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悲劇
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嵯峨は出張の帰り道にレンタカーを借りた。
税務署勤務といえど、業務の都合上たまに出張はあった。
打ち合わせから空港に向かう途中だった。
対向車のトラックが突然、白線を越えて向かってきた。
「ああああっ!」
景色が暗くなった。
翌日。
晴美はいつも通りの仕事をしていた。
「下田さん、1番に電話です」
「はい」
ボタンを押す。
「お電話変わりました。下田です」
「もしもし、悦子!」
「あら、どうしたの?」
「ニュース見てないの?」
「えっ?」
悦子の言葉が分からなかった。
嵯峨が事故で亡くなった知らせを聞いた。
「…晴美!聞いてる?」
「…嵯峨さんが?ウソ…」
「ホントなの…」
倒れた。
受話器が机に落ちた。
目がさめると病室にいた。
意識を失ってた。
時計が目に入った。
3時間も意識が無かった。
悦子がそばにいた。
「晴美!大丈夫?晴美?」
「…悦子?」
「良かった…目が覚めたのね」
「夢を見たの…嵯峨さんが亡くなった夢をね、悦子が電話で知らせてきて…」
悦子は黙った。
混同してる。
事実を夢と思ってる晴美に、かける言葉が見つからない。
「…晴美、ホントなの」
「えっ?」
「ホントなの…」
晴美の目に涙が溢れた。
しばらく沈黙すると、反動なのか叫んだ。
「いやぁぁぁぁ!」
悦子は思わず抱きしめた。
「晴美…晴美…」
晴美も悦子に抱きつき、出せる涙と声を張り上げた。
一か月後。
「大丈夫なのか?下田さんは」
「はい…でも、仕事も行けずに家に閉じこもっていて…」
「無理もないよ、いきなりの事故だからな」
「毎日、顔を見てますけど…」
「反応は?」
「抜け殻みたくなってて、言葉も交わしてくれません」
「そうか…家の事はいいから、なるべく彼女のそばに居てあげてくれ」
「はい、ありがとうございます」
悦子は通った。
仕事終わりに晴美に会い、それから帰路につく生活を続けた。
「私…幸せになっちゃいけないんだよね」
その言葉が悦子の心を貫いた。
「そんな事ないわよ」
「神様が、オマエは幸せになれないって言ってるのかな…」
「バカな事言わないの!」
悦子は悩んだ。
明らかに1人にはしておけない、そう思っていた。
(伸一さんに相談してみよう…)
「どうしたらいいか、分からなくて」
「1人にしておけないと?」
「はい、このままだと自殺するかもしれません。そんな気がするんです」
「でも、パート辞めて下田さんといるの?」
「大人ですから、彼女の問題なんですけど…あの子1人では立ち直れないかも」
「うーん、どうしようかね?」
「だから、晴美と過ごした方がいいのかな?って…もちろん、お家の事はキチンとします」
「あっ、いや…それはいいんだ。ちょい時間くれないか?」
「何か?」
「ん、方法を考えてみるわ」
嬉しかった。
いくら悦子の友人と言えど、これは晴美個人の問題だ。他人が口を挟める事ではない。
普通なら方法なんて、考えるスジでもないのだが。
だが、伸一は影山の時も考えて救ってくれた。
いつも悦子の力になってくれた。
だから、悦子は全身全霊で伸一を愛した。
伸一のためなら命だって惜しくない。
それぐらい愛していた。
翌日の夜。
「あのさ、まぁ、下田さんの事だけど…」
「はい」
「この家に呼んでみてはどうかな?」
「えっ?ここにですか?」
「うん、賭けなんだけどね」
「でも…」
「まぁ、聞いてくれ。ここでなら、悦子も仕事辞めなくて済むし、部屋も1つ空いてるから、そこで暮らせばいい。ただ、掃除とか出来る家事はしてもらう、後は…まぁ、夜は…」
「それ、大事かも…」
「うん、まぁ、ラブホでするかね?」
「いいんですか?」
「一生いるわけでもないし、元気になったら家に戻ればいいしね。仕事は俺がどこか探してあげるよ」
「晴美がなんて言うか…」
「今は、彼女の心を立ち直すのが先決だ。影山に嵯峨さんと、信じたモノが居なくなる…もう、下田さんは自暴自棄になるかも知れない。だから、多少無理でも連れて来た方がいいと思う」
