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モカ

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前編

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1人ひとつ、特異な能力を持って生まれる世界で、僕は貴族の愛人の子として生を受けた。



出産の際に負担が大きかった母は死に、父は僕という存在には興味は無かったが、特異な能力を確認する為だけに僕を連れ帰った。

幼児を卒業するぐらいの年齢になっていた僕は周りに世話をする者も付けられず、離れと呼ばれる建物の一室に閉じ込められた。

父によってぎりぎり飢え死なない程度の食料を与えられ、惰性に生かされていた僕は、


あの日、神様を見た。






***







その日は、本当にたまたま。閉じ込められている部屋の角の壁が崩れていることに気が付いた。

閉じ込められてからだいぶ年月が経っていたし、ただ天井と窓からの景色を眺めるだけの日々に退屈していた僕は、好奇心でそこから抜け出してみた。


「……よっ、と…」


離れを出ると、辺りには荒れている庭園が広がっていた。柵などは立っていなかったので、久しぶりの外に少し興奮して走り出した。

空は青々としていて、雲ひとつない快晴だった。今の季節は春と夏の間なのか、頬にあたる風が気持ちがいい。

無我夢中で走ってある程度満足して足を止めると、僕が閉じ込められていた建物よりももっと大きな建物の近くに来ていることに気がついた。

もしかして、ここは父が住んでいる本邸というところだろうか。

だとしたら不味い。死なないように生かされている身で、こんなところにいるのを見つかったら何をされるか分からない。


「(…早く離れよう)」


そう思って、離れに戻る為に振り返った目の前に


ーー神様が立っていた。






「……何をしている?」



陽の光に輝く金色の髪、新緑を思わせる碧眼。整った顔を少し気難しそうに顰めた青年が、そこにいた。

不可解そうにかけられたその声はとても澄んでいて、歌声を聞いてみたいと思った程うっとりと聞き入ってしまうものだった。


「(…………綺麗、)」


この世界に生まれて、初めてとも言える感嘆のため息をついた。

それ程に、その青年は美しかった。まるで離れにあった朽ちかけの絵本に載っていた神様の様に、僕にはその青年が青々とした空の下で燦然と輝いて見えた。


「………」

「…はぁ、」


ぽけっと自分を見つめるだけの僕にため息をついた神様は、何故か僕の手を引き本邸と思われる建物の近くにある森へと歩き出した。

まだ神様に見惚れていた僕はされるがままになりながら、久方ぶりに感じる人のぬくもりに体温が少しつづ上がっていることに気付いた。


「(…神様が、僕に触れてる…)」


ーーあの、芸術的なまでに美しい人が、僕なんかを…。

そう思って、はっとした。

僕の手は、というか身体全体をもうしばらく洗っていない。とても汚いのではないだろうか?で、でも神様から触ってくれてるのに振り払うなんて勿体ないし、…失礼、かも。

そんな葛藤をしていると、神様が森に入ってしばらくした場所で足を止めた。


「弟よ、」


そう言われて、この神様は自分の兄なのだと理解した。


僕を見下ろす神様は、顔を顰めながらもどこか困った様な色が表情に滲んでいた。

それが人智を超えた美貌に人間味を出していて、目が離せなくなってじっと見上げていると、視線を彷徨わせた神様は、ため息をついて僕の頭を撫でた。


「もう…ここには来ない方がいい。お前の為にもな」


そして、神様はそのまま去ってしまった。

生まれて初めて魅力され、他人のぬくもりを感じ、自身を案じる言葉をかけられて、僕は呆然と立ち尽くした。






「………そんなの、」


無理に決まっている。一目で魅力されてしまったのに、会いにくるな、だなんて。








***








すっかり神様ーー兄様に魅力されてしまった僕は、それから間を空けずに会いに行った。

でも、兄様はとても忙しかったから、勉強と鍛錬以外の時間に顔を出した。

最初は遠くから見てるだけだったんだけど、勘の鋭い兄様はすぐに僕の視線に気付いてしまって。ため息をついたあと「気になるから、来たなら声をかけろ」と言われたので、言う通りにしたら兄様は構ってくれる様になった。

父には当然バレないように。使用人も同様にしてたけど、兄様付きの侍従だけは席を外せないから僕の存在を知っていた。

かけっこしたり、ボードゲームをしたり、たまに木製の剣を持たせてくださった兄様から、鍛錬の基礎を教えてもらったりした。

兄様はずっと優しかった。忙しいのに、自分の自由時間で僕を構ってくれて。

生まれて初めて夢中になれるものに出会って、僕は浮かれていた。





ーー兄様が優しいから、本当は僕をどう思っていたかなんて、想像すらしなかったんだ。








***








ある日、兄様の侍従から手紙をもらった。

にこやかに「離れに戻ってからお読みになってくださいね」と言われた。渋々、仕方なく、持ち帰った。…あの侍従は僕に対していい感情を持っていなかったはずだけど、一体どういう風の吹き回しなんだろ。

訝しげに思いながらも、手紙に書いてあったのは『兄様についての相談がある』だったから、僕はノコノコと指定された場所に行った。

手紙に入っていた正確な地図を頼りに着いたそこは本邸の中でも奥まっている区画にあり、あまり人が来なそうな場所だった。それでもこの場所を使っている人がいるのか、ひとつのベンチがひっそりと置かれていた。

そしてそのベンチには既に侍従がいて、しかも兄様までいた。


…兄様には内緒って書いてあったのに、どういうこと?

