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【4】ひと休みしましょうじょ?
4-3
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◇
秋の透き通った空を薄い雲が流れていく。
屋上を吹き抜けていく風は心地よく、日差しもそれほど強く無い。ぼんやりと空を見上げて時間をつぶすにはちょうど良かった。
「ふぅ……」
タバコをその空に向かって吹き付けると白い雲が広がり、やがて消えて行く。――バカみたいに晴れてやがる。
雲一つない快晴だった。
見上げる内にここに来るまで渦巻いていた感情がすっぽりと何処からか抜け落ち、空っぽになったように感じる。そこにあるはずのものを掴もうとしてもすり抜けてしまっていて、虚しさだけが残る。タバコの味もいつもより薄く思えた。
「……殴り掛かるのかと、思いました」
隣でパックに入ったリンゴジュースを啜りながらバカが呟く。
「それぐらい怖い顔してましたよ?」
やけに静かだったのは空気を読んでいたのではなく、ただ怯えていたって事だろうか。
昨晩の事が頭をよぎる。――なんで置いてこなかったんだろうな。
「そんな悪人顔か、俺は」
悪態の代わりにタバコを吸っては吐く。
相変わらず煙は広がっては消えていき、ぼんやりと見上げてみるが空に言葉が浮かんでいる訳でもなく、ただ煙が消えて行った後を眺め続ける。
「ご主人さま? 朽木さんとはどういう関係だったんです?」
チラリと横目に見ると不安そうな視線が俺を見つめていた。
居心地が悪くて視線を空に戻す。吸ったタバコはやはり味が薄く、どれだけ吸った所で切りが無さそうだった。
「どうもこうもねぇよ。高校の頃からあっちが一方的に絡んで来て――それだけだ」
吐き出す煙とともに、昔の事が浮かんでは消えて行く。
迷惑そうな顔をしつつも、腕を引かれ――また、時に襟首を掴まれる俺の顔は何処か楽しそうに見えた。
「……満更でもなかったのか」
朝から晩まで、くだらない事に時間を使わされた。
惰眠を貪る為の休み時間でさえ、何処からとも無く現れては俺を引っ張っていく。あの頃やっていた事なんて下らな過ぎてよく覚えてない。鍵のかかった屋上に入ったり、ラブレターを勝手に回収して勝手に中身を書き換えて相手に届けるだとかくだらない事ばっかやってた。
「ホンと、バカやってたよ」
毎日毎日飽きもせず、人を困らせる事はしないってのが方針だか信条だとかアイツは語って、いつもいつも嬉しそうに――……。見返りなんて何一つ無く、時々先公に見つかって追いかけられたり、廊下に立たされた事もあった。俺としちゃ巻き込まれてるだけで、何も悪い事をしてるつもりなんて無かったもんだから、いつも隣のあいつを睨んでいた気がする。
悪友、なんて言葉が当てはまるのかは知らんが、少なくとも親友なんて呼べる間柄じゃなかった。俺は友達とすら思ってなかったんだからな。ただいつも自分勝手に引きずって行くから、仕方なく付き合ってやってるだけ――。そんな関係だった。
ただ、まぁ、そんな奴だからこそ腐れ縁が続いたのかもしれない。
気が付けば同じ大学に進学し、同じサークルに入っていた。
先輩と出会ったのもアイツに強引に映画研究サークルに連れて行かれたからだ。
荒太と、先輩――。
勢い良く扉を開けたものの、DVDやらビデオテープやらが散乱した部室で、一人タバコを吹かしながらシナリオを読むその姿にビビった。正直不良のたまり場に足を踏み入れちまったんじゃないかって固まって――、
「ご主人サマ?」
「ん、ああ。なんだ?」
一人昔話に浸っていたらしい。いつの間にかタバコはめちゃくちゃ短くなっていた。生憎灰皿が見当たらず、足下で消して捨て場に困った。携帯灰皿なんてしゃれたものは持ってない。
「えっと、その……」
バカが心配そうな顔でこちらを見つめる。
「あの朽木さんという方、症状は重いのでしょうか?」
白い病室に独り、取り残されてる姿が浮かんだ。
「分からん。医者から聞いた以上の事は俺も知らんしな」
あの日、先輩と一緒に車で出掛けたアイツは運転を誤り、崖の下へと車ごと落ちた。
崖から転がり落ちた車はそのまま海の中に沈み、ぶつかった衝撃で運転席から投げ出されたアイツだけが助かった。先輩は、即死だったらしい。――苦しまずに逝けた、と言う点では幸いだったのかもしれないが先輩の最後を俺は知らない。
そもそも本当に運転を誤ったのかさえ定かじゃない。
カーブが多い訳でも、見通しが悪い訳でもない。ただ緩やかに曲線を描く海岸沿いの道で車は崖から落ちた。当時は居眠り運転だとかなんとか言われていたが俺はその直前まで電話していたんだぞ――、そんな訳有るか。
