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幕末妖怪の章

先見の龍と椿

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 遠い昔、人の暦で平安と言われた時代じゃ。
儂は良く人に化けて人の真似事をしながら退屈凌ぎに暮らしておった。
その頃に出会ったのが人の子の椿と言う女子おなごじゃ。
名前の通り花が咲いた様に良く笑う娘じゃった。
どこぞの貴族の娘じゃったが、良く屋敷を抜け出して儂が良く居た神社まで来ていた。
最初は挨拶を交わす程度だった、しかし何度も会ううちに儂らは良く話す様になって行った。
その頃の儂には人の愛だの恋だのは分からなかった。
椿に会うまではな。
椿が笑うと儂も楽しかった、逆に椿が元気が無いと儂まで不安になった。
この感情が何なのか分からなかった。
椿に縁談が持ち上がるまではな。
儂も人としての地位はそこそこ上におったから椿の家とも釣り合いは取れた、しかし椿の親が認めなかった。
椿の縁談相手の両親と椿の両親とで利害関係が一致しておった、椿の両親はどうしても縁談を纏めたかったんじゃな。

先住せんじゅさん!私を連れて逃げて下さい!!」
儂の人である時の名は先住と名乗っとった。
大きな目に涙を一杯に溜めて儂を見上げる椿を儂は愛しいと思ってしまった。
知っておるだろう?
龍は執拗いし嫉妬深い、番を決めたら生涯番だけを愛していく。
今でも椿を愛している、見えない目の奥には未だに笑っている椿が見えるんじゃ。
儂は椿に全てを話した、人で無いと。
それでも儂と逃げたいかと。
椿は迷わず頷いた。
先住を好きになったのであって人でなかろうと関係無いと…嬉しかった、儂は椿との未来を夢見てしまったんじゃよ…愚かにも。
儂は孤独な龍じゃった、小さな身体で必死に儂を抱き締めてくれる椿は温かったんじゃ。
儂は椿を連れて山奥へ隠れながら暮らし始めた。
ダイダラに頼み屋敷を作るのを手伝って貰い、屋敷までの道を険しくして貰った。
なるべく人間が近付かない様に。
儂と椿は幸せだった。
二人で山奥で静かに暮らし、愛を育んだ。
妖怪は愛に気薄じゃ、しかし儂は愛とは素晴らしい物じゃと思った。
そうして二年が過ぎた頃、椿が身篭った。
儂らは喜んだ、急いで医者を連れてこようとする儂を椿は必死に停めた。
この屋敷が見つかれば椿は連れ戻され腹の赤子も殺されてしまうと椿は必死に訴えた。
一人で産むと言う椿、儂は心配でならなかった。
儂の心配を余所に椿の腹はどんどん大きくなっていった。
無事に産まれた時はどんなに安堵したか。

「名前は雛妃じゃ。儂と椿は雛菊が好きだ。それに何時かは嫁いでしまうのだろう?ぴったりの名前だ。」

「まぁ、まだ嫁ぐ話は早すぎではありませんか?」
クスクスと笑う椿と椿の腕のなかで眠る雛妃を抱き締めた。

「私が二人を守る。」

「はい…」
しかし、幸せな時間はそうは続かなかった…儂は人間の執念の恐ろしさを知らなかったんじゃ。
このままここで椿と雛妃と共にずっとこの幸せが続くと信じて疑わなかった。
儂も若かったんじゃな。
雛妃が一歳を迎える前に椿の父親が沢山の兵を連れて山狩りを始めた。
儂らの屋敷が見つかるのも時間の問題じゃった。

「先住様どうか!どうか雛妃だけは逃がして下さいまし!!」

「しかし…椿はどうするのだ!」

わたくしに考えがございます。」
強い意志を宿した目を儂に向ける椿はなんと強い女子なのだと思った。
儂は屋敷に椿を残し、幼い雛妃を抱き山の奥へと走った。
屋敷の方では沢山の声が聞こえ始めていた。
儂は急ぎ雛妃を逃がす準備を始めた。
儂は我が子可愛さに禁術を使ったんじゃ、儂の視力を代償にな。
儂は雛妃を時空に飛ばした、どこに着くかも分からぬが雛妃を見つけた者が雛妃を我が子だと思う様に術を掛けてな。
雛妃が飛んだのを確認した儂は次第に見えなくなっていく目で急ぎ屋敷に戻った。
既に屋敷には兵が入り込み椿は兵に囲まれ父親の前に座っていた。
その姿は背筋をピンと伸ばし堂々とさしとても美しかった。
しかし、次の瞬間僅かに見えていた儂の目は真っ赤に染まった。

「先住様以外の殿方に嫁ぐ位なら私はこの世に何の未練もございません。」

そこから儂の記憶は飛んで居る。
気付いた時には事切れた椿を抱いて何処かの洞窟にいた。
それがここだ。

「大体の事は今話した通りだ。」

「雛妃は…先見の龍の娘なのですか?!」
近藤は声を荒らげた。

「うむ、雛妃は儂と椿の娘…つまり半妖じゃ。じゃから雛妃が妖術を使えたとしても何ら不思議は無いのじゃ。儂の子なのだからな。」
近藤と土方は呆然としていた。
まさか雛妃が先見の龍の娘だとは思っても見なかったのだから。

楼刃ろうは玖浪くろう雛妃は今はまだ人に近い、しかし…雛妃が覚醒したらもう人の世には戻れぬだろう。雛妃は元はこちらの者だ、雛妃の友は別だがな。お前達なら分かるじゃろ?儂の直系の娘が覚醒したらどうなるか。」
近藤と土方は顔を顰めた。
先見の龍は龍族の中でもトップ、その娘が半妖とは言え覚醒したら…龍族の姫の誕生だ。

「覚醒の兆しは?」
土方は真剣な眼差しで龍を見た。

「何か兆しが分かれば私達でも対処出来るのではないですか?」
更に近藤が続いた。

「兆しは…」



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