ブレない男の最後

Yamato

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三年目研修

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箱根の山奥を、山本はバスで運ばれていた。天気も良くリゾートに来るには最適だろうが、会社の研修ともなれば何も無いつまらない場所だ。
(二年振りか…)ここに来るのは新人研修以来である。
時はバブル時代が弾けて、社会の景気も軒並み冷え込み、新卒の採用にブレーキがかかっていた。山本が勤める「アールイーディーカード株式会社」も多分に漏れず、新卒は今年も採用活動を見送った。
取締役人事部長の香山のアイディアで、既存社員の活性という目的で、若手の育成に力を入れる案が採用された。
研修施設はバブル時代に買った小さなホテルを改装したものだ。
大浴場も会議室も揃っている。
山本達の同期は皆、研修の対象となり今日から三泊四日を共にする。
男どもは、同期でも高嶺の花と言われた三浦麻美と過ごせる事を喜んだ。
社長秘書で、社内でも美人と言われた三浦の外見は群を抜いていた。セミロングの髪に大きな目とスジの通った鼻柱、そして少し厚みのある唇は、男なら誰もがモノにしたいだろう。
誰もが、この研修で距離を縮めたく思いを巡らせていた。
「着いたぞ~」山本と同大学で二年先輩の渡辺篤史が先導した。
高台にある施設に足を下ろすと、山の麓に街が見える。周囲では小鳥が歓迎するかの様に鳴いていた。
「じゃあ、これから部屋の割り振りをするから、荷物を置いて会議室に集合してくれ」各部屋のカギを渡され、部屋に入るとビジネスホテルの様に小ざっぱりした風景が現れた。
(まっ、こんなもんか…)山本は筆記用具を手に取り、会議室に向かった。

会議室は席が決められており、名札には数字とアルファベットが書かれている。
みな、それを見て不思議に思ったが、人事部長の香山と課長の福田、そして渡辺が入ると姿勢を直した。
「えー、お疲れ様です。今日から皆さんは四日間の研修に入ります。ここで学ぶことは、「判断力と自由な発想」となります。バブルが弾けて以来、どの業界も生き残るために必死になっています。我々も生き残るべく、今後の会社をどう良くして、業績を伸ばすか、という事が問われます。みなさんには、上司も部署も関係無く、自由な発想を養ってもらい来週からの業務に活かして貰いたい。その為の研修と思って下さい」
香山の演説が終わると、スケジュールが渡辺から説明された。
夜は全員で宴会が待っていた。
だが、研修は全てが研修であり、常に見られている。街で飲む時と同じでは無いが、多少のガス抜きがある事に三十人全員が少しホッとしていた。
「では、みなさんの名札について説明します。数字とアルファベットがありますが、数字は個人を示し、アルファベットはグループを示しています。グループディスカッションの時は同じアルファベット同士がグループとなります。個別でのディベートや集計を取るときは数字で分かれて貰います」
(なるほどね…)
山本は名札を胸に付けて配られたスケジュールを改めて見直した。グループは書かれておらず、その場での発表となるのは分かった。
「では、自己紹介を右端からお願いします」右には人事部の中村が居た。彼も等しく研修内容は聞かされていない。
最後まで、一人ずつ話しては拍手が惰性の様に叩かれたが、三浦麻美の時だけは、男子社員は大きな拍手で歓迎した。