きっと電話の向こう側で何かが有ったんだ。
俺の知らない所できっと何かが――。
「ッ……、」
荒太と先輩、そうして俺達の間に有った物はきっと違う。俺は別に映画になんて興味が無かった。ただ俺はあの人の傍に居たかっただけだ。レンズ越しに見つめる彼女の姿が――、あの人の事がどうしても見つめていたくて荒太の撮影に付き合っていた。それだけだ。だから荒太と先輩の間にある物を俺は知らない。いや、分からない。
あの二人はきっと「映画」という物作りの上で成り立っていた。監督と女優、それは恋人になってからも俺が嫉妬する程に親密で、近しい関係だった。そこに割って入るつもりも邪魔した覚えも無かった。あの映画がヒットして、二人があちこちに出かけて行く事を反対はしなかったし寧ろ応援した。そりゃぁ100%、嘘偽り無くなんて言えば嘘だけどそのまま二人が有名になれれば良いと思っていたのは確かだ。なのに――……、何があったって言うんだ……? 恐らくは何かが荒太をそうさせた。車を崖下に突き落とし、先輩と心中するまでもの何かが――。
「……ご主人サマ」
「ああ、大丈夫だ、気にするな」
「……はい……」
顔に出ているんだろうこの様子では病室に戻るに戻れない。
もう一本吸おうかと思い取り出して――、それが逃げでしかないと踏みとどまった。
「……、意識が戻っただけでも奇跡――か」
昨日までならただ目を背け続ければ良かった。仕方が無いと言い聞かせ続ければ良かった。
一命を取り留めた物のあいつは意識不明で眠り続けた。責めたくても責めることができなかった。それと同時に責めずに済んだ安心も有った。全てをうやむやにしておけばただ悲しみ続けるだけで良い。――荒太を憎まなくて済む。
「なんでぇ……、結局ダチだったんじゃねぇか」
あいつを疑いたくは無い、「何が有った」と責めた出す事が怖い。
先輩の事は整理が付いた。少なくともこの一年でそう思える様になった。
最初は食事も喉が通らず、物を噛み締めた所で味なんてしなかった。涙ばかり溢れて来て食事にならなかった。睡眠薬を飲み、いっその事死ねれば良いと思った事もある。だが、そんな勇気も俺にはなかった。……裏を返せば人は思っている以上に強かった。腹が減り、減り続けた挙げ句、空腹に堪え兼ねて気がつけば辺り構わず物を食い散らかしていた。嗚咽をこぼしながら、どうして自分だけが行きているんだろうと嘆きながらひたすら食事を続けた。
いまとなっては昔の事だ。
込み上げる物はある。思い出す時だってある。
だが、受け入れて先に進んでいる。少なくとも無力であるものの、死のうとは思っていない。腹が減れば物を食うし、口が寂しくなれば煙草を吸う。慣れってものは恐ろしい。先輩のいない世界に、荒太のいなくなった世界に少しずつ順応し、その中で生きる様になっていた。……そんな世界は酷く味気ない様に感じたが……。
「記憶喪失、ってすぐ治るもんだと思うか?」
俺らしくない、そう感じつつも隣のバカに訪ねざる得なかった。
「むぅ……、そういわれましても……ねぇ?」
記憶なんて戻らなくても良い。このまま何となく毎日が過ぎて行けば良いとも思う。
記憶が抜け落ちていた――なんて、「安っぽい映画じゃねぇんだぞ?」と笑い飛ばしてやりたくもなる。「お前は監督で、アクトする側じゃねぇだろ――」と。
ただ、現実のアイツは何一つ覚えていなくて、自分がまだ大学の3年だと思い込んでいる。丁度俺たちがあの映画を撮り始める前の時点で記憶が止まっている。
何一つ、聞いた所であの事故の事は覚えていない。何も聞く事は出来ない。
それで良かったのかもしれない。弱々しくも、無邪気に笑うアイツを前に何処かホッとして、先輩の事を一瞬でも忘れてしまっていた。少なからずほっとし、それだけの事で救われた様に感じ、それと同時にその事がなんだか悔しかった。先輩の事を蔑ろにしてしまいそうになる自分が悔しかった。
それでも悪友だ何だと並べつつも、アイツの事を嫌いじゃなかったのだと思い知らされたんだ。――いや、それはこの1年で十分に思い知らされていたのかも知れない。俺の世界は先輩と、荒太が居て初めて成り立っていた。その世界の半分が返って来た事でやっぱり俺はほっとしたんだろう。安心しちまったんだろう。
もう半分の事を忘れそうになる程に。
「…………」
吹き抜ける風は次第に冷たくなって来ていて、秋も深まり始めていた。
秋の空は何処までも高く、広く感じる。
俺は、もし本当にあの日何かがあって、アイツが先輩を道連れにしようとしたのならば――、もし荒太が生き延びたのは”最初からそのつもりで居たから”だったとしたら……?
