青い瞳

影山紫苑

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第3話

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第3話

「終わったぁぁ―!」

雑巾を投げる勢いで床に放った涼花は、その場にへなへなと座りこんだ。

「皆お疲れ。」

夏の大掃除は、3時間程かけて終了した。全体としての休憩は挟まず、動きっぱなしだった為、流石に疲れたのだろう。皆その場に座りこんでいる。

「…お腹減った…」

「じゃあ、お昼にしよっか。1階に理科室があったから、そこで食べよう。少しは涼しいかもよ?」

「理科室は涼しいっていうの確定なんか…」

「そういうイメージがあるの。なんとなく。」

私達は床から立ち上がると、鞄とお昼ご飯を持ち理科室へと向かった。

「でもこの校舎、1階は何気に涼しくない?」

「確かに。窓がそんなないから陽射しに当たることもないし、結構過ごしやすいかもしれへんな。」

1階は、他の階に比べて窓が少ない。その為、陽射しにあまり当たることのないこの階は、比較的過ごしやすいだろう。

「でも、こういう旧校舎だからこそ、色んな話とかあるよね。例えば…七不思議とか。」

「あー、うちそういうの無理や。」

「でも、ここの七不思議。私聞いたことあるんだよね。理科室にある人体模型が動くんだって。」

「定番に近いやつやな。でもそんなことそうそうないし…七不思議なんてただのデマやん。信じてる方がアホらしい。」

そう言った涼花が理科室のドアを開けると、すぐ目の前に人体模型が立っていた。それを見た涼花の悲鳴は、この旧校舎中に響いただろう。すぐそばにいた私達の耳がおかしくなる勢いだった。

「じ、じ、人体模型…が、動いてる…人体模型が動いてる!!」

私の後ろに隠れるように逃げてきた涼花は、震えながら人体模型を指差した。が、人体模型はもちろん動いていない。

「涼。よく見なって、人体模型動いてないから。」

「え。嘘。」

「お前…もう少し女らしい悲鳴あげらねぇのかよ…」

「う、うるさいなぁ!しゃーないやん。めっちゃ近くにあったんやで!?誰だってビビるわ。それになぁ、女の子らしい悲鳴なんか、作りもんでしかないんや!本当の悲鳴なんかこんなもんやで!」

涼花は人体模型を指差しながら、昴の言葉に反抗しているが、まだ足は震えている。本当に驚いたのだな。と、私は思った。

「なんでこんなとこにあるんだか…昴。これそこら辺に運んでくれない?」

「わかった。」

昴は、「これいつ見ても気持ちワリィな…」と呟きながら、人体模型を持ち上げ、理科室の中に入ると、隣にある準備室の扉を開け、中へと運んでいった。

「はぁー。やっとお昼食べられるー。」

涼花は理科室の机の上に荷物を置くと、椅子に座り、昼ご飯幼に買ったパンの入った袋を漁りはじめた。

「…この暑い中、よく食欲がわくな。俺はもう何も食える気がしない…。」

蒼は、へなへなと教室の隅っこに座りこんだ。

「体力ないなぁ!そんなんじゃいざとなった時すぐやられるでー!」

「いただきまーす!」と手を合わせた涼花は、サンドイッチにかぶりついた。その横で、雪斗と昴もパンを頬張っている。
蒼はというと、顔を伏せたままで飲み物にでさえ手を付けていない。私は蒼の隣に座ると、鞄の中から取り出したタオルを蒼の頭にぶつけるように投げた。蒼は驚いたように顔を上げると、「何すんだよ」とでも言うように私のことを見た。

