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第五章 美姫の追放
第十九話
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今夜も宴。
――今日は夜姫が参加しているので、陛下の隣という最悪の事態を回避できて、いつもの少し離れた席に座れたことを心底嬉しく思う。
けれど美姫を追い出すと、今後は私が陛下の隣に座らなければならなくなるのかと思うと……もう仕事を放棄したくなる気分だった。
まぁ……そんな悩みも苦痛も、もう少しの辛抱だわ。
私はそんなことを考えながら口元を袖で隠し、会場の隅に控えさせていた従者に目線だけで指示を出して例の物を持ってこさせる。
従者が持ってきた水差しを受け取った私は、静かに席を立って陛下たちの前へと向かった。
「――失礼いたします」
陛下たちの前に座りながらそう声をかけると、陛下はお? 珍しいなと不思議そうな顔をしながらも、どこか嬉しそうな声色をしていた。
美姫と夜姫はそんな陛下の様子を見て、明らかに不満そうな表情をしながら私の方を睨んでいたが、気にせず私は微笑みを浮かべる。
「今回は珍しい酒を手に入れたので、ぜひとも陛下たちにご賞味いただきたく、お持ちいたしました」
そう言うと、陛下はほう……と興味深そうに私の持つ水差しの中を覗き込んでいた。
「珍しい酒とは、どのようなものだ?」
「南国由来の酒でございます。少し甘みがあり、普段飲んでいる酒よりも飲みやすい風味になっております」
そう言うと陛下は目を輝かせながら盃を差し出してきたので、私は水差しから酒を注ぎ込む。
「……ほう、良い香りだ」
盃を鼻先に寄せて酒の香りを確認した陛下はため息にも似た声を漏らしながらそう言って、ぐいっと一気に酒を飲み干した。
「おぉ! これは美味い!」
陛下は驚いたようにそう言って、さらに酒を求めるように盃をこちらに差し出してきた。
私は陛下の盃におかわりを注ぎながら、それを興味深そうに見つめている美姫と夜姫に微笑みかけた。
「――よろしければ、美姫様と夜姫様もどうぞ」
そう言って水差しを差し出すと少し警戒しているようだったが、陛下がそちらも飲めと楽しげに促したこともあって、おずおずと盃を差し出してきた。
私はニッコリと微笑んで、彼女たちの盃に酒を注いだ。
美姫と夜姫は酒を一口飲むと驚きの表情を浮かべ、その酒の美味さに瞳を輝かせて喜んでいた。
そして飲め飲めと上機嫌な陛下に勧められるまま、どんどんとおかわりをして酒を飲み干していく。
――水差しが空になってきた頃、美姫がカランッと盃を手元から落とした。
「……いかがなさいましたか、美姫様」
私はそう問いかけるが、彼女は苦しそうな表情をするばかりで返事はなく……ゴホッガホッと激しく咳き込んだかと思うと、次の瞬間にはその場に倒れ込んだ。
倒れ込んだ美姫はヒューヒューとか細い呼吸を繰り返しながら咳き込み、ゴプッという音がしたかと思うと、今まで口にしていた全てのものを出す勢いで吐き戻しはじめた。
そして震える手で一心不乱に全身を掻きむしり始め、長く美しい爪は何の躊躇もなく肌を傷つけ、引っ掻いたところを赤く腫れ上がらせていた。
私達は、それを見つめるだけだった。
すると少し離れたところに控えていた美姫の侍女が事態に気付き、悲鳴をあげながらおやめくださいと慌てて美姫の手を抑えつつ、大丈夫ですか! 誰か! すぐに牛車を! と叫んでいた。
侍女に抑えつけられた美姫は赤み・腫れ・血によって顔を真っ赤しながら、周囲に吐瀉物を撒き散らし、顔を涙と鼻水とよだれでぐちゃぐちゃにして、呼吸をするので精一杯の状態になっている。
ぽかんと眺めているだけだった陛下はそれを見て、急にプッと笑いだした。
「ハッハッハッ! 美しい姿が見る影もないなぁ、美姫よ!」
いつもと違った酒で悪酔いしたせいなのか、陛下という人間がもともとこういう人間なのかは特に言及しないが、陛下は実に楽しそうに、苦しむ美姫を見てゲラゲラと笑っている。
倒れ込みながら朦朧とする意識の中でそれを見た美姫は、陛下……と力なく呟きながらさらに涙を流したかと思うと、そのまま意識を失った。
美姫の侍女はさらに悲鳴を上げ、やっと到着した牛車に急いで美姫を乗せて自分たちの宮へと帰っていった。
陛下はしばらく笑った後、後宮の侍女に美姫が吐いたものの掃除を命じたかと思うと、私を美姫がいた場所まで抱き寄せ、酒を飲んでいつもと変わらない様子に戻っていた。
私は計画がうまくいった達成感に浸りたかったのだが……陛下の隣に座らされたこともあってかそんな気分にならず、黙って口元を袖で隠しながら陛下にしなだれかかった。
