「完結」熊さん!もう一杯

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第三話:じいさんとクマの昔話

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木曜の夜、居酒屋「熊の隠れ家」は常連の笑い声で賑わっていた。古びた木のカウンターには、焼き鳥の煙と日本酒の香りが漂い、赤提灯の光が柔らかく揺れる。カウンターの向こうでは、熊五郎、通称クマさんが、でっぷりした体で焼き網をひっくり返していた。ゴツい爪で串を器用に操る姿は、まるで山の料理人だ。
「オイ、じいさん! 酒ばっか飲んでねえで、つまみ食えよ!」
クマさんが田中じいさんに声をかけると、座敷の隅で徳利を握る70歳の元漁師がニヤリと笑った。
「ふん、クマの若造が! 俺の腹はな、海の荒波で鍛えられてるんだ。酒だけで十分だ!」
田中じいさん、店の最古参常連。クマさんとは20年来の付き合いだが、二人の出会いの話は誰も知らない。いや、知ろうとすると、じいさんの長編昔話が始まり、たいてい途中で寝落ちするのだ。
その夜、カウンターには佐藤健太と山田美咲もいた。健太は28歳のサラリーマン。先週の「特訓」以来、クマさんの言葉を胸に仕事に挑んでいるが、今日はどこか浮かない顔だ。美咲はフリーランスのイラストレーター。月曜の泥酔騒動を乗り越え、締め切りのイラストをなんとか納品したばかり。彼女は焼酎の水割りを片手に、スケッチブックに新しい線を走らせていた。
「健太、なんだその顔! 上司にまた怒られたか?」
美咲がペンを止め、健太をチラリと見た。健太はビールのグラスを握り、肩を落とした。
「いや、怒られたわけじゃないっすけど……今日、プレゼンの資料、初めて『まぁ、悪くない』って言われたんですよ。なのに、なんかモヤモヤして」
「ほぉ、『悪くない』か! それは立派な一歩だろ!」
クマさんが焼き鳥の串をドンと皿に置き、健太の背中をバシンと叩いた。力強すぎて、健太はビールをこぼしそうになり、「クマさん、優しく!」と叫んだ。
「モヤモヤってのはな、もっとデカい獲物を狙いたいってサインだ。山で鹿を追う時も、腹がモヤモヤすんだ!」
クマさんが胸を張ると、美咲が「鹿!? クマさん、めっちゃワイルド!」と笑った。だが、健太はグラスを見つめたまま、ぼそっと呟いた。
「獲物、か……。なんか、『悪くない』じゃなくて、『すげえ!』って言われたいっすね。欲っすかね?」
「欲はいい! それが山のエネルギーだ!」
クマさんがニヤリと笑うと、田中じいさんが徳利を掲げて口を挟んだ。
「ふん、健太のガキが欲だと? 俺の若い頃はな、太平洋のど真ん中でマグロと格闘してた! あの時は欲も何も、生きるか死ぬかの戦いだった!」
じいさんの目がキラリと光り、常連たちは「あ、始まった」と顔を見合わせた。田中じいさんの昔話、ひとたび始まると、まるで荒波のように止まらない。
「待て、じいさん! 俺の山の話だって負けねえぞ!」
クマさんが焼き網をガンと叩き、対抗心をむき出しにした。健太が「え、対決!?」と目を丸くし、美咲が「面白そう! 描く!」とスケッチブックを開いた。
「いいか、健太、美咲! 俺が山で蜂の巣を狙った時の話だ。でっかいハチミツの巣が、崖のてっぺんにあったんだ。蜂がブンブン飛んで、刺されまくりだったが、俺は諦めねえ! 崖をよじ登り、蜂に吠えながらハチミツをガバッと!」
クマさんが両腕を広げると、店内の空気が一気に熱くなった。だが、じいさんが「ふん!」と鼻を鳴らした。
「ハチミツ? 子供の遊びだな! 俺の船が嵐に飲まれた時、波が10メートルもあった! 仲間は全員ゲロ吐いてたが、俺はマグロの群れを見つけてな、網を投げて一人で引っ張った! そのマグロ、100キロはあったぞ!」
じいさんが徳利を振り回すと、酒がこぼれ、健太が「うわ、じいさん、落ち着いて!」と慌てた。
「100キロ? じいさん、盛ってねえか? 俺のハチミツの巣は、10キロはあったぞ!」
「ハチミツが10キロ!? クマ、頭おかしいだろ!」
