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第2話 契約と断罪と、空の秩序
第9節 敵対的沈黙
しおりを挟む空中要塞《セレスティア第七環》の政庁舎、その地下に設けられた通信監査室には、常時“帝都発”の通信が転送されてくる。
だがそれは、公然と明記された命令文ばかりではない。
その多くは、文法的に破綻しており、句読点も乱れ、あるいは論理さえ成していない。
だが、レティシア・クロードにとっては――その“破綻こそが命令”であった。
すなわち、“書かれざる命令”。それは、制度が己の意志を隠蔽するために用いる、最も古く最も冷酷な通達の形式である。
一通目は、“空賊連合による交易航路妨害への暫定対応”。
二通目は、“旧将校団の動向に関する非公式報告”。
三通目には、“制度外構成体への命令伝達手段の是非”。
どれもが断定を避け、責任を明記せず、そして語られるべき対象の“名”すら記されていない。
補佐官《カティア》が低い声で告げる。
「……帝都では、“空域妨害因子”に対する排除命令の準備が進められていると見られます」
レティシアは紅茶に口をつけながら、書類の余白にペン先を滑らせた。
「命令を出すのは制度だが、実行するのは常に“匿名の責任者”……滑稽な構図ね」
「ですが、制度にとっては“命令そのものが正義”です」
言葉は鋭く冷たい。まるで刃物のように、主語と責任の所在を切り捨てていく。
命令を下すのは誰か、ではない。
命令が“存在した”という事実こそが、制度における正統性となる。
レティシアは小さく息をついた。目を伏せたまま、呟く。
「ゆえに、命令書にすら“固有名”を記載してはならない、と」
「そう。“制度外構成体”“空域妨害因子”“不明船団”……記号にすれば、命令になる。だが名前にすれば、それは罪になる」
制度において、名を持つということは“人格”を持つこと。
人格を持てば、制度はそれを処理できなくなる。
――だからこそ、排除命令は記号として発令される。
空賊ではない。自由商会でもない。ましてや誰それの名前など不要。
それはただ、“空域妨害因子”という記号として、削除されねばならない存在であった。
「準備を整えなさい。非公式のまま、削除可能な構成体としての処理手順を」
「了解。現場には“航路保安措置”として通達を」
「名を与えないまま処理しろ。“名もなき敵”ほど制度にとって都合の良い存在はない」
補佐官カティアは深く一礼し、無言のまま退出した。
背を見送った後、レティシアは窓の外――帝国の空域を睨むように、視線を投げた。
その沈黙の空は、すでに命令の気配に満ちていた。
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