地球を殺すと決めた、地球で恋に落ちた

松藤かるり

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 願いが一つだけ叶えられるとしたら。
 その問いかけに浮かんだ答えは、宝くじに当たるなんてありきたりなものではなく、幸せと程遠い願いだった。

「……明日が来なければいいのに」

 わがままな願いごと。叶うわけがないとわかっていて、私はそう答えた。
 この問いかけをしたのは目の前にいる不思議な生き物だった。四つ足で、白い体毛で覆われている。猫のような顔つきをしているけれど耳は長くて、一見すれば兎にも見える。しかし尻尾は白くもふもふと大きくて、猫や兎のものとは程遠い。どちらかといえば狐の尾だ。何度もこの公園にきたことはあるが、この不思議な生き物を一度でも見ていたら記憶に焼き付いていただろう。ましてや喋るのだ。どんな鳴き声かと思えば、私にもわかる言葉を発したのだ。最初はとても驚いた。
 不思議な生き物をいったん白猫と名付けておくとして。その白猫は馬鹿な願いごとを嗤うことなく、平然と受け止めていた。私と出会って「願いが一つだけ叶えられるとしたら」と聞いた時みたいに淡々と言う。

「明日が来なければいい。それは君が死にたいと思っているということか」
「かもしれない、けど」

 頭に浮かんだのは自分の死だけではなかった。私だけの明日を奪いたいのではない。この願いはもっとどす黒くて、私が抱えてきた辛さや孤独が渦巻いている。私が死んでしまえば残された家族は悲しむだろう。私を虐げてきた人たちは嗤うだろう。そんなの、嫌だ。

 結局復讐なのかもしれない。わがままで可愛らしい言葉に隠されているのは怨恨だ。私は嫌いな人たちがいる。嫌いな場所がある。全てが消えてしまえばいいと願っている。

「いや、いい。言わずともわかる。君が思い浮かべていること、僕にはわかる」

 白猫はそう言って、長くてふさふさとした尾を揺らした。

「願いを叶えよう。君、いや君たちの明日を奪う。地球を殺そう」
「地球を? そんなことできるわけないよ」
「できるともできるとも。少しばかりの準備が必要だから――そうだね、君の誕生日がくる前には」

 私の誕生日は九月の頭。つまり、この白猫は夏休みの終了と共に地球を終わらせると言っているのだ。今は冬だから、半年と数か月先になる。不思議な生き物と話していることさえおかしいのに、地球を殺すなんてもっとおかしな話。本当にできるわけがない。

「できるよ。僕はできる。願いの生き物だから」

 まるで私の考えを読んでいたかのように白猫は言った。そして身を起こし、すらすらと歩きだした。

「これは夢でも何でもない。本当の話。君が願ったことを僕が叶える。この地球は夏休みが終わると共に殺される」

 白猫が去っていく。私はそれを追いかけるよりも先に自分の頬をつねっていた。これが夢かどうかを確かめる定番の行動。猫が喋ったり地球を殺すと言ったり、やっぱり夢だとしか思えないのだ。そう思って頬をつねったけれど、痛い。


 私にとっての学校は針のむしろだった。見渡せばそこにあるのはいじめという名の針地獄で、嫌なことばかり転がっている。
 眠る前に明日の平穏を願い、目が覚めてから朝を迎えることに絶望する。学校のない日曜日も心が休まることはなかった。スマートフォンに連絡が入るたびに体が硬直し、冷や汗が浮かぶ。毎日が、生きていることが、私にとって地獄のようだった。
 高校受験があるからと自分に言い聞かせて耐えてきたけれど、ついに限界を迎えたのが中学三年生の十二月だった。この時期ならば、学校に行かなくても許されないだろうか。たった数か月学校に行かなかったのは家で勉強したかったからと答えれば、大人たちに許されるのではないか。
 学校に行きたくないという話を両親にしたことはなかった。おそらく義務教育がどうのといった説教がはじまるのだろう。幸いにも両親は姉に夢中で、運動も勉強もそこそこしかできない私への関心は薄かった。学校に行くと告げて家を出れば、あとは公園にいようが町に隠れていようが両親は気づかない。

