8 / 9
8話 老人
しおりを挟む
「山口さん、本当にお久しぶり。10年ぶりぐらいじゃないの。まあ、座って。お元気じゃない。」
「ああ、そのぐらいになるかな。もう70歳だしね。昨晩、このお店にきたらいいことがあるという夢をみて、来てみたんだ。」
現役時代はダンディーな姿だったらしいけど、引退後も上品さは変わらない。
ネクタイとポケットチーフとの色も合わせている。
ママから、今夜は、この人の横に座るよう指示を受けていた。
「そうなのね。ちょうどいい子がいるわよ。乙葉、今夜は、このお客様をよろしく。」
「乙葉です。3年ぐらい前にこのお店にきました。」
「そうなんだ。じゃあ、私のことは知らないね。でも、美人じゃないか。」
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします。」
「私は、クレバグループの会長をしている、70歳のお爺さんだ。」
70歳には見えない若さがあるものの、手は皺とシミに覆われている。
顔には厳しい戦いを乗り越えてきた険しさが刻まれている。
よほど、多くの苦労の上に今の地位があるにちがいない。
ママがロイヤルサルート21年物を持ってきた。
アイスだけだから、ロックで飲まれるのね。
「ウィスキーはロックでよろしいでしょうか。」
「さすが、この店の子は、よく教育されているね。何も言わないのに、わかるんだ。じゃあ、よろしく。乙葉さんでしたっけ。あなたも飲んだら?」
グラスをおじい様の前に置く。
「では、私もいただきます。では、初めまして。よろしくお願いいたします。」
「こちらこそ。」
「このウイスキーは美味しいんですね。初めていただきます。」
「ああ、ロイヤルサルートは一番好きなウイスキーだ。」
グラスの中で、アイスが転がる音がした。
「そういえば、あの日本を代表する一流企業のクレバですか? しかも、その会長なんて、すごい。」
「最初は、それほど大きな会社じゃなかったんだよ。時流に乗っただけかな。」
「ご謙遜を。でも、そんなビックな会社の会長だと、東京生まれのお坊ちゃまで、東大出なんて感じですかね。」
「いや、大学も出ていないし、田舎で育ったんだ。深津なんてところ知らないだろう。」
「え、深津ですか。あの嵩地の近くの。」
いきなり、深津の地名が出てきて、私の顔に驚きの表情が出ていたんだと思う。
そんな私を見て、より親しげに話しを続ける。
「知っているのかね。どうして、お嬢さんがそんな田舎を知ってるんだ?」
「8年ぐらい前に働いていた会社が、そこに拠点があって、工場のシステム開発要員として派遣されていたんです。」
「そうなんだ。それは奇遇だね。これからも、会いに来ていいかい。」
「もちろんですよ。どうして、そんなことを聞くんですか。好きな時に来ればいいのに。」
「私は、成功と犠牲に、女性とは関係が持てないという呪いをかけられているんだ。ある女性を好きになっても、そのとたん、相手は去っていくというか、交際できないんだ。」
「成功と犠牲?」
「お嬢さんに話しても信じないと思うけど、深津で出会った占い師の老婆がいてね。」
深津の占い師の老婆、あの人のことだろうか。
「若いころ私は、のし上がりたかったけど、どうしていいかわからずに田舎にくすぶっていた。そんなとき、占い師の老婆と出会い、日本経済の頂点に立たせてやるといったんだ。ただ、そんな話しなんて信じられないだろう。その老婆を笑いとばしたんだ。そうすると、老婆は、条件があるという。今後、女性とは、どんなに好きになっても気持ちを通わせることは諦めなければいけないというんだ。」
「それで?」
「老婆の言葉なんて信じていなかったし、お金をいっぱい持っていれば、女性なんて自然に集まってくると思ったから、冗談で、その条件でお願いすると言ったんだ。それからというもの、老婆の言葉のとおり、成功を重ね、日本経済の頂点に立つことができた。」
「願いがかなったんですね。」
「でも、いくらお金を貯めても、楽しい時、苦しい時を一緒に過ごせる伴侶がいない生活は味気がないものだった。」
