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たぶん最終章、レースの魔法の女神様の再来と呼ばれるのは また別のおはなし。

その3

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 すぐに済ませてくるからここで待っていてくれと、軽食と飲み物を渡され、ベンチのような物がある場所に連れて来られた。

「そこの建物の中で依頼人と会ってくる。ここらは治安が良いから大丈夫とは思うが……」

 クロモが魔方陣を描き、その魔方陣はしゅるんとわたしの右手の平に吸い込まれ、消えた。

「何かあればその魔方陣を握りしめろ」

「右手を握りしめたらいいの? 何かってあれだよね。変な人に絡まれたりとか何か盗まれたりとかってコトだよね。分かった。で、握りしめたらどうなるの? 防犯ブザーみたいに音が鳴るとか光るとか? だったらうっかり間違って握りしめないようにしなくちゃだね。えーと、軽く握るぶんには大丈夫なのかな」

 すでに消えてしまった手の平の魔方陣を見、それからクロモを見上げる。

「強く握る事で知らせが来るから、すぐに行く」

「ギュッて握ったらクロモに分かるんだね。りょーかい。お仕事頑張ってね」

 あんまり引き止めてお仕事に支障が出ても行けないから笑顔で手を振りクロモを見送る。

 クロモはもう一度「出来るだけ早く終わらせてくる」と告げて、すぐ近くの建物の中へと入って行った。

 この世界に来て街なかで一人になるのは初めてだったから、不安がないと言えばウソになる。けど、クロモはすぐそこにいるはずだし、何かあればすぐに来てくれるって言ったから大丈夫。

 ちょっと深呼吸して気持ちを落ち着かせて、買ってもらった軽食へと目をやった。フワリと甘い香りがする。

 軽食と言うよりスイーツなのかな?

 パッと見生地をひねって作った揚げパンみたいに見えるんだけど、それだけじゃない香りもする。

「いただきます」

 パクリと食べて、びっくりした。

「お……美味しいっ」

 外側はパリッとサクッとしてて、だけど中はフワッというかしっとりっていうか。しかも中に甘いフルーツみたいなものが入ってて、それがまた絶妙な甘さと酸っぱさでいい味を出してる。

 飲み物の方もちょっぴり甘さはあるけどさっぱりしたジュースで、美味しい。しかもちょっと入れ物が変わってて、何かの植物がコップみたいになってて、ストローもやっぱり中が空洞になってる何かのクキを使ってるみたい。

 ひとり楽しく景色を見ながらそれらを楽しんでいると、よく知った声が話しかけてきた。

「ニシナ様……?」

 呼ばれ慣れていない名前に聞き逃しそうになっちゃったけど、それでもお姉さんが何度か呼んでくれてたおかげでお姫様の名前だった事を思い出し、顔を上げる。

「ああ、やはり。どうなさったのですか、こんな所で」

 心配そうにわたしの元へやって来たのはシオハさんだった。

「あ、こんにちは。クロモ……主人の仕事にちょっと付いて来ていて、終わったら一緒に街を歩こうって。あ、誤解しないでね。シオハさんのトコロの品揃えに不満があって買い物に来たとかじゃないのよ。いつも色々持ってきてもらってとってもありがたいよ。ただ単に、たまには気晴らしに街ブラっていうかウィンドウショッピングっていうか……」

 ここまで喋ってシオハさんがキョトンとしているのに気がついた。あああ、やっちゃった。お姫様だった人が急にペラペラ喋りだしたからきっとびっくりっていうか、呆れてるのかもしれない。

 慌てて口を閉じ、どうしようと思っていると、シオハさんが真面目な顔になってわたしを見た。

「記憶はまだ、戻らないのですよね?」

「あ、はい。以前のことは何も……」

 探るようにシオハさんに見つめられ、居心地の悪さを感じる。

「ご両親のことも、ご友人のことも? 以前どんな物を好んでいたかも?」

 何故かジリと、シオハさんがわたしに近づいてきた。

「……ええ」

 真剣な様子のシオハさんに、つい座ったままちょっと身を引く。

 わたしに威圧感を与えていると気づいたのか、シオハさんは地面に膝を付き、わたしを見上げた。おかげでちょっと怖さはなくなった。

「今は、ご主人の事を愛してらっしゃる……?」

 シオハさんは真面目な顔のまま、突然そんな質問をする。

「あ…い……?」

 遅れて質問の意味が頭に到達し、ボッと顔が赤くなった。なんで急にそんな事訊くの?