 不登校。その三文字を頭に浮かべながら、公園に隠れているのが私の生活となっていた。本を持ってきて読んだり、学校に行かない罪悪感から教科書を開いてみたりと好き勝手に過ごす。
 それが一週間続いて、今日。私は白猫と出会ったのだ。朝のホームルームが終わって一時間目がはじまるだろう時に、私が隠れていた土管を覗きこんだのがあの白猫だ。なぜか喋るし、変な願いごとを言う。でも夢ではない。たぶん。

「……何だったんだろう」

 土管を出て白猫を見送った後、私はあの願いごとを噛みしめていた。本当に地球を殺すのだろうか、私の願いが叶うのだろうか。
 だとすれば、残り時間は八月の終わりまで。あと半年と数か月で、地球も私も死ぬ。現実味のないふわふわとした話なのに、どうしてか信じてしまっていた。あの白猫が学校も嫌いな人たちも全部壊してくれる。どこにも行き場所がなく公園に隠れていた惨めな私に差し伸べられた救いの手のようだった。

「おい」

 白猫のことばかり考えていた私は、予想外の声にびくりと体を震わせた。おそるおそる振り返ればそこにいるのは、見たことのない男の子。いや、先輩だろうか。身長も高く、顔つきも大人っぽい。それに着ているのは高校の制服だ。

「お前、そこで何してんの? 学校は?」
「……あ、え、っと」

 この時間に誰かと会うのは初めてだった。公園が子供やお母さんたちで騒がしい時間になれば人気のない茂みに逃げたりと、人目を避ける工夫をしていた。それが白猫との遭遇によって気が緩んでいたのだ。私が着ているのは近所の中学の制服。これはまずい。学校に通報されてしまえば、両親にも話が伝わってしまう。
 男子高校生は鋭い視線をぶつけていて、それは不登校の私を蔑んでいるように感じた。逃げなければ。しかし、背を向けるも強く腕を引かれてしまったため逃走は失敗した。

「や、やめて。学校には言わないで」
「は? 学校?」

 腕は掴まれて振りほどけず、まさかこのまま中学校まで引きずられていくのかもしれない。そう思えば視界が滲んで泣きそうになる。土管から出たのが失敗だった。そう反省しても遅い。

「こっちに来い」
「やだ! 学校には行きたくない!」

 すると男子高校生はわざとらしく大きなため息をついた。

「話を聞け。ここじゃ誰かに見つかる。学校に行きたくないなら、いい隠れ場所があるから案内してやる」

 咄嗟に浮かんだのは、この男子高校生について行ったらどこかに連れ去られるという不安だった。でも見上げた男子高校生の表情は柔らかくて、私に向けるまなざしは学校で味わうことのない久しぶりに感じる温かなものだったから、信じてみたくなったのだ。

 公園の奥は人が立ち入りできないよう金網のフェンスが張られている。フェンスの先は急な上り坂となっていて、野放しになった木や草が鬱蒼と茂っていた。たまにやんちゃな子供たちがフェンスを越えて遊んでいるのを見かけたことはあるが、公園の遊具広場と違って遊び相手は自然しかない。虫に刺されたり、飽きて戻ってくることがほとんどだった。
 そのフェンスを男子高校生が悠々と上っていく。ガシャガシャと耳障りな金属の音を響かせて男子高校生の身長よりも高いフェンスをあっさり越える。

「上れるか?」
「……たぶん」

 男子高校生のように早くはできなかったけど、なんとか私も上ることができた。恐ろしいのは下りだった。金網の音と、その遠くで車の走る音が聞こえる。確認のため足元に視線をやれば、知っているはずの砂利の公園とは違う、湿った土の色が見えた。
 フェンスを越えると今度は草木をよけながらずいずいと坂を上っていく。一見すれば上りにくそうな場所だが、男子高校生はルートを知っているらしい。そこは土が階段のようにえぐれていて、私でも歩きやすくなっていた。
 きっと誰も来たがらない、そういう場所なのだろう。住宅街の外れにある公園の薄暗い部分。学校に行かないことよりも悪いことをしている気がした。

