烏木の使いと守護騎士の誓いを破るなんてとんでもない

時雨

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第57話

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 年中秋のような気候のこの国では珍しく、ここ数日は雨が続いていた。


 王都には明け方になってやっと上がった雨の名残が、少し冷たい風となって居座っていた。

 この国の国王との謁見から、早いものでもう7日が経った。
 あれからオレはそのままサリウスさんの家にお世話になりつつ、毎日城の植物園に通っている。
 この街で暮らす条件となった王城での”精霊の世話”をする為だ。


 サリウスさんが交渉の切り札のように持ち出したその仕事内容は、確かにオレにしか出来ないものだった。
 この世界の精霊は普通の人からすると姿はもちろんのこと、その気配すらも感じ取る事は出来ない。
 数世代前の王族までは精霊の気配を感じぼんやりと目視出来る人も稀にいたそうだが、その力も代を重ねる毎に薄れているらしい。

 今この国で力の弱まった精霊達の姿を視認出来るのは、別の世界から来たオレくらいだという事だ。


 ”精霊の世話”といっても、動物の世話のようにエサを与えるわけでも掃除をする必要もない。
 ただ次第に周囲に集まって来るリスやウサギのような小動物に似た精霊の姿を観察して、精霊学者の先生に報告をするのが主な仕事だ。
 またなるべく精霊達の居心地が良いように、手探りではあるが環境の改善方法を考えるのも今後の課題である。





 今日はやっと雨も上がったので、植物園の片隅にあるベンチにのんびり腰を下ろしている。
 ここ数日で分かったのは、精霊達は天候の影響は受けず雨が降ろうと日差しが差し込もうと身体も濡れず気にする様子もない事だ。
 事実いま目の前で寛ぐリスのような姿の精霊も、ぬかるんだ地面を気にせず真っ直ぐにこちらに近付いて来たが少しも汚れていない。

 他にもベンチに集まってきた精霊達をたまに片手で撫でながらメモを取っている。
「今日はスーはどうした?一緒じゃないのか?」
 されるがままに撫でられているウサギに似た精霊に話し掛けたが、もちろん返事はない。
 いつも一緒に見掛ける2羽には勝手にそれぞれ名前をつけて呼んでいるが、嫌がってもいないようなので好きにさせてもらっている。

 軽い身のこなしで膝の上に乗ってきて、自分だけを撫でろという態度を見ると精霊である事を忘れそうになる。
 冷たい風が吹いて思わず身を窄める、もしかしたら精霊も今日ばかりは寒いのかもしれない。

「はぁ…動物描くの苦手なんだ…図面ならいけるんだけどなぁ…」
 誰に聞かせるでもない言い訳を口にしながら、膝の上で丸まった小動物をスケッチする。
 ただでさえ真っ白で毛も多く、精霊は一様に少し光っているようにも見えて…つまり輪郭がハッキリしない。
 それを真上から描くのだ、どんなに絵が上手な人間でも難しいと思う。



 しばらくして案の定というべきか、恐らく誰も見たこともない生き物のスケッチが出来上がった。
 歪な形の白くカビの生えた大福に長い角が生えたような小動物の絵だ、特徴は全て拾ったはずだが何故か似ていない。

 もちろんオレだって、この絵のような不気味な生き物は見た事がない。
 どうして目の前の物を正確に描き写せないのか…不思議で仕方ない。

「これが…精霊ですか……」
 茶化すでもなく感慨深げな呟きが聞こえて振り返ると、すぐ後ろにローレンツさんが立っていた。
 城勤めの騎士団の制服姿はまだ見慣れない、いつも無造作に近かった黄緑の髪も気持ち綺麗に整えられている。

「羽根…?いや、こっちが身体ですか?」
 スケッチを指差しながらのローレンツさんの声に、それまで気持ち良さそうに目を細めていた精霊もオレの手元をチラリと見た。
 膝の上から覗き込むようにスケッチの絵を見ると、そのまま地面へ飛び降りて奥の茂みへ走って行ってしまった。
「あっすみません、もしかして逃げちゃいました…?」
 オレの視線の動きを追ってローレンツさんが謝ってくれたが、果たして彼のせいだろうか…?
 精霊に絵の上手い下手が分かるかは疑問だが、この似顔絵はあまりお気に召さなかったのかもしれない。

