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2 新しい侍女
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「娘娘。今日は朱雀宮に新しい侍女が来るんですよ」
長椅子に座る華娘の長い髪を丁寧な手つきで梳かしているのは朱雀宮侍女の静麗だ。彼女は華娘の髪を軽く高く結いながらこの殿舎に新しく来る侍女について話していた。
「どんな子が来るんでしょうかねぇ」
「名は何というの?」
「噂によれば李白雨という少女らしいですよ。姓が李になります」
「白雨と言うのね。それにしても何故、官女達の耳に届いている噂が私の耳に伝わっていないのか不思議だわ。朱雀宮の妃である私が知っておかなければいけないことではないの…?」
「えっ、伝わっていなかったのですか?」
華娘は首を縦に振った。静麗は驚き「知らせがきていないなんて…」と呟いている。このようなことはいつものことだったので気に病む程ではなかったが情報の少なさに時折うんざりする。静麗が再び髪を結い上げると赤い牡丹の造花がついた金細工の簪をいくつか髪に刺す。手慣れた手つきで華娘の顔に白粉をはたき、眉間に花鈿を描き、目元と口元に紅をさした。いつもの化粧が終わると静麗は化粧道具を仕舞い華娘に「もういいですよ」と言う。華娘は長椅子から立ち上がろうとしたところで静麗に手で制された。
「そういえば娘娘、よく聞いてください。今日は皇帝様が夜伽に参ります。ですから今日だけでもっ側室らしく、淑妃らしく!振る舞ってくださいね!」
「待て静麗、私はそのことを知らない。あの皇帝は馬鹿なのかしら、妃に知らせもせず夜伽に来るなど」
「お言葉遣いもどうか気をつけてくださいね、お願いですからっ‼︎」
今にも叫び出しそうな静麗を横目に、先程の白雨という朱雀宮に新しく来る侍女について話を戻す。
「白雨という侍女はいつ頃来るの」
「夜伽の話よりも大事ですかそれ……」
「えぇ。私の可愛い侍女達のことですから」
「娘娘のそういうところが好き……じゃなくて白雨という侍女は昼頃に来ると伺っております」
「随分と早いお出迎えなのね、分かったわ。時間になったらまた戻ってくる」
そう言い残すと有無を言わさず足速に部屋を後にした。向かった先は朱雀宮内にある物静かな東屋である。他の殿舎の妃達は東屋でお茶をしたり、侍女達と戯れる憩いの場所となっているだろうが、華娘の場合独りで読書に読みふけれる場所になっている為知ってか知らずか侍女達は東屋にいる華娘に話しかけてこない。けれど独りで居ると危ないと静麗に注意はされている。
他の妃よりも皇帝の寵愛を受けている華娘を殺害しようとする者は多く、後宮入りしてまもない頃華娘に出された茶を毒見した女官が倒れたり、毒の花が他の殿舎の妃嬪から送られてきたりと毒殺の手段で殺そうとする者が大半だった。
しかし最近では矢が飛んできたり寝込みを襲って来る者が増え、その度に官女や宦官が犠牲になるのが悲しく、日に日に孤立して行くようにこの東屋で独り読書をするようになった。
楊家の屋敷にいた頃から書物を読み漁るのは好きなためこの時間は嫌いじゃない。ただ、時々脳内にチラつくのは華娘と同じ、淡い青色の瞳をもつ少年の顔だった。血の繋がりはないけれど、幼い頃はよく遊んでいた。楊家と少年のいた鐘家は、西の国の血が混ざっているため両家共々友好関係であった。ただ楊家の方が位が高い士大夫なため、楊の娘として華娘が後宮に送り出されたのである。
華娘は東屋の椅子に腰掛けると、机の上に積み重なった書物の山の一つに手を伸ばし表紙を見る。表紙には「魔物」と書かれている。
