元・愛玩奴隷は愛されとろけて甘く鳴き~二代目ご主人様は三兄弟~

唯月漣

文字の大きさ
62 / 108

62)母と思い出の海

しおりを挟む
「海……。いえ、本物を見た事はありません。母が好きだった海を、いつか見てみたいとは思っているのですが」
「日和は母親を覚えているのか?」
「はい。覚えていると言っても顔は朧げですが……。恐らく私が土谷田様に買われる前。母はよく私を背におぶって、子守唄代わりに海の歌を歌ってくれておりまして」


 それは私の中にごく僅かに残る、懐かしい母の記憶だった。
 私を寝かしつける際、潮の香りがする海沿いの道を歩きながら、母は背で微睡まどろむ私に言ったのだ。

 
「日和。あなたは本当にいい子ね。大好きよ。私の宝物」

 それは私が間違いなく、母に愛されていた記憶。

 愛玩奴隷として売られた身ではあるけれど、私は母に愛されて生まれてきた。
 その後どんな事情があってあのお屋敷に売られたのかは分からないけれど、少なくとも私は母に望まれてこの世に生を受けたはずだ。
 売られたときだって、きっとやむを得ない事情があったのではないかと今は思える。
 
 勿論、幼かった頃の私は母を想い、耐え難いほど寂しさを感じた夜もあった。
 けれど、その後新たに屋敷に買われてきた子供達の世話を焼き、日々の仕事に追われるうち、いつの間にか寂しさは紛れていた。
 
 もう母の顔を朧げにしか思い出せなくなってしまったけれど、幼い仲間たちを寝かしつける際に子守唄として歌っていたあの海の歌だけは、私の記憶に残り続けている。
 
 
「そうか。それなら今から海を見に行こうか」
「えっ、よろしいのですか? どこか行きたい場所がおありだったのでは?」
「いや、一時的に居場所をくらませたらそれでいいんだ」


 そうお答えになった水湊様は、少しだけ穏やかな視線を私へと向ける。 

 
「それに日和とは一度ゆっくり話してみたいと思っていた。仕事に忙殺されてなかなか時間が取れなかったが、ちょうどいい機会だ。もう少しだけ、私のドライブに付き合ってもらえるか?」
「はい、勿論です。私も水湊様とお話出来て嬉しいです」
「無論。時間外手当はきちんと出す」 
「……っ」 

 水湊様のお誘いに喜びかけた私の気持ちは、その言葉に少し萎んだ。
 時間外手当……。それは私達にとってこのドライブが『あくまでも仕事』という扱いになる、ということだ。
 お金はもちろん大切だ。けれど……。


「…………」

  
 少し考えた私は、水湊様へ向かって首を横に振った。


「手当なんて要りません」


 驚いた表情の水湊様は、じっと私を見る。私はなるべく重い空気にならないよう、務めて明るく答えた。


「ご厚意で私を海に連れて行ってくださるのに、お給料なんていただけません。それに私もずっと、水湊様とゆっくりお話してみたいと思っておりましたから」


 私が微笑みを浮かべてそう答えると、水湊様は大きく目を見開いた。
  
 私に本物の海を見せてくださると言ってくださった水湊様。
 
 それは、休みの日に私に勉強を教えてくださる詩月様や、街へ連れ出しては世の中の仕組みについて教えてくださる律火様とどう違うのか。

 気軽に誘ってくださる律火様や詩月様に比べ、水湊様は少し不器用なのかもしれない。

 そんな彼を少しだけ微笑ましいと思ってしまったのは私だけの秘密だ。


「――――考えておく。しかし夜明け前はやはり冷えるな。そろそろ車に戻るぞ」
 
 
 ふいっと視線を逸らした水湊様はぽつんとそう仰って、私を伴って車に戻る。
 その後再び口を開くことはなく、水湊様は車を発進された。

 冬の夜明けは遅く、夜明けまではまだ時間がありそうだ。ハンドルを握りながら、水湊様はポツリと口を開く。


「屋敷での生活にはもう慣れたか?」
「はい、お陰様で。屋敷の皆さんにもとても良くして頂いています。最近は詩月様にもその……寝所へお呼び頂けるようになって……」
「抱いて貰えるようになった……?」
「あっ、いえ。それはまだ……」

 
 私が困ったように表情を緩めると、水湊様もふっと口元を緩められた。


「詩月は警戒心が強いが、気に入った者へ対しては面倒見がよく優しい。詩月に気に入られるのは並大抵ではないが、無防備になる寝所に呼ぶほどに気にいられたのなら大したものだよ」
「いえ、そんな……。あの、実は……」

 
 本当は律火様のお口添えで何とか呼んで頂いたのですが……。
 そう言いかけたけれど、あんな宿題を頂いたのだからきっと二度目もある。次こそは、きっと。

 そう思い直して、私は「いえ、ありがとうございます」と水湊様に素直に返事を返した。


「長年就いていた仕事とはいえ、日和は本当に好きでもない人間……まして同性である男に抱かれるのは、嫌ではないのか?」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

嫌われ者の長男

りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

お兄ちゃんができた!!

くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。 お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。 「悠くんはえらい子だね。」 「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」 「ふふ、かわいいね。」 律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡ 「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」 ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

処理中です...