私と似ているようで、似ていない。私には条件が付けられていない
相手によって、何か違うのかしら。
「それでは、成功することの意味がないんだと気づいたんだ。女性を支え、支えられることでやりがいを得る、子供を作り、プライベートでの生活を充実させる、そういうことができる周りの同年齢の男性が羨ましかった。」
私もずっと1人だから気持ちはわかる。
「私から声をかけたら、女性は実家の都合とかで去っていく、人によっては交通事故で亡くなった人もいた。あなたも同じなんだと思う。私は、そういう呪いに縛られているんだ。でも、信じてくれないよね。」
「信じます。老婆って、右目の下にほくろがあって、左手の小指がない人ではないですか?」
「知っているのか? その通りだ。どうして?」
「ええ、実は私は、その老婆に女性に変えられたんです。」
私は、これまでのことを全て話した。
おじいさんは、疑うことなく、ただ頷いていた。
「同じ人がいたとは。ただ、あなたには条件は付けられなかったんだね。それは不可解だが、同じ老婆の仕業だと思う。今日、ここに来たのも、意味があるのだと思う。どうだね。今度、一緒に深津に行って、老婆を探してみないか?」
「是非、ご一緒させてください。ただ、昔、探したことがあるんですが、見つかりませんでした。今回も無理かもしれませんね。」
「やる前に諦めることは良くない。今週末の金曜日ではどうかね?」
「わかりました。東京駅から朝10時発の新幹線に乗りましょう。私の連絡先はこちらです。」
「新幹線の座席は私が予約しよう。座席の番号は私から連絡する。私の連絡先はこちらだ。」
「よろしくお願いします。」
さっきまで人生に落胆していた老人が、明るい顔で活き活きと語る。
だらりと垂れた手には力が入り、顔からは、かつてのオーラがはじける。
私の顔を見つめ、唾を飛ばしながら、自分の昔を語り続けていた。
これは単なる偶然じゃない。
老人の力強い話しを聞いて、今回こそは、老婆が見つかる気がした。
ママは、おじいさんと盛り上がっている私の様子を見て満足そうに見守っていた。
「ああ、そのぐらいになるかな。もう70歳だしね。昨晩、このお店にきたらいいことがあるという夢をみて、来てみたんだ。」
現役時代はダンディーな姿だったらしいけど、引退後も上品さは変わらない。
ネクタイとポケットチーフとの色も合わせている。
ママから、今夜は、この人の横に座るよう指示を受けていた。
「そうなのね。ちょうどいい子がいるわよ。乙葉、今夜は、このお客様をよろしく。」
「乙葉です。3年ぐらい前にこのお店にきました。」
「そうなんだ。じゃあ、私のことは知らないね。でも、美人じゃないか。」
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします。」
「私は、クレバグループの会長をしている、70歳のお爺さんだ。」
70歳には見えない若さがあるものの、手は皺とシミに覆われている。
顔には厳しい戦いを乗り越えてきた険しさが刻まれている。
よほど、多くの苦労の上に今の地位があるにちがいない。
ママがロイヤルサルート21年物を持ってきた。
アイスだけだから、ロックで飲まれるのね。
「ウィスキーはロックでよろしいでしょうか。」
「さすが、この店の子は、よく教育されているね。何も言わないのに、わかるんだ。じゃあ、よろしく。乙葉さんでしたっけ。あなたも飲んだら?」
グラスをおじい様の前に置く。
「では、私もいただきます。では、初めまして。よろしくお願いいたします。」
「こちらこそ。」
「このウイスキーは美味しいんですね。初めていただきます。」
「ああ、ロイヤルサルートは一番好きなウイスキーだ。」
グラスの中で、アイスが転がる音がした。
「そういえば、あの日本を代表する一流企業のクレバですか? しかも、その会長なんて、すごい。」
「最初は、それほど大きな会社じゃなかったんだよ。時流に乗っただけかな。」
「ご謙遜を。でも、そんなビックな会社の会長だと、東京生まれのお坊ちゃまで、東大出なんて感じですかね。」
「いや、大学も出ていないし、田舎で育ったんだ。深津なんてところ知らないだろう。」