そういえば鐘家の書庫に魔物について書かれた書物が腐る程あった。少年がその書物を手に華娘の元にやってくるのを思い出す。懐かしさのあまり口角が上がったが気を取り直し書物を開き内容を目で追っていく。
血を吸う鬼、髪が蛇のような女、狼男など現実ではあり得ないような摩訶不思議な魔物のことについて書かれている。血を吸う鬼、吸血鬼については鐘家の書庫にたくさんあった。西の方の国では人間の血を吸い生きながらえる鬼がいて、その鬼に血を吸われると鬼になる者もいればならない者もいるという。あの時少年は「父の趣味で」と言っていたため少年の父は相当の変わり者なのだろう。
華娘が面白おかしく書物を読んでいると突如背後から声をかけられた。
「娘娘」
至近距離から聞こえる声に華娘は飛び上がった。机の上に置いてある書物が床に落ちてゆく。あまりにも書物を集中して読んでいたため誰かがこちらにやってくる音が一切遮断されていた。
声のする方を見るとそこには今まで朱雀宮で見かけたことがない侍女が立っていた。茶色の髪色を持ち整った目鼻の形、けれど背は若干華娘よりも低く何よりも目を引いたのは淡い青色の瞳を持っている。
どこか既視感を感じた華娘は疑わし気に用件を聞く。
「朱雀宮で見ない顔の侍女ね。何故私の事を呼びに来た」
「申し遅れました。姓が李、名は白雨と申します」
「………白雨。そうか、貴方が新しく来た侍女ね」
白雨は丁寧にお辞儀をすると顔を上げて華娘の事を見つめる。淡い青色の瞳が華娘に何か訴えかけているように見えた。どこか面影が似ているのだ、鐘家のあの子に。
華娘は様子を見るように白雨を見つめた。白雨は気づかれていないと分かると視線を逸らし、ため息をつくと喉の調子が悪いのか咳き込む。そして先程よりも低い声で「失礼」と言うと華娘の手を取りその甲に軽い口付けをする。華娘が驚き手を引っ込めようとしたが力が強くなかなか振り払えない。
「馴れ馴れしいにも程がある。今すぐ手を離しなさい」
「娘娘。私は皇帝の命で華娘様の護衛を任されました」
いきなり話を切り替えられて華娘は眉間に皺を寄せる。しかも先程の高い声とは違い男性の低い声へと変わっているのだ。白雨という侍女は女装しているのだろうか。性器を持った男なら尚のこと華娘の近くにいるのは危険だ。
「そうか、なら手を離しなさい」
「ただ、もう一つ言いたいことがあるのですが発言の許可を」
「申せ」
早くこの茶番を終わらせたいと思った華娘は白雨から発せられる次の言葉で目を見開いた。
「李白雨というのは偽名です。私の本当の名は白衛と申します。姓が鐘で名が白衛です」
「……………………は?」
そう言って不敵に微笑む目の前の侍女を見て華娘は身を固くする。既視感の正体は後宮に入内する前に仲が良かったあの少年、白衛で間違えなかった。あまりにも女装が様になりすぎていて気づかなかった。それに華娘よりも背が若干低いのは幼い頃から変わらないが、全体的に成長している。
華娘がこの後宮に来てからも密かに想いを馳せていた人物、初恋に忠実な華娘の思い人が今目の前にいるのだ。誰も予想はしていなかっただろう、初恋相手が女装して後宮に来るなど有り得ない。
「な、何故白衛が後宮にいるの⁉︎そ、それに女装なんて…」
「武官として宮城にきたのですが今では皇帝の護衛を務めさせて頂いている身です。ですが淑妃様が近頃独りで行動するようになったと女官から伺ったので皇帝の命で護衛として朱雀宮に忍びこんでます」
「それは…色々と大丈夫なのか…」
「詳しいことは今夜、皇帝に聞かれてみてはいかがですか?」
そういうことか。静麗がいきなり皇帝が夜伽に来ると言っていたのは白雨という侍女について話すためだったのか。ということは静麗と白衛、皇帝は繋がっている……?
