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運命への反撃

王座奪還

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 西寧の指示で、壮羽は、繁華街にいた。

 色街の店で働く女の衣装が欲しい。

 それが、小さな主の命令だった。

 指示された衣装のサイズから、西寧が着るのだということは、分かる。女に化けて、どこかに潜伏する気なのかもしれない。それならが、わざわざ、商売の女の衣装なぞでなくても、その辺りの町娘の格好で良さそうなものだが。何を考えているのか、さっぱり分からなかった。

 さて、どうやって手に入れるか。あいにく、壮羽には、女の衣装の知識はほとんどなかった。そういった店に行って、その店の者に聞いて売ってもらえばいいのだろうが、信頼できる知り合いもいない。策を考えて悩みながら歩いていると、声を掛けられる。

「壮羽様?」

 振り返ると、虎精の女がいた。壮羽を見て、顔を赤くしている。誰だろう。葉居の愛人の一人だろうか? 訝しんで見ていると、女が、ムッとする。

「お忘れですか? あんなに熱いキスをして下さったのに!」

 ああ。あの女か。
 壮羽は思い出す。
 前の主人が、揶揄って壮羽にちょっかいをかけさせた女。己の主のあまりの小物ぶりに腹を立てて、女には、少しやり過ぎた態度をとってしまったのを覚えている。女に名前を名乗った覚えはなかったが、どうやら自分で調べたのだろう。

「失礼いたしました。あの時は、申し訳ない態度を取りました」

 壮羽は、あの時の無礼を詫びる。いきなり初対面でキスなど、失礼にも程がある。そのことに怒っていて、文句を言うために名前を調べたとしても、不思議はない。

「違います。その……。もう一度お会いしたくて」

 女が、壮羽にくっついてくる。ややこしいことになった。それどころでは無い身の上だ。主を裏切って手に入れた新しい主は、現在、絶賛逃走中だ。ここで、目立つわけにはいかないし、この女は、前の主人を知っている。通報されれば、西寧も捕まってしまう。怒鳴られるとしても、人目につかない所に行きたい。

「ねえ、ちょっと目立たない所に行きませんか?」

 壮羽が、女の耳元で囁けば、女が嬉しそうに首を縦に振る。
 店の裏、あまり人の来ない細い路地。女が、壮羽の胸に顔をうずめる。

「どうされましたか?」

 どうやら怒鳴っては来ない女に、壮羽が尋ねる。抱き返して、髪を撫でてやれば、手に顔を摺り寄せてくる猫のようなしぐさ。女の黒い瞳が、壮羽を見つめる。

「もう一度、キスをいただけませんか?」

「キス……ですか?」

 思ってもみなかったことだった。この間のことが、気に入ったのだろうか。壮羽は、考える。この女ならば、西寧が欲しがっている物を、簡単に手に入れられるかもしれない。

「そうですね……実は、今、仕事中でして。十五歳くらいの女性が、この辺りの店で働くための衣装を調達するように言われていまして。協力願えますか? ご協力いただけるならば、ゆっくりとそういう時間も作れるのですが」

 ニコリと笑って、壮羽が女の唇を指で撫でる。女は、コクコクと首を縦に振った。

 壮羽が、西寧の指示通りに女物の衣装を手に入れて帰ってくれば、そこに、西寧の服を着た、ありきたりの黄色と黒の毛並みの虎精の少女がいた。大きな金の瞳が、美しい。

「遅かったな」
ニコリと少女が笑う。

「西寧様?」

「化粧をしたら、それなりの女に見えるだろ?まだ十四歳で良かった。これ以上デカかったら、肩幅やら喉仏やらで、変装が大変だった。この姿で、葉居の屋敷にも潜入したんだ」

 西寧が、クルクル回る。可愛い。普段の生意気な態度で、そう見たことはなかったが、化粧をしてみれば、西寧は、相当可愛い顔をしていることが分かる。

「しかし、毛色や肌の色を変える必要はなかったのではないですか? 化粧だけで十分可愛いです」

 西寧が、キョトンとする。

「お前に言われると照れるな。だが、これから、太政大臣の家に行く。黒い毛並みだと、俺とバレる」

「ん? 女に変装して、太政大臣の家に入るのですか」

 どこかに潜伏するための女装かと思った。紛れ込んで隙をうかがうのかと思っていた。

「そうだ。俺を逃がした葉居が、太政大臣に、お詫びとして、女を一人、工面して寄こしたことにする。太政大臣は、色好みで、そういうことが以前にも何回かあったと、町の女が言っていた。好みの女を探して、家に派遣するのだそうだ。まあ、変態だな。葉居の息子の証言だと、俺の顔は、太政大臣の好みに近いらしいのだ。壮羽は、その付き添いの男として、一緒に来てくれ」

