「完結」熊さん!もう一杯

leon

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第二話:酔っ払いのスケッチブック

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月曜の夜、居酒屋「熊の隠れ家」はいつもより静かだった。週末の喧騒が落ち着き、赤提灯がゆらゆら揺れる中、カウンターには山田美咲が一人、ビールのジョッキを握りしめていた。目の前にはスケッチブックが広げられ、ペンが乱雑に走っている。だが、その線はまるで迷路のようで、イラストというより現代アートの失敗作に見えた。
「クマさぁん! もう一本! 締め切りが……締め切りが私を殺す!」
美咲の声は、半分叫び、半分泣き声だった。35歳、フリーランスのイラストレーター。普段はサバサバした姉貴肌だが、締め切りが重なると、まるで世界の終わりを迎えたようなテンションになる。
カウンターの向こうで、クマさんこと熊五郎がゴツい爪でビールの栓を抜いた。2メートルの巨体にエプロンが妙に似合う。
「美咲、毎月その調子だな! 絵を描く前に、まず飲む。それがお前の流儀だろ?」
クマさんがニヤリと笑うと、ビールを滑らせて美咲の前に置いた。ジョッキがカウンターを滑る音が、店の静けさに心地よく響いた。
美咲はビールを一気に半分飲み干し、「ハァ、生き返る!」と叫んだ。だが、スケッチブックを見るとすぐに顔が曇る。
「生き返っても、締め切りは待ってくれないよ……。クライアントが『もっとポップに!』って言うけど、ポップって何!? 爆発でも描けってか!?」
彼女のペンがスケッチブックをガリガリ削る、、酔いが回ってきたのか、ペンが手から滑り、クマさんの鼻先に飛んだ。
「うおっ! 危ねえ!」
クマさんが仰け反ると、ゴツい体が棚にぶつかり、調味料の瓶がガシャンと床に落ちた。美咲が「うわ、ごめん!」と慌てる中、クマさんは「ハハ、いい! これは俺の冬眠前の運動だ!」と笑い飛ばした。
その時、店の引き戸がガラリと開き、佐藤健太がヨレヨレのスーツ姿で入ってきた。28歳のサラリーマン、先週クマさんに「ハチミツを探せ」と励まされたばかりだ。
「クマさん、こんばんは……って、なんか騒がしいっすね」
健太がカウンターに腰を下ろすと、美咲が「健太! 締め切り地獄にようこそ!」とジョッキを掲げた。
「ハハ、健太! いつものハチミツハイボールか?」
クマさんがレモンを握り潰し、ハチミツをドボドボ注ぐ。健太はグラスを受け取り、ため息をついた。
「いや、今日はちょっと……また上司に資料ダメ出しされて。クマさんの特訓、効果出てないかも」
「バカ言え! ハチミツは一晩で手に入らねえ! もっと飲んで、気合い入れろ!」
クマさんがドンと健太の背中を叩くと、健太は「うぐっ」とハイボールをこぼしそうになった。美咲が「クマさん、相変わらずスパルタ!」と笑い、店内に軽やかな空気が広がった。
だが、美咲の笑顔はすぐに消えた。スマホにクライアントからのメールが届き、画面を見た彼女の顔が真っ青になった。
「うそ、納期が明日!? まだ下書きも終わってないのに! クマさん、助けて!」
美咲がカウンターに突っ伏すと、スケッチブックが床に落ち、クマさんのぐるぐる目イラストが健太の目に飛び込んできた。
「美咲、これ……クマさん、めっちゃシュールっすね」
健太がクスクス笑うと、クマさんが「オイ、笑うな! 俺はもっとイケメンだろ!」と胸を叩いた。だが、美咲は突っ伏したまま動かない。
「美咲、締め切りなら描くしかねえだろ。絵はハチミツだ。どんな味にしたいんだ?」
クマさんがハチミツの瓶を手に、優しく尋ねた。美咲は顔を上げ、ぼそっと呟いた。
「味、か……。なんか、子供の頃に戻ったみたいな、ワクワクする絵。ポップって、そういうことかなぁ」
「よし、それだ! ワクワクだ! さぁ、飲んで描け!」
クマさんが新しいビールを差し出すと、美咲は「うおー!」と気合いを入れてジョッキを掲げた。
だが、気合いは長続きしなかった。ビールを飲み干した美咲は、スケッチブックを手にカウンターでガリガリ描き始めたが、酔いがピークに達したらしい。
「クマさぁん! あなた、めっちゃカッコいいよ! 山の王様みたい!」
美咲がフラフラしながらクマさんに抱きつきそうになり、健太が慌てて止めた。