「あの皇帝のことだからきっと何か裏がありそうね。…………それよりも白衛、私は今貴方に会えてとても嬉しいわ」
「えぇ………俺もです。華娘」
淑妃が皇帝以外の者に恋をするなどあってはならない、今この思いがどれだけ重いものなのか華娘自身自覚してつもりでいる。幼い頃、思い続けると約束したことなど今の白衛は覚えていないだろう。けれど華娘の護衛となった今、白衛の側で彼の成長を見届けることは出来るはずだ。
「私の護衛としてこれからもよろしく頼む」
華娘がそう告げると白衛は可愛い八重歯を覗かせながら苦笑した。
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「名は何というの?」
「噂によれば李白雨という少女らしいですよ。姓が李になります」
「白雨と言うのね。それにしても何故、官女達の耳に届いている噂が私の耳に伝わっていないのか不思議だわ。朱雀宮の妃である私が知っておかなければいけないことではないの…?」
「えっ、伝わっていなかったのですか?」
華娘は首を縦に振った。静麗は驚き「知らせがきていないなんて…」と呟いている。このようなことはいつものことだったので気に病む程ではなかったが情報の少なさに時折うんざりする。静麗が再び髪を結い上げると赤い牡丹の造花がついた金細工の簪をいくつか髪に刺す。手慣れた手つきで華娘の顔に白粉をはたき、眉間に花鈿を描き、目元と口元に紅をさした。いつもの化粧が終わると静麗は化粧道具を仕舞い華娘に「もういいですよ」と言う。華娘は長椅子から立ち上がろうとしたところで静麗に手で制された。
「そういえば娘娘、よく聞いてください。今日は皇帝様が夜伽に参ります。ですから今日だけでもっ側室らしく、淑妃らしく!振る舞ってくださいね!」
「待て静麗、私はそのことを知らない。あの皇帝は馬鹿なのかしら、妃に知らせもせず夜伽に来るなど」
「お言葉遣いもどうか気をつけてくださいね、お願いですからっ‼︎」
今にも叫び出しそうな静麗を横目に、先程の白雨という朱雀宮に新しく来る侍女について話を戻す。
「白雨という侍女はいつ頃来るの」
「夜伽の話よりも大事ですかそれ……」
「えぇ。私の可愛い侍女達のことですから」
「娘娘のそういうところが好き……じゃなくて白雨という侍女は昼頃に来ると伺っております」
「随分と早いお出迎えなのね、分かったわ。時間になったらまた戻ってくる」
そう言い残すと有無を言わさず足速に部屋を後にした。向かった先は朱雀宮内にある物静かな東屋である。他の殿舎の妃達は東屋でお茶をしたり、侍女達と戯れる憩いの場所となっているだろうが、華娘の場合独りで読書に読みふけれる場所になっている為知ってか知らずか侍女達は東屋にいる華娘に話しかけてこない。けれど独りで居ると危ないと静麗に注意はされている。
他の妃よりも皇帝の寵愛を受けている華娘を殺害しようとする者は多く、後宮入りしてまもない頃華娘に出された茶を毒見した女官が倒れたり、毒の花が他の殿舎の妃嬪から送られてきたりと毒殺の手段で殺そうとする者が大半だった。
しかし最近では矢が飛んできたり寝込みを襲って来る者が増え、その度に官女や宦官が犠牲になるのが悲しく、日に日に孤立して行くようにこの東屋で独り読書をするようになった。
楊家の屋敷にいた頃から書物を読み漁るのは好きなためこの時間は嫌いじゃない。ただ、時々脳内にチラつくのは華娘と同じ、淡い青色の瞳をもつ少年の顔だった。血の繋がりはないけれど、幼い頃はよく遊んでいた。楊家と少年のいた鐘家は、西の国の血が混ざっているため両家共々友好関係であった。ただ楊家の方が位が高い士大夫なため、楊の娘として華娘が後宮に送り出されたのである。
華娘は東屋の椅子に腰掛けると、机の上に積み重なった書物の山の一つに手を伸ばし表紙を見る。表紙には「魔物」と書かれている。
そういえば鐘家の書庫に魔物について書かれた書物が腐る程あった。少年がその書物を手に華娘の元にやってくるのを思い出す。懐かしさのあまり口角が上がったが気を取り直し書物を開き内容を目で追っていく。