――今日は夜姫が参加しているので、陛下の隣という最悪の事態を回避できて、いつもの少し離れた席に座れたことを心底嬉しく思う。
けれど美姫を追い出すと、今後は私が陛下の隣に座らなければならなくなるのかと思うと……もう仕事を放棄したくなる気分だった。
まぁ……そんな悩みも苦痛も、もう少しの辛抱だわ。
私はそんなことを考えながら口元を袖で隠し、会場の隅に控えさせていた従者に目線だけで指示を出して例の物を持ってこさせる。
従者が持ってきた水差しを受け取った私は、静かに席を立って陛下たちの前へと向かった。
「――失礼いたします」
陛下たちの前に座りながらそう声をかけると、陛下はお? 珍しいなと不思議そうな顔をしながらも、どこか嬉しそうな声色をしていた。
美姫と夜姫はそんな陛下の様子を見て、明らかに不満そうな表情をしながら私の方を睨んでいたが、気にせず私は微笑みを浮かべる。
「今回は珍しい酒を手に入れたので、ぜひとも陛下たちにご賞味いただきたく、お持ちいたしました」
そう言うと、陛下はほう……と興味深そうに私の持つ水差しの中を覗き込んでいた。
「珍しい酒とは、どのようなものだ?」
「南国由来の酒でございます。少し甘みがあり、普段飲んでいる酒よりも飲みやすい風味になっております」
そう言うと陛下は目を輝かせながら盃を差し出してきたので、私は水差しから酒を注ぎ込む。
「……ほう、良い香りだ」
盃を鼻先に寄せて酒の香りを確認した陛下はため息にも似た声を漏らしながらそう言って、ぐいっと一気に酒を飲み干した。
「おぉ! これは美味い!」
陛下は驚いたようにそう言って、さらに酒を求めるように盃をこちらに差し出してきた。
私は陛下の盃におかわりを注ぎながら、それを興味深そうに見つめている美姫と夜姫に微笑みかけた。
「――よろしければ、美姫様と夜姫様もどうぞ」
そう言って水差しを差し出すと少し警戒しているようだったが、陛下がそちらも飲めと楽しげに促したこともあって、おずおずと盃を差し出してきた。
私はニッコリと微笑んで、彼女たちの盃に酒を注いだ。
美姫と夜姫は酒を一口飲むと驚きの表情を浮かべ、その酒の美味さに瞳を輝かせて喜んでいた。
そして飲め飲めと上機嫌な陛下に勧められるまま、どんどんとおかわりをして酒を飲み干していく。
――水差しが空になってきた頃、美姫がカランッと盃を手元から落とした。
「……いかがなさいましたか、美姫様」
私はそう問いかけるが、彼女は苦しそうな表情をするばかりで返事はなく……ゴホッガホッと激しく咳き込んだかと思うと、次の瞬間にはその場に倒れ込んだ。
倒れ込んだ美姫はヒューヒューとか細い呼吸を繰り返しながら咳き込み、ゴプッという音がしたかと思うと、今まで口にしていた全てのものを出す勢いで吐き戻しはじめた。
そして震える手で一心不乱に全身を掻きむしり始め、長く美しい爪は何の躊躇もなく肌を傷つけ、引っ掻いたところを赤く腫れ上がらせていた。
私達は、それを見つめるだけだった。
すると少し離れたところに控えていた美姫の侍女が事態に気付き、悲鳴をあげながらおやめくださいと慌てて美姫の手を抑えつつ、大丈夫ですか! 誰か! すぐに牛車を! と叫んでいた。
侍女に抑えつけられた美姫は赤み・腫れ・血によって顔を真っ赤しながら、周囲に吐瀉物を撒き散らし、顔を涙と鼻水とよだれでぐちゃぐちゃにして、呼吸をするので精一杯の状態になっている。
ぽかんと眺めているだけだった陛下はそれを見て、急にプッと笑いだした。
「ハッハッハッ! 美しい姿が見る影もないなぁ、美姫よ!」
いつもと違った酒で悪酔いしたせいなのか、陛下という人間がもともとこういう人間なのかは特に言及しないが、陛下は実に楽しそうに、苦しむ美姫を見てゲラゲラと笑っている。
倒れ込みながら朦朧とする意識の中でそれを見た美姫は、陛下……と力なく呟きながらさらに涙を流したかと思うと、そのまま意識を失った。
美姫の侍女はさらに悲鳴を上げ、やっと到着した牛車に急いで美姫を乗せて自分たちの宮へと帰っていった。
陛下はしばらく笑った後、後宮の侍女に美姫が吐いたものの掃除を命じたかと思うと、私を美姫がいた場所まで抱き寄せ、酒を飲んでいつもと変わらない様子に戻っていた。
私は計画がうまくいった達成感に浸りたかったのだが……陛下の隣に座らされたこともあってかそんな気分にならず、黙って口元を袖で隠しながら陛下にしなだれかかった。
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