「も、もちろんです。だって夫婦ですものっ」

 演技しなくちゃと思いつつ、慌てて言う。けど恥ずかしいっ。

「政略結婚なのに?」

 低い声で問うシオハさん。

 なんだろう。シオハさんは何が知りたいんだろう?

「確かに勝手に決められた婚姻で初日にトラブルがあったが、良い人が嫁に来たと思っている」

 わたしが答えを口にする前に、いつの間にかシオハさんの後ろに立っていたクロモがその質問に答えていた。



 シオハさんは慌てて飛び退くと、深々とクロモにお辞儀をした。

「これはこれは旦那様。奥様のお姿をお見かけしたので、つい声を掛けさせていただきました」

 顔を上げたシオハさんはさっきまでの真剣な顔がウソのように見事な営業スマイルをしている。

 クロモは不機嫌そうに「そうか」と言いながら、どかりとわたしのすぐ隣りに座った。身体のくっつきそうな位置に。

 一瞬その距離感にびっくりしたけど、いやいや夫婦ならくっついて座って当たり前だよねと思い直した。

「それで何故あんな質問を?」

 フードに隠れて見えないけど、シオハさんを睨んでるんじゃないだろうかと思わせるクロモの低い声。

 シオハさんも慌てて再び深々と頭を下げて言い訳をする。

「いやはや。お気に触ったのなら申し訳ございません。……ニシナ姫がクロモ様の元へ嫁いだという話は風の噂で聞いておりまして。しかも突然決まったと聞いております。ですからその……」

 うんまあ、恋愛結婚じゃないって聞いたら、本当に幸せなのかなぁって疑問は湧くよね。実際に本人にそれを訊くかは別として。

 ピリピリきてるクロモの代わりにシオハさんに話しかける。

「お姫様だった頃の記憶はないけど、クロモはとっても優しいから今、幸せよ。ありがとう、心配してくれて」

 にこりと笑ってクロモを見ると、ピクリと身体を震わせた。

 あ、これ。たぶん照れてる。

 フードの下で赤くなってるだろうクロモを想像すると、こっちまで恥ずかしくなってきて顔が赤くなる。

 そんなわたし達を見て、シオハさんは曖昧な笑みを浮かべた。

「そう……でございますよね。大変失礼な事をお聞きしました。どうかお気を悪くされませんように」



 シオハさんが頭を下げ、行ってしまってからもクロモはわたしの隣りに座ったままだった。

「お仕事、早かったね。もういいの?」

 尋ねるとクロモは「はああっ」と声が出る程大きく息をつく。

「すまぬ。まだ途中だ」

「え? そうなの? なら早く行ってきなよ。依頼主さん待ってるでしょ。わたしならちゃんとここで待ってるから」

 慌てて言うわたしの手を握り、クロモは立ち上がるとわたしにも立てと促す。

「やはり一人にしておくのは心配だ。共に行こう」

「え? 一緒に行って大丈夫なの? お仕事の邪魔にならない? あ、もちろん邪魔にならないよう大人しくはしてるけどさ。でも依頼の内容によってはわたしに知られたくないとかあるでしょ? 大丈夫なの?」

 手を引かれて歩きながら、クロモの後ろ姿を見る。

「なんとかする」

 振り返る事なくクロモはそう言った。

「えーとそれって、あんま大丈夫じゃないって事だよね? わたし、クロモのお仕事の邪魔とかしたくないよ?」

 だけどクロモは首を横に振った。

「あそこに君を一人残しておくほうが気になって集中出来ない」

「? 別に勝手にどっかに行ったりとかしないよ? 変な人とか来たら教わった通り手をギュッと握って魔法を発動させるし。……あれ? さっきクロモが来たのって、もしかしてわたし無意識に手、握ってた? だとしたらゴメン。びっくりさせちゃったよね。あちゃ……気をつける。ホントゴメン」

 だけどクロモは再び首を振り、こっちを振り返った。

「君は手を握っていない。だから余計に心配になった。あそこにひとり君を座らせておけば、色んな男が君に声をかけるだろう?」

「へ?」

 それってあれかな。ナンパされるのが心配……みたいな?

 あーでも確かに、あんな所で女の子がひとりボーッと座ってたらナンパ待ちみたいに思われちゃうのかも?

 今はフードを被っているからクロモの表情は見えにくいけど、たぶん真剣な顔でこっちを見てる。

 うーん。まあ、いっか。

「分かった。じゃあ出来るだけ邪魔にならないよう傍にいるよ」

 わたしの返事に満足したようにクロモは頷いた。


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