 まさかの正面突破。表から理由を付けて堂々と入るための女装だった。

「それは、危険ではないですか」

「それ以外に、家に侵入して、確実に太政大臣に会う方法が思い浮かばん。俺じゃ、それは役不足か? 壮羽がその役だと、身長が高すぎて、変装が大変だろう?」

 その作戦を変更する気は西寧にはないらしい。『女を一人、工面』子どもの西寧に意味が分かって言っているのだろうか? 怪しい。だが、西寧のことだ。やってみて失敗しなければ、引きはしないだろう。

「分かりました。では、ナイフは肌身離さずお持ちください。私が危険だと判断すれば、引いて下さいね」

 壮羽の用意した衣装に着替えながら、西寧がコクコクと首を縦に振る。本当に聞いてくれるのだろうか。壮羽は、多難な前途に天を仰ぐ。

 太政大臣の家は、やたらと広い屋敷だった。通りを、塀がずっと取り囲んでいる。中は見えない。

「壮羽は、中に入ったことがあるのか?」

「はい。前の主について一度だけ。その時も、太政大臣に賄賂を持って行きました。息子の仕官のために、口をきいてもらうためだとか」

 壮羽の答えに、西寧がフウンと、答える。
 腐った政治。
 そのようなことを繰り返せば、国が細る。何故なら、賄賂を積んで入った無能な役人が増えて、有能な者は他所に流出するからだ。それでは、国の運営は、立ちいかなくなる。
 肥えるのは、大臣の個人の懐だけ。そういった日和見が上手い者を政治力がある者と勘違いを始めれば、その国は終わりだ。
 本当の政治力とは、民の心を汲み国の先々を見通し、必要なことを多くの壁を乗り越えて実現する力。大きな違いがある。

「ならば、壮羽。門番への説明は、お前に任せる。いいか? 目的は、二人で太政大臣の所に行くこと。五分話して無理ならば、撤退する」

「かしこまりました。上手く突破してみましょう」

 西寧の命令に、壮羽が策を練った。
 門番の男は、トカゲの精だった。虎精でない所をみると、異国から来た傭兵だろう。背の小さな、目玉がギョロギョロした男。長い舌が、時々チロチロと口からはみ出している。

「失礼いたします。大臣葉居の使いで参りました。この度の失態のお詫びにと、太政大臣様に女を一人ご試食いただきたいとのことです」

 先に立った壮羽が、門番に話しかける。丁寧なのに、汚い言葉。大臣と太政大臣の品位が疑われる言い回し。壮羽は、自分で言っていて、虫唾が走る。だが、表情には出さない。

「お前は、見たことあるな。確かに、葉居様の奴隷だ。……女か。見せてみろ」

 壮羽は、門番の前に乱暴に西寧を突き出す。西寧が頭からかぶっていた布を乱暴にはぎとる。西寧が、不安そうな顔で、門番に挨拶をする。

「若いな。美人だ。どれ……」

 門番が、西寧の腕を撫でまわす。西寧が、ビクッと震える。

「反応が初心でしょう? 水揚げ前の娘です。味見は、ご遠慮いただけますか? 太政大臣様に新鮮なままお楽しみ頂きたいので」

 壮羽の言葉に、門番が、卑猥な笑いを浮かべる。水揚げ? なんだろう。西寧の知らない言葉だった。知らないことは、どうしても気になる。

「あの……壮羽様。水揚げってなんですか?」

 小さな声で西寧が、おずおずと壮羽に聞けば、門番が、声をあげて嗤い出す。

「初心だな。そんなことも知らん娘か。これは、帰るときが楽しみだ。なあ、太政大臣の用事が済んだら、今度こそ俺にも味見をさせてくれ。水揚げが済んで、泣きはらしたままの娘を味わいたい。金は払う」