「そうなんでしょうか?」
「本来なら、下田さん1人で解決すべき問題だ。他人がどうこう干渉すべき話でもない、しかし、時に人の助けを
借りなければ、立ち直れない時もある…今の下田さんは1人では無理と思う」
悦子もその通りだと感じた。
本来なら、真一が考えるべきものでもない。
常識からも外れていると思う。
だが、どうしても晴美を見捨てたくなかった。
高校からの付き合いで晴美の性格をよく知る上で、今の晴美に自力での復活は困難に思えた。
「仮にここに来るとして、問題はそれからどうするか…だな」
伸一言う賭けは、そこにあった。
「ウチらの夫婦生活を見て、余計に落ち込む可能性もあるんだよな」
「あ…そうですよね」
「接し方が大事になるね」
「どうすればいいんでしょうか?」
「う~ん、まず、ルールを作ったほうがいいかもな」
「ルール?」
「うん、俺たちはなるべく3人で行動するようにして、悦子と俺の時間は下田さんには見せない」
「はい…」
「それから、カウンセリングも必要なら受けさせる」
「それは必要かも…ですね」
「あとは、出たとこ勝負かもね。下田さんの状態を見ながら決めていくしかないな」
「分かりました、話してみますね…それと」
「うん?」
「本当にすみません、伸一さんに余計な負担をさせてしまって」
「それはいいよ、一度は彼女のプライバシーに突っ込んだんだ。なるべく救ってあげよう」
晴美は自室で何もせずにベッドに横になっていた。
コンコンとノックで起き上がった。
「はい」
悦子が笑顔で顔を覗かせた。
「ハイ」
「うん…」
「何もしてないの?」
「うん…何も手につかなくて…」
「仕事は?」
「辞めたわ…もう続けていられない」
落胆の目を浮かばせる晴美に悦子は提案した。
「あのね…聞いてくれるだけでいいんだけど…」
「なに?」
「私たちとしばらく一緒に住まない?」
思いがけない話に、言葉にならず悦子を見上げた。
「驚くよね…実はね、伸一さんとも話して、晴美さえ良ければ気晴らしに私たちと生活してみないかって」
「…どうして?」
「晴美だから正直に話すね。影山の事もあったけど、嵯峨さんも無くなって気力もないのは分かってる。今の晴美には自分で立ち直れないのも想像はつくの。だから、少しでも力になろうって思ったの」
晴美は泣き出した。
「…どうして?いつもどうして悦子はそんなに?」
「高校からの親友でしょ? アタシはいいけど晴美は、弱いところあるから…もうこのままにはしておけないって思ったの…伸一さんも賛成してくれたわ」
「でも、2人の生活があるし…私なんかお邪魔でしかない」
「うん、たぶん窮屈さもあると思う。でも、慣れればなんとかなると思うわ」
「…少し考えさせてもらってもいい?」
「うん…」
そして3日後の土曜日。
晴美は伸一宅を訪れた。
「大丈夫ですか?」
「はい、山咲さんにもご迷惑をおかけしてすいません」
「いやいや…それより決心はつきましたか?」
「あの…ホントに私なんかが来てもいいのですか?」
「構いませんよ…ただ、家事はお願いすると思うけど…ははっ」
「はい、それは何でもやらせてもらいます」
「じゃあ、決まりね!いつからにする?晴美」
「えっ…うん、どうしたら?」
「じゃあ、今日からにしよ」
悦子は嬉しかった。
悦子は晴美と一旦自宅に戻り、一週間分の着替えを持って戻ってきた。
ここから3人の奇妙な生活が始まり、それは思いがけない方向へと進んでいく。
その晩は、悦子と晴美で晩御飯を作った。
「下田さんは料理は出来るの?」
「はい、一応は…姉に仕込まれましたから」
食卓に3人分の料理が並び、ビールで乾杯した。
「ねぇ、晴美さ、お仕事始めてみない?」
「えっ?」
「伸一さんの紹介で、近くにある商店街でパートの募集してるんだって」
「でも…」
そこで伸一が口を挟んだ。
「最初に少しだけ決め事をしませんか?」
「あっ、はい」
「ここで生活してもらって構いませんので、掃除とか家事関係は悦子と話して自由に決めてください。それから義務として、生活費を2万円だけ入れて下さい。それ以外はいらないので」