俺は、あいつを許せるんだろうか……?
先輩はあの時、電話の向こう側で楽しそうに笑っていた。「ずっと言ってなかった事がある」と何処か弾んだ声で話していた。そんな彼女を道連れに――、いや、荒太が先輩を殺したのだとしたら――?
「ッ――――、」
許せる訳が無かった。認められる訳が無かった。
どんな言い訳が有るにしろ、どんな事情が有るにしろ、そんな事許せる自信は無い。
きっと俺はアイツの事を殴るだろう。憎むだろう、責めるだろう。
どうして――、どうして俺からあの人を奪ったんだ、と。
どうして、あの人が死ななきゃいけなかったんだと。
どうにもならない事を分かっていても、止められない。止められる訳が無い。
あの人は、俺にとって欠けがえの無い存在だったのだから。
――どうしようもなく、愛おしい存在だったのだから。
……だが、それ同時にあいつの事を、荒太までもを失ってしまう事は恐ろしい。
先輩の件で荒太を憎む、それは同時に荒太を失ってしまう事になる。
俺にとって先輩は世界の半分で、もう半分はきっと荒太だった。
何でも無い、このつまらない世界に様々な色を付けていったのはあの2人だったのだから。
だから俺は――、
「無事で居てくれただけで、よかったんだよな」
そう、呟くしか出来なかった。
◇
秋の透き通った空を薄い雲が流れていく。
屋上を吹き抜けていく風は心地よく、日差しもそれほど強く無い。ぼんやりと空を見上げて時間をつぶすにはちょうど良かった。
「ふぅ……」
タバコをその空に向かって吹き付けると白い雲が広がり、やがて消えて行く。――バカみたいに晴れてやがる。
雲一つない快晴だった。
見上げる内にここに来るまで渦巻いていた感情がすっぽりと何処からか抜け落ち、空っぽになったように感じる。そこにあるはずのものを掴もうとしてもすり抜けてしまっていて、虚しさだけが残る。タバコの味もいつもより薄く思えた。
「……殴り掛かるのかと、思いました」
隣でパックに入ったリンゴジュースを啜りながらバカが呟く。
「それぐらい怖い顔してましたよ?」
やけに静かだったのは空気を読んでいたのではなく、ただ怯えていたって事だろうか。
昨晩の事が頭をよぎる。――なんで置いてこなかったんだろうな。
「そんな悪人顔か、俺は」
悪態の代わりにタバコを吸っては吐く。
相変わらず煙は広がっては消えていき、ぼんやりと見上げてみるが空に言葉が浮かんでいる訳でもなく、ただ煙が消えて行った後を眺め続ける。
「ご主人さま? 朽木さんとはどういう関係だったんです?」
チラリと横目に見ると不安そうな視線が俺を見つめていた。
居心地が悪くて視線を空に戻す。吸ったタバコはやはり味が薄く、どれだけ吸った所で切りが無さそうだった。
「どうもこうもねぇよ。高校の頃からあっちが一方的に絡んで来て――それだけだ」
吐き出す煙とともに、昔の事が浮かんでは消えて行く。
迷惑そうな顔をしつつも、腕を引かれ――また、時に襟首を掴まれる俺の顔は何処か楽しそうに見えた。
「……満更でもなかったのか」
朝から晩まで、くだらない事に時間を使わされた。
惰眠を貪る為の休み時間でさえ、何処からとも無く現れては俺を引っ張っていく。あの頃やっていた事なんて下らな過ぎてよく覚えてない。鍵のかかった屋上に入ったり、ラブレターを勝手に回収して勝手に中身を書き換えて相手に届けるだとかくだらない事ばっかやってた。
「ホンと、バカやってたよ」
毎日毎日飽きもせず、人を困らせる事はしないってのが方針だか信条だとかアイツは語って、いつもいつも嬉しそうに――……。見返りなんて何一つ無く、時々先公に見つかって追いかけられたり、廊下に立たされた事もあった。俺としちゃ巻き込まれてるだけで、何も悪い事をしてるつもりなんて無かったもんだから、いつも隣のあいつを睨んでいた気がする。