 刺し殺してやろうかと思うくらいに、壮羽は、ムカついている。だが、今は、この門を、何事もなく通り過ぎることが大切だ。ぐっと堪えて、ニコリと笑う。

「ええ。金さえ頂ければ、問題ないでしょう。では、後程。楽しみにお待ちください。以前、お伺いした時に、作法は心得ましたので、このまま、案内のお手間を取らせずに参ります」

 壮羽は、西寧に再び頭から布をかけて、乱暴に腕を引っ張って、太政大臣の屋敷の門を通り過ぎた。トカゲは、いつまでも、舐めまわすようにねっとりとした視線で、西寧を見ていた。

「なあ、水揚げってなんだ?」

 人のいない廊下で、西寧が壮羽に問う。

「あなた、そんなことも知らないで、よくこんな作戦を……。いいでしょう。お教えいたしますよ。意味が分かれば、あの門番の男の気持ち悪さが、いっそう身に染みましょう。水揚げとは、体を売る女が、初めて客を取ることです。男と寝ることですよ」

 壮羽が、ムッとしながら答える。西寧の顔が、みるみる赤くなる。これで、自分がどのような作戦を立ててしまったのか、理解したはずだ。無謀なことばかりする西寧には、良い薬だろうと、壮羽は思った。

「ね、寝る。あれか。分かるぞ! たぶん……。気持ち悪いな。あのトカゲ」

 西寧の金の瞳が、動揺して涙で潤んでいる。さて、これで怯えて、帰ると言いだすだろうか。ならば、今度は、この屋敷から、忍んで出る方法を考えなければなるまい。壮羽が、逃走の算段を始める。

「やたら気持ち悪い思考だが、理解した。門番があの考えならば、太政大臣も似たような物かも知れんな。よし、これでまた、駆け引きの材料が出来た」

 西寧のやる気は、おさまらないらしい。壮羽は、ため息をついて、向こう見ずな主をどのように守ればいいかと、悩んだ。

 太政大臣がいる部屋の前。壮羽は、扉の前で、声を掛ける。

「太政大臣様。失礼いたします。葉居の使いで参りました。主の葉居から、太政大臣様に失礼をしたお詫びの品として、新鮮な娘をお持ちいたしております。一目ご覧いただき、その憐憫に預かれるかご判断いただきたい所存でございます」

 扉の向こうから、すぐに返事はない。そのまま、壮羽と西寧は、待つ。いつものことだった。権力を無駄に誇示するためか、いつも返事は遅い。扉の前で、自分に頭を下げる連中が、返答を待ってやきもきしている様子を楽しんでいるのだろう。悪趣味だ。

「まあ、扉を開けて、女をみせろ」

 憮然とした声が聞こえてくる。壮羽は、声の指示通りに、扉を少し開けて、西寧を中から見えるように立たせる。西寧が、自分から布を取って、中を見る。広い部屋。その真ん中に、虎精の中年男が、座っている。
 腹の出た男が、先ほどのトカゲに似た笑いを浮かべて、西寧を品定めしている。あれが、太政大臣なのだろう。さきほど潤んだままの、大きな金の瞳で太政大臣をみれば、気に入ったのか、舌なめずりをしている。

「なるほど、新鮮そうだ。水揚げ前か? 初心そうだ」

「さすがお目が高い。仰る通りでございます。物事の造詣の深い太政大臣様に水揚げをお願いしたいとのことです。どうか、部屋にいれていただけませんでしょうか。主人から伝言も言付かっております」

 壮羽の嘘に、太政大臣から、よし、と許可が下りる。よっぽど西寧を気に入ったのだろう。部屋に二人が入る。壮羽は、部屋に違和感がある。ただ広いだけの部屋。おかしい。以前来た時には、もっと装飾品が飾っていたと思うのだが。何かあったのだろうか。
 太政大臣が手招きをして、西寧を手元に呼び寄せる。西寧が、大人しく応じる。

「似ているな。あの女に。あの女の一族の者か? 若い娘を売るとは、ここまで落ちぶれたか。ふふ、気分がいいな。儂に少しも目を向けなかったあの女。似た女の水揚げを儂が行うのか」