「でも、それだと2人の負担が…」
「それは大丈夫です。何でもタダというのは心苦しいでしょう。だから決めた金額だけ入れて余計な負担は考えないようにして下さい」
「悦子…それでいいの?」
笑顔で頷いた。
「これだけは心に留めて欲しいのですが、人は何もせずに考え込むと必ず悪い方に考えがちになります。なので、仕事は必ずして生活にメリハリをつける事です」
「…はい」
そこからは談笑になった。
晴美はいつも1人で食事をしていた。
それは腹を満たすだけのもので、数人で食べる楽しみを初めて感じた。
晴美は自分の部屋で荷物の整理をした。
悦子が入ってきた。
「ちょっと緊張するね」
「うん…でも、まだいいのかな?って思ってる」
「晴美には、少しぐらい強引にしないとね」
「ホント…悦子はいつもそうだよね」
「ふふっ…思い出すね、中島の家に乗り込んだ時のこと」
「あ~、悦子が木刀持っていくなんて」
「だって、許せなかったんだもん…あんな女々しいやつ」
「いつも悦子が何とかしてくれてたんだね…」
悦子は居住まいを正して晴美に言った。
「これは絶対言うなって言われてるの…だから、晴美の胸だけに留めておいて!」
「う…うん…なに?」
「実は、影山がいなくなったでしょう?」
「うん」
「あれ…伸一さんの仕組んだことなの」
「えっ!」
悦子は経緯を話した。
晴美も涙が出てきた。
一通り話した悦子は晴美に問いかけた。
「怒ってる?」
晴美は首を横に振った。
「アタシが一番、伸一さんと結婚したいって思ったのは他人でも真剣に考えてくれる人だから、すごく温かい人なの」
無言で頷いた。
「見返りも求めないし、私がお礼を言ったらどうしたと思う?」
「うぅっ…分かんない」
「ただ、笑顔でラーメン奢ってくれって…それだけなの」
「うっうっ…」
必死に鳴き声をこらえていた。
「じゃあ、奢ったの?」
「それがね、食べた後、サッサと2人分払っちゃってた!」
「そうなの?」
「だから、今日は払いますって言ったら、また今度でいいよって。でも、その今度が未だに来ないのよ」
「ふふっ…なにそれ?」
「今回の件も相談したらね、ここに住んだらって言ってくれたの…晴美が親友だって理解してくれたから」
「そうなんだ…いい人ね」
「聞いたら、伸一さんは高校出て大学から収縮するまで地元を離れているから、親友って言える人が傍にいないって言ってたの…だから、アタシと晴美の関係が羨ましいって…」
「悦子…羨ましい」
「アタシも伸一さんには感謝してるの…だから、何でもしてあげたいって思ったのよ」
晴美の涙は落ち着いていた。
「アタシなんてアバズレって言われたわ」
「それは知らない間のことでしょ? 未だに後悔してた」
「ふふふっ、でも知らなかった…山咲さんがしてくれてたなんて」
「コータ達も驚いてた、あんな計画立てるなんてね」
「いいなぁ…アタシも山咲さんみたいな人がいたらなぁ…」
晴美の中で伸一への印象が大きく変わっていった。
「ほら!顔拭いて」
悦子はティッシュを渡した。
晴美は涙と鼻も拭っていた。
「じゃあ、これは少し明るくなった晴美へのご褒美ね」
悦子は晴美の顔をやさしく掴んでキスをした。
晴美も自然に受け入れた。
悦子にはこんな一面もあった。
別に帰国子女ではないが、晴美には抵抗なく出来た。
軽いキスで、女子高生同士がノリでやるのと似ていた。
「ねぇ…なんでキスしたの?」
「そうねぇ…ご褒美かな?」
「なにそれ?」
「ん~…晴美が元気になるたびに、そのご褒美として…」
「それがキスなの? おかしくない?」
「いいじゃん、なんか心に残らない?」
「…まぁ…残ると言えばそうだけど」
「まぁ、2人の秘密ってことでね、別に嫌じゃないでしょ?」
「でも、それって恋人同士でするものじゃない?」
「あら、抵抗なく受け入れたクセに」
「それを言われると…悦子が彼氏ならいいのに…」
「そうね、そしたら晴美をお嫁さんにしてるかもね」
1枚隔てたドアの向こうで伸一が聞いていた。
悦子の言葉通り、伸一は2人を羨ましく感じた。
キスの感覚は理解不能だが、それでも晴美が回復するならいいかも知れないとも感じた。
リビングに戻ると伸一がウィスキーを飲んでいた。
「そこにいたんですか?」
「あぁっ、一杯飲むかい?」
悦子は伸一の横に座って、炭酸割りを作った。
「立ち直れそうか?」
「まだ分かりませんけど…」
「そうか…」
「あっ、それとごめんなさい」
悦子は伸一に頭を下げた。
「どうしたの?」
「影山の事、話してしまいました」
「ははっ…いいよ、たぶん話す日が来ると思ってたから」
「でも、考えたら晴美がキューピット役だったのかなぁって思うんです」
「なんで?」
「だって、伸一さんが晴美のためにしてくれて、それを見て結婚したいって思ったんです。好きから愛してるに変わったと思ってましたから…」
「そうかぁ…じゃあ、やって良かったなぁ」
「ホントですか?」
「うん、だってこんなエッチな嫁さん手に入れたから」
「ちょ、ちょっと誤解ですぅ! それは伸一さんが変えたからです!」
「ははっ、だからちゃんと責任取ったでしょ?」
「…はい、その通りです」
1か月が過ぎた。
3人の生活も少しずつ形になってきた。
晴美は伸一の紹介先で働き始めた。
手取りで15万円のパートで、そこから悦子に2万円を渡した。
新しい仕事に慣れることと、3人の生活を考え始めて晴美は伸一の言葉を思い出していた。
「考えすぎると悪い方ばかり思ってしまう」
その通りだと思った。
他に優先しなきゃならないことばかりで、嵯峨の事は部屋で1人になった時だけ思い出す。
土日は3人で過ごした。
時々の「夫婦生活」のため晴美を残して2人で楽しんだ。
そこは晴美も大人の理解で気を利かせた。
夜にはまた3人で食事をする。
晴美も少しずつ心が平穏に戻るのを感じた。
悦子は晴美の顔が明るくなるたびにキスをした。
晴美も抵抗なく受け入れてた。
いつの間にか、キスする度に明るくなってるような気がした。
こんな奇妙なやりとりも、悦子と晴美の中だから成立した。
税務署勤務といえど、業務の都合上たまに出張はあった。
打ち合わせから空港に向かう途中だった。
対向車のトラックが突然、白線を越えて向かってきた。
「ああああっ!」
景色が暗くなった。
翌日。
晴美はいつも通りの仕事をしていた。
「下田さん、1番に電話です」
「はい」
ボタンを押す。
「お電話変わりました。下田です」
「もしもし、悦子!」
「あら、どうしたの?」
「ニュース見てないの?」
「えっ?」
悦子の言葉が分からなかった。
嵯峨が事故で亡くなった知らせを聞いた。
「…晴美!聞いてる?」
「…嵯峨さんが?ウソ…」
「ホントなの…」
倒れた。
受話器が机に落ちた。
目がさめると病室にいた。
意識を失ってた。
時計が目に入った。
3時間も意識が無かった。
悦子がそばにいた。
「晴美!大丈夫?晴美?」
「…悦子?」
「良かった…目が覚めたのね」
「夢を見たの…嵯峨さんが亡くなった夢をね、悦子が電話で知らせてきて…」
悦子は黙った。
混同してる。
事実を夢と思ってる晴美に、かける言葉が見つからない。
「…晴美、ホントなの」
「えっ?」
「ホントなの…」
晴美の目に涙が溢れた。
しばらく沈黙すると、反動なのか叫んだ。
「いやぁぁぁぁ!」
悦子は思わず抱きしめた。
「晴美…晴美…」
晴美も悦子に抱きつき、出せる涙と声を張り上げた。
一か月後。
「大丈夫なのか?下田さんは」
「はい…でも、仕事も行けずに家に閉じこもっていて…」
「無理もないよ、いきなりの事故だからな」
「毎日、顔を見てますけど…」
「反応は?」
「抜け殻みたくなってて、言葉も交わしてくれません」
「そうか…家の事はいいから、なるべく彼女のそばに居てあげてくれ」
「はい、ありがとうございます」
悦子は通った。
仕事終わりに晴美に会い、それから帰路につく生活を続けた。
「私…幸せになっちゃいけないんだよね」
その言葉が悦子の心を貫いた。
「そんな事ないわよ」
「神様が、オマエは幸せになれないって言ってるのかな…」
「バカな事言わないの!」
悦子は悩んだ。
明らかに1人にはしておけない、そう思っていた。
(伸一さんに相談してみよう…)
「どうしたらいいか、分からなくて」
「1人にしておけないと?」
「はい、このままだと自殺するかもしれません。そんな気がするんです」