「汗、拭いときなよ。それから、お昼もちゃんと食べなきゃダメ。はい、こっちなら食べやすいでしょ。」

私は自分の持っていた袋から、購買で買ったサンドイッチの封を開け、蒼の方へと差し出した。しかし、蒼は受け取ろうとせずに目線を私から外す。

「ふーん。私の言うことなんか聞かないって訳ね。そっちがその気なら、やってやるわよ。」

そう言いながら、私はタオルで蒼の顔を乱暴に拭き始めた。
蒼は抵抗するように手を伸ばすが、私はその手を気にせずに彼の顔を拭く。

「ちょ、おい!やめろっての!」

蒼が私の腕を掴んで、タオルを自分の顔から引き剥がすと、「やめろよ…」と呟いた。その後大きな溜息をつくと、私の方へと体ごと向け、目を合わせた。

「いてぇんだよ…」

「最初っから素直に受け取ってたら、こんなふうにはしなかったわよ。」

「…わかった…わかったから。」

諦めたような顔をすると、「あ。」と口を開けた。
「何してるの?」と焦らそうと思ったが、それで拗ねられると面倒くさいので、私は素直に、サンドイッチを蒼の口へと運んだ。すると蒼は、サンドイッチにかぶりつき、自分の手でサンドイッチを持つと、黙々と食べ始めた。その様子を見ながら、私は当初は半分にするはずだった、目の前のハードでガッツリなパンの封を開けた。蒼にあんなことを言っておきながら、自分だって食欲はこれっぽちもない。封を開けたものの、口へ運ぼうとは思えなかった。

「…食わねぇのかよ?…」

「…ん?あぁ…。なんかすごいハードだなって思っただけ。」

「…人にはあんなこと言っておいて、結局自分も食えねぇんじゃねぇか…。」

「そう言われると、返せる言葉が何もないな。」

溜息をついた後、ゆっくりとパンにかぶりついてみたが、フランスパンは硬く、噛みきるのが少し大変だった。具もたくさん入っていて、食欲は進むどころか、落ちていくばかりだ。

「…無理ならやめとけよ。」

「…うん。持って帰って弟にでもあげるわ。」

私はパンの袋の開け口を縛ると、そばにあった机の上に置いた。壁に寄りかかってみると、少しひんやりしていて気持ちが良かった。

「…ねぇ、なんで最近すぐに学校来ないの?」

「…だから言っただろ。深夜にアルバイトしてて、朝起きらんねぇんだよ。」

「ちゃんと学校来ないと単位落とすかもしれないって言ってるでしょ?」

「そんなのはわかってっけどよ…」

「それに、なんでバイトする必要があるの?お金が足りないから?でも欲しいものなんてないって言ってたし、どこかに通うためのお金が必要なわけでもない。学費だって、蒼のお父さんが払ってくれてるのに…。」

蒼は気まずそうな顔をすると、また私から目線を外し、何も気にしていないようにサンドイッチを食べていた。

「ねぇ…何か隠してるんじゃないの?」

「何も隠してねぇよ…」

「蒼。私の目を見てちゃんと言って。」

「うるせぇな」

蒼はイライラした様子でサンドイッチが入っていた袋をまとめると、私を睨みつけるように視線を合わせてきた。

「俺がなんの目的でバイトしてようが、お前には関係ねぇだろ!」

吐き捨てるように言ったその言葉の後、蒼は気まずそうにまた目線を外した。しかし、めずらしく蒼が大声を出したので、パンを食べ終えていた3人が様子を見に来た。

「え、何どうしたんよ?」

「2人で何かあったの?」

涼花と雪斗の言葉に、もちろん蒼の返事はない。3人がどんどん
心配してしまう。と思った私は、わざと明るく声を上げた。

「何でもないよ。蒼だってたまには声を出したほうがいいって言ったら、意外にも大きな声が出たっていうだけ。」

「それにしては随分と辛口な言葉だったけどな。」

「蒼が大声出せるのなんて、そういう言葉しかないもの。だからだよ。本気じゃないから、心配しないで。」

「…なら、いいんやけど…」

完璧に納得させるのは無理だったが、3人の問いは終わった。私はその場で立ち上がると、「ちょっと…飲み物買ってくる。」そう言って教室を出た。

「優美!」

「…心配しないで。本当に何でもないから。」

廊下に出た私を呼び止める涼花に振り返らないまま、私は逃げるように走り去った。

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蒼の言いたいことはわかっている。いくら幼馴染でも、踏み込んでいいラインと、そうではないラインがある。そうではないラインとは、家族のことや、蒼自身のこと。家族でも何でもない私が、触れてはいけないことがある。そんなことわかっているのに、わかってるはずなのに、ついお節介を焼いてしまう。それが蒼にとって迷惑だということも知っているのに。蒼自身に強く否定させれると、それなりに傷付くこともある。自分が悪いとわかっているのに、何故傷つくのか。それはやはり…私が彼を好きだからなのだろう。伝えられないままでいるその想いを、いつまでも断ち切ることができない。断ち切るどころか、どんどん強くなってしまう。

