悪役令嬢に転生したけど、恋愛より“支配契約”の方が興奮します

猫屋敷/犬太郎

文字の大きさ
4 / 26
第1話 空の秩序にして契約なき忠誠

第4節 過去より来たりし者

しおりを挟む

 天上の月は濃紺の帳に沈み、空の裂け目に浮かぶ《セレスティア第七環》の灯火が、星のきらめきを押し返していた。

 交易総督レティシア・クロードは、執務室の深奥にあって、静謐の中に一人佇んでいた。

 黒檀の机に並べられた通達文書の束は、今宵に限って不気味なほどに沈黙を守り、副官たちの気配も遠ざかって久しい。規定外の通行は、今この空域で彼女の命を受けた者以外には許されていない。廊下を巡回する夜勤の省兵が、規律の音を残すかのように革靴の底を響かせていく。

 薄紅の紅茶は、既に温度を失い、冷たい琥珀となってカップの底に沈んでいた。
 それを口に運びながら、彼女――かつて“彼”だった人間は、自らの掌を見下ろす。

 ――この掌で、制度を築いた。
 その感触を「確信」と呼べるようになるまでに、何年を要したか。

 あの日、前世の名も知れぬ商社マンだった彼は、東京の冬の朝に凍った階段を踏み外し、重力の裏切りに額を叩きつけられ、すべてを失った。
 企業戦士。それは一種の比喩ではあったが、今にして思えば――あれは予兆だったのかもしれない。

 再び目を開けたとき、彼は貧寒の空に包まれた世界、《セレスタイン帝国》の辺境浮遊島で、生まれたばかりの赤子として目覚めていた。
 しかも、帝国本流から見れば“外様”に過ぎぬ、かつて帝国に抗い、敗れて恭順を誓わされた辺境氏族の、没落貴族家系。
 名はクロード家。だがそれは、もはや帝都では地図の片隅に書かれるかどうかすら怪しい、空域の僻地の記憶に過ぎなかった。

 生まれ落ちた彼女の身体は虚弱で、言葉より先に咳と吐血を覚えた。だがその目には、すでに「システム」という名の思考が根付いていた。

 これは異世界転生などという安っぽい幻想ではない。
 これは、国家の命令に従えぬ者が“不要物”として切り捨てられる、恐ろしく純粋な支配機構の世界だった。

 彼女は、徹底的に耐えた。
 飢えを、病を、沈黙を。
 神の名を唱えて死を待つ村人の隣で、彼女は数を数え、徴税記録の記号を筆写し、行政帳簿の背後にある“意図”を理解した。

 才能――ではなく、執念。
 それが、帝国官僚制度の門戸をこじ開けた。

 成績が優秀だった。異様なほどに。
 帝国の予備官僚養成課程に“特例抜擢”されたのは、彼女が“下層に知恵を持つ者”という、制度にとっての異物だったからである。

 「庶民でも、才覚があれば登用する」――そう謳われる制度は、逆に言えば“才覚を証明し続けなければ抹消される”制度でもある。
 “外様の娘”が中央に出るということは、既得権益層からの査問と敵意の渦に、身を晒すことと同義だった。

 交易省への配属後、彼女はあらゆる試練に晒された。
 出自を侮る者。
 階級にしがみつく者。
 あろうことか、帝都の高位貴族から“将来性を買われた”として婚約を申し込まれた時でさえ、それは「制度的に排除する口実」を得るための踏み絵に過ぎなかった。

 結婚か、昇進か。
 彼女は“制度の中で昇る”という選択を取った。
 結果、婚約は破棄された。
 帝都のサロンでは、「女官僚の分際で」と嘲笑が囁かれた。
 だがその嘲笑こそが、レティシア・クロードという名の悪役令嬢を、制度という名の王座へと導いたのである。

 戦場に出ず、剣も魔法も使わず、彼女は支配した。
 書式で、命令で、掌握した。

 ――戦わずして得る征服。
 ――支配に正義は不要、必要なのは通達と印影。

 そこに“感情”などという不確かな変数を混ぜ込む余地などなかった。

 空を滑る浮遊船の灯が、窓外に長く尾を引き、執務室の天井をかすめて過ぎる。
 その灯りの震えが、冷めきった紅茶の液面をわずかに揺らした。

 レティシアは、その揺れを見つめながら、かすかに唇を動かす。

「愛だの、自由だのと叫ぶ連中より……黙って従う者の方が、よほど“制度的に健全”だ」

 それは、かつて上司にペコペコと頭を下げ、無駄な会議と理不尽な人事に従い、
 そして今や、国家すら自分の命令で動かせる地位に辿り着いた――
 一人の悪役令嬢、もとい“元・平凡な男”の、静かなる勝利宣言であった。

 ――そして、その勝利には、まだ“対価”が残されていた。

 扉の向こう、控室で副官たちが何かを待っている。
 帝都から届いた、次の“命令”と“使者”が、この夜を終わらせる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

没落ルートの悪役貴族に転生した俺が【鑑定】と【人心掌握】のWスキルで順風満帆な勝ち組ハーレムルートを歩むまで

六志麻あさ
ファンタジー
才能Sランクの逸材たちよ、俺のもとに集え――。 乙女ゲーム『花乙女の誓約』の悪役令息ディオンに転生した俺。 ゲーム内では必ず没落する運命のディオンだが、俺はゲーム知識に加え二つのスキル【鑑定】と【人心掌握】を駆使して領地改革に乗り出す。 有能な人材を発掘・登用し、ヒロインたちとの絆を深めてハーレムを築きつつ領主としても有能ムーブを連発して、領地をみるみる発展させていく。 前世ではロクな思い出がない俺だけど、これからは全てが報われる勝ち組人生が待っている――。

魔王城すこや課、本日も無事社畜です!

ハルタカ
ファンタジー
過労で倒れた社畜女子シオンの転生先は、まさかの魔王城。 無邪気に暴虐無人な上司(魔王)のもとで便利屋事務員としてドタバタな日々を過ごすうちに、寡黙な悪魔レヴィアスの思わぬ優しさに惹かれはじめていた。 ある日、突然変異したモンスターの暴走によって魔王城での生活は一変。 ーーそれは変異か、陰謀か。 事態を解明するために、シオンたちは世界各地で奔走する。 直面したことのない危険や恐怖に立ち向かうシオンは、それを支えるレヴィアスの無自覚で一途な愛情に翻弄されて……? 働くことでしか自分を認められないシオンが、魔王城で働く魔物たちの心をほぐしながら自分の価値を見つけていくファンタジーお仕事じれ恋ストーリー。

乙女ゲームの悪役令嬢、ですか

碧井 汐桜香
ファンタジー
王子様って、本当に平民のヒロインに惚れるのだろうか?

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます

かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・ だから、この世界での普通の令嬢になります! ↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』" ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。 社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー…… ……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!? ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。 「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」 「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族! 「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」 かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、 竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。 「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」 人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、 やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。 ——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、 「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。 世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、 最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕! ※小説家になろう様にも掲載しています。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)

ラララキヲ
ファンタジー
 乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。  ……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。  でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。 ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」  『見えない何か』に襲われるヒロインは──── ※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※ ※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※ ◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

処理中です...