問に対し、ユノウは即答した。

「ユノウさんもそう思いますか。私も、江戸の守りを固めるために攻撃は控えるだろうと思ってるんです」

「うーん……それなんだけど、奈々ちゃんが思ってるみたいに守りを固めるためだったらいいんだけどさ。もしそうじゃなかったら、ちょっとやっかいなことになるかもね」

「やっかいなこと?」

 当然のように、奈々の表情は陰る。

「やつら、河越を攻撃してくるかもしれないよ」

「え、どういうことですか?」

「あたしらを難敵だと判断してればこそ、その目が江戸へ向けられている隙に、手薄であろう河越を狙うんじゃないかなって思ってね」

「そんな、江戸を捨て石にするようなこと……」

 奈々は理解しがたいといった反応を示す。

「普通に考えれば、本拠地を囮にして支城を攻撃するなんてことはしない。ただ、相手は北条家への恨みを晴らすために行動している。であれば、小田原の氏元様同様、河越の重政様も重要な攻撃目標でしょうね」

 ユノウの話を聞いて、奈々も氏吉が河越を狙っているような気になってきた。

「相模川の時のような軍勢で攻撃されたら、河越は……」

「だから念のために、ワミさんには河越方面に重きを置いて偵察してもらうつもり」

 ユノウの意見を受けて、ワミは江戸から河越へ向けた範囲に重点を置いて偵察を行ったが、河越を攻めるような動きは特に見受けられなかった。

 一方で江戸の守りを固めているわけでもなく、もののけたちの姿は別のところにあったのである。



「瀬戸大将殿には悪いでごんすが、あの敗北によって思わぬ大役が回ってきたでごんす」

 大海を征く船の上で、河童は不敵な笑みを浮かべていた。

 相模川の戦いでの大敗を受けて、江戸方は戦い方の再考を余儀なくされる。

 その際に開かれた緊急の作戦会議において、江戸の守りを固めることや河越を攻めることなど、様々な作戦案が提示されたが、議論の末に採用されたのは海上から小田原を攻めることであった。

 なぜこの案が採用されたのかといえば、既に準備が進められているという点もあったが、陸で負けても海なら勝てるのではないかという期待や願望が大きかったからである。

 無論、当初の計画のままということはなく、江戸には一部の兵だけを残し、それ以外はすべて前線に投入するという思い切ったものに変更されることになったのだ。

 ただ陸と違って、海上の移動には船が必要になるが、大兵力を運ぶだけの船を短時間で用意するのは容易なことではない。

 大小様々な船を片っ端から集めていったが輸送力は足りず、大急ぎでイカダを作ったり、さらに風呂桶やタライなど、水に浮くものであればなんでも船代わりとしてかき集めることでなんとか出撃できる態勢を整えたのであった。

「しかし、改めてすごい船団でごんすなぁ。海坊主たちがおらんかったら、とても海なんか進めなかったでごんすに」

 河童が乗っている巨大な安宅舟をはじめ、屋形船や漁船にタライなど、すべての船にロープが括り付けられ、それを海坊主たちが引っ張っていたのだ。

「親分、偵察に出てる化け鯨から連絡がありやして、周囲に異常なしとのことです」

 報告してきたのは子分の河童だ。

 化け鯨は白い骨格のみの姿をしたクジラの妖怪で、海中を移動することによる秘匿性と、鳴き声による長距離通信能力を活かして、船団周辺の偵察任務に就いていた。

「そうでごんすか」

「このまま、小田原を奇襲できたらいいすっね」

「それは難しいでごんすなぁ」

「どうしてですか?」

「どうしてって、江戸界隈から根こそぎ船をかき集めたんでごんすよ。こんな派手なことをすれば、すぐ噂になって向こうに伝わってしまうはずでごんす」

 河童が推察したように、妖怪たちが船をかき集めているという情報は瞬く間に周囲に伝わっていき、ほどなくして辰巳たちの耳にも入るのであった。
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