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指切り

2.

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「鶫下さん?大丈夫ですか?」
「え、うん……」

 しゃがんで、私の心配をしてくれるセンセー。
 私は、私は――

「~っ!」

 ギュッ

 近づいてくれたセンセーに、思わず抱き着いてしまった。

「鶫下さん……?」
「ごめん、センセー。ごめん……っ」

 こんな私でごめん。
 不出来な生徒でごめん。
 最後の最後まで、センセーに迷惑をかけるような生徒でごめん。
 もうセンセーに想いを寄せないって決めてたのに。
 最後は潔くお別れするつもりだったのに……抱き着くなんて。
 馬鹿だなぁ私、こんな事したってかえって傷つくだけなのに。
 センセーを困らせるだけなのに。
 私は、なんて出来損ないの生徒なんだ。

「ごめん、ごめんな……っ」

 でも、これが最後だから。
 センセーとの、最後の時間だから。

「(そうだよな?センセー)」

 私には分かってしまう。
 昨日から、センセーの事は何でもわかっちまうんだよ。

「(もう……行っちまうんだろ?)」

 これからは大樹くんとともに――とか言って、あっさり消えちゃうんだろ?
 そんなこと、百もお見通しなんだよ。
 そんなこと言われなくても、センセーの顔みりゃ分かんだよ
 横顔だけで悟れるんだよ。
 なめんなよセンセー。
 私だって、伊達にセンセーの事を好きだったわけじゃねんだよ。

「バカ野郎……センセーのバカ野郎……」
「……すみません」

 私が責めて、センセーに謝ってもらって。
 そしてまた責めて、センセーは呆れもせずに、また謝った。
 いつもよりも優しく、受け身な態度のセンセー。
 そんなセンセーを見ると、センセーと過ごす時間が本当に僅かなのだと知る。

「(最後だからって、そんなに優しくすんなよな……)」

 ふと、センセーを見る。
 するとセンセーは眉一つ動かさずに、私を見つめていた。

「やっぱり、大人は嫌いだ……」
「じゃあ私も、もれなく嫌われていますね」

 私は頷く。

「大人はそうやって飄々とした顔で、人を平気で傷つける言葉を吐く。だから、嫌いだ」
「……そうですか」

「うん、嫌い」

 センセーは、もう謝らなかった。
 毅然とした態度で、教室で見るような眼差しで私を見る。

 それは教師の目。
 そして、そんなセンセーの目に映る私は――生徒だ。
 ただの生徒。

「……っ」

 その瞳を見て、自ずと、私の背筋が伸びた。
 センセーの目が訴えている。

 しっかりしろ。ここが正念場だぞって、そう私に言っている。

「(そうだよな……頑張らなくちゃな……)」

 いつまでも、センセーを責めてばかりじゃダメだ。
 ちゃんとお別れをしないと、私に禍根が残る。
 悲しみが心の深部にまで達してしまう。
 そうすると私は――大樹を失った時と同じように、また立ち直れなくなってしまう。

「(繰り返すなって、そう言ってくれてんだろ?
 分かってるよ……ちゃんと、分かってんだよ。センセー)」

 だから、見とけよな――

 すうーと深呼吸をする。
 座ったまま、背筋を伸ばしてセンセーを見た。

「私、昨日――大樹との記憶が蘇ったよ。
 私は大樹と離れるまでの間ずっと、大樹に守られて生きて来た。
 そして、再会できた今、私はまた、大樹に守られながら生きていくと思う」
「そうですか、大樹くんの記憶が戻って良かったです」

「うん。今まで守られてきた分、今度は私も大樹を守るよ。
 そうしてお互い、支え合って生きていく」
「素敵ですね」

「……そうだな」

 笑いながら、自分の体に鞭を打って立ち上がる。
 いまなら、出来そうな気がした。

「(今までで、一番悲しいお芝居の始まりだ――)」

 センセーを見送るためのお芝居。
 自分のためじゃない、センセーのためのお芝居。

 これは餞別。
 センセーへの手向け言葉。

「センセー、あのね」
「はい」

 気づけば、センセーは私の隣に立っていた。
 二人の姿を、朝日が包み込もうとしている。


夜明けだ――


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