13 / 53
お母の墓
しおりを挟む
お父に「お七が仕事に就いたんだ。報告に行こう」と誘われて、お七はお母の墓の前に立っていた。
近所の小さな寺。
いつもニコニコした温和な囲碁好きの和尚と元気な小坊主一人で守っている小さな寺。お母の墓はそこにあった。
その片隅にある小さな粗末なお母な墓石を磨き、野の花を飾る。
もう十年くらいは経っているのに墓が小綺麗なのは、お父やお七が時々参りに来ているから。
お七は、町火消での仕事が忙しくて、中々参れなかったが、お父の言う通り、仕事に就いたことは報告に来るべきだった。
まだまだ、任された仕事は、ただの雑用。鳶達の弁当を運んだり、詰め所である屋敷の廊下を磨いたり(お父の方は、最初から危険な仕事を任されていないことに喜んでいたが)。
もう少し一人前になってから訪れたいと思って、つい足が遠のいていた。
「お母。と組に入ったよ。いつか一人前のマトイ持ちになったら、あたしが江戸の火事をやっつけて、お母の仇をとるね」
冷たい小さな墓石を磨きながら、お七は母に報告する。
「お七、仇なんか良いんだよ」
「だって、お父! やられぱなしなんて、あたしの性分に合わないよ」
「お母だってそうだ。きっとそう言う。今のままで良いんだよ。今のように前線で戦う奴らの補助をするだけで。お七のような非力がしゃしゃり出てっても、邪魔なだけだ」
「だから、今から頑張って非力じゃなくなってから、しゃしゃり出るの。当たり前でしょ?」
どうしてこう親という物は、頑張る気持ちに水をさすようなことを言うのか。
「お父! 本当うざい」
お七は不貞腐れる。
コツンと蹴った小石は、コロコロと転がって土の上にじっとしている。
小石のように無力なお七も、せっかく加代の一押して町火消に入れてもらったというのに、鳶姿も恰好だけ、まったくそれらしい仕事はさせてもらえてない。
結局、石ころのように自分ではどうにもならずに、前へ進めないのがもどかしい。
「せっかくお母に報告して、気持ちを新たに頑張ろうとしているのに」
お父にそう当たってみたところで、お七だって自分が力不足なのも不甲斐ないのも分かっている。
いっそ現場に先回りして、紛れこんで一緒に作業しちゃうとか? いやいや、それじゃあ、きっとせっかく入れたのに、と組から追い出されてしまう。
どうしたら、どうしたら、と組の皆にお七の本気が分かってもらえるのか。
結局は、今任されている廊下磨きの仕事を、ぐうの音も出ないほどに完璧にやり遂げて、皆をびっくりさせて認めさせるのが一番良いと思うのだが……難しい。
毎日雑巾で磨いたってドロドロの廊下。
綺麗にしてもあっという間に埃まみれの泥まみれだ。
先輩の鳶達に汚すなって言ったところで、現場の仕事風景を見ていると、それも無茶な気がするのだ。
「よお! お七!」
和尚に挨拶しようと本堂を覗けば、小僧がお七に声をかけてくる。
「町火消に入ったんだってな!」
お七よりずっと小さな少年は、宗悟という立派な名前を和尚からもらっていた。
名前も分からない身寄りのない赤ん坊だった宗悟を和尚が引き取って育てたのだ。
読み書きも身の回りのことも和尚が全部叩き込んでいるから、お七よりもずっと難しい字を知っているし、色々と書物も読んでいるから物知りだ。
まぁ、その分生意気なのだが……。
「宗悟と話して来る」
「ああ、和尚のとこいるから!」
お七は、お父と別れて宗悟と一緒に庭前の縁側に座る。
「宗悟、良く知っているのね。誰から聞いたの?」
町火消になってから寺に来たのは今日が初めてだ。
誰がお七のことを話したのだろう。
「そんなの、鳶の格好した女が町をウロウロしていたら皆知っているさ」
「え、そんなに噂になっているの?」
お七は驚く。
そう言えば、最近は慣れたが、往来を歩いている時にチラチラと視線は感じていた。
「そうそう。八百屋のお七がとうとうおかしくなったって!」
キヒヒと、イタズラっ子の表情で宗悟が笑う。
「おかしくなったって何よ!」