二人の声が店内に響き合い、まるで山と海のバトルが始まったかのようだった。美咲は笑いながらスケッチブックに「クマvsじいさん」と書き、クマさんが蜂に刺され、じいさんがマグロに引っ張られる絵をガリガリ描いた。
健太はビールを飲みながら、つい笑いがこみ上げた。
「クマさん、じいさん、どっちもめっちゃ盛ってるっすよね?」
「ハハ、盛るのが男のロマンだ! 健太、お前も盛ってみろよ! 今日のプレゼン、どんな風に盛れる?」
クマさんがウインク(に見える仕草)をするも、熊の顔ではただの目パチだった。
健太は少し考え、グラスを握りしめた。
「盛る、か……。じゃあ、今日の資料、実は上司が『悪くない』って言ったけど、クライアントが『これ、面白い!』って食いついてた、とか?」
「ハハ、それだ! もっと盛れ! クライアントが立ち上がって拍手したんだろ!」
クマさんが笑うと、美咲が「健太、めっちゃ営業マンっぽい!」と拍手した。
その時、店の引き戸がスッと開き、スーツ男が静かに入ってきた。いつもの無表情、年齢不詳の男。クマさんが「お、来た! ウイスキー、ロックだな?」と声をかけると、男は小さく頷き、カウンターの端に座った。だが、今日はいつもと違う。男の手には、小さなノートが握られていた。
「オイ、健太、あのノート、怪しくねえか?」
クマさんが小声で囁くと、健太が「忍者説、継続っすか?」とクスクス笑った。
「いや、今日はスパイだ! あれ、暗号書いてるぜ、絶対!」
クマさんの目がキラキラ光り、美咲が「スパイ!? クマさん、妄想爆発!」とスケッチブックにスパイ風のスーツ男を追加した。
じいさんが徳利を傾けながら、チラリとスーツ男を見た。
「ふん、ただの酒飲みだろ。俺の若い頃はな、港でスパイみたいな奴と飲み比べして、俺が勝った!」
「じいさん、また盛ってる!」
クマさんが笑うと、店はまたカオスな空気に包まれた。
話が一段落し、クマさんが焼き鳥の皿を健太と美咲に差し出した。
「Healthy、モヤモヤは盛って吹き飛ばせ! 次のプレゼン、どんな獲物を狙う?」
健太は焼き鳥を頬張り、目を輝かせた。
「次は……『すげえ!』って言わせたいっす。クライアントが立ち上がるくらいの資料、作ってみます!」
「ハハ、いいぞ! それが山の魂だ!」
クマさんが胸を叩くと、じいさんが「海の魂もな!」と徳利を掲げた。
美咲がスケッチブックを閉じ、焼酎を飲み干した。
「私も次、もっとワクワクする絵描くよ。クマさん、じいさん、モデルになってよね!」
「ハハ、俺はいいが、じいさんのシワだらけの顔は描けねえぞ!」
「何!? クマの毛むくじゃらよりマシだ!」
二人のバトルが再燃し、健太と美咲が腹を抱えて笑った。
スーツ男がウイスキーを飲み干し、静かに立ち上がった。だが、今日はノートをカウンターに置き忘れた。クマさんが「おい、忘れ物!」と声をかけると、男は振り返り、「置いといて」と低い声で言った。店を出る背中が、確かにスパイっぽかった。
「クマさん、あのノート、開けてみます?」
健太がワクワクした目で言うと、クマさんが「バカ、プライバシーだ! だが、チラッとな!」とニヤリ。ノートをそっと開くと、そこには走り書きの文字が。
「『山の秘密、隠された味』……なんだ、これ?」
クマさんが首を傾げると、健太が「クマさんのハチミツの話、知ってる!? スパイ、確定っす!」と興奮。美咲が「やばい、物語っぽい!」とスケッチブックにメモを始めた。
じいさんが「ふん、ただの酔っ払いの落書きだろ」と笑うも、クマさんの目が一瞬だけ真剣になった。
「まぁ、置いとけ。アイツ、また来るさ」
クマさんがノートを棚にしまい、焼き網をガンと叩いた。
「さて、健太! 次の獲物、捕まえるぞ! つまみ食って、気合い入れな!」
健太は焼き鳥を頬張り、グラスを掲げた。
「クマさん、じいさん、美咲さん、応援頼みます!」
「ハハ、任せろ!」
クマさんの声が、居酒屋の夜を熱く包んだ。
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