空色のダイアモンド

うみべひろた

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1. 天国にいちばん近い場所

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 病室に入ると智子の姿がどこにもなくて、検査の時間だったらめんどくさいな、と思う。
 検査に行くと、智子はいつも長い間戻ってこない。
 時間をつぶそうにも、どこにいれば良いのかよく分からない。携帯電話も使えない。

 どうしようって思ったとき、頬に風を感じて、窓が少し開いていることに気づく。

 窓の外には小さなベランダがある。
 エアコンの室外機を置くためみたいな、本当に小さいベランダ。

 カーテンに隠れて見えなかった。
 智子はベランダの手すりにもたれて、外を見ていた。

 がらがらと、わざと大きな音を立てて窓を開けると、
「おおぉ??」
 智子の肩がびくっと跳ねて、変な声を上げる。

「プレゼントだよ。君にサンタさんがプレゼントを持ってきた」
 持ってきたクリアファイルを差し出す。

「理紗さんか……驚いて損したよー」
 目を落として、あからさまなため息。「あと、そのプレゼントいらない」

「なんでさ。これは君の将来のために? 必要な? やつなのに」
 私が適当な反論をすると、
「本当に、そう思ってる?」
 智子は私の目をじっと見て、聞き返してくる。
「いや知らんけど。でも私はしっかりとやってるよ」

 クリアファイルの中に入っているのは宿題とプリントの束。

「真面目だねー理紗さんは」
 その中から1枚を適当に抜き取って、わ、数学じゃん、って顔をしかめる。
「まー理紗さんはやらないと怒られるからしょうがないね。私と違って」

「せいぜい束の間の天国を楽しむといいさ。学校に戻れば智子も私と同じ苦しみを味わうことになるんだ」
 私が言うと、智子はふふふと笑う。
「そうだね。確かにここはほとんど天国みたいなものだよ。天国にいちばん近い場所」

 見てよ、ほら。こんなに美しいんだもん。

 智子が指さした先には、小さく海が見える。
 透明な空の向こうできらきらと輝いている。

「しかも個室だし、冷暖房は使い放題だし。ほとんどリゾートホテルなんだよ」
「病院食っておいしくないイメージがあるけど」
「私は食事制限も無いし。普通においしいよ。何なら毎日おかわりしたい」
「そんなのありか……」
「医療保険のおかげだから、保険会社には足を向けて寝られないね。ってお父さんと話してるよ」

 智子が入院したって聞いたのは先週のこと。
 学校でも理由を教えてくれないし、智子は「よく分からぬ。知らぬ」としか言ってくれないし。
 ずっと仲良かったからって理由で、プリントを届けに毎日来ているけれど。
 普段より元気そうで、どう見たってサボってるようにしか見えない。

「私もそんな時間を過ごしてみたいんだけど」って言うと、
「まぁ理紗さんには無理だね。こんな生活、選ばれし0.014%の者のみが到達できるから」
「なんというか、ほんとうに上級国民」
 私は心底呆れる。心配するだけ本当に損だ。

「宿題から解放されて、毎日、一日じゅう本を読んで過ごせる。今の私は貴族なのだ」
「暗くてお靴が見えないわ、とか言い出しそう」
「電気も使い放題だから、暗い瞬間などそもそも訪れないのだよ」



 そんなくだらない話をしていると、段々と風の冷たさを感じはじめる。
 暖かくても、もう12月なのだ。
「寒くない? そろそろ中に入ったほうが」
「うん、寒いよ」
 海のほうを見ながら、まったく動くそぶりも見せずに智子が言う。
「だから。入ろうよ」
 パジャマの上にダウンコートを着ただけの智子は、どう見たって寒そう。

「入らないよ」手にはぁと息をはきかけて、「だって、寒いほうが生きてるって感じするじゃん」
「風邪ひいたらまた入院長引くでしょ、病院で風邪なんて意味わかんないし」

「宿題。今、確率やってるんだね。こんなの本当に数学なのかな」
 智子は私の話なんて無視して、さっき抜き取ったプリントを見ている。

「え、うん。まぁ数をひとつふたつって数えるだけみたいな感じだよね」

「そう。確率なら私、やっぱりこれやらない」
 言いながら、宿題のプリントで紙飛行機を折りはじめる。

「いやいやいや。ちょっと待ちな、それはやめたほうが」
「ねえ理紗さん、これ、天国まで届くかな」
「届くわけないでしょ、ゴミになるだけだからやめなって」

「そうかな。ここ、天国にいちばん近い場所だよ」

 斜め45度。
 なんだか美しいフォームで飛ばされた紙飛行機は、ぐんぐん上昇して。
 すぐに風にあおられて地面へ落ちていった。

「やっぱり届かないよね」
 何故だか満足したように頷く智子。

「さすがにゴミを増やすのはどうかと思うけど……」
「SDSsとかポリコレとか、そんな話?」
「いや、常識の話でしょ」
「そんなのは生きてる間しか見れない夢じゃん。私には、そんな夢見てる暇なんて無いよ」

 何じゃそりゃ。
 よく分からず、どう返していいか分からずにいると。智子はさらに続ける。

「確率なんて、勉強したって何も変わらないし」
「別に数学なんて、生きていくうえで使うとは思わないけどさ。それが学生の務めってやつだよ」

「1%」
「は、何それ」

「私の手術が成功して、半年後も生きてられる確率」

 強い風が私の髪をばさばさと叩く。
 目にかかって、智子の顔が見えなくなる。

 え。
 ちょっと待って。
 何だっけ。今、何の話をしているんだっけ。

「ちなみに。さっきの0.014%っていうのは、私の病気がこの年齢で発症する確率」
 偉い人が数を数えて計算したのかな。って智子は呟く。

 年齢? 発症? 全然話についていけない。

「何? 何の病気なの」

「教えてあげない」
 智子が私の髪をそっと払って、ようやく前が見えるようになる。
「教えてほしければもっとまともなプレゼントをください、サンタさん」

 宿題なんて別にもう。
 って上目づかいで私を見てくる。
 智子の身長は私よりも10cm低いから、私の正面に立つと、いつもそんな感じ。

 なんでだろう。
 眩しい。
 冬の空が。智子の笑顔が。

 智子の笑顔はやわらかい。私はそれを久しぶりに見た。

 ここ最近の智子はずっと、何だか自分だけの世界に入り込んでいるようで。
 ちょっとだけ話しづらかったのだけど。

 だからこそ私は気付く。
 智子は全部を知っていて、全部を受け入れているのだと。

「今のままじゃ理紗さんは黒サンタだよ。クネヒト・ループレヒトだよ。こどもの家に押し入って、いらない物ばかり押し付けてくる。不法投棄の業者だよそんなの。最低な奴、せめて産廃処理料金払え」
「いや、私はただの運び屋で、内容のクレームは担任に言ってほしいんだが……だいたいそんな言われ方をしてプレゼントあげようなんて思う??」
「思うでしょ。今までの行いを反省する、すごいプレゼントをくれる、私は喜ぶ。何か奇跡が起きて手術が成功する。みんなハッピー」

「いや……んー……」
 そりゃハッピーなんだろうけれど。「そもそも、欲しい物なんてある? こんな貴族みたいな生活をしてるのに」

「あるよ。一個だけ」
「願い事をを100個に増やして、とか言わないよね」
「私には時間が無いんだよ。だからもう、一個だけしか欲しくない。見たくない。やりたくない」

 ずっと智子とは目が合ったまま。
 なんだか、その視線から逃げることができない。

「んー……一個だけなら……別にあげても……」
 病名が知りたいというよりも。
 こんな状況の智子の力になれるのであれば。というのは、確かに偽らざる気持ちではある。

「うん。言ったね。女に二言はないよね」
 私の言葉を聞いて、突然いたずらっぽい目をする智子。
「え、いや……その、高いプレゼントとか無しだよ」
 高校生のバイトで買える品物なんて、たかが知れているのだ。

「大丈夫だよ。お金なんて全然かからないし」
 何故だか分かりやすく目を逸らして言う。「私のことを、抱いてよ」

 抱く?

「別に、それくらいなら」
 目の前にある智子の身体を、ぎゅっと抱きしめる。
 こんなの特別なプレゼントでも何でもない。
 よくあることすぎて――智子の身体がちょっとだけやせていることに気づく。

 胸のやわらかさ。女の子らしい膨らみ。
 そういうのはもちろんあるし、もともと細い子よりは全然やわらかく感じるのだけど。やはり何か違う気がする。
 確かめるように背中とか二の腕を触る私に、智子はあははって笑う。
「理紗さん、分かった? 私、ちょっとだけダイエットに成功したよ。どうだ凄いだろ」

「うん。すごいよ」
 全然楽しそうじゃないその声。私の腕に力が勝手に入るのが分かる。「だから別に、無理して笑わなくても」

「私は別に、無理してないよ」
 ちょっと離れると、智子と目が合う。
 お互いの息が触れる距離。こんなに近くで智子の目を見たのは初めてだった。
「ただ、理紗さんが最後に見る私が笑顔でいればいいなって、そう思ってるんだ」

「最後なんて、まだ、」
「私を思い出そうとするたびに泣き顔が出てくるとかさ。そんなのやだよ」
 別に思いつめた顔ではないし、無理して笑ってるようにも見えない。
 その目はどこまでも透き通っていた。
 透明で、きらきらしていて、空気よりも純度が高い。

 まるでダイアモンド。
 どんな状況でも割れずに折れずに笑っている。

 青いダイアモンド。
 空とか海とか、私の向こう側に広がる何か大きなものを見据えて、反射している。
 少し目を離した隙に空へと溶けていきそうな透明感。

「空色のダイアモンド」
 私はそう口に出していた。

「何それ」智子は笑う。
「智子ってなんだかダイヤモンドみたいだって思った。自分でも意味わかんないけど」

「むふふふ」智子は何だか気持ち悪い笑い方をする。「それはきっと、私がどんな宝石よりも高価で美しいから」

「言わなきゃ良かった」
 ドヤ顔みたいな表情の智子を見て、心からそう思う。
 自然とため息が出る。

「ダイヤモンドってどうやってできるか知ってる?」
「知らんよそんなの」
「ダイヤはね。動物とか植物が死んだあと、長い時間をかけて作られるんだよ。すごい高温と高圧で」
「ふーん」

「だからさ。誰もが全員、死なないとダイヤモンドにはなれない」
 智子が私を抱きしめる。ほとんどしがみつくみたいに。「私をダイヤモンドにするのは私じゃない。理紗さんだよ」

「……全然、」私はしがみつかれるままに任せることしかできない。「言ってる意味が分からないんだけど」

 あははは、私の言葉に、智子は笑う。
「いいよ別に。だけどね、理紗さんは勘違いしている」
「……勘違い?」何のことだかよく分からない。

「私のお願いは、こんなしょっぱいハグじゃないよ」

「しょっぱいって、あなた」
 いったいどうしろと。「もっと力強く抱きしめてよって話? 折れるくらいに」

「理紗さんの手で殺されるのも、それはそれでアリかな」
 なんだか怖いことを言ってくる。

「だいたいほら。クリスマスプレゼントはクリスマスの日にくれるものじゃん。まだプレゼントには早いよ。恋人たちは、クリスマスの夜、お互いを抱きしめるのだ。ぎゅっとね」

 そんな言い方をすると、なんか違う意味に聞こえてしまう。
「は? 何それ――だいたい、私たちは恋人なんかじゃない」

「恋人なんてただの形だよ。私はそんなのに縛られたくないのだ」

「なんかそれって」
 遠回しな告白に聞こえなくもないセリフ。私はどんなふうに返答すればいいのか分からない。

「世の中にはね。確率1%の手術を受ける子もいるんだよ」
 私の目を覗き込むダイヤモンド。「そしてその子は、どんな宝石よりも美しい」

 何故ここでそんなドヤ顔。
「はいはい」
 智子の考えてることが、全然分からない。

 なんか疲れた。って智子は言って、私の後ろで窓をがらがらと開ける音。
 私の目には冬の青空だけが残る。
 智子と同じ色をした、どこまでも透き通った空。

 隣から智子がいなくなっただけで急に寒くなる。
 なんで、私だけ置いていかれなきゃいけないんだ。

「12月24日の夜」
 いつの間にかベッドに座ってる智子。「空には誰も見たことない星が輝くんだよ」

「そして、誰か偉い人が生まれるんだね」
 そう答える私に、

「その星が偉い人のためのものなんて、誰が決めたんだろうか」
 智子は真面目な顔をして言う。

「いや、それくらい偉い人なんだから仕方ないでしょ」
 だから私は答える。

「別にいいじゃん。『星は私たちのために輝きました』」
「なんかすごくポリコレっぽい話」
「だって私はダイヤモンド。高いし偉いし、それくらいのイルミネーションで飾られる価値があるのだ」
「ポリコレというか。ただ自分勝手な奴だったね」

 ふぅ。智子はひとつ息をついて、
「じゃあ24日の夜。待ってる」

 話は終わり、とでも言うようにベッドに横になる。

「24日って。もし私が彼氏とデートだったりしたら来れないよ」
「いないでしょそんなの。だってさっき、男のにおいなんて全然しなかった」

「匂いって。あなた」
 確かに彼氏なんていないが。

「ねえ、最後に教えてよ」私は智子の背中に問う。
「一つだけね」
「なんで、私なの」

「妥協だよ」

「は? 何それ。妥協でそんな――」

「何か言いたいならさ、連れてきてよ」
 智子はもうほとんど寝ている。「あと1週間の間に、私が好きになれて、抱きしめられてもいいって思えて、私を好きでいてくれるイケメン男子を」

「私はもっと、色々なことを知りたかった」最後のほうは声が小さくてよく聞こえなかった。

 なんだか本当にそのまま死ぬんじゃないかと思うくらいの静かな眠り。

 病室の窓の外には相変わらず真っ青な空。
 ここは天国にいちばん近い場所、智子はそう言った。でもなんで自分が天国に行く前提で話をしてるんだ。
 そんなにいい行いばかりしてたんか君は。
 私にはそうは思えない。

 だから考え直した方がいいに決まってる。まかり間違って天国に行けなかったらどうするんだ。
 そしたら二度と会えないじゃないか。

 私はいったい、どうすればいいんだろう。
 しばらく考えてもよく分からなくて。何よりも、智子がいなくなるかもしれないってこと自体、私は全然実感できずにいる。
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