悪友、なんて言葉が当てはまるのかは知らんが、少なくとも親友なんて呼べる間柄じゃなかった。俺は友達とすら思ってなかったんだからな。ただいつも自分勝手に引きずって行くから、仕方なく付き合ってやってるだけ――。そんな関係だった。
ただ、まぁ、そんな奴だからこそ腐れ縁が続いたのかもしれない。
気が付けば同じ大学に進学し、同じサークルに入っていた。
先輩と出会ったのもアイツに強引に映画研究サークルに連れて行かれたからだ。
荒太と、先輩――。
勢い良く扉を開けたものの、DVDやらビデオテープやらが散乱した部室で、一人タバコを吹かしながらシナリオを読むその姿にビビった。正直不良のたまり場に足を踏み入れちまったんじゃないかって固まって――、
「ご主人サマ?」
「ん、ああ。なんだ?」
一人昔話に浸っていたらしい。いつの間にかタバコはめちゃくちゃ短くなっていた。生憎灰皿が見当たらず、足下で消して捨て場に困った。携帯灰皿なんてしゃれたものは持ってない。
「えっと、その……」
バカが心配そうな顔でこちらを見つめる。
「あの朽木さんという方、症状は重いのでしょうか?」
白い病室に独り、取り残されてる姿が浮かんだ。
「分からん。医者から聞いた以上の事は俺も知らんしな」
あの日、先輩と一緒に車で出掛けたアイツは運転を誤り、崖の下へと車ごと落ちた。
崖から転がり落ちた車はそのまま海の中に沈み、ぶつかった衝撃で運転席から投げ出されたアイツだけが助かった。先輩は、即死だったらしい。――苦しまずに逝けた、と言う点では幸いだったのかもしれないが先輩の最後を俺は知らない。
そもそも本当に運転を誤ったのかさえ定かじゃない。
カーブが多い訳でも、見通しが悪い訳でもない。ただ緩やかに曲線を描く海岸沿いの道で車は崖から落ちた。当時は居眠り運転だとかなんとか言われていたが俺はその直前まで電話していたんだぞ――、そんな訳有るか。
きっと電話の向こう側で何かが有ったんだ。
俺の知らない所できっと何かが――。
「ッ……、」
荒太と先輩、そうして俺達の間に有った物はきっと違う。俺は別に映画になんて興味が無かった。ただ俺はあの人の傍に居たかっただけだ。レンズ越しに見つめる彼女の姿が――、あの人の事がどうしても見つめていたくて荒太の撮影に付き合っていた。それだけだ。だから荒太と先輩の間にある物を俺は知らない。いや、分からない。
あの二人はきっと「映画」という物作りの上で成り立っていた。監督と女優、それは恋人になってからも俺が嫉妬する程に親密で、近しい関係だった。そこに割って入るつもりも邪魔した覚えも無かった。あの映画がヒットして、二人があちこちに出かけて行く事を反対はしなかったし寧ろ応援した。そりゃぁ100%、嘘偽り無くなんて言えば嘘だけどそのまま二人が有名になれれば良いと思っていたのは確かだ。なのに――……、何があったって言うんだ……? 恐らくは何かが荒太をそうさせた。車を崖下に突き落とし、先輩と心中するまでもの何かが――。
「……ご主人サマ」
「ああ、大丈夫だ、気にするな」
「……はい……」
顔に出ているんだろうこの様子では病室に戻るに戻れない。
もう一本吸おうかと思い取り出して――、それが逃げでしかないと踏みとどまった。
「……、意識が戻っただけでも奇跡――か」
昨日までならただ目を背け続ければ良かった。仕方が無いと言い聞かせ続ければ良かった。
一命を取り留めた物のあいつは意識不明で眠り続けた。責めたくても責めることができなかった。それと同時に責めずに済んだ安心も有った。全てをうやむやにしておけばただ悲しみ続けるだけで良い。――荒太を憎まなくて済む。
「なんでぇ……、結局ダチだったんじゃねぇか」
あいつを疑いたくは無い、「何が有った」と責めた出す事が怖い。
先輩の事は整理が付いた。少なくともこの一年でそう思える様になった。