「冗談だって!」
いつもの宗悟らしい遠慮という物の欠片もない言葉にお七か宗悟をぶつフリをすれば、宗悟は大袈裟に怖がってみせる。
「てか、すごいよ。ついに夢叶えるんだな。皆が無理だって言っていたのに」
「わ、何? 突然褒めるなんて宗悟らしくもない」
「俺だって、すごいと思ったら、ちゃあんと褒めらぁ。お七が褒めるようなことしないから褒めないんだ」
「何よそれ!」
お七は笑う。
宗悟と話をすれば、何だか心がほぐれてくる。
「あ、そうだ。物知りの宗悟なら知ってる?」
「何を?」
「ドロドロの廊下を素早く綺麗にする方法」
「は? なんだよそれ。町火消と何の関係があるんだよ」
宗悟は目を丸くした。
近所の小さな寺。
いつもニコニコした温和な囲碁好きの和尚と元気な小坊主一人で守っている小さな寺。お母の墓はそこにあった。
その片隅にある小さな粗末なお母な墓石を磨き、野の花を飾る。
もう十年くらいは経っているのに墓が小綺麗なのは、お父やお七が時々参りに来ているから。
お七は、町火消での仕事が忙しくて、中々参れなかったが、お父の言う通り、仕事に就いたことは報告に来るべきだった。
まだまだ、任された仕事は、ただの雑用。鳶達の弁当を運んだり、詰め所である屋敷の廊下を磨いたり(お父の方は、最初から危険な仕事を任されていないことに喜んでいたが)。
もう少し一人前になってから訪れたいと思って、つい足が遠のいていた。
「お母。と組に入ったよ。いつか一人前のマトイ持ちになったら、あたしが江戸の火事をやっつけて、お母の仇をとるね」
冷たい小さな墓石を磨きながら、お七は母に報告する。
「お七、仇なんか良いんだよ」
「だって、お父! やられぱなしなんて、あたしの性分に合わないよ」
「お母だってそうだ。きっとそう言う。今のままで良いんだよ。今のように前線で戦う奴らの補助をするだけで。お七のような非力がしゃしゃり出てっても、邪魔なだけだ」
「だから、今から頑張って非力じゃなくなってから、しゃしゃり出るの。当たり前でしょ?」
どうしてこう親という物は、頑張る気持ちに水をさすようなことを言うのか。
「お父! 本当うざい」
お七は不貞腐れる。
コツンと蹴った小石は、コロコロと転がって土の上にじっとしている。
小石のように無力なお七も、せっかく加代の一押して町火消に入れてもらったというのに、鳶姿も恰好だけ、まったくそれらしい仕事はさせてもらえてない。
結局、石ころのように自分ではどうにもならずに、前へ進めないのがもどかしい。
「せっかくお母に報告して、気持ちを新たに頑張ろうとしているのに」
お父にそう当たってみたところで、お七だって自分が力不足なのも不甲斐ないのも分かっている。
いっそ現場に先回りして、紛れこんで一緒に作業しちゃうとか? いやいや、それじゃあ、きっとせっかく入れたのに、と組から追い出されてしまう。
どうしたら、どうしたら、と組の皆にお七の本気が分かってもらえるのか。
結局は、今任されている廊下磨きの仕事を、ぐうの音も出ないほどに完璧にやり遂げて、皆をびっくりさせて認めさせるのが一番良いと思うのだが……難しい。
毎日雑巾で磨いたってドロドロの廊下。
綺麗にしてもあっという間に埃まみれの泥まみれだ。
先輩の鳶達に汚すなって言ったところで、現場の仕事風景を見ていると、それも無茶な気がするのだ。
「よお! お七!」
和尚に挨拶しようと本堂を覗けば、小僧がお七に声をかけてくる。
「町火消に入ったんだってな!」
お七よりずっと小さな少年は、宗悟という立派な名前を和尚からもらっていた。
名前も分からない身寄りのない赤ん坊だった宗悟を和尚が引き取って育てたのだ。
読み書きも身の回りのことも和尚が全部叩き込んでいるから、お七よりもずっと難しい字を知っているし、色々と書物も読んでいるから物知りだ。
まぁ、その分生意気なのだが……。
「宗悟と話して来る」
「ああ、和尚のとこいるから!」
お七は、お父と別れて宗悟と一緒に庭前の縁側に座る。
