上 下
59 / 93
幕末妖怪の章

平八郎②

しおりを挟む

前の長屋から暫く雛妃の後を付いて歩いていた平八郎だが、次第にその表情は険しくなって来ていた。
雛妃が向かう先は賃料は高く、どちらかと言えば富裕層が多く屋敷を構える方向だった。

「お、お嬢さ…」

「案ずるな、雛妃が全て上手くやってくれる。」
不安しかない平八郎に斎藤が静かに呟いた。
有無を言わせぬ斎藤の物言いに平八郎は黙るしか無かった。
そこに思わぬ邪魔が入った。

「おっ!お嬢ちゃん別嬪さんじゃねえか!俺達と良い事して遊ぼうぜ?」
浪人風の三人の男がニヤニヤしながら雛妃を舐めまわすように見ていた。
平八郎は震えていたが、直ぐに怖くて震えているのでは無いと気付いた。
隣の斎藤を見上げると無表情であるが物凄い冷気を放っていたのだ。

「あら、私今いそがしいのよ。貴方達と遊んでる暇はないわ。」
堂々と言い放つ雛妃に平八郎は呆然としていた。

「そんなつれない事言うなよ。ちょっとくれえ良いじゃねえか?」

「嫌よ、触らないで。」
雛妃の肩に触れようとした男に冷たく言い放つと男は地面に倒れた。
それに呆気を取られた平八郎はあんぐりと口を開けた。

「だ、旦那…助けに入らなくて良いんですかい?」

「雛妃なら大丈夫だ。見てみろ。」
斎藤に言われ雛妃を見ると既に男三人は地面に伸びていた。

「はっ?」

「私に勝とうなんて百年早いわよ?」
雛妃は平八郎にニッコリ笑って先を促した。

「ど、どうやって…」
三人も倒したのか聞こうと口を開いた平八郎を斎藤が止めた。

「聞かない方が良い事もある、特に男はな。」
超意味深だが、平八郎は聞かない事にした。
男なら誰もが震え上がる金的で倒したなど聞くだけでアレが縮み上がってしまいそうになる。

「着いたわ、平八郎さんのお母さんと奥さんはもう中に居るわ。必要な物も運び込んである筈だから、後は足りない家具とか色々買い足しておいたから後で確認してね。」
驚いた平八郎はまだ出来て真新しいであろう長屋の一室の戸を開けた。
中は一間だがかなり広く清潔感が溢れていた。
奥には箪笥や茶箪笥などが置かれ、卓袱台に座布団、近くには火鉢が置かれていた。
どれも高価な物だと平八郎は分かった。
それに母親と嫁が寝ていた煎餅布団は無くなり新しいフカフカの布団に二人は寝かされていた。

「こりゃ…お嬢…オラにはここの賃料は払えねえ。」
職も無い平八郎には到底払えないだろう事は平八郎にも分かった。

「あら?言ってなかった?家賃は要らないわよ?」

「へっ?」

「この長屋ごと買い取って貰ったから平八郎さんからは家賃は貰わないわ。それにうちの屯所の雑用が足りないのよ、平八郎さんが働いてくれると助かるわ。」

「はっ?買い取っ…へっ?」
平八郎はパニックになり斎藤を見た。

「本当の事だ、名義は雛妃になっている大家の雛妃が賃料は要らぬと言っているのだ甘えれば良い。」
まさか自分達の為にここまでしてくれているとは思っていなかった平八郎の視界は直ぐに歪んだ。

「ありがてえ…ありがてえ…」
平八郎が泣いている間に斎藤は桶に水を汲み平八郎に分からぬ様に氷を入れ母親と平八郎の嫁に冷たい手拭を額に置いていた。
雛妃は竈の前に立ちお粥を作っていた。
いい匂いがしてきた所で平八郎が我に返った。

「平八郎さんはあっちの卓袱台で食べてね。私はお母さん達にお粥を食べさせるから。」

「へ、へぇ…」
卓袱台を見ると焼いた魚と味噌汁に漬物とご飯が用意されていた。
チラと奥の母親達を見ると雛妃と斎藤に支えられ少しずつだがお粥を美味しそうに食べていた。

「お嬢ちゃんは神様かなんかかね…こんなオラに、ここまで…くっ!」
平八郎は泣きながら久しぶりのまともな食事を平らげた。
平八郎もその夜はフカフカの布団で眠りに付いた。
明日からは屯所の雑用の仕事が始まる。
昼間は雛妃と雛妃の友達の知世と言うお嬢ちゃんが母親達を見てくれる。
平八郎は久しぶりにグッスリを眠ったのだった。
仕事を始めて、一月もすると嫁の佳代は起き上がり簡単な家事なら出来るまで回復した。
母親も支えがあれば起き上がれるまでになった。
平八郎は何時か雛妃に恩返しがしたいと目標を立てた。
雛妃に機嫌が及ぶなら盾になろう、雛妃が困っていたらどんな事でもしてやりたいと。
それに毎日夕方になると雛妃の叔父だと言う小綺麗な武士が魚や野菜を持って現れる様になった。
それは武士に化けた芹沢なのだが、芹沢は今回の件で出資に関して自分に声が掛からなかった事に拗ねていた。
芹沢曰く、「儂なら屋敷を建ててやったのに!!」らしい。
こうして半年もすれば平八郎家族は普通の生活を手に入れ、一年後には子宝にも恵まれた。
嫁の佳代も元気になり、孫を授かったと平八郎の母親もしっかりと薬を飲み、芹沢や雛妃達が持ってくる栄養満点な食事で孫を抱けるまでになった。

「いや、しかし雛妃には勝てないね?歳は知世も居るからもっとかい?」
ははは!と平八郎達を見ながら笑う近藤を土方は睨んだ。

「雛妃は優しい子に育ったね。あんなに小さかったのに、ちょっと強いのがたまに傷だけどね。」

「ありゃ強すぎだ。」

「確かにね、ははは!斎藤君は何時まで雛妃を放っておくのかね?山崎君も雛妃に惚れてしまった様だし。」

「知るかよ、後で後悔すんのは斎藤だ。」

「雛妃も鈍いからね、どうも雛妃は先見の龍と関係がある様だし…」

「それについて何か分かったか?」

「いや、何も…龍に聞いても笑ってはぐらかされるしね。芹沢さんに聞いても秘密だと言われてしまったよ。」

「そうか…」
土方は難しい顔をして腕を組んだ。
目線の先には幸せそうに子供を囲む平八郎家族の姿があった。
しおりを挟む

処理中です...