死ねない死者は夜に生きる

霜月透子

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少女は独りで狩りをする

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 両手の指先を軽く地面につけ、弓を引き絞るように腰を低く落とした。女が角を曲がると同時に茂みから飛び出す。夜風を割り、一瞬で女の肩口に噛みつく。当然、女は気づかない。蚊に刺されたほどの自覚もないはずだ。
 歯を立てると張りのある皮膚の弾力を感じた。さらに噛み締めると、弾かれそうな抵抗力はぷつりと失せ、歯は皮膚を突き破った。肉に達したが、見た目より硬い。一旦肩からは口を離し、すぐさま二の腕を噛み直した。今度は甘く口当たりのいい風味が口内に広がる。

 ふと、女と目が合った。勘のいい獲物だ。慌てて口を離し、身を伏せる。こちらから見えてもあちらからは見えないはずではあるが、絶対にないとは言い切れない。今までに一度たりとも姿を見られたことはないが、まれにこの女のように気配を感じとる者がいる。
 だが、女はさして気にした様子もなく軽く腕をさすっただけで、なにごともなかったかのように歩き去った。

 伏せていた体を起こす。気づかれなかったことに安堵すると同時に、かすかな落胆をも感じていた。こちらからは認識できているのに、あちらは重なり合う世界があることなど知る由もない。恐怖でも怒りでも憎しみでも、拒絶でもいい。誰かになにかの感情をぶつけてほしい。そんなものは永遠に与えられないのだと受け入れなければならないのに。望むだけ苦しくなる。

 夜の空気が粗く波打つ。飢えた死せる者の唸り声が空気を震わせていた。細やかな波動の虫の声とは混ざることのない粗野な振動。死せる者の声は先ほどまでよりも騒がしい。見れば、黒い影が増えている。

 いつのまにか月にかかる雲が薄らいでいた。光があるほどに闇は深まる。闇が深まると、明かりに群れる羽虫のように、狩るために死せる者が深夜のコンビニに集まってくる。

 まさしく虫だな、と脳裏に浮かんだ表現に自ら同意する。動物であれば多少の意思疎通もできようが、それもかなわない者どもは虫と呼ぶにふさわしい気がした。虫のような者どもを蔑み、無意味な優越感に浸ると同時に、いっそ知性など持たずにいられたらどれほど楽だろうかと羨望を抱いたりもする。

「ああ、まただ」

 日に何度も同じようなことを考えてしまう。望んだとしても変えられるものではないのに。そのくせ、人間らしい感覚と知性が薄れていくことを恐れている。どれほど時が経っても自分の望みさえわからないでいる。

 知性を持たぬ者は自分たちが群れていることすら自覚していないのだろう。協力して狩りを行う個体が見られないの証左だ。

 激しくなる狩りをしばし眺める。死せる者が食欲を増す様子を見ているうちに、こちらは食欲が失せてきた。知性があろうがなかろうが、狩りを始めてしまえば自分もコンビニの明かりに群がる虫の一匹なのだと思うとますます熱が冷めていく。

 常に営業しているガラス張りの店がコンビニという名だということは、店に出入りする人々の会話からそれと知った。コンビニというのがコンビニセンスストアの略称だと知ったのはさらに後のことだった。
 あれはいつのことだったか。記憶をたどろうとしてみても、写し取ったように代わり映えのない日々が脳裏に浮かぶだけだ。昨日と今日どころか今年と昨年がいれかわったとしても気づかないだろう。

 年月の感覚はとうに失っている。今がいつなのか知る方法はいくらでもある。どこかで新聞なりカレンダーなりを入手すれば知ることなどたやすいだろう。だが、知ったところでどうなるものでもない。虚しさがますだけだ。昼か夜か、満月かそうではないか、それがわかれば充分だ。

 ぐおっと声がして、はっと目をやる。獲物に飛び掛かろうとした個体が勢いあまって飛んできている。挨拶でもするようにスカートを二箇所摘み上げる。ぶつかる直前に死せる者の腰のあたりを蹴り上げると、捕食中の群れまで吹っ飛んだ。食事を邪魔された者どもが苛立ちもあらわに争いを始める。騒動の源がここにいることを誰も気づかない。しかも今しがたまで襲っていた獲物が去っていくにも見向きもしない。獲物もまた、自分が襲われていたことも、解放されたことも気づいていない。

「愚かだ」

 呟いてみたものの、それが誰に向けたものなのか自分でもわからなかった。生ける者なのか、死せる者なのか。どちらにも属さない自らのことなのか。

 見上げた夜空には月が薄雲をまとっている。

 二本の足でアスファルトを踏みしめ、車の流れを縫って国道を渡る。死せる者の身体能力をもってすれば、一般道を走る車の速度など人の歩行速度と大差ない。
 防風林となっている松林を抜ければ、波の音が大きくなる。国道より三メートルほど低い砂浜に飛び降りるのは容易だが、あえて生ける者のようにコンクリートの階段を一段ずつ踏みしめて下りていった。
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