「でも、パート辞めて下田さんといるの?」
「大人ですから、彼女の問題なんですけど…あの子1人では立ち直れないかも」
「うーん、どうしようかね?」
「だから、晴美と過ごした方がいいのかな?って…もちろん、お家の事はキチンとします」
「あっ、いや…それはいいんだ。ちょい時間くれないか?」
「何か?」
「ん、方法を考えてみるわ」
嬉しかった。
いくら悦子の友人と言えど、これは晴美個人の問題だ。他人が口を挟める事ではない。
普通なら方法なんて、考えるスジでもないのだが。
だが、伸一は影山の時も考えて救ってくれた。
いつも悦子の力になってくれた。
だから、悦子は全身全霊で伸一を愛した。
伸一のためなら命だって惜しくない。
それぐらい愛していた。
翌日の夜。
「あのさ、まぁ、下田さんの事だけど…」
「はい」
「この家に呼んでみてはどうかな?」
「えっ?ここにですか?」
「うん、賭けなんだけどね」
「でも…」
「まぁ、聞いてくれ。ここでなら、悦子も仕事辞めなくて済むし、部屋も1つ空いてるから、そこで暮らせばいい。ただ、掃除とか出来る家事はしてもらう、後は…まぁ、夜は…」
「それ、大事かも…」
「うん、まぁ、ラブホでするかね?」
「いいんですか?」
「一生いるわけでもないし、元気になったら家に戻ればいいしね。仕事は俺がどこか探してあげるよ」
「晴美がなんて言うか…」
「今は、彼女の心を立ち直すのが先決だ。影山に嵯峨さんと、信じたモノが居なくなる…もう、下田さんは自暴自棄になるかも知れない。だから、多少無理でも連れて来た方がいいと思う」
「そうなんでしょうか?」
「本来なら、下田さん1人で解決すべき問題だ。他人がどうこう干渉すべき話でもない、しかし、時に人の助けを
借りなければ、立ち直れない時もある…今の下田さんは1人では無理と思う」
悦子もその通りだと感じた。
本来なら、真一が考えるべきものでもない。
常識からも外れていると思う。
だが、どうしても晴美を見捨てたくなかった。
高校からの付き合いで晴美の性格をよく知る上で、今の晴美に自力での復活は困難に思えた。
「仮にここに来るとして、問題はそれからどうするか…だな」
伸一言う賭けは、そこにあった。
「ウチらの夫婦生活を見て、余計に落ち込む可能性もあるんだよな」
「あ…そうですよね」
「接し方が大事になるね」
「どうすればいいんでしょうか?」
「う~ん、まず、ルールを作ったほうがいいかもな」
「ルール?」
「うん、俺たちはなるべく3人で行動するようにして、悦子と俺の時間は下田さんには見せない」
「はい…」
「それから、カウンセリングも必要なら受けさせる」
「それは必要かも…ですね」
「あとは、出たとこ勝負かもね。下田さんの状態を見ながら決めていくしかないな」
「分かりました、話してみますね…それと」
「うん?」
「本当にすみません、伸一さんに余計な負担をさせてしまって」
「それはいいよ、一度は彼女のプライバシーに突っ込んだんだ。なるべく救ってあげよう」
晴美は自室で何もせずにベッドに横になっていた。
コンコンとノックで起き上がった。
「はい」
悦子が笑顔で顔を覗かせた。
「ハイ」
「うん…」
「何もしてないの?」
「うん…何も手につかなくて…」
「仕事は?」
「辞めたわ…もう続けていられない」
落胆の目を浮かばせる晴美に悦子は提案した。
「あのね…聞いてくれるだけでいいんだけど…」
「なに?」
「私たちとしばらく一緒に住まない?」
思いがけない話に、言葉にならず悦子を見上げた。
「驚くよね…実はね、伸一さんとも話して、晴美さえ良ければ気晴らしに私たちと生活してみないかって」
「…どうして?」
「晴美だから正直に話すね。影山の事もあったけど、嵯峨さんも無くなって気力もないのは分かってる。今の晴美には自分で立ち直れないのも想像はつくの。だから、少しでも力になろうって思ったの」
晴美は泣き出した。
「…どうして?いつもどうして悦子はそんなに?」
「高校からの親友でしょ? アタシはいいけど晴美は、弱いところあるから…もうこのままにはしておけないって思ったの…伸一さんも賛成してくれたわ」
