上 下
1 / 3

1

しおりを挟む
 好きになってほしいという願いはとっくに諦めていたし、婚約者という立場でいられるだけで幸せなのだと思っていた。

 少し変わった魔法が使えるだけの貧乏貴族、大した持参金も用意できない私と、建国以来王家に仕える名門魔法使い一族の血を引くユリウス様。
 本来言葉を交わすことすら恐れ多い立場の私を伴侶として選んでもらえただけで身に余る光栄なのだから、他には何も望まない。ましてや、学費など払えるはずもない王立の学園で魔法を学べるよう援助を受けている立場だ。例え無関心を隠さない視線を向けられても、交わす言葉が最低限でも、他の女性と仲睦まじく談笑する姿を目の当たりにしても、不満など一つもないと自分に言い聞かせてきた。

 愛されなくていい。優しい言葉もいらない。そもそも、小柄で貧相、仕草も優雅とは程遠い私が、氷像のように美しいユリウス様の隣に立つなんて不釣り合いだ。ただ波風を立てずにいられたら――それだけを願っていたのに、今、私は冷ややかな眼差しを前に青ざめている。

「ルイーゼ、自分が何をしたのか本当にわかっているのか?」
「も、もも、申し訳ありません、ですが、どうか信じて下さい、私は決してユリウス様を裏切るようなことは……」
「こんな馬鹿げた手紙を書いておきながら、よく言い訳ができるものだ」

 歪みのない長い指が、三つ折りの跡のついた手紙を開いて見せる。文面は確認するまでもない。ほんの二日前に私が書き記したものだから。
 愛しい人、もっと会いたい、二人の時を過ごしたい。歯の浮くような言葉の数々は、もちろん本気で書いたものではなかった。貴族の令嬢同士が男性に内緒で恋する乙女のような手紙をやり取りする、子供じみた戯れ。同じ学園で学ぶメリッタに誘われて始めた時はあまり気乗りしなかったけれど、自分には一生縁のない言葉を紡ぐのは少し寂しくて、楽しいことだった。

 ……その手紙をユリウス様に見つかって、不貞の疑いをかけられるなんて夢にも思わなかったけれど。

「君は七通もの手紙を、魔法で封じた箱に隠していた。誰に宛てたものかは言えない。これでどう信じろと?」
「事情については後程お話します、ち、誓って嘘はつきません、ですから、どうか……」

 冬の空を溶かし込んだような深藍の瞳に射抜かれて、声が上擦る。いくらごっこ遊びの延長だと言っても恋文は恋文、より女性が貞淑を求められる北方の出身であるメリッタが相手である以上、迂闊な話などできない。結果、私は限りなく疑わしい状況で寛大な措置を乞わなければならなかった。

(どうしよう、ユリウス様が赦して下さらなかったら)

 どうしよう、別れを告げられたら、明日にでも学園を去るよう言われたら、親兄妹の期待を裏切る事態になったら。私の結婚が上手くいかなければ、まだ幼い妹の今後にも差し支えるのに。

 私がユリウス様の婚約者に選ばれたのは生まれ持った魔力が特殊な構造をしているからだけど、変わっているだけで特別強力なわけじゃない。何か気に入らない点があれば、すぐにでも婚約を破棄されてもおかしくなかった。

(……だってユリウス様は、私のことなど少しも好きではないのだから)

 知っている。そんなことは、十年以上前から。
 地味で平凡、魔法の勉強くらいしか楽しみのなかった私の前に現れた輝く星のような婚約者は、決して手の届かない人だった。初めて顔を合わせた日の失望したような顔は、ずっと瞼の裏に焼きついている。

 近付けば疎まれて、離れれば見向きもされない欠点だらけの花嫁。本心を言えば、手紙を見たと告げられた時は信じられない思いだった。ユリウス様は学園内の私の部屋に入り、ベッド下に隠した箱を探り当てた上、魔法による封印を破ったのだ。私相手にわざわざそんな手間をかけたなんて。それとも、不貞を証明すれば大手を振って婚約を破棄できると思ったのだろうか。お互い学園を出るまで婚約は非公式だから、今ならと思ったのかもしれない。

 悪い予感が頭の中でぐるぐると回る。懇願の言葉も尽きて、両手を握りしめる他なくなった私の前で、ユリウス様が呆れたようにため息をついた。端正な顔に高い位置から覗き込まれて、胃が引き攣る。

「君が手紙の文面は誤解だと言いたいのはわかった」
「は、はい……」
「もちろん私も婚約者を疑いたくはない、とはいえ現状では難しいことは理解できるだろう」
「…………はい」

 乾ききった唇から、乱れた呼気が洩れる。破裂しそうな心臓の音が聞こえてしまうのではと不安になって、半ば無意識に後ずさると、ユリウス様がきつく手首を掴んだ。僅かな隔たりすら許さないように、よろめく身体を引き寄せる。

「あの、わ、私は、どうすれば……」

 しなやかな見目からは想像もできない強い力にただただ身をこわばらせると、清潔な唇が耳元に寄せられた。さらさらとこぼれて輪郭を掠める白金の髪、これまで経験したことのないほど近い距離にうろたえる。吐息混じりに吹き込まれる囁きは、奇妙に優しかった。

「疑いを晴らしたいのなら、身の潔白を証明する必要がある」
「存じております、で、でも……」
「何も心までとは言っていない、求められる立場に相応しい身体であることをこの場で示せばいいだけだ」
「え……」

 ユリウス様の言っていることがわからない。おぼろげな想像が浮き沈みするものの、どれも正解とは思えなくて像を結ばない。
 多分――ユリウス様は、肉体の純潔を証明しろと言っている。けれどそんなこと、内臓を差し出しでもしない限り裏付けようがない。それとも、私の知らない、魔法による『証明』があるのだろうか。であればもちろん従うけれど、この場で使えるような簡単な魔法なのだろうか。不本意な性交を防ぐ姦淫防止の魔法ですら、効果が出るには施術から数日かかるのに。
 戸惑う私の背中を手のひらで抱き寄せて、ほとんど抱擁に近い体勢で、ユリウス様が口を開く。薄い皮膚が耳を掠めて、背すじがぞっと痺れた。初めて知る、氷めいた婚約者の肌身に隠されたぬくもり。そして。

「――ルイーゼ、あまり大きな声は出さないように」

 静かな、けれどどこか命令のように響く言葉とともに、指が背骨から尾骨にかけてをなぞった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

やり直せるなら、貴方達とは関わらない。

BL / 連載中 24h.ポイント:3,713pt お気に入り:2,708

弱みを握られた僕が、毎日女装して男に奉仕する話

BL / 完結 24h.ポイント:227pt お気に入り:10

女装魔法使いと嘘を探す旅

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:8

理沙の悲劇〜若者狩り〜

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:30

【完結】攻略対象×攻略対象はありですか?

BL / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:1,566

秘密の男の娘〜僕らは可愛いアイドルちゃん〜 (匂わせBL)(完結)

Oj
BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:8

処理中です...