血を吸う鬼、髪が蛇のような女、狼男など現実ではあり得ないような摩訶不思議な魔物のことについて書かれている。血を吸う鬼、吸血鬼については鐘家の書庫にたくさんあった。西の方の国では人間の血を吸い生きながらえる鬼がいて、その鬼に血を吸われると鬼になる者もいればならない者もいるという。あの時少年は「父の趣味で」と言っていたため少年の父は相当の変わり者なのだろう。
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「娘娘」
至近距離から聞こえる声に華娘は飛び上がった。机の上に置いてある書物が床に落ちてゆく。あまりにも書物を集中して読んでいたため誰かがこちらにやってくる音が一切遮断されていた。
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どこか既視感を感じた華娘は疑わし気に用件を聞く。
「朱雀宮で見ない顔の侍女ね。何故私の事を呼びに来た」
「申し遅れました。姓が李、名は白雨と申します」
「………白雨。そうか、貴方が新しく来た侍女ね」
白雨は丁寧にお辞儀をすると顔を上げて華娘の事を見つめる。淡い青色の瞳が華娘に何か訴えかけているように見えた。どこか面影が似ているのだ、鐘家のあの子に。
華娘は様子を見るように白雨を見つめた。白雨は気づかれていないと分かると視線を逸らし、ため息をつくと喉の調子が悪いのか咳き込む。そして先程よりも低い声で「失礼」と言うと華娘の手を取りその甲に軽い口付けをする。華娘が驚き手を引っ込めようとしたが力が強くなかなか振り払えない。
「馴れ馴れしいにも程がある。今すぐ手を離しなさい」
「娘娘。私は皇帝の命で華娘様の護衛を任されました」
いきなり話を切り替えられて華娘は眉間に皺を寄せる。しかも先程の高い声とは違い男性の低い声へと変わっているのだ。白雨という侍女は女装しているのだろうか。性器を持った男なら尚のこと華娘の近くにいるのは危険だ。
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「ただ、もう一つ言いたいことがあるのですが発言の許可を」
「申せ」
早くこの茶番を終わらせたいと思った華娘は白雨から発せられる次の言葉で目を見開いた。
「李白雨というのは偽名です。私の本当の名は白衛と申します。姓が鐘で名が白衛です」
「……………………は?」
そう言って不敵に微笑む目の前の侍女を見て華娘は身を固くする。既視感の正体は後宮に入内する前に仲が良かったあの少年、白衛で間違えなかった。あまりにも女装が様になりすぎていて気づかなかった。それに華娘よりも背が若干低いのは幼い頃から変わらないが、全体的に成長している。
華娘がこの後宮に来てからも密かに想いを馳せていた人物、初恋に忠実な華娘の思い人が今目の前にいるのだ。誰も予想はしていなかっただろう、初恋相手が女装して後宮に来るなど有り得ない。
「な、何故白衛が後宮にいるの⁉︎そ、それに女装なんて…」
「武官として宮城にきたのですが今では皇帝の護衛を務めさせて頂いている身です。ですが淑妃様が近頃独りで行動するようになったと女官から伺ったので皇帝の命で護衛として朱雀宮に忍びこんでます」
「それは…色々と大丈夫なのか…」
「詳しいことは今夜、皇帝に聞かれてみてはいかがですか?」
そういうことか。静麗がいきなり皇帝が夜伽に来ると言っていたのは白雨という侍女について話すためだったのか。ということは静麗と白衛、皇帝は繋がっている……?
「あの皇帝のことだからきっと何か裏がありそうね。…………それよりも白衛、私は今貴方に会えてとても嬉しいわ」
「えぇ………俺もです。華娘」
淑妃が皇帝以外の者に恋をするなどあってはならない、今この思いがどれだけ重いものなのか華娘自身自覚してつもりでいる。幼い頃、思い続けると約束したことなど今の白衛は覚えていないだろう。けれど華娘の護衛となった今、白衛の側で彼の成長を見届けることは出来るはずだ。
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