【完結】あなたにクズでいてほしい ~こちら滅び(予定)の国の兵士専用食堂配膳係~

空野 碧舟

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ここはまだ絶望の底

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「おい、帰るぞ」

 コツンと降ってきたげんこつは、シュテルンの体格や力から考えると羽毛を扇ぐほどの力加減だった。

「……あれ?」

「どこででも寝れるヤツだな」

 呆れたような声はあまりにもいつもどおりで、ナギは自身が今いる場所も思い出すのに時間が掛かった。

「あれ?」

 ナギが突っ伏して寝ていたのは、レドたちに取り調べを受けていたあの部屋の机だ。

 ——え? 私、いつの間に寝てた?

 顔を上げると、そこにはしゃがんだシュテルンの大きな顔があって、その奥にユトとトシェが立っているのが見えた。

 シュテルンは黒い軍服が似合うなとぼんやり思ったナギだったが、シュテルンに触れようとした手が動かない。

 ——あ……。

 ナギは自身の手が、後ろ手に拘束されたままであることを思い出した。慌ててキョロキョロと首を巡らしても、そこにレドたちサザミナメンバーの姿はない。

「な、んで?」

「おい、何で泣かされてんだ、ナギ」

 低い声が不機嫌なせいで、さらに低く響いた。

「縛られて、泣かされて? そんなプレイは俺とだってしたことないだろうが」

 眼の下を太い指がそっと辿る。ナギには見えないが、涙のあとが残っていたのだろう。言っていることはバカそのものだが、シュテルンの指は優しかった。

「帰るぞ」

「え?」

「連れて帰れってよ」

 ブチッと音がして手が楽になる。落ちたのは太い縄だ。いともたやすく素手で千切られたであろう縄に驚く間もなく、ナギはシュテルンの肩に担がれていた。

 そしてナギが「待って」と声を掛けたときにはもう、メランガのシュテルンの部屋に帰ってきてしまっていた。追ってユトとトシェが現れなかったのは、気を遣ったからだろうか。

「待ってって言ったのに……」

 二度と使いたくないと思った御守りの力を、ナギはまた使ってしまった。

 カズの指から無理矢理引き剥がされた爪。それを知って、ざまあみろと思わないのはなぜなのか。可哀想だと思うわけでもない。ただナギは虚しかった。

 ——私、これからどうやって生きていけばいいんだろう。

 これからどうなるのかではなく、ただ自身が向かう道を見失い、ナギは途方に暮れていた。

 担がれたままのシュテルンの背中に、力を抜いて顔を寄せると、硬い軍服を通してもシュテルンの熱が伝わって来た。その温もりを感じながら、ナギは自身のぶつけた悪意に崩れ落ちたレドの姿を思い出す。
 
 ——レドは、どうなるのかしら。

 ひどいことをした自覚はある。ナギがずっと囚われ続けた絶望の底に、レドを引きずりこんだ。そこにはきっと出口はない。

「……ねえ。私、何で帰れたの?」

 ラオン国の落下らっかさん。その能力の価値に鑑みれば、それを壊そうとしたナギに、何のおとがめもないなんてありえないだろう。

 さらにナギは王族であるレドに、不敬の限りを尽くした。

 床に降ろしたナギがその場に崩れ落ちそうになったところを、シュテルンは腰を抱え直して椅子に座らせる。それからシュテルンは、冷蔵庫から取り出した缶ビールを、ご丁寧にプルタブまで開けてナギの目の前に置いた。

「そりゃ、お前が落下らっかさんだからだろ」

「え? だってあっちの落下らっかさんは」

 「あんな目にあわされているのに」というナギの言葉を、シュテルンが鼻で笑う。ビールで喉を潤しながら、シュテルンもナギの向かいに腰を下ろした。

「ああ、そりゃ。お前はラオン国の所有物じゃないからな」

「……そ、っか」

 たったそれだけの違いで、片や人体実験のように使い道を調べられる「モノ」になり、片や自由を手に入れた。

「不公平ね」

 当たり前のことを呟いて、ナギはビールの缶をぐいっと傾けた。キュッと喉に刺激を与えて流れこむその苦味に、ナギは肩から力が抜けるのを感じた。

「一息吐いたらシャワーを使え。お前、臭うぞ」

「うん……」

 地下にこもっていた血の匂いを思い出して、ナギは身震いした。そして今もまだ、あの場所に囚われたままのカズ——カズだったモノを思う。

 ——殺してくれ……か。

 ナギが持ちこんだあの包丁が、もしもカズのほうに落ちていたら、カズは躊躇いなく自身を刺したのだろうか。

 ——じゃあ、あの奥さんと子供は?

 あのカズの姿を見れば、すでにそんなことを考えられる状態にないことは分かり切っている。それでもナギは、こみ上げてきた強い感情を抑えることができそうになかった。

「何を怒っている」

「怒ってなんかない」

「嘘つけ。全部顔に書いてある。このあいだは殺気を漲らせてたしな」

「はっ?」

「ラオン国で、標的は見つけたんだろう?」

 ニヤリと大きな口の端を上げて笑うシュテルンに驚いて、ナギの口も大きく開いた。

「で? 殺し損ねた標的はどうする? お前が殺れないなら、俺が代わりに殺ってやろうか」

 簡単にそう言ったシュテルンは、きっといとも簡単にそれを実行できるのだろう。

「……いらないわ」

「そうか?」

「もう、死んでたの。ラオン国の前王と現王弟が殺したのよ」

 カズが死んではいないことを知っているのか、シュテルンはどこか納得のいかない顔をしている。

「余計なことはしないで」

 釘を刺したナギに、シュテルンはあからさまに嫌そうな顔をした。

「まだ未練でもあるのか?」

「……え?」

「そいつは、お前にとって特別な男なんだろう?」

 ——未練?

 シュテルンの問いにすぐに答えられなかったのは、胸の中にある感情の正体が、確かに未練だと気がついたからだ。

「ああ……」

 ため息とともに零れた声に、シュテルンの舌打ちが重なる。なぜシュテルンが苛ついているのかは分からないが、ナギはモヤモヤしていた心の中が理解できて少しすっきりした。

 ——そうか、カズを殺して復讐を果たしたい。そのことに対する未練だ。

 それは本当は、復讐なんて綺麗なものではない。ナギの両親がそんなことを望んでいなかったことは、ナギが一番よく知っている。

 カズを殺そうとしていたのは、ただナギ自身の自己満足、自身が正気でいられるために作った、目標のようなものだった。
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