「美咲さん、ヤバいっす! クマさん、抱きつかれたら潰れますよ!」
「ハハ、俺は山育ちだ! これくらい平気!」
クマさんが笑うも、美咲はスケッチブックに「クマ王」と書かれた、シュールすぎるイラストを量産し始めた。そこには、冠をかぶったクマさんがハチミツの海で泳ぐ姿が描かれていた。
「美咲、お前、締め切り忘れてねえか?」
クマさんが呆れ顔で言うと、美咲は「うっ、締め切り!」と我に返り、慌ててスケッチブックを閉じた。だが、酔っ払いの勢いは止まらず、彼女はカウンターに突っ伏して寝息を立て始めた。
健太が「美咲さん、大丈夫っすか……?」と心配そうに覗き込むと、クマさんが「ハハ、いつものことだ。寝かせとけ」と笑った。
その時、座敷の隅で徳利を傾けていた田中じいさんが口を開いた。
「クマよ、美咲の絵、昔のお前に似てるな。山でハチミツ追いかけて、蜂に刺されて転げ回ってた頃のな!」
「じいさん! その話は禁止だ!」
クマさんが慌てて遮ると、健太が「え、クマさんの過去!? 聞きたい!」と身を乗り出した。
クマさんはゴホンと咳払いし、話を逸らそうとした。
「まぁ、昔はいろいろあったってだけだ。山でハチミツ探してたら、なんか人間の酒に出会って、気づいたらここにいた。ハハ、簡単な話だろ?」
「いや、めっちゃ気になるんですけど!」
健太が食い下がると、田中じいさんが「ふん、クマの若造がな、初めて酒飲んで酔っ払って、山で歌い出したんだ。熊のくせに音痴でな!」と笑った。
「じいさん、余計なこと言うな!」
クマさんが徳利を奪おうとすると、じいさんが「ハハ、取れるもんなら取ってみろ!」と逃げ回り、店内は一気にカオスに。健太は笑いながらハイボールを飲み、美咲の寝息がBGMのように響いた。
その時、店の引き戸がガラリと開いた。スーツ男が無言で入ってきた。先週と同じ、年齢不詳の無表情な男。クマさんが「お、来たか! いつものウイスキーだな?」と声をかけると、男は小さく頷き、カウンターの端に座った。
「アイツ、絶対何か隠してるぜ」とクマさんが健太に囁いた。
「また宇宙人説っすか?」
健太がクスクス笑うと、クマさんは「いや、今日は忍者だ! 見てみろ、あの無駄のない動き!」と真顔で言った。スーツ男はウイスキーを一気に飲み干し、静かにグラスを置いた。その動作が、確かにちょっと忍者っぽい。
「クマさん、忍者なら刀持ってるはずっすよね?」
「ハハ、刀は隠してるんだよ! きっとスーツの下に!」
二人のバカ話に、田中じいさんが「バカ言え、ただの酒飲みだ!」と笑い、店はまた賑やかに。
美咲がふと目を覚まし、ボーッとした声で呟いた。
「クマさぁん……締め切り、間に合わないよ……」
「美咲、寝ぼけてねえで描け! ほら、コーヒーだ!」
クマさんがインスタントコーヒーをドリップ(なぜか熊の爪で丁寧に)して差し出すと、美咲は「うう、クマさん、優しい……」と涙目で受け取った。
健太がスケッチブックを拾い、クマ王のイラストを見ながら言った。
「美咲さん、この絵、めっちゃワクワクしますね。子供の頃、こんな絵見て喜んだ気がする」
その言葉に、美咲の目がキラリと光った。
「健太、ナイス! それだ! ワクワク、子供の頃! よし、描くぞ!」
美咲がコーヒーを一気に飲み干し、スケッチブックに新しい線を走らせ始めた。今度の線は、先ほどとは違い、生き生きと躍動していた。
クマさんがニヤリと笑い、健太に囁いた。
「な? ハチミツは見つかるもんだろ?」
健太は頷き、ハイボールを飲み干した。
スーツ男が立ち上がり、ウイスキーの代金を置いて店を出た。クマさんが「また金曜な!」と声をかけると、男は振り返らずに小さく手を挙げた。その背中が、確かにちょっと忍者っぽかった。
店の赤提灯がゆらりと揺れ、美咲のペンの音と田中じいさんの笑い声が響いた。クマさんがハチミツの瓶を手に、カウンターでジョッキを磨く。
「さて、健太! お前のハチミツはどうだ? 次のプレゼン、気合い入れるぞ!」
健太はグラスを握りしめ、小さく微笑んだ。
「クマさん、特訓、頼みます!」
「ハハ、よし! まぁ、飲みな! 話はそれからだ!」
クマさんの声が、居酒屋の夜を温かく包み込んだ。
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