「ちょうどもう止めようと思っていたので」
 笑いながら持っていた紙を手早くまとめ、傍に置いていた図鑑に挟んでベンチから勢いよく立ち上がった。



 まだ一人では迷ってしまいそうな長い廊下をローレンツさんと一緒に進む。
 あくまで護衛の騎士として半歩後ろで勤務中の彼に、色々と話し掛けながら歩いている。
「今朝はあいつに会いましたか?」
 ローレンツさんがそう呼ぶのはいつも、オレの身元保証人であり守護騎士であるヴィルヘルムの事だ。
「いえ、式典があるから朝も早いって昨日言ってました」
「あぁ~そうか収穫祭の式典もうすぐですね」
 この人も同じ騎士のはずだが、やっと思い出したという彼の様子に首を傾げるとローレンツさんは慌てて頭を振った。
「いや!ほら私はつい先日まで国境沿いにいたでしょ?王都の行事には疎いんですよ」
「ローレンツさんは式典に出ないんですか?」
「私はほら、当面はイツキさんの護衛ですから!」
 大きく胸を張ったローレンツさんの姿に思わず笑ってしまった。



 オレ達から遅れること数日、ローレンツさんは貿易都市であるカールフォントから急に王都に呼び戻された。
 騎士団の采配により”顔見知りだから”という理由で、あの会談の翌日からオレの護衛の任に当たってくれている。
 護衛としてより適任なヴィルヘルムはというと、正式な”守護騎士”になる為にはそれ専用の訓練があるそうで毎日忙しそうにしている。
 オレの”守護騎士”だと国に認められたと同時に、1日に1度会うかどうかの距離感となり少し戸惑っている。

 そう長く掛かるとは聞いていないので、そこまで心配はしてないけど。
 オレの方も引き続きサリウスさんの家でお世話になりながら、王都の生活に早く馴染めるように努めている。



 王城の廊下を歩いていても、オレ達2人に注目する人は誰もいない。
 いつまでも帽子やフードを被る訳にもいかないので、王宮の偉い魔導士によって姿が認識されにくくなる魔法が込められたネックレスを貰って、それを首から下げている。
 周囲からはこの世界ではありふれた明るい髪と瞳の色に見えているのかと思うと、変な感じだ。

「はぁ…こんな気持ちで王都に戻ってくるなんて思ってませんでしたよ…」
 立派な回廊を体格のいい騎士が大きく肩を落として歩く姿は少し悪目立ちするかもしれない。
 急に王都に招集されたローレンツさんは時計工房のヘレナさんに挨拶も出来ず、着の身着のまま早馬で駆けて来たらしい。
「一時的に呼ばれただけかと思ったら、王城勤務なんて…あぁ!私とヘレナ嬢の仲は縮まらない一方ですよ…」
 本気で落ち込んだ様子で嘆くローレンツさんの背中を軽く叩いて、姿勢だけでも正してもらう。

 そもそもローレンツさんは”早く王都に戻りたい”と何度も言っていた気がするが、今の彼は違うようだ。
「まぁ、ほらもう少し落ち着いたら帰れるんじゃないですか?」
 騎士が勤務地の希望を出せるのかは知らないが…曖昧に笑うと恨みがましい視線のローレンツさんとまともに目が合った。
「イツキさん…イツキさんの扱い"国賓"ですよ!?護衛1人なんておかしい位なんですから、当分私は王都勤務ですよ…」
 大きな身振り手振りをしたかと思えば最後の方は消え入るような声量で…もしかしたらローレンツさんは相当疲れているのかもしれない。
「それは、どうもすみません。…ほら、じゃあ手紙でも送ってみたらどうです?」
「えぇ…手紙ですか?いやぁ…手紙なぁ…」



 他愛のない話をしていたら、やっと昨日から唯一城の中で迷わずに来れるようになった研究室の前に到着していた。
 この辺りは城内でもっとも騎士団の詰め所から遠く、様々な分野の研究室や大きな図書室が集まる棟で一際静かだ。

「失礼します」
 さっきまで砕けた調子で隣を歩いていたローレンツさんが一歩前に出て重い扉を開けてくれた。
 明らかに部外者のオレ達が部屋に入って来ても机から顔を上げる人は少なく、皆それぞれの仕事から手が離せないようだ。
 なるべく静かに書類が積まれた机の間をすり抜けて部屋の奥へ進み、目指していた室長室の扉をノックした。
「どうぞ」
 重く扉の軋む音かと思うような低い声で室内から応答があった。


 数ある学問の中で特殊な研究分野とされる精霊学の研究室には、代々国に仕える家柄の研究者が多い。
 世襲制だというからこの国の王制と共通点も多く、古くは王家の分家に当たる家柄の人もいるらしい。
 今目の前で片頭痛でもあるのか、こめかみを押えて不機嫌そうにこちらを見上げた室長のヘイワーズさんもその1人だ。
「君か」
「こんにちは」
 きっとこの人に会ったのが城内の別の場所であったなら、決して研究者だとは思わなかったと思う。

 騎士と言われても納得の立派な体躯に、鈍い薄藍色の髪を後ろで結んでいて一分の隙もない。
 その眼光は鋭く、周囲を威圧するような独特の空気を纏っている。
 仕事が忙しいのか不機嫌なのか元からそうなのか分からないが、初対面だった数日前からその眉間には深く縦皴が刻まれていた。

 多分自分より少し年上なだけだと思うのだが、実年齢よりその表情が彼をより年嵩に見せている気がする。
「3日分の報告書をお持ちしました」
「ああ、いただこう」

 サリウスさん曰く、現在精霊達の姿をしっかりと視認出来るのは国中探してもオレ1人らしい。
 それが別の世界から来た人間だからなのか、あの日道路で助けた猫のお陰なのかは正直わからない。
 この国の精霊の機嫌を伺いつつ、精霊学の研究に役立つよう観察し報告をする。
 まず最初の仕事としては城内に存在する精霊の数や、その特徴を書面にまとめる事を求められている。

 ヘイワーズさんの鋭い眼差しが渡した紙の束に注がれていて、居心地の悪さに思わず視線を彷徨わせた。
「ここの記述だが…」
「は、はい」
 硬く低い声質に思わず教師に怒られているような気持ちになる。
「"リス"…とは、具体的にどのような生物だろうか?」
「あっすみません、恐らくこちらにも似た生き物はいると思うのですが…」
 手乗りサイズで栗色の毛に覆われた可愛らしい小動物だと伝える、持っていた図鑑にも似た生き物は載っていなかった。
「木登りが得意で一瞬で木の上に登って、好物は木の実で大きな前歯で殻を砕いて食べます」
「…精霊が食事をしていた…と?」
 目を瞠ったヘイワーズさんの瞳が思ったよりも綺麗なスミレ色で、思わず返事がワンテンポ遅れてしまった。
「あっ、いえ今のはリスという生き物の説明であって、精霊は食事をしないと思います…」
「…」
 聞かれた事に対して間違えのないよう答えているはずだが、なんとなくこの人とは受け答えが噛み合わない。
 黙ったヘイワーズさんはそのまま手元の紙になにか書き留めると、こちらの気まで重くなるような溜め息をついた。


「ところで、こちらの素描だが…」
 ヘイワーズさんが指差す手元を見て、提出するか迷っていた今日のスケッチをそのまま渡していた事に気が付いた。
「今日はその、膝の上に乗っている状態を描いたので分かりにくいかもしれませんが…」
 ハードルを下げるために言葉を重ねたが、その後もお互いに要領を得ない短い問答が続いた。
 最後に"次の機会に宮廷画家を紹介する"と溜め息まじりに言われてしまい、やっと退室許可が下りた。



「私は良いと思いますよ、イツキさんの絵」
 研究室の扉を閉めてすぐ、励ますように言ったローレンツさんの言葉に思わず肩をすくめた。
「…面白がってません?」
 横目で注意して見るとローレンツさんの口角は心なしか上がっている気がする…。
「そんな訳ないじゃないですか!…研究職は書類の精査細かいですからねぇ」
 しみじみとした口調で続いた言葉に、騎士団の詰め所に積まれた書類の束が思い出された。

 冷たい回廊をまた戻って城の通用口へ向かう。
 まだ城内で仕事をしているサリウスさんを訪ねて一緒に帰っても良いが、仕事が終わるのを急かしてしまうようで気が引ける。
 ローレンツさんもオレを送ってからまた詰め所に戻って仕事をしているのを知っているから、オレの護衛も仕事の一環とはいえ申し訳なく思ってしまう。



 城から住宅地へ続く下り坂を歩きながら、もう少し先の生活について考えてみる。
 今の精霊観察とその報告が落ち着いたら、登城の回数も減ると聞いている。
 "精霊の世話"を続けながら紹介してもらった時計工房へ顔を出せる日も近い。

 ヴィルヘルムも守護騎士としての研修が終われば、護衛としてではあるが一緒にいられる時間も増えるはずだ。
 本当はただお互いの生活があって、その上で関わり合えたら良い。
 彼の負担にはなりたくないんだ。

 まずは護身術くらい習ってみても良いかもしれない…。

「…なにかまた余計なこと、考えてません?」
 何も言っていないのに後ろを歩くローレンツさんから釘をさされてしまい、少し笑った。


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