「でも、2人の生活があるし…私なんかお邪魔でしかない」
「うん、たぶん窮屈さもあると思う。でも、慣れればなんとかなると思うわ」
「…少し考えさせてもらってもいい?」
「うん…」
そして3日後の土曜日。
晴美は伸一宅を訪れた。
「大丈夫ですか?」
「はい、山咲さんにもご迷惑をおかけしてすいません」
「いやいや…それより決心はつきましたか?」
「あの…ホントに私なんかが来てもいいのですか?」
「構いませんよ…ただ、家事はお願いすると思うけど…ははっ」
「はい、それは何でもやらせてもらいます」
「じゃあ、決まりね!いつからにする?晴美」
「えっ…うん、どうしたら?」
「じゃあ、今日からにしよ」
悦子は嬉しかった。
悦子は晴美と一旦自宅に戻り、一週間分の着替えを持って戻ってきた。
ここから3人の奇妙な生活が始まり、それは思いがけない方向へと進んでいく。
その晩は、悦子と晴美で晩御飯を作った。
「下田さんは料理は出来るの?」
「はい、一応は…姉に仕込まれましたから」
食卓に3人分の料理が並び、ビールで乾杯した。
「ねぇ、晴美さ、お仕事始めてみない?」
「えっ?」
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「でも…」
そこで伸一が口を挟んだ。
「最初に少しだけ決め事をしませんか?」
「あっ、はい」
「ここで生活してもらって構いませんので、掃除とか家事関係は悦子と話して自由に決めてください。それから義務として、生活費を2万円だけ入れて下さい。それ以外はいらないので」
「でも、それだと2人の負担が…」
「それは大丈夫です。何でもタダというのは心苦しいでしょう。だから決めた金額だけ入れて余計な負担は考えないようにして下さい」
「悦子…それでいいの?」
笑顔で頷いた。
「これだけは心に留めて欲しいのですが、人は何もせずに考え込むと必ず悪い方に考えがちになります。なので、仕事は必ずして生活にメリハリをつける事です」
「…はい」
そこからは談笑になった。
晴美はいつも1人で食事をしていた。
それは腹を満たすだけのもので、数人で食べる楽しみを初めて感じた。
晴美は自分の部屋で荷物の整理をした。
悦子が入ってきた。
「ちょっと緊張するね」
「うん…でも、まだいいのかな?って思ってる」
「晴美には、少しぐらい強引にしないとね」
「ホント…悦子はいつもそうだよね」
「ふふっ…思い出すね、中島の家に乗り込んだ時のこと」
「あ~、悦子が木刀持っていくなんて」
「だって、許せなかったんだもん…あんな女々しいやつ」
「いつも悦子が何とかしてくれてたんだね…」
悦子は居住まいを正して晴美に言った。
「これは絶対言うなって言われてるの…だから、晴美の胸だけに留めておいて!」
「う…うん…なに?」
「実は、影山がいなくなったでしょう?」
「うん」
「あれ…伸一さんの仕組んだことなの」
「えっ!」
悦子は経緯を話した。
晴美も涙が出てきた。
一通り話した悦子は晴美に問いかけた。
「怒ってる?」
晴美は首を横に振った。
「アタシが一番、伸一さんと結婚したいって思ったのは他人でも真剣に考えてくれる人だから、すごく温かい人なの」
無言で頷いた。
「見返りも求めないし、私がお礼を言ったらどうしたと思う?」
「うぅっ…分かんない」
「ただ、笑顔でラーメン奢ってくれって…それだけなの」
「うっうっ…」
必死に鳴き声をこらえていた。
「じゃあ、奢ったの?」
「それがね、食べた後、サッサと2人分払っちゃってた!」
「そうなの?」
「だから、今日は払いますって言ったら、また今度でいいよって。でも、その今度が未だに来ないのよ」
「ふふっ…なにそれ?」
「今回の件も相談したらね、ここに住んだらって言ってくれたの…晴美が親友だって理解してくれたから」
「そうなんだ…いい人ね」
「聞いたら、伸一さんは高校出て大学から収縮するまで地元を離れているから、親友って言える人が傍にいないって言ってたの…だから、アタシと晴美の関係が羨ましいって…」
「悦子…羨ましい」
「アタシも伸一さんには感謝してるの…だから、何でもしてあげたいって思ったのよ」