最初は食事も喉が通らず、物を噛み締めた所で味なんてしなかった。涙ばかり溢れて来て食事にならなかった。睡眠薬を飲み、いっその事死ねれば良いと思った事もある。だが、そんな勇気も俺にはなかった。……裏を返せば人は思っている以上に強かった。腹が減り、減り続けた挙げ句、空腹に堪え兼ねて気がつけば辺り構わず物を食い散らかしていた。嗚咽をこぼしながら、どうして自分だけが行きているんだろうと嘆きながらひたすら食事を続けた。
いまとなっては昔の事だ。
込み上げる物はある。思い出す時だってある。
だが、受け入れて先に進んでいる。少なくとも無力であるものの、死のうとは思っていない。腹が減れば物を食うし、口が寂しくなれば煙草を吸う。慣れってものは恐ろしい。先輩のいない世界に、荒太のいなくなった世界に少しずつ順応し、その中で生きる様になっていた。……そんな世界は酷く味気ない様に感じたが……。
「記憶喪失、ってすぐ治るもんだと思うか?」
俺らしくない、そう感じつつも隣のバカに訪ねざる得なかった。
「むぅ……、そういわれましても……ねぇ?」
記憶なんて戻らなくても良い。このまま何となく毎日が過ぎて行けば良いとも思う。
記憶が抜け落ちていた――なんて、「安っぽい映画じゃねぇんだぞ?」と笑い飛ばしてやりたくもなる。「お前は監督で、アクトする側じゃねぇだろ――」と。
ただ、現実のアイツは何一つ覚えていなくて、自分がまだ大学の3年だと思い込んでいる。丁度俺たちがあの映画を撮り始める前の時点で記憶が止まっている。
何一つ、聞いた所であの事故の事は覚えていない。何も聞く事は出来ない。
それで良かったのかもしれない。弱々しくも、無邪気に笑うアイツを前に何処かホッとして、先輩の事を一瞬でも忘れてしまっていた。少なからずほっとし、それだけの事で救われた様に感じ、それと同時にその事がなんだか悔しかった。先輩の事を蔑ろにしてしまいそうになる自分が悔しかった。
それでも悪友だ何だと並べつつも、アイツの事を嫌いじゃなかったのだと思い知らされたんだ。――いや、それはこの1年で十分に思い知らされていたのかも知れない。俺の世界は先輩と、荒太が居て初めて成り立っていた。その世界の半分が返って来た事でやっぱり俺はほっとしたんだろう。安心しちまったんだろう。
もう半分の事を忘れそうになる程に。
「…………」
吹き抜ける風は次第に冷たくなって来ていて、秋も深まり始めていた。
秋の空は何処までも高く、広く感じる。
俺は、もし本当にあの日何かがあって、アイツが先輩を道連れにしようとしたのならば――、もし荒太が生き延びたのは”最初からそのつもりで居たから”だったとしたら……?
俺は、あいつを許せるんだろうか……?
先輩はあの時、電話の向こう側で楽しそうに笑っていた。「ずっと言ってなかった事がある」と何処か弾んだ声で話していた。そんな彼女を道連れに――、いや、荒太が先輩を殺したのだとしたら――?
「ッ――――、」
許せる訳が無かった。認められる訳が無かった。
どんな言い訳が有るにしろ、どんな事情が有るにしろ、そんな事許せる自信は無い。
きっと俺はアイツの事を殴るだろう。憎むだろう、責めるだろう。
どうして――、どうして俺からあの人を奪ったんだ、と。
どうして、あの人が死ななきゃいけなかったんだと。
どうにもならない事を分かっていても、止められない。止められる訳が無い。
あの人は、俺にとって欠けがえの無い存在だったのだから。
――どうしようもなく、愛おしい存在だったのだから。
……だが、それ同時にあいつの事を、荒太までもを失ってしまう事は恐ろしい。
先輩の件で荒太を憎む、それは同時に荒太を失ってしまう事になる。
俺にとって先輩は世界の半分で、もう半分はきっと荒太だった。
何でも無い、このつまらない世界に様々な色を付けていったのはあの2人だったのだから。
だから俺は――、
「無事で居てくれただけで、よかったんだよな」
そう、呟くしか出来なかった。
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