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111)帰りたい場所
「あ、あの。なにか温かいものはいかがですか? おじやでしたら、すぐにでも……」
「悪いが――最近は胃が荒れていて、食欲がわかないんだ」
「ですがお薬を飲む前に、何か胃に入れませんと」
「構わない。どうせ飲んだところで眠れやしないからな」
そういえば先程、お二人はそんなやり取りをされていた。
けれど椎名さんから受け取った処方薬の中には、過労の薬らしきものも含まれている。空腹のまま飲めば、胃に負担がかからないはずはないのに……。
私は『食欲がなくても食べられるもの』を脳内で必死に探す。
そんな中で、私はあることを思い出した。
そういえば、私と海に出かけたあの日――水湊様は私の隣で確かに、お薬なしでお眠りになっていた。
ならば……。
「――私では至らないかもしれませんが……良ければその」
「――? マッサージの話か?」
水湊様の指先が、私の手に触れた。熱を持ったそれは、氷枕で冷えた私の指先をじわりと温める。
いつぞやの恥ずかしい勘違いを思い出した私は、ドキリとしながら僅かに声をすぼめた。
「いえ……その」
あくまでも今は添い寝の話であって、抱いてほしいとねだっている訳ではない。
全ては水湊様の睡眠のため。
そう思うのに、頬が僅かに熱い。
場所が寝室というだけで……手や首筋に、触れられたというだけで。
こうも意識してしまうのは、水湊様の掠れたお声があまりに色っぽいからだろうか。
「私が添い寝をすれば眠れる――というのであれば、お声がけ頂けたら、私はいつでもお傍に参ります。ですので……」
すると水湊様は少し目を丸くされたあと、小さくお笑いになった。
「ははっ。この家の雑用係を本宅へ、添い寝のためだけにわざわざ呼べと?」
「――えっ……?」
『本宅』……?
突然降って湧いたその言葉に、私は固まった。
しょっちゅう会社に泊まられている、とばかり思っていた水湊様。だがこれは、もしや……。
私がその事を確認すると、水湊様は再びふふっとお笑いになった。
「いくら私でも、こう連日会社に泊まるのはゴメンだな」
「すみません、私……とんだ勘違いを……!」
「いや、本宅への長期滞在は私も想定外だった。きちんと説明しなかった私も悪い」
会社は、仕事をする場所だ。
けれども中には食堂や仮眠室もあり、忙しい時期にはどうやら泊まれる場所らしい。
――そんな私の思い違いを、水湊様は笑いながら訂正してくださる。
「私には本宅があって、ここ数日はそこから会社へ通っていた。祖母が足を骨折したので、一時的に本宅へ戻っていたんだ」
「お祖母様が? それは、大丈夫なのですか?」
「ああ、大したことはない。夜トイレに起きて、階段を踏み外したらしい」
「――!」
「ヒビ程度なので来月にはギプスも取れるし、本宅には使用人も多い。私がいなくても、祖母が困ることはないんだ」
水湊様と逃げるように屋敷を出たあの夜。私は門の側に停まる、見慣れない黒塗りの車を見かけた。
今思えば深夜の突然の来客は、恐らくその知らせだったのだろう。
「ではお体が回復されたら、また本宅へお戻りになるのですか?」
「……いいや。この機会にこちらへ戻るつもりだ」
「よろしいのですか?」
「ああ。祖母に乞われたとはいえ、あの家に長くいすぎたせいで、ご覧の有様だからな」
水湊様はそう苦笑いして、今度は私の髪に触れる。
「祖母のこともだが、私は律火や詩月のことも心配だ。こちらには木葉に佐倉――それに日和がいるから、大丈夫だとは思っているが」
「――ふふ、ありがとうございます」
水湊様はそう言って、穏やかな微笑みを浮かべた。
ふと気がつけば、水湊様の表情は屋敷に戻られた時より、だいぶ穏やかになっている。
私はベッドサイドの灯りをギリギリまで絞り、そっと水湊様の手を握った。
「そういえば。水湊様と樫原さんは、幼なじみでいらしたんですね」
「ああ。木葉の家――樫原家は、私の祖父の代から側近として、代々東條院家の当主に仕えてくれている。この家は、元々は祖父の持ち物だ。父が譲り受け、晩年静養に使っていたものを、父の死後――私が譲り受けた」
「あっ……」
先程樫原さんが言っていた、水湊様の父……『誠斗様』。そして、その方に仕えていた、樫原さん親子。
樫原さんと水湊様の関係性を見るに、きっとこのお屋敷には以前、水湊様とご両親の――温かい家庭があったのだと思う。
お父様の死後も、水湊様がお祖母様のいる本宅ではなく、この屋敷に居を構える理由。
それが、分かった気がした。
「悪いが――最近は胃が荒れていて、食欲がわかないんだ」
「ですがお薬を飲む前に、何か胃に入れませんと」
「構わない。どうせ飲んだところで眠れやしないからな」
そういえば先程、お二人はそんなやり取りをされていた。
けれど椎名さんから受け取った処方薬の中には、過労の薬らしきものも含まれている。空腹のまま飲めば、胃に負担がかからないはずはないのに……。
私は『食欲がなくても食べられるもの』を脳内で必死に探す。
そんな中で、私はあることを思い出した。
そういえば、私と海に出かけたあの日――水湊様は私の隣で確かに、お薬なしでお眠りになっていた。
ならば……。
「――私では至らないかもしれませんが……良ければその」
「――? マッサージの話か?」
水湊様の指先が、私の手に触れた。熱を持ったそれは、氷枕で冷えた私の指先をじわりと温める。
いつぞやの恥ずかしい勘違いを思い出した私は、ドキリとしながら僅かに声をすぼめた。
「いえ……その」
あくまでも今は添い寝の話であって、抱いてほしいとねだっている訳ではない。
全ては水湊様の睡眠のため。
そう思うのに、頬が僅かに熱い。
場所が寝室というだけで……手や首筋に、触れられたというだけで。
こうも意識してしまうのは、水湊様の掠れたお声があまりに色っぽいからだろうか。
「私が添い寝をすれば眠れる――というのであれば、お声がけ頂けたら、私はいつでもお傍に参ります。ですので……」
すると水湊様は少し目を丸くされたあと、小さくお笑いになった。
「ははっ。この家の雑用係を本宅へ、添い寝のためだけにわざわざ呼べと?」
「――えっ……?」
『本宅』……?
突然降って湧いたその言葉に、私は固まった。
しょっちゅう会社に泊まられている、とばかり思っていた水湊様。だがこれは、もしや……。
私がその事を確認すると、水湊様は再びふふっとお笑いになった。
「いくら私でも、こう連日会社に泊まるのはゴメンだな」
「すみません、私……とんだ勘違いを……!」
「いや、本宅への長期滞在は私も想定外だった。きちんと説明しなかった私も悪い」
会社は、仕事をする場所だ。
けれども中には食堂や仮眠室もあり、忙しい時期にはどうやら泊まれる場所らしい。
――そんな私の思い違いを、水湊様は笑いながら訂正してくださる。
「私には本宅があって、ここ数日はそこから会社へ通っていた。祖母が足を骨折したので、一時的に本宅へ戻っていたんだ」
「お祖母様が? それは、大丈夫なのですか?」
「ああ、大したことはない。夜トイレに起きて、階段を踏み外したらしい」
「――!」
「ヒビ程度なので来月にはギプスも取れるし、本宅には使用人も多い。私がいなくても、祖母が困ることはないんだ」
水湊様と逃げるように屋敷を出たあの夜。私は門の側に停まる、見慣れない黒塗りの車を見かけた。
今思えば深夜の突然の来客は、恐らくその知らせだったのだろう。
「ではお体が回復されたら、また本宅へお戻りになるのですか?」
「……いいや。この機会にこちらへ戻るつもりだ」
「よろしいのですか?」
「ああ。祖母に乞われたとはいえ、あの家に長くいすぎたせいで、ご覧の有様だからな」
水湊様はそう苦笑いして、今度は私の髪に触れる。
「祖母のこともだが、私は律火や詩月のことも心配だ。こちらには木葉に佐倉――それに日和がいるから、大丈夫だとは思っているが」
「――ふふ、ありがとうございます」
水湊様はそう言って、穏やかな微笑みを浮かべた。
ふと気がつけば、水湊様の表情は屋敷に戻られた時より、だいぶ穏やかになっている。
私はベッドサイドの灯りをギリギリまで絞り、そっと水湊様の手を握った。
「そういえば。水湊様と樫原さんは、幼なじみでいらしたんですね」
「ああ。木葉の家――樫原家は、私の祖父の代から側近として、代々東條院家の当主に仕えてくれている。この家は、元々は祖父の持ち物だ。父が譲り受け、晩年静養に使っていたものを、父の死後――私が譲り受けた」
「あっ……」
先程樫原さんが言っていた、水湊様の父……『誠斗様』。そして、その方に仕えていた、樫原さん親子。
樫原さんと水湊様の関係性を見るに、きっとこのお屋敷には以前、水湊様とご両親の――温かい家庭があったのだと思う。
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