 西寧を膝に向かい合わせになる形で座らせ、抱きしめて、首筋に擦りついて来る。西寧が、眉を顰める。

「あの、人が見ていますので。その……」

 西寧の言葉に、太政大臣は、まだ部屋の片隅に壮羽が侍していることを思い出す。

「まだ居ったか。気の利かん烏め」

 西寧の背に手を這わせ、首に吸い付きながら、太政大臣が壮羽を睨む。

「まだ、主の伝言がございますゆえ。お聞き届け頂けますでしょうか」

「何じゃ。手短に申せ」

「はい。先王の遺児、西寧様が、取引をしたいと申しております」

 壮羽の言葉に、太政大臣が目を剥く。気づけば、膝の上の女が、太政大臣の喉にナイフを突きつけている。

「太政大臣。儲け話を持って来てやったぞ。喜べ」

 西寧が、化粧を取ってニコリと笑う。化粧と共に、毛並を変える幻術の薬も取れている。黒い呪いの毛並み。亡き王妃に似た顔立ち。確かに、忌み、命を狙っていた西寧の姿が、自らの膝の上にあった。

「太政大臣。俺は、お前と取引をしに来た」

 西寧が、女の衣装のまま、ドカッと太政大臣の向いの席に座る。
 袋から、宝石を机にぶちまける。

「これの100倍は用意できる。手付だ。一部だけ持ってきた」

 大嘘だ。これが、西寧の今の全財産だ。

「はした金で何を取引しようと言うのだ。胡散臭い」

 太政大臣が、鼻で笑う。そう言いながらも、西寧がぶちまけた宝石を一つ一つ吟味している。どれも、西寧が、自分が生き残るために準備した本物。その質の高さに、太政大臣の眉が、ピクリと動く。

「は、手付と言っただろうが。俺に王座を寄こせ。そうすれば、お前の命を救ってやる。王家の血筋もお前の物になる」

 命乞いどころか、王座を寄こせと西寧は言った。壮羽は、西寧の言葉に驚いたが、面には出さず無表情で聞いていた。ここで壮羽が驚いてしまっては、太政大臣に足元を見られてしまう。できるだけ、さも当然のような顔をして立っているように努力する。

「アホな小僧だ。お前の命を握っているのは、俺だ!」

 太政大臣が高笑いをする。それに、西寧が大げさなため息をつく。

「アホはお前だ。今、妖魔軍が攻め入ろうとしている情報があるな。しかも、かなりの大軍だ。お前は、軍費を、軍人の権威を下げようと、かなり削った。その結果弱体化したことが、妖魔の国にばれた。だから、今回の進軍が始まった。この戦いに負ければ、青虎の国は、大変なことになる。勝っても、将軍たちは、お前の政治を批判して、反乱を起こすだろう。お前の命は、もはや風前の灯火だ。お前も、それが分かっているから、亡命の用意をしているのだろう?」

 西寧が、まくし立ててニヤリと笑う。
 図星だったのか、太政大臣が目をむく。なるほど、妙に部屋の中が片付いていると思ってはいたが、理由はそれか。壮羽は、部屋に入った時に感じた違和感の正体を知る。

「俺が、王座について全軍の指揮をとってやる。これで負ければ、敗戦の責任は、俺一人に擦り付けられる。勝ったならば、俺を王座につけた功績で、お前の地位は安定する。そうなれば、俺に、お前の血縁から正妃を立てろ。それで子どもが産まれれば、お前と王家が血縁になる。王家の血がやすやすと手に入る上に、難しい戦いで勝利した王の血縁となれば、将軍たちも文句を言いにくくなる。明日のわが身を想いながら他国で暮らすより良いだろ。太政大臣。俺を利用しろ。どう転んでもお前に損はない」

 西寧が続けた言葉に、太政大臣は考え込む。重い沈黙。当然だ。突拍子もない提案。じっくり考えれば考えるほど、綻びが目立つだろう。

「フフッ。こんな小僧が怖いか。太政大臣ともあろう者が。不都合が生じれば、その時始末すればいいだろう?」

 西寧が、太政大臣を煽る。沈黙は続く。

「分かった。俺は、他の者に話を持ち掛けるとしよう。交渉は決裂だ。壮羽! 帰るぞ!」

 西寧が、席を立って、机の上の宝石と金を回収しようと伸ばした西寧の手を、太政大臣が押さえる。壮羽は、緊張して懐の投げ針に手を伸ばす。

「待て。話を飲もう。王座は、一度くれてやる。自分の甘さを後悔して、戦場で死ね。小僧」

 太政大臣は、意地悪くニタリと笑った。
 こうして、西寧王は、太政大臣が探し出した先王の遺児として、太政大臣を後ろ盾とし玉座についた。
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