「宗悟、良く知っているのね。誰から聞いたの?」
町火消になってから寺に来たのは今日が初めてだ。
誰がお七のことを話したのだろう。
「そんなの、鳶の格好した女が町をウロウロしていたら皆知っているさ」
「え、そんなに噂になっているの?」
お七は驚く。
そう言えば、最近は慣れたが、往来を歩いている時にチラチラと視線は感じていた。
「そうそう。八百屋のお七がとうとうおかしくなったって!」
キヒヒと、イタズラっ子の表情で宗悟が笑う。
「おかしくなったって何よ!」
「冗談だって!」
いつもの宗悟らしい遠慮という物の欠片もない言葉にお七か宗悟をぶつフリをすれば、宗悟は大袈裟に怖がってみせる。
「てか、すごいよ。ついに夢叶えるんだな。皆が無理だって言っていたのに」
「わ、何? 突然褒めるなんて宗悟らしくもない」
「俺だって、すごいと思ったら、ちゃあんと褒めらぁ。お七が褒めるようなことしないから褒めないんだ」
「何よそれ!」
お七は笑う。
宗悟と話をすれば、何だか心がほぐれてくる。
「あ、そうだ。物知りの宗悟なら知ってる?」
「何を?」
「ドロドロの廊下を素早く綺麗にする方法」
「は? なんだよそれ。町火消と何の関係があるんだよ」
宗悟は目を丸くした。
44
あなたにおすすめの小説
【受賞作】小売り酒屋鬼八 人情お品書き帖
筑前助広
歴史・時代
幸せとちょっぴりの切なさを感じるお品書き帖です――
野州夜須藩の城下・蔵前町に、昼は小売り酒屋、夜は居酒屋を営む鬼八という店がある。父娘二人で切り盛りするその店に、六蔵という料理人が現れ――。
アルファポリス歴史時代小説大賞特別賞「狼の裔」、同最終候補「天暗の星」ともリンクする、「夜須藩もの」人情ストーリー。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
古書館に眠る手記
猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。
十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。
そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。
寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。
“読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
夢幻の飛鳥~いにしえの記憶~
藍原 由麗
歴史・時代
時は600年代の飛鳥時代。
稚沙は女性皇族で初の大王となる炊屋姫の元に、女官として仕えていた。
彼女は豪族平群氏の額田部筋の生まれの娘である。
そんなある日、炊屋姫が誓願を発することになり、ここ小墾田宮には沢山の人達が集っていた。
その際に稚沙は、蘇我馬子の甥にあたる蘇我椋毘登と出会う。
だが自身が、蘇我馬子と椋毘登の会話を盗み聞きしてしまったことにより、椋毘登に刀を突きつけられてしまい……
その後厩戸皇子の助けで、何とか誤解は解けたものの、互いの印象は余り良くはなかった。
そんな中、小墾田宮では炊屋姫の倉庫が荒らさせる事件が起きてしまう。
そしてその事件後、稚沙は椋毘登の意外な姿を知る事に……
大和王権と蘇我氏の権力が入り交じるなか、仏教伝来を機に、この国は飛鳥という新しい時代を迎えた。
稚沙はそんな時代を、懸命に駆け巡っていくこととなる。
それは古と夢幻の世界。
7世紀の飛鳥の都を舞台にした、日本和風ファンタジー!
※ 推古朝時に存在したか不透明な物や事柄もありますが、話しをスムーズに進める為に使用しております。
また生活感的には、聖徳太子の時代というよりは、天智天皇・天武天皇以降の方が近いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる