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さぁ授業を始めます*縁*

1.

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「ここは……」

 鶫下さんと最後の別れをしてからしばらくして、俺は目を覚ます。
 服は白い和服を着ていて、ここがすぐに「あの世」と呼ばれる場所だと分かった。

「感覚はあるのか」

 地面を歩く感覚。
 手をすり合わせる感覚。

「まるで生きているみたいだな」

 白い服に似合う、白い世界。
 だけど、この世界には人が疎らに歩いていた。
 皆どこを目指しているのかは分からないけど、屋台のように所々お店が建っている。

「よく分からない世界だな……。俺は今、何をしたらいいんだ?」

 訳が分からなくなっていると、ドサッと俺の足元に何かが落ちて来た。
 拾い上げると、思わず感嘆の声が出る。

「おぉ、これは古典の教科書!懐かしいなぁ」

 あとはメガネに、地図もある……。
 メガネは俺のデフォルトだからか、こんな世界にまでついてくるとは……。

「まあ、かけるけど」

 スチャ、と装着する。
 伊達メガネなのか、景色の見方は変わらなかった。だけど落ち着く。
 教科書を持てば、うん。いつもの俺だ。

「ん?」

 すると、足元に小さな女の子が来て止まった。
 まだ三歳くらいの、小さな子だ。

「それ、なぁに?」

 教科書を指さして、不思議そうにする女の子。
 俺は職業柄、反射的に屈んで視線を合わせる。
 子供と話すのは、嫌いじゃない。

「これはお勉強するためのものですよ」
「おべんきょう?」

「あなたには、まだ早いかもしれませんが」

 ニコッと笑うと、女の子のプライドを傷つけたのか頬を大きく膨らませた。

「かして」
「え」

「いーから!かして!」
「えぇ……」

 今までの教師人生で培ってきた自信が、ボロボロと崩れ去る。
 教員ってのは、子供の扱い方が上手ってことじゃないのかよ……。

「や、破らないでくださいね……!?」
「はいはーい」

「(話半分!)」

 聞いているのか、いないのか……女の子は、夢中で教科書をめくり始めた。

「(小さい手だな……まだ幼いだろうに)」

 この世界にいるってことは、死んでしまったってことだよな?
 古典の面白さを知らないままなんて……可哀そうだ。

「(よし)」

 あることを決めて、女の子から教科書を取り上げる。

 バサッ

「あ、かえしてー!」

 当然、女の子は嫌がったが、俺は近くにあった小さな椅子を持ってきて、そこへ彼女を座らせる。
 そしてメガネをかけ直して、いざ――授業だ。

「では、これからお勉強を始めます」
「お、べんきょ?」

「そうです。私が先生で、あなたが生徒です。いいですか?」

 すると女の子は、きっと訳が分かっていないだろうに、満面の笑みでこう答えた。

「はい!センセー!」
「!」

 瞬間、この子ではない「彼女」の声が思い出される。


――センセー、縁センセー!


「(ふっ)」

 思えば鶫下さんも、この小さな女の子のように、いつも騒々しく、そしていつも一生懸命に前を向いていた。
 ついさっきまで一緒にいた気がするのに、もう随分、遠い昔の事のように思える。

「センセー?どうしたのー?」
「いえ、何でもありませんよ」

 では――と女の子に教科書を渡すと、ポイと投げ出される。

 え?

「センセー、この絵本、つまんない」
「つ、つまんない!?」

 しょ、衝撃だ……そんな事を言われるなんて……。
 古典の面白さをぜひとも知ってほしくて授業を始めたのに、女の子はどこ吹く風であたりを見回した。
 そして、

「あたし、これがいー!」

 拾い上げたのは、さっき教科書と一緒に現れた地図だ。
 地図をめくってみると、日本でも世界でもない場所が描かれている。
 これは、どこだろう?

「わー!すてきー!」
「素敵?これが?」

「かわいい!もよう!」
「あぁ、地図を模様だと思っているんですね」

 古典のことは諦めて、女の子に地図のマークを説明した。

「これが……うさぎで、これが、クマで……」

 といっても、本来の地図記号は何も書かれていなくて、動物の絵がかいてあるだけだ。
 だけど、女の子にはちょうど良かったらしい。目を輝かせて聞いていた。

「ここにいけば、うさぎさん、あえるの!?」
「え、うーん……そうですねぇ。たぶん、そういうことです」

 でも、どこだよ。ここ……。
 俺が頭を悩ませていると、女の子は椅子からおりて俺の腕に抱き着いた。

 ドン

「おぅ!?」

 小さい体の割に、案外に強い力。
 寸でのところでもちこたえ、転倒を阻止した。

「どうしたんですか?」
「うん、あのね……」

 腕に抱き着いたまま、モジモジとする女の子。
 何をいうかと思いきや……
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