上 下
46 / 77
誘惑*縁*

1.

しおりを挟む
 穂乃花にホテルに誘われたのは、ごく自然な流れだった。
 向こうも本当の話をする気はないと思っているし、こっちもそれを分かっている。
 性交渉をするための口実だって、双方が理解している。

 だけど、生憎だったな。
 俺はそんなことをする気は、サラサラない。

「嬉しい、まさか海木くんがノッてくれるなんて」
「……そうかな」

 最近の高校生は、こうやってホテルに入っているのかと少し驚いたくらいで、それ以外の感想は何もない。
 これが思春期の男子だったら、もう鼻息荒く足早で向かうのだろうが……。

 でも、誘ってくれたのはラッキーだ。
 俺は本当に、この女に話があるのだから。

「さ、着いたよ」
「うん」

 部屋に入った途端、穂乃花は俺の体に抱き着く。
 ギュッと、次第に力を込めながら、自分の体を俺に押し付けた。

「ずっと、こうしたかったの……」

 こういう歯の浮くようなセリフに、本当に世の中の男子は落ちるのだろうか……。
 ゲッソリしながら、いいタイミングになるまで、彼女の好きにさせる。

「海木くん……」

 色気のある声をだしていた、かと思えば「ふふ」と笑い始めた。
 なんだ?

「ふふ、ごめんね。いやね、おねーちゃんの事を思い出してたの」
「真乃花の?」

「うん。だって――
 あの”やりたいことリスト”ってゆーの?もう傑作じゃん?」
「(ピクッ)」

 俺の言う「いいタイミング」というのは、この時だ。
 穂乃花が鶫下さんの悪口をいう時。
 この時を、待っていた――

「高3にもなって、あんな基本的な事もさせてもらえないなんて……私、ほーんとおねーちゃんがいてよかったって思ってるのよ」
「それは、身代わりって意味で?」

「そうそう。だって、おねーちゃんがいなかったらママの相手は私がしないといけないでしょ?そんなの真っ平ご免だわ」
「(なるほど)」

 穂乃花も、あの母の事は嫌っているのか。
 いつも一緒に鶫下さんをイジメていたから、てっきり仲が良いのかと思いきや……違うらしい。
 すると突然、穂乃花は笑っていた顔をやめて、ギリッと奥歯をかみしめるような音を出す。

「この前、ママが言ってたじゃん?娘二人が家を出たら、誰が私の相手をするんだーって。
 私、あれを聞いてゾッとしちゃったのよねぇ」
「なんで?」

「だって、もしおねーちゃんが家出でもしちゃったら、もう私しかいないじゃん。あの家に私とママの二人きり。
 そうなると、きっと結婚もさせてくれないし、嫁に行くなんて大反対だと思う」
「(それは、確かにな)」

 あの母親、普段は「ほのちゃん」なんて随分甘えさせているが、自分が窮地に陥った時は、迷わず手のひらを返すだろう。
 真乃花がいなくなれば、きっと次は、目の前にいる穂乃花だ。
 絶対に、離しはしない。嫁になんぞ、行かせないだろうな。

「でもね」

 はぁ、と憂う穂乃花。
 その視線は、俺にくぎ付けだった。

「あの時、海木くんママに反論してくれたでしょ?あれ、すっごくしびれちゃって……忘れられないの」
「(……あぁ、そういうことか)」

 そこまで聞いて納得がいく。
 どうして俺が穂乃花に呼び出されたのか――
 いわゆる、保険だ。

「穂乃花ね、海木くんがそばにいてくれたら心強いなって思うの。
 ママが私に変なことを言ってきても、この前みたいに海木くんが言い返してくれたら……穂乃花、すごく嬉しい」
「ようするに、ボディーガードをやれって?」
「えー違うよぉ」

 口では否定はするが、顔は肯定している。
 薄ら笑みから、彼女のあくどい本音が漏れていた。

「付き合おうって言ってんの。
 ほら、海木くんカッコいいでしょ?
 私……ずっと前からタイプだなって思ってたんだぁ」
「(嘘八百だな)」

 いい加減、芝居するのも面倒になってきた。
 俺は彼女の肩を持って、グイッと突き離す。

「え」

 穂乃花の顔は、衝撃を受けて固まっていた。

「悪いけど、断るよ。
 仮に俺と付き合ったとしても、穂乃花は違う人を好きになるよ。
 そして二股をする。賭けてもいい」
「そんな……!
 ひどい、どうしてそんな事をいうの……っ?」

 泣くフリも板についたもんだ。
 困った時は、いつもそうやって周りを頼っていたんだな。
 いつも他力本願。
 そして嫌な事は、丸ごと鶫下さんに放り投げていた。

 俺はそれが、ひどく許せない――
しおりを挟む

処理中です...