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100)あの日のこと(律火視点)
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スキンがない……咄嗟の事とはいえ、我ながらカッコ悪い言い訳だった。
あの時、日和さんがスキンを用意していたら。
あの時、椎名さんからの電話がなかったら。
あの時もし、日和さんが僕を主人としてではなく、一人の男として……好きだと言ってくれたら。
――僕はきちんと、踏み留まれていただろうか?
会社に戻る車内で、僕はそんな考えを巡らせていた。
『現会長であり今も絶大な権力を持つ東條院魁斗を引きずり下ろし、復讐する』。
その共通の目的のため、僕達兄弟はあの屋敷で共に暮らしている。例え後継者といえど、あの計画が成功した暁には兄や僕達兄弟も無事には済まないだろう。
だからこそ、兄さんは日和さんとの契約期間を一年に限定したのだと思う。
僕達の復讐に、土谷田の……ひいてはあの男の被害者である日和さんを巻き込む訳にはいかない。
僕の両親の仲を引き裂き、母の命と幸せを奪った許せないあの男。
日和さんの元主人であった土谷田はあの男と裏で繋がり、裏稼業で資金を集めるいわば汚れ役だった。
会社の不透明な資金源を追う過程で偶然知ったあの土谷田邸。あの場所では彼の趣味と実益を兼ねて、未成年の人身売買が行われていた。
残念ながら樫原さん達が屋敷に踏み込んだ時には土谷田本人は海外へ高飛びをした後だったし、屋敷内に人身売買の証拠らしい証拠は殆ど残っていなかった。
けれど屋敷に残された日和さんを始めとする少年達は、いわば大切な生き証人だ。
何も知らずに奴隷として飼われていたらしい幼い少年達については、心身のケアをしつつ、あの男による証拠隠滅を阻止すべく安全な場所へ保護する。
そういうことで僕達の意見は一致していた。
けれどもあの男が上層部に顔の利く警察は信用できない。つまりはまだ、事件を公にする訳にはいかなかった。
結果「当面の間ならば」という条件で、以前ボランティア活動で繋がりのあった児童養護施設に無理を言い、匿って貰える事になった。
しかし成人済みの日和さんの存在は想定外で、扱いについては当時意見が割れた。
幼少期より長年土谷田に仕え、すっかり洗脳されているであろう彼。
彼を保護したところで主人への忠誠心から土谷田や東條院海斗と密かに連絡を取り、子供達の居場所や僕らの秘密を漏らすのではないか。
もしくは、土谷田が日和さんを敢えてあの場に置いていった可能性は?
そんな疑惑の人物までもを僕達で匿うのは、危険なのではないか。
樫原さんと兄弟三人の、画面越しの議論。
それに一石を投じたのは、『現場で奴隷志望の変な男を拾ったんだけど』という電話をかけてきた本人である樫原さんだった。
***
「反対するのは簡単。でもさー。むやみやたらに人を疑うのって、人を見る目に自信がないって言ってるのと同じじゃない?」
慎重派の詩月の神経を逆撫でる樫原さんのそんな一言に、僕はヒヤリとした。
「僕は『計画の失敗が許されない以上、僕達はもっと慎重になるべきだ』って言っただけだよ」
案の定ムッとした顔の詩月がそう言い返す。
「慎重になりすぎて貴重な証拠を取りこぼしたら、それこそ意味ないとボクは思うんだけど?」
「へぇ。そんな事を言うくらいだから、樫原は人を見る目に相当自信があるってことだよね?」
そんな詩月の挑発的な質問に、樫原さんはのらりくらりと答えた。
「どうでしょうねぇ。とりあえず、そんなに心配なら詩月坊ちゃんは藤倉日和を気が済むまで徹底的に監視したらいいじゃないですか。それで彼が土谷田や会長とコンタクトを取るならば、それはそれで好都合でしょ? なんせ土谷田、夜逃げしちゃってて行方不明みたいだし」
「それは勿論そうするけど……。わざわざそんなリスクを侵さなくても、情報が欲しいだけなら藤倉日和を拷問したらいいじゃない」
「――拷問とは随分物騒な話だな」
なんでもない事のように言う詩月に、水湊兄さんは少し嫌そうな顔で呟く。
「大丈夫。怪我をさせずに拷問するの、僕、得意だよ」
そう言いながら楽しげな笑みを浮かべる詩月を窘めるように、僕は会話に割って入った。
「ねぇ。詩月なら自分を拷問するような人間に、大事な主人を裏切って本当の事を話す?」
「さあ? 僕は拷問をする側であって、される側の気持ちなんて知らないよ」
「拷問なんてして嘘の情報を話されたら、それこそ危険だって思わない?」
「……。じゃあどうするのさ」
不貞腐れたように唇を尖らせる詩月は、実年齢より少し幼げに見える。
僕達のやりとりに呆れたように口を開きかけた樫原さんを制して、僕は優しく微笑んだ。
「ふふ。ねぇ詩月。『北風と太陽』ってお話、知ってる?」
あの時、日和さんがスキンを用意していたら。
あの時、椎名さんからの電話がなかったら。
あの時もし、日和さんが僕を主人としてではなく、一人の男として……好きだと言ってくれたら。
――僕はきちんと、踏み留まれていただろうか?
会社に戻る車内で、僕はそんな考えを巡らせていた。
『現会長であり今も絶大な権力を持つ東條院魁斗を引きずり下ろし、復讐する』。
その共通の目的のため、僕達兄弟はあの屋敷で共に暮らしている。例え後継者といえど、あの計画が成功した暁には兄や僕達兄弟も無事には済まないだろう。
だからこそ、兄さんは日和さんとの契約期間を一年に限定したのだと思う。
僕達の復讐に、土谷田の……ひいてはあの男の被害者である日和さんを巻き込む訳にはいかない。
僕の両親の仲を引き裂き、母の命と幸せを奪った許せないあの男。
日和さんの元主人であった土谷田はあの男と裏で繋がり、裏稼業で資金を集めるいわば汚れ役だった。
会社の不透明な資金源を追う過程で偶然知ったあの土谷田邸。あの場所では彼の趣味と実益を兼ねて、未成年の人身売買が行われていた。
残念ながら樫原さん達が屋敷に踏み込んだ時には土谷田本人は海外へ高飛びをした後だったし、屋敷内に人身売買の証拠らしい証拠は殆ど残っていなかった。
けれど屋敷に残された日和さんを始めとする少年達は、いわば大切な生き証人だ。
何も知らずに奴隷として飼われていたらしい幼い少年達については、心身のケアをしつつ、あの男による証拠隠滅を阻止すべく安全な場所へ保護する。
そういうことで僕達の意見は一致していた。
けれどもあの男が上層部に顔の利く警察は信用できない。つまりはまだ、事件を公にする訳にはいかなかった。
結果「当面の間ならば」という条件で、以前ボランティア活動で繋がりのあった児童養護施設に無理を言い、匿って貰える事になった。
しかし成人済みの日和さんの存在は想定外で、扱いについては当時意見が割れた。
幼少期より長年土谷田に仕え、すっかり洗脳されているであろう彼。
彼を保護したところで主人への忠誠心から土谷田や東條院海斗と密かに連絡を取り、子供達の居場所や僕らの秘密を漏らすのではないか。
もしくは、土谷田が日和さんを敢えてあの場に置いていった可能性は?
そんな疑惑の人物までもを僕達で匿うのは、危険なのではないか。
樫原さんと兄弟三人の、画面越しの議論。
それに一石を投じたのは、『現場で奴隷志望の変な男を拾ったんだけど』という電話をかけてきた本人である樫原さんだった。
***
「反対するのは簡単。でもさー。むやみやたらに人を疑うのって、人を見る目に自信がないって言ってるのと同じじゃない?」
慎重派の詩月の神経を逆撫でる樫原さんのそんな一言に、僕はヒヤリとした。
「僕は『計画の失敗が許されない以上、僕達はもっと慎重になるべきだ』って言っただけだよ」
案の定ムッとした顔の詩月がそう言い返す。
「慎重になりすぎて貴重な証拠を取りこぼしたら、それこそ意味ないとボクは思うんだけど?」
「へぇ。そんな事を言うくらいだから、樫原は人を見る目に相当自信があるってことだよね?」
そんな詩月の挑発的な質問に、樫原さんはのらりくらりと答えた。
「どうでしょうねぇ。とりあえず、そんなに心配なら詩月坊ちゃんは藤倉日和を気が済むまで徹底的に監視したらいいじゃないですか。それで彼が土谷田や会長とコンタクトを取るならば、それはそれで好都合でしょ? なんせ土谷田、夜逃げしちゃってて行方不明みたいだし」
「それは勿論そうするけど……。わざわざそんなリスクを侵さなくても、情報が欲しいだけなら藤倉日和を拷問したらいいじゃない」
「――拷問とは随分物騒な話だな」
なんでもない事のように言う詩月に、水湊兄さんは少し嫌そうな顔で呟く。
「大丈夫。怪我をさせずに拷問するの、僕、得意だよ」
そう言いながら楽しげな笑みを浮かべる詩月を窘めるように、僕は会話に割って入った。
「ねぇ。詩月なら自分を拷問するような人間に、大事な主人を裏切って本当の事を話す?」
「さあ? 僕は拷問をする側であって、される側の気持ちなんて知らないよ」
「拷問なんてして嘘の情報を話されたら、それこそ危険だって思わない?」
「……。じゃあどうするのさ」
不貞腐れたように唇を尖らせる詩月は、実年齢より少し幼げに見える。
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「ふふ。ねぇ詩月。『北風と太陽』ってお話、知ってる?」
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