晴美の涙は落ち着いていた。
「アタシなんてアバズレって言われたわ」
「それは知らない間のことでしょ? 未だに後悔してた」
「ふふふっ、でも知らなかった…山咲さんがしてくれてたなんて」
「コータ達も驚いてた、あんな計画立てるなんてね」
「いいなぁ…アタシも山咲さんみたいな人がいたらなぁ…」
晴美の中で伸一への印象が大きく変わっていった。
「ほら!顔拭いて」
悦子はティッシュを渡した。
晴美は涙と鼻も拭っていた。
「じゃあ、これは少し明るくなった晴美へのご褒美ね」
悦子は晴美の顔をやさしく掴んでキスをした。
晴美も自然に受け入れた。
悦子にはこんな一面もあった。
別に帰国子女ではないが、晴美には抵抗なく出来た。
軽いキスで、女子高生同士がノリでやるのと似ていた。
「ねぇ…なんでキスしたの?」
「そうねぇ…ご褒美かな?」
「なにそれ?」
「ん~…晴美が元気になるたびに、そのご褒美として…」
「それがキスなの? おかしくない?」
「いいじゃん、なんか心に残らない?」
「…まぁ…残ると言えばそうだけど」
「まぁ、2人の秘密ってことでね、別に嫌じゃないでしょ?」
「でも、それって恋人同士でするものじゃない?」
「あら、抵抗なく受け入れたクセに」
「それを言われると…悦子が彼氏ならいいのに…」
「そうね、そしたら晴美をお嫁さんにしてるかもね」
1枚隔てたドアの向こうで伸一が聞いていた。
悦子の言葉通り、伸一は2人を羨ましく感じた。
キスの感覚は理解不能だが、それでも晴美が回復するならいいかも知れないとも感じた。
リビングに戻ると伸一がウィスキーを飲んでいた。
「そこにいたんですか?」
「あぁっ、一杯飲むかい?」
悦子は伸一の横に座って、炭酸割りを作った。
「立ち直れそうか?」
「まだ分かりませんけど…」
「そうか…」
「あっ、それとごめんなさい」
悦子は伸一に頭を下げた。
「どうしたの?」
「影山の事、話してしまいました」
「ははっ…いいよ、たぶん話す日が来ると思ってたから」
「でも、考えたら晴美がキューピット役だったのかなぁって思うんです」
「なんで?」
「だって、伸一さんが晴美のためにしてくれて、それを見て結婚したいって思ったんです。好きから愛してるに変わったと思ってましたから…」
「そうかぁ…じゃあ、やって良かったなぁ」
「ホントですか?」
「うん、だってこんなエッチな嫁さん手に入れたから」
「ちょ、ちょっと誤解ですぅ! それは伸一さんが変えたからです!」
「ははっ、だからちゃんと責任取ったでしょ?」
「…はい、その通りです」
1か月が過ぎた。
3人の生活も少しずつ形になってきた。
晴美は伸一の紹介先で働き始めた。
手取りで15万円のパートで、そこから悦子に2万円を渡した。
新しい仕事に慣れることと、3人の生活を考え始めて晴美は伸一の言葉を思い出していた。
「考えすぎると悪い方ばかり思ってしまう」
その通りだと思った。
他に優先しなきゃならないことばかりで、嵯峨の事は部屋で1人になった時だけ思い出す。
土日は3人で過ごした。
時々の「夫婦生活」のため晴美を残して2人で楽しんだ。
そこは晴美も大人の理解で気を利かせた。
夜にはまた3人で食事をする。
晴美も少しずつ心が平穏に戻るのを感じた。
悦子は晴美の顔が明るくなるたびにキスをした。
晴美も抵抗なく受け入れてた。
いつの間にか、キスする度に明るくなってるような気がした。
こんな奇妙なやりとりも、悦子と晴美の中だから成立した。
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「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
上司、快楽に沈むまで
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完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
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