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狼男4
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「ロガさん!?」
「……ッ」
何が起きたのか理解できなかった。視界の端で白い光のようなものが瞬いたかと思ったら、ロガさんが弾かれたように身を引いて、赤いものが噴き出して。
わけもわからないまま反射的に逸らした視線をおそるおそる戻すと右手から腕にかけてを真っすぐに切り裂かれたロガさんが目に入って、私は躓きながら駆け寄った。
「大丈夫ですか!? どうしてこんな……」
「……ヤケイだ」
「え?」
「大方ここから魔族が入れないよう細工してたんだろうな、あいつこういう失敗多いんだよ」
視線の先を見れば、黒い窓枠にはよく見れば何かを彫り込んだ跡が見える。記号か文字かは判別できないけど、これも「魔法」のひとつなのだろう。
呆れたように肩を竦めるロガさんは私と違って全く狼狽えてないけど、流れる血が止まる様子はない。溢れて、垂れて、滴っては床に小さな赤い水溜りを作っている。
「と、とにかく誰か呼びましょう、魔族のお医者さんとかいないんですか?」
「騒ぐような傷じゃねえよ、ほっといてもすぐ治る」
「ほっといていい傷じゃないです!」
思わず声を荒げて、私は首を横に振った。
自分がひどく青ざめているのがわかる。今まで見たことのない深い傷が怖くて、心臓が痛いほど強く鼓動を打っている。
もしかしたら魔族は人間よりずっと頑丈で、本当に大した怪我ではないのかもしれない。治療しなくても治るのかもしれない。でも、こんなに血が出ているのに無視できるはずがない。
何か、何かしないと。
私にできること、役に立てることは。
恐怖と焦りでほとんどパニックになった頭の中に浮かんだのは、さっきロガさんから聞いた言葉。
『普通の人間を何千人食っても得られない力があるだとか、どんな病気や傷も治せるだとか』
……そうだ。
指輪は外せないほんの少し私の持つ力をロガさんにあげられないだろうか。傷は治せなくても、痛みを和らげるくらいはできるかもしれない。
でも、具体的にどうしたらいいんだろう。ヤケイさんはハグでも効果があるって言っていたけど、会ったばかりの人にするのはさすがに恥ずかしいし、ロガさんだって嫌だろうし。
ぐるぐる悩む私をよそに、さっさと部屋から出ていこうとするロガさん。慌てて追いかけながら伸ばした手がほんの少し腕を掠めた時、何かがひび割れる音がした、気がした。
触れた箇所が、ほんのり熱を持つ。
痛々しく裂けて、肉まで覗いていた傷口が見る見るうちに塞がっていくのを、私は呆然と見守った。
何もしていなかった。ただ触れて願っただけ。この人の傷が癒えるようにと。たったそれだけで、あれほど深かった傷は跡形もなく消えてしまった。
「これが、私の力……」
口をついた言葉にさえ、そんなはずないと思ってしまう。だって、本当に怪我を治せるなんて想像していなかった。こんな、魔法みたいなこと。これまでヤケイさんやロガさんから聞いてきたことが突然現実味を帯びて目をぱちぱちさせる私を、ロガさんが呆然とした顔で見下ろしていた。
怒りや呆れでなく、信じられないと言わんばかりの眼差し。
「…………お前」
「す、すみません急に。ロガさんはすぐに治ると仰いましたけど、やっぱり心配で」
「そうじゃなくて」
「まさかこんな風にすぐ塞がるとは思わなかったから驚きました。でも良かったです、だって、すごく血が――」
「そうじゃないって言ってんだろ」
これまで聞いたことのない、敵意すら感じる低い声で言葉を遮ると、ロガさんが私の手首を握りしめた。びっくりして顔を上げると榛色……じゃない、金色に近い瞳がぎらつくような熱を込めて私を貫いて。
「なんで力を使った、考えて行動しろって言ったのに聞いてなかったのか」
「考えてって、私は何も……」
なぜロガさんがここまで怒っているのかわからなかった。だって私は指輪を外していないのだから、力を使ったと言ってもごくわずかなはずで。それとも知らない内に何かルールを破ってしまったんだろうか。じわじわ不安が込み上げてきて、爪先で床を擦る。
「あの、ロガさん、痛いです」
腕を掴む手にぎりぎりと力を込められて身をよじる。骨が悲鳴を上げそうだった。一度距離を取って話し合わないとと思うのに身体は全然動かなくて、それどころか造作もなく引き寄せられてしまう。
バランスを崩しかけた全身を抱き止められて、心臓が跳ね上がった。根を張った樹木のように強固で、厚みがあって、体温の高い身体。体勢を整える間もなく大きな手に顎を掴まれて、金色の輝きが近付いてきて。
荒っぽく重ねられたそれがロガさんの唇だと気付くのには、すこし時間がかかった。
「……ッ」
何が起きたのか理解できなかった。視界の端で白い光のようなものが瞬いたかと思ったら、ロガさんが弾かれたように身を引いて、赤いものが噴き出して。
わけもわからないまま反射的に逸らした視線をおそるおそる戻すと右手から腕にかけてを真っすぐに切り裂かれたロガさんが目に入って、私は躓きながら駆け寄った。
「大丈夫ですか!? どうしてこんな……」
「……ヤケイだ」
「え?」
「大方ここから魔族が入れないよう細工してたんだろうな、あいつこういう失敗多いんだよ」
視線の先を見れば、黒い窓枠にはよく見れば何かを彫り込んだ跡が見える。記号か文字かは判別できないけど、これも「魔法」のひとつなのだろう。
呆れたように肩を竦めるロガさんは私と違って全く狼狽えてないけど、流れる血が止まる様子はない。溢れて、垂れて、滴っては床に小さな赤い水溜りを作っている。
「と、とにかく誰か呼びましょう、魔族のお医者さんとかいないんですか?」
「騒ぐような傷じゃねえよ、ほっといてもすぐ治る」
「ほっといていい傷じゃないです!」
思わず声を荒げて、私は首を横に振った。
自分がひどく青ざめているのがわかる。今まで見たことのない深い傷が怖くて、心臓が痛いほど強く鼓動を打っている。
もしかしたら魔族は人間よりずっと頑丈で、本当に大した怪我ではないのかもしれない。治療しなくても治るのかもしれない。でも、こんなに血が出ているのに無視できるはずがない。
何か、何かしないと。
私にできること、役に立てることは。
恐怖と焦りでほとんどパニックになった頭の中に浮かんだのは、さっきロガさんから聞いた言葉。
『普通の人間を何千人食っても得られない力があるだとか、どんな病気や傷も治せるだとか』
……そうだ。
指輪は外せないほんの少し私の持つ力をロガさんにあげられないだろうか。傷は治せなくても、痛みを和らげるくらいはできるかもしれない。
でも、具体的にどうしたらいいんだろう。ヤケイさんはハグでも効果があるって言っていたけど、会ったばかりの人にするのはさすがに恥ずかしいし、ロガさんだって嫌だろうし。
ぐるぐる悩む私をよそに、さっさと部屋から出ていこうとするロガさん。慌てて追いかけながら伸ばした手がほんの少し腕を掠めた時、何かがひび割れる音がした、気がした。
触れた箇所が、ほんのり熱を持つ。
痛々しく裂けて、肉まで覗いていた傷口が見る見るうちに塞がっていくのを、私は呆然と見守った。
何もしていなかった。ただ触れて願っただけ。この人の傷が癒えるようにと。たったそれだけで、あれほど深かった傷は跡形もなく消えてしまった。
「これが、私の力……」
口をついた言葉にさえ、そんなはずないと思ってしまう。だって、本当に怪我を治せるなんて想像していなかった。こんな、魔法みたいなこと。これまでヤケイさんやロガさんから聞いてきたことが突然現実味を帯びて目をぱちぱちさせる私を、ロガさんが呆然とした顔で見下ろしていた。
怒りや呆れでなく、信じられないと言わんばかりの眼差し。
「…………お前」
「す、すみません急に。ロガさんはすぐに治ると仰いましたけど、やっぱり心配で」
「そうじゃなくて」
「まさかこんな風にすぐ塞がるとは思わなかったから驚きました。でも良かったです、だって、すごく血が――」
「そうじゃないって言ってんだろ」
これまで聞いたことのない、敵意すら感じる低い声で言葉を遮ると、ロガさんが私の手首を握りしめた。びっくりして顔を上げると榛色……じゃない、金色に近い瞳がぎらつくような熱を込めて私を貫いて。
「なんで力を使った、考えて行動しろって言ったのに聞いてなかったのか」
「考えてって、私は何も……」
なぜロガさんがここまで怒っているのかわからなかった。だって私は指輪を外していないのだから、力を使ったと言ってもごくわずかなはずで。それとも知らない内に何かルールを破ってしまったんだろうか。じわじわ不安が込み上げてきて、爪先で床を擦る。
「あの、ロガさん、痛いです」
腕を掴む手にぎりぎりと力を込められて身をよじる。骨が悲鳴を上げそうだった。一度距離を取って話し合わないとと思うのに身体は全然動かなくて、それどころか造作もなく引き寄せられてしまう。
バランスを崩しかけた全身を抱き止められて、心臓が跳ね上がった。根を張った樹木のように強固で、厚みがあって、体温の高い身体。体勢を整える間もなく大きな手に顎を掴まれて、金色の輝きが近付いてきて。
荒っぽく重ねられたそれがロガさんの唇だと気付くのには、すこし時間がかかった。
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