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さぁ授業を始めます*縁*

2.

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「いっしょに、りょこー、いこ?」
「!」

――私絶対、センセーとまた会うからな!
――また、地図を買って……今度は、旅行しよ

 また、頭の中で鶫下さんの記憶が蘇る。
 そう言えば、彼女もそんな事を言っていた。
 懐かしいなぁ。

 無意識のうちに、女の子の頭をなでなでと撫でていた俺。
「ふふーん」と、なぜか女の子が得意げに笑ったのを見て、俺の中で「あること」が決まった。

 それは突拍子もない話。
 だけど、叶えてみたい、未来の話。

「提案なのですが――私と一緒に旅行しますか?」
「え、うん!するするー!」

「でも、今旅行するんじゃありませんよ?」
「え、ケチー」

 女の子は、また頬を膨らませる。
 俺は人差し指で彼女の頬を押し、プシューと空気を抜いた。

「ここは天国ですからねぇ。もう一度生まれ変わったら、その時に私と一緒に旅行をしましょう」
「てんごく?うまれかわり?」

「はい。旅行好きな家族のもとへ生まれ、たくさんの場所へ行くのです」
「そうしたら、たのしい?」

「もちろん」

 女の子の頭を撫でる。
 女の子は、気持ちよさそうに目を細めた。

「じゃあ、そのときはセンセーもいっしょにね!」
「はい。生まれ変わった時に、一緒に旅行をしましょう」

「やくそくー!」
「約束です」

 女の子と指切りをする。
 どこまでも鶫下さんが透けて見えてきて、思わず笑いがこみあげた。

「センセー?」
「ふふ、いえ。何でもありませんよ」

 すると、その時――
 俺と女の子の目の前に、鏡のようなものが現れる。
 そこに反射して俺たちが写るのかと思いきや、映し出されたのはなんと、鶫下さんだった。

「え!?」

 状況を見るに、彼女は自分の家にいて……なんだ?荷物を持っている?あれは自分の荷物?
 少しだけ見方を変えると、玄関の方に大樹くんがいた。そして鶫下さんに今にも掴みかかろうとする母親の姿――
 母親の今まで見た事のない必死な形相に、全てが納得いった。

 今この瞬間、鶫下さんは、あの家を出ようとしているのだと――

「鶫下さん、がんばれ……!」

 思わず、手に汗を握る。
 彼女の必死な顔は、俺の心臓をもドクドクと大きな音をさせて動かした。

「センセー?」
「……っ!」

 俺が何も言わず鏡を見ていたから、女の子の問いに答えられずにいた。
 だって、目の前で鶫下さんが頑張っていて……応援したい。
 家を出るという夢を絶対に叶えて欲しい。
 母親からの拘束に負けないで欲しい。

 いつか彼女が、

――センセーが浮遊霊なら私は地縛霊だ。離れられないんだよ。この家から、母親から

 と、悲しそうに言ったことを覚えている。
 鶫下さんは今、あの家からの、母からの呪縛を、自ら解き放とうとしている。

 決別――

 それは彼女にとって、絶対に必要な事だった。誰かに邪魔されるなんて、あってはならない。

 だけど、鏡を見ていた女の子が「あ」と言って指をさした。
 何かと思いきや……

「あ、穂乃果!?」

 母親と挟み撃ちをするようにして、妹の穂乃果が階段から降りてきた。
 一気に青ざめた顔をした鶫下さん。どう逃げようかと、必死に策を練っているらしかった。

「このままでは危ない……」
「あぶない?」

「捕まっちゃダメなんだ……っ」
「ふーん?」

 焦る俺とは反対に、呑気な声を出す女の子。
 すると何の前触れもなく「えい」と言ったかと思いきや、鏡の中に手を突っ込んだ。

「え……えぇ!?」

 それ、手を突っ込めるのか!?

 ズブズブと女の子の腕を飲み込んだ鏡。
 女の子は怖がるのかと思いきや、飲まれる感触が楽しいのか「キャッキャッ」といい顔で笑っていた。

「センセーみてー!かがみのなかに、てがはいっちゃったー!」

 苦笑しながら見ていた俺だが、いや、ちょっと待てよ。
 これ、女の子の手が、向こうの世界に行ったって事か?
 鶫下さん達には、女の子の手が見えてしまうんじゃ……?

 そう危惧していた時だった。
 女の子は、また何の前触れもなく「えい」と言った。
 そして女の子の手の一時番近くに写っていた穂乃果の体をガシッと掴む。

「……え!?」

 ガシッと、掴む!?

「センセーみてこれー!つかめたー!」
「わ、わわわ!こら、おやめなさい!」

 焦って女の子の手をグイッと引っ張ると、連動するように、鏡の中で穂乃果が鶫下さんから後退していった。
 どうやら、まだ女の子が穂乃果を握っていたらしい。俺は慌てて、離すよう促した。

「そんな汚いモノに触るんじゃありません!ポイしなさい、ポイ!」
「え!これきたないのー!?」

「言葉のあやです!」

 すると女のコは、途端に手を離して、穂乃果を言葉通りにポイッと離した。

「ふぅ~……あなたケガは?」
「ないよー!」

「そうですか、良かった……」

 しかし現実世界を掻き回してしまったけど、大丈夫か――?
 女の子の手が何ともなっていないことを目で確認して、急いで鏡の中へ目を向ける。
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