濡雨

ともえどん

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濡雨

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 頭上の傘が鳴ると、突然の雨が街を覆った。足下に白い円ができた。
「お前、なにやってんだあ」
 見上げると、マンションのベランダからムラカミが顔を出していた。サチコはにっこりと笑った。アイラインが、目尻の皺に染みた。
「あんたを待ってたんだよお」
「はあ?」
 首を傾げた。
「お家の熱帯魚、見せてくれるって約束したやろお」
 頭を抱えた。
「そんなん、方便に決まっとるやろがあ」
「せやかて、ひと月前には私のことを好き好き言うてくれてたやないのお」
「あれは、その場のノリじゃあ。酒の勢いだあ」
 サチコは少しだけ俯いた。すぐに上げた顔は泣いていた。
「私は本気にしたんだよお!」
 震える金切声を聞くと、ムラカミの顔が引っ込んだ。ややあって、マンションの玄関からムラカミが姿を表した。サンダルを地面に擦らしながら、そのままサチコの傘の中に入ってきた。円が黒く欠けた。
「お前、いつからそこにおったん」
「朝から」
 サチコは不貞腐れたように呟いた。
「なんで呼ばんかったん」
「急に来て、それも呼んだら、迷惑かと思って」
「迷惑だとわかっとるなら、なんできたんや」
「わかってたけど、会いたくなったの」
「どういうことやねん」
「あんたのせいやろうが」
「なんで俺のせいやねん」
「なんでもや」
 ムラカミはため息をつく。
「わけわからん」
「そろそろ、わかってよ」
 吐き捨てた言葉は、雨に溶けた。二人の沈黙は、雨音に隠れた。
 突然、サチコの目の前が白くなった。次いで洗剤の良い香りがしたそれは、頭に乗せられたタオルだった。
「とりあえず、うちで雨宿りだけでもしていけよ」
 呆れるムラカミに、サチコは傘を放り出して抱きついた。ぱさり、とタオルが落ちた。おい、とムラカミは離れようとするが、眼前の栗色の髪から香る匂いと柔らかく温かい女の感触を覚え、止まった。
 止まない雨が、そのまま二人を濡らす。衣服は肌に張り付き、お互いの身体の境界を曖昧にした。背中は冷えたが、胸と腹は柔らかく、熱かった。
「やっと、家に入れてくれるのね」
 吸い付いた身体が、湿った音を立ててゆっくりと剥がれた。サチコはムラカミの左手を取り、指を絡めた。
「こうなったら、もう仕方ないだろ」
 ムラカミはその手を強く握り、そのまま二人はマンションへと入っていった。
 開いたままの傘がたぱたぱと鳴る横で、タオルが濡れている。
 もう地面は、真黒だった。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

月夜
2020.10.13 月夜

シーンが目に浮かぶようです。セリフ選びがとてもうまいですね!

2020.10.14 ともえどん

第三者から、自分の文章への感想をいただくことは何分、初めてでございまして、とにかく歓喜のあまりに震える息を、漏らすことしかできません。
この小説のために、筆を取ってくださり、ありがとうございます。そのお時間と手間で綴った言葉は、しがない物書きの私にとって、宝物です。

解除

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