「え、深津ですか。あの嵩地の近くの。」
いきなり、深津の地名が出てきて、私の顔に驚きの表情が出ていたんだと思う。
そんな私を見て、より親しげに話しを続ける。
「知っているのかね。どうして、お嬢さんがそんな田舎を知ってるんだ?」
「8年ぐらい前に働いていた会社が、そこに拠点があって、工場のシステム開発要員として派遣されていたんです。」
「そうなんだ。それは奇遇だね。これからも、会いに来ていいかい。」
「もちろんですよ。どうして、そんなことを聞くんですか。好きな時に来ればいいのに。」
「私は、成功と犠牲に、女性とは関係が持てないという呪いをかけられているんだ。ある女性を好きになっても、そのとたん、相手は去っていくというか、交際できないんだ。」
「成功と犠牲?」
「お嬢さんに話しても信じないと思うけど、深津で出会った占い師の老婆がいてね。」
深津の占い師の老婆、あの人のことだろうか。
「若いころ私は、のし上がりたかったけど、どうしていいかわからずに田舎にくすぶっていた。そんなとき、占い師の老婆と出会い、日本経済の頂点に立たせてやるといったんだ。ただ、そんな話しなんて信じられないだろう。その老婆を笑いとばしたんだ。そうすると、老婆は、条件があるという。今後、女性とは、どんなに好きになっても気持ちを通わせることは諦めなければいけないというんだ。」
「それで?」
「老婆の言葉なんて信じていなかったし、お金をいっぱい持っていれば、女性なんて自然に集まってくると思ったから、冗談で、その条件でお願いすると言ったんだ。それからというもの、老婆の言葉のとおり、成功を重ね、日本経済の頂点に立つことができた。」
「願いがかなったんですね。」
「でも、いくらお金を貯めても、楽しい時、苦しい時を一緒に過ごせる伴侶がいない生活は味気がないものだった。」
私と似ているようで、似ていない。私には条件が付けられていない
相手によって、何か違うのかしら。
「それでは、成功することの意味がないんだと気づいたんだ。女性を支え、支えられることでやりがいを得る、子供を作り、プライベートでの生活を充実させる、そういうことができる周りの同年齢の男性が羨ましかった。」
私もずっと1人だから気持ちはわかる。
「私から声をかけたら、女性は実家の都合とかで去っていく、人によっては交通事故で亡くなった人もいた。あなたも同じなんだと思う。私は、そういう呪いに縛られているんだ。でも、信じてくれないよね。」
「信じます。老婆って、右目の下にほくろがあって、左手の小指がない人ではないですか?」
「知っているのか? その通りだ。どうして?」
「ええ、実は私は、その老婆に女性に変えられたんです。」
私は、これまでのことを全て話した。
おじいさんは、疑うことなく、ただ頷いていた。
「同じ人がいたとは。ただ、あなたには条件は付けられなかったんだね。それは不可解だが、同じ老婆の仕業だと思う。今日、ここに来たのも、意味があるのだと思う。どうだね。今度、一緒に深津に行って、老婆を探してみないか?」
「是非、ご一緒させてください。ただ、昔、探したことがあるんですが、見つかりませんでした。今回も無理かもしれませんね。」
「やる前に諦めることは良くない。今週末の金曜日ではどうかね?」
「わかりました。東京駅から朝10時発の新幹線に乗りましょう。私の連絡先はこちらです。」
「新幹線の座席は私が予約しよう。座席の番号は私から連絡する。私の連絡先はこちらだ。」
「よろしくお願いします。」
さっきまで人生に落胆していた老人が、明るい顔で活き活きと語る。
だらりと垂れた手には力が入り、顔からは、かつてのオーラがはじける。
私の顔を見つめ、唾を飛ばしながら、自分の昔を語り続けていた。
これは単なる偶然じゃない。
老人の力強い話しを聞いて、今回こそは、老婆が見つかる気がした。
ママは、おじいさんと盛り上がっている私の様子を見て満足そうに見守っていた。
3
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる