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セレスタ 帰還編

慌てるふたり 2

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 マリナ様に治癒の術を施されながらレイフェミアは溜息を吐いた。
 殿下をあんなに驚かせてしまうつもりはなかったのに。
 さっきの自分を全力で止めたい。
「痛みますか?」
 溜息を聞いてマリナ様が顔を上げる。
「大丈夫です」
 痛むというほどのことはない。
 ここは王宮の一室。庭園が酷い状態になったので、わざわざ移動して治療を受けている。
 大げさだと思うけれど、殿下の方が酷い状態に見えたので何も言わずに付いてきた。
 俯いて傷が塞がっていく様を見つめていると、マリナ様が意外そうな口調で言う。
「傷を見ていても平気なのですか?」
 貴族の子女はわずかな傷でさえも厭って視線を外すと思っていたと言われて苦笑する。
「このくらいの傷でそこまで大騒ぎはしませんわ」
 小さい頃は弟が傷を作る度にレイフェミアが薬を塗ってあげた。
 少し切ったくらいの傷なら見慣れている。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 治療が終わってマリナ様に頭を下げる。こんな小さな傷に魔法を施してもらうなんて考えられない。
 洗って薬を塗っておけば済むような傷なのに。
「お気になさらず。 そのままにしておくと王子の方が気に病むので」
 先程の狼狽を思い出して項垂れる。
「本当に…。 私の不注意でしたのに、殿下には甚くご心配をおかけして…。
 どうかお詫び申していたとお伝えください」
 今日の失態を思えば殿下と顔を合わせるのは憚られた。
「いえ、外で待っていらっしゃいますので直接お伝えください」
「え?」
 レイフェミアの戸惑いをよそにマリナ様が外に向かって声を掛ける。
「レイフェミア殿…」
 部屋に入って来た殿下はまだ青い顔のまま、レイフェミアの傷があった箇所を見た。
「殿下、マリナ様に治療の取り計らいをしていただきましてありがとうございます。
 おかげで、痛みも痕も無く治りましたわ」
 明るい声でお礼を言うけれど殿下の表情は冴えないまま。
 椅子に座る殿下に今日の謝罪とお礼をする。
「本日はせっかくのお誘いでしたのに、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
 楽し…」
「すまない、私のせいで…」
 レイフェミアの言葉を遮って殿下が謝る。
「そんな、殿下が謝ることなんて…!」
 悪いのはレイフェミアの方なのに。
「いや、怪我をさせてしまったし…」
「それは私が不注意に手を出したからですわ」
 割れたカップを触るなんて不注意以外の何ものでもない。
「殿下、今日は本当に楽しかったです。
 怪我をしたのは私の迂闊さが招いたものですので、それ以上おっしゃらないでください」
 殿下を驚かせた原因も私なのだし。
「けれど…」
 まだ言い募ろうとする殿下に私の忍耐力が尽きた。
「殿下! もう謝らないでくださいませ!」
「は、はい!」
 怒鳴られたことなんて無いのでしょう。
 びくっと身体を揺らしてレイフェミアを見た殿下の顔には驚きが。
 その顔を見てふっと笑ってしまう。
「殿下、お気遣いいただくのは嬉しいのですが、そんなに謝られては申し訳なくてもう顔を出せなくなってしまいます」
 脅すように言うと殿下が瞳を揺らす。
 その顔を見て胸が締め付けられた。
「また来ても良いと言ってくださるのなら、もう謝らないでください」
 ずるい言い方だと思う。
 殿下の気持ちを知っていて、また来て欲しいと言ってくれると思っている。
「あ、ああ。 貴女が迷惑でないのなら。
 また会ってくれるだろうか?」
 その言葉を聞いて舞い上がるような気持ちになった。
 これまでは相談があるなどと理由を付けてのお誘いだったけれど、今回は違う。
 会うことに主軸を置いて誘われたのはこれが初めてだった。
「はい!」
 嬉しさから勝手に声が弾む。
「私、殿下に会いにきてよろしいんですね?」
 理由が無くても会いに来ることを許されたと思っていいのかと言葉を重ねる。
 一瞬きょとんとした殿下が頬を染めて頷く。
 可愛らしいと思っていると後ろから囁く声が聞こえた。
「見事な会話展開ね」
「完璧に王子が手玉に取られていますな」
 声を潜めていても小さな部屋なので声が聞こえないわけがない。
 顔を上げると感心したように頷くマリナ様、目を細めて笑っている内務卿、黙ったままそっと視線を逸らすヴォルフ様が目に入る。
「み、見ていたのか…」
 表情を強張らせた殿下が首だけで振り向く。
「ええ、当然です」
「王子がようやく積極的になって嬉しい限りですな」
「…申し訳ありません」
 涼しい顔で答える二人にヴォルフ様だけが申し訳なさそうな顔で謝った。
 当然ですわね、殿下と私を二人きりになどさせられる訳がありませんもの。
 レイフェミアの視界にはちゃんと三人が入っていた。
 一人気が付かなかった殿下は顔を覆って俯いている。
 隠した手から覗いた耳が真っ赤になっているのが見えて、慰めながら喜ぶ。
 本当に本気でレイフェミアと接してくれたのだと知って愛しさが胸に生まれる。
(絆されるってこういう感じなのね)
 幸せな気持ちに満たされてレイフェミアは自然と笑顔になっていた。
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