「よし。ついたぞ」
「わあ……すごい、町が綺麗」

 坂をのぼり終えると、薄暗い空気は一転し、見晴らしのいい景色が広がっていた。坂の下にある国道を走っていく車に、遠くの方には繁華街のビル。私のスニーカーが土で汚れてしまったことなんて忘れてしまうほど、開けて爽やかな景観。

「あんまりはしゃぐなよ。国道側の坂はもっと急だから、落ちたら怪我するぞ。一応国道側にもフェンスはあるけど、のぼるの大変だからな」
「気をつけるよ。ここが隠れ場所なの?」
「ここじゃ国道から丸見えだろ。隠れ場所はあっち」

 そう言って男子高校生は向かったのは、折れ曲がった木たちの間にある小さな場所だった。秘密基地と言うのだろうか、曲がった木を利用して上部には雨除けの木板が貼り付けられ、土汚れはあるものの古びたビニールシートも敷かれている。ベンチ代わりになりそうな丸太も二つ置いてあった。

「誰にも見つからない場所なんだ。十年前からここにある。
大人はもちろん他の子供だってこんなところ来ないから」
「それ、私が使っていいの?」

 木板やビニールシートといったものを見るに男子高校生がこの場所を作ったのだろう。それを初対面の私が使っていいのだろうか。怪訝な顔をする私に男子高校生は笑った。

「学校に行きたくないんだろ? だったら使ってもいい」
「……ありがとう」
「でも、虫は出るからな」
「それは大丈夫」
「珍しいな。女の子なら虫を嫌がるもんだろ」

 得意なわけではないが、虫が出たからと言ってきゃあきゃあ騒ぐことはない。かといって潰すことも躊躇われるし触りたいわけでもないので、紙や小枝に乗せて別の場所に移動させるだけだ。
 今の私にとっては、虫が出るということよりもこの環境がありがたかった。誰にも見つからないという言葉が嬉しくてたまらない。この場所に案内してくれた男子高校生が神様のように思えてしまう。

「じゃあ。俺は行くから」

 そう言って男子高校生は歩きだそうとしたが、神様が離れていってしまうようで寂しくて、私はつい引き止めてしまった。

「待って。まだ名前聞いてない」

 名前を聞くためだけに呼び止めた私に呆れるような、でも少し照れた顔をして、男子高校生は言った。

「俺は穂別ほべつ 耀よう
「耀、くん……?」
「たぶんお前の先輩だけどな。まあいいや。それでお前は?」
池田いけだ 華奈はな……です」

 それを聞いて男子高校生は笑った。それは眩しくて、きらきらと輝いていて、国道を走る車の音なんて聞こえなくなるぐらいに。

「華奈か。じゃあ、またな」

 そしてきらきらとしたものは去っていく。私を隠れ場所に残して。
 胸が苦しくて、耀くんがいなくなったことが寂しくて。ついさっきまで会っていたのに、顔を思いだそうとしても頭がぼんやりとしてしまう。
 しばらく経ってじわじわと湧いてくるのは、助けてもらったということ。この隠れ場所は私に差し伸べられた手。白猫とは違う、温かな救いだったのだ。顔が熱くて、十二月の寒さなんてわからなくなっていた。これを一目惚れと言うのなら、今なら信じる。私は耀くんにもう一度会いたい。お礼を伝えて、もっとお話をしてみたい。
 わかることは一つ。穂別耀という彼の名前と制服。それは偶然にも、私が受験しようと決めていた高校の男子制服だった。

 それは、恋だった。
 まるで夢のような地球を殺すという話。けれど耀くんとの出会いは夢であってほしくない。
 私の心に生まれたのはささやかな目標だ。あの高校に入って、耀くんに会う。明日を殺したかったはずなのに、明日が楽しみになってしまった。
 地球を殺すと決めた日、私は恋をした。
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