思わず近くの木の影に隠れてしまった。鋭い兄様に気付かれないように木々に紛れて少し距離を取る。別に堂々と出ていってもいいんだけど、侍従の意図を図りかねるし、それになりよりーー


「(………兄様、何か疲れてる?)」


ベンチに座っている兄様は、侍従に背中をさすられながら眉間を揉んでいた。伏せられた顔には疲れが滲んでいる様に見える。

侍従に呼び出されたけど、ここには兄様がいるし仕切り直しかも。それに、疲れている兄様にさらに負担をかける様なことはしたくない。

帰るべきかどうか迷っていると、距離をとっているはずなのに侍従と目があった気がした。そして、その顔が醜悪に歪む。


『…お元気を出してください、あるじ様。弟君を思いやれるそのお心は、とても素晴らしいですよ』


声も聞こえない距離を取ったはずなのに、まるで目の前で話しているかのように鮮明に聞こえた声に目を見開いた。

…これはおそらく侍従の特異な能力だ。この状況はあいつが仕組んだのか…、一体、なんの目的で。


『…やめてくれ。俺はそんな崇高な人間じゃない』

『ですが、立派に“兄”として弟君に接せられているではありませんか』

『………確かに、あんなに純粋に慕われるのは初めてのことだし、弟として可愛いとも思っている。


ーーだが、それ以上に恐ろしい』



「…………、っ」


思わず、息を呑んだ。

綺麗な顔を歪めて、兄様は本音を吐露しているのだと、気付いてしまったから。



『あいつの特異な能力は、恐ろしい。
お前も聞いていただろう。あいつはあの歳になるまでなんの教育も受けていないんだぞ?
これは予想だが、きっと食料もろくに与えられていないはずだ。ここに来てからずっと独りで、離れに閉じ込められてもいる。

ーーなのに、あいつは普通に歩いて、走って、俺たちと対等に話せている。

かけっこでは俺が本気で走らねば捕まえられないし、ボードゲームではルールを説明した初回で俺に勝ち、剣の鍛錬の基礎だってあっさりとこなしてしまった。

きっと、これはあいつの特異な能力だ。
神話に出てくる全知全能の神のように、とんでもない特異な能力が備わっているに違いない…。
あいつもそろそろ能力の診断の頃合いだろう。父は完全に放置しているが、もしこれが発覚した暁には俺は嫡男ではなくなる。俺が座っていた席にあいつが座らされるだろう。俺の今までの努力も…何もかも無に帰す。

あの父のことだ、俺の存在も、あいつを放置し冷遇したこともなかったことにして、あっさりと掌を返すはずだ。


俺は……、俺はそれが恐ろしい…』




絞り出したかの様な震える声は、とても切実な響きを持っていた。恐怖に歪む顔は、普段の神々しさからかけ離れ、僕に兄様はまだ幼い子供だったのだと突きつける。

親に見放され、今の立場を、環境を…失うかもしれない恐怖。今までの努力も、期待され耐えてきた重圧も、全て意味のない行為に帰ることへの虚無。何も知らずに慕ってくる弟を慈しみたい気持ちと、特異な能力への恐れ。

それらを心の中で抱えていた兄様は、それでも僕の前ではただの“兄”として振る舞っていた。その気持ちを悟られないように。


「(…………あぁ、)」


愕然とする僕を、侍従は勝ち誇ったような醜悪な笑みで蔑み、兄様を慰めるように言葉をかけながら去っていった。

…なるほど、侍従が見せたかったものは、聞かせたかったことは…これだったんだ。




「(……僕は、兄様にとって負担だったのか…、)」


そうだね、言われてみれば恐ろしいかもしれない。

僕はこの状態が普通だったし、僕の異常性を指摘する者は誰もいなかった。兄様がたまに変な顔をしていたときは、きっと僕の特異な能力を察していたからだったんだ。

でも、兄様は優しいから。僕には何も言わなかった。


どれくらい考え込んでいたのか、日が傾いた空気を感じ、僕は離れへと駆け出した。

それ程時間をかけずに着いた離れの、僕が閉じ込められている部屋へと飛び込む。ベッドとも言えない粗末なそれに寝転んで、飾ってあった木の剣を手に取った。

兄様から「もう使わないから」と貰ったその木の塊を抱きしめて、目を閉じた。





ーー眠ろう、深く、深い眠りに。



兄様が僕の存在が恐ろしいと言うなら、兄様の立場が確立するまでーー僕の存在が恐ろしくなくなるまで。

確か、この国の宗教では自分で自分を殺すことはいけないことだと言われていた。天国に行けずに地獄に堕ちちゃうんだって。

兄様の授業を盗み聞きして知ったことだ。

きっと兄様は天国へ行くはず。だから、僕が僕を殺しちゃうと地獄に行かないといけなくなるから、眠る。兄様が生涯ずっと僕を恐ろしく思うなら、自然と死ぬまでこのまま眠ろう。

この現世で一緒に居れないなら、せめて天国でぐらいは一緒に居たいから。天国なら、きっと現世ほど柵はないはずだ。だって、悪いことをしなかった人が行くところだ。頑張った分報われるように楽しい場所のはず。

そこで、兄様とまた楽しく過ごせたらいいな。……兄様が僕と一緒に居たくないなら仕方ないけど。

でも、兄様は僕をーー弟を可愛いって言ってくれたもんね。今はそれだけで胸がいっぱいだ。




「………、」


ほろり、と頬に何かが零れた気がしたけど、きっと気のせいだ。僕は悲しくなんかないもん。兄様の気持ちを顧みなかった僕が悪いんだから。…だから、これは罰なんだと思えばいい。

そう唱えながら、自分に言い聞かせるように繰り返す。

その間も、身体から何かが抜けていく感覚がしていて、きっと特異な能力が発動しているのだと思った。



ーー兄様が言うような、とんでもない能力なら、僕の思った通りにしてよね。



そう思っていると穏やかな眠気に誘われて、身体が何かに包まれる感覚に少しの安堵を覚え、意識を手放した。








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