「あーあ。またお節介焼いちゃった…。」

飲み物を買いに行くと言っただけなのに、いつの間にかグラウンドまで来てしまった。戻ろうと思ったが、自然と木陰にあるベンチに座った。フェンスの向こうで、サッカー部が練習をしている。

「…大変そう…」

サッカー部員は、この炎天下の中、1周400mあるトラックを走り、顧問から「あと10周ー!」と怒鳴られている。

「あー!見つけたで!」

しばらくして、練習を見ている後ろから、聞き覚えのある声がした。振り返ると、そこにいたのは旧校舎の理科室から出てきた4人だった。

「飲み物買いに行くのに何時までかかってんよ!」

「あ。ごめん…。ちょっと休んでただけなんだけど…」

「まったくもう!ちょっと心配したやんか!」

「ごめんごめん。もう戻るから…」

そう言って私が立ち上がった時だった。グラウンドの方から騒ぎ声が聞こえ始めたのだ。気になってグラウンドの方を見てみると、1人の生徒が倒れ、その周りを他の生徒が囲んでいる。

「え、どしたんかな…」

「熱中症にでもなったんじゃねぇの。」

「いや、それにしてはちょっと様子がおかしいんじゃ…」

雪斗の言葉を遮るように、隣から「ねぇ、あれサッカー部で1番人気の斎藤君だよね!?」と甲高い声が聞こえた。サッカー部の練習を見ていた女子が、倒れている「斎藤君」を心配しているらしい。

「ねぇ、斎藤くんの頭から血出てない?」

「えー!なんで!?」

「私知ってる。さっき聞こえたんだけど、斎藤君ドリブルしてる時に転んじゃって、そのボールを取ろうとした秋山君の足が、斎藤君の頭にぶつかって、スパイクの先で額の部分が切れちゃったんだって!」

「えー!それ大丈夫なの!?」

その会話を聞きながら、もう1度斎藤君の方を見ると、額かどうかはわからないが、頭をタオルで抑えている先生の手には血が付着していて、よくよく見ると、彼の頭がある部分の地面には血が広がっていた。

「かなりの出血だな…」

「ねぇ、もう行こ!うちもう見てたくない!」

遠くの方から救急車のサイレンが聞こえる。
斎藤君の周りには、先生達がたくさんいて、周りの生徒に「離れなさい!」と指示をしていた。

「優美!行くで!」

涼花が私を呼んでいる。しかし私の耳には、彼女の声がものすごく遠くから聞こえる気がしていた。いや、聞こえていたとしてもそれに反応できないと言うのが正しいのだろうか。ただ目の前の光景に、私の頭の中で、思い出したくない記憶が浮かんできていた。

「優美!はよ行くよって…」

自分の体が小刻みに震えているのがわかる。外はこんなにも暑いはずなのに、汗もかいていない。ただただ、自分の体が冷たくなっていくような感覚と、目の前の視界が歪んでいることだけが、今の私が感じている変異だ。

「え…優美大丈夫?」

震える。主に足が震えていて、うまく立てない。フェンスにしがみついても、支えにならない。とうとう私は、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

「優美!?」

涼花が私のそばに駆け寄り、顔を覗き込む。「どしたん!?大丈夫!?」と声をかけてきているが、私は息がうまくできていない状態にあった。右手で胸元を抑えながら、うまく呼吸を整えようとするが、目の前の光景が視界に少しでも入るだけで、呼吸ができなくなる。苦しい。このまま息が止まってしまうかもしれないと思うほどに、私は息をうまく吸うことも、吐くこともできなかった。

「優美!どうした!」

「蒼!優美が突然苦しみだしたんやけど、なんでなんかわからへんの!ねぇ、どうしたらいいん!?」

「おい!救急車呼べ!」

蒼や涼花に声をかけられているのはわかっていても、内容まで聞き取ろうとまでは考えられなかった。どんどん苦しくなっていく息も、整ってくれる様子はない。

「優美!しっかりしろ!優美!」

蒼の顔が視界に入ったとき、蒼は、今までにないほどの不安と驚きが混じった顔をしていた。そしてその顔が、この時私が見た最後の記憶。蒼の顔が見えた後、私の視界は暗闇となった。


第3話  終

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