「では、只今から始めます!まず、最初の講義は…」渡辺が用紙を捲っている。
「自由討議です」
会議室が騒ついている。
「えー、私たちがテーマを幾つか提供します。それについて意見を述べて下さい。個人で結構です。その意見に賛成、反対どちらでも構いません。みなさんで討論して下さい。私たちは進行役と煮詰まったらアシストします。いいですか?」
初めての事でいいか、悪いかなんてわからないが、従うしか無かった。
「時間はどのくらいですか?」
三浦が挙手をした。秘書の習性なのだろうか?と山本は少し笑った。
「二時間です」渡辺は全員を見渡した。
「他に質問は?」誰も無言だった。
「最初のテーマは男女平等です」
世の中では、女性の社会進出が叫ばれており、女性政治家は事ある毎に主張している。確かに女性の発想は男性に無いものがあり、女性経営者も増えつつある。
「アールイーディーカード」でも女性の総合職を増やし、業績向上と社内の活性化を取り入れ始めたところだった。
いきなり重いテーマとも言える。
先頭は人事部の中村が手を挙げた。
「これからは、女性の社会進出も増えてきます。能力のある女性は待遇を良くして、男性と対等の評価をするべきです。アメリカでは既に確立されており、女性経営者も珍しくありません。私たちのカードも女性の使用を増やすために営業部に女性チームを作ってはどうか、とも思っています」
中村は人事部らしい発言をした。この発言には女性から拍手が起きた。
誰もが、この発言に反論するものはいなかった。確かに間違ってはいない。世の風潮と会場の同意に逆らうのはマイナスに取られかねない。
「他の意見はありますか?」
進行役の福田が求めた。ディベートとしては反対意見がないと成立しない。中村の意見だけなら二時間も必要ない。
「ハイ、どーぞ」
福田が田山を指した。
山本と同じ営業で、仙台支店の勤務だ。
「あのー、平等ってなんですかね?」
不意を突いた質問だった。山本も一番感じていた疑問だ。
ノンビリした性格である田山の質問に中村は『やれやれ』と言う顔をして手を挙げた。
「平等は平等だよ。扱いを公平に見るって事だ。成績を出したなら、男性と同じに評価をする。これが平等だろう!」
中村の意見は総論だ。完全に田山を見下していた。だが、田山の質問はそこには無かった事を中村は気づいていない。
他の連中は顔を俯いたり、見渡したりしている。
「女性の目線ではどうかな?」
福田が切り出した。
「では、三浦さん」
男性の視線が一斉に集中した。
「…ハイ」三浦がゆっくり立ち上がる。
「確かに男女平等は大事な事だと思います。中村さんの言われた様に、評価を公平にしてもらえば、女性もヤル気が出てくると感じます。しかし…」
少し口籠もった。
「遠慮なく言って下さい」
香山が笑顔で催促した。
「男性目線の平等と、女性の思う平等は
果たして一致するのでしょうか?」
「ほう…続けて下さい」
香山が顔を突き出した。
「考え方がまるで違う気がするんです。上手く言えませんけど、男性は、男性が考える枠の中に女性の平等をハメている様な気がします」
「これは面白い!さすが三浦さんだね」
香山は手を叩いて笑った。中村の顔が少しバツ悪そうだ。
秘書室にいるせいか、取締役の香山と対しても恐れの無い態度に感心する。
「それを具体的にいうと何だろう?」
福田が続けた。
「ちょっと、今は具体的には思いつかないんですけど…」
三浦も突然のテーマに発想が纏まっていないから、返答に困った。
「…そうですか、では、これを説明出来る人はいますか?」
香山が皆を見渡した。
なんとなく、窓の外を見てる山本が気になり発言を催促した。
「山本さん、どうかね?」
当てられて、前髪を手グシで整えながら静かに予想外の言葉を吐いた。
「人間社会で平等は成り立ちますか?」
この問いに全員が山本を凝視した。
「どういう意味かな?」
香山も予想しない山本の言葉に虚を突かれた。山本は構わず続けた。
「私の持論ですが、世の中に平等が成り立つのは二つだけと思っています」
「それは何ですか?」
香山が怪訝な顔つきで聞いた。
「命と空気です」
三浦も中村も「へっ!?」と驚いてる。
「生まれた命そのものに格差は無いと思います。地球上で人が住んでいる所も等しく呼吸は出来ます。しかし太陽や水でさえ、地球上では平等には与えられていません。砂漠に水は無く、気温も同じではありません。
社会も同じで資本主義でも社会主義でも、貧富の差は必ずあります。当然、会社に入れば社長と平社員がいる。これだって見方によれば不平等ですよ。男女も同じで、お互いに心中を理解してないモノ同士が、同じ目線で平等は語れない」
香山がなるほど、と小声で呟いた。
「だから、女性は社会での平等な扱いを望むんでしょう?」
初めて、経理部の大山雅美が喋った。
「平等な扱いって?」
「…それは、えーと…」ズバッと聞かれると案外出てこないものだった。
「では、私が変わりに例を一つ…」と大山に目配せした。
大山も山本の助け船に表情が和らいだ。
「例えば、女性が考えたプロジェクトが具体的に動き出した、とします。その時に女性社員が妊娠して、産休と育児休暇を取って、後は男性社員が引き継ぎプロジェクトを成功させた、としましょう」福田も黙って聞いている。
「人事部の方にお聞きします。この場合の女性社員の評価はどうなりまか?」
渡辺は目を細めている。
「評価…とは?」香山が聞いた。
「女性は仕事と結婚のどちらを取るか、選択しなければならない時もあります。
プロジェクトが発足して間も無く、産休に入るのは悪ですか?」
「いや…そうとは言えない…」
香山が返す。
「では、答えて下さい。どういう評価を付けるのか?」
山本と香山はお互いだけを見ている。取締役相手に一歩も引かない雰囲気に周りがハラハラしていた。
「五分五分ならどうかね?」
重く口を開いた。五分五分というのもおかしいのだが。
「おそらく、女性は納得しないですよ」
その時、女性全員が頷いた。
「ホラ、部長…女性のこれが本音です」
「いや…その…」
一斉に注目されて香山も焦った。オブザーバーのはずが、いつの間にか研修生の敵にされてしまっている。
「どうしてかわかりますか?」
「何故だね?」
「休んだ理由が妊娠だからですよ。先ほど香山さんはそれを悪ではないと言われましたね。男性も理解してるのであれば、産休も育児休暇も減点の要因にするのはおかしい、と女性は思う筈ですよ」
女性全員が大きく頷いている。
「じゃあ、どうすれば平等な評価になるんだね?」
「簡単な事です。両方とも最高の評価にすればいい」
「それは…無理だろう」渡辺は二人のやりとりをオドオドして見ていた。
「ですよね。だから、人間社会では平等は成り立たないんですよ」
「評価は必ず差を付けなければならない。全員同じに出来ないのは当然だ」
「それを無理と言っている間は平等は不可能でしょうね」
それも一理ある。
「やっぱりおかしいぞ!」
中村が突然立ち上がった。
「お前は黙ってろ!」
山本はゆっくり中村を見た。
中村は、何とか香山の前で秀でたモノをアピールしたかったが、山本の迫力に気押されグッとこらえた。
三浦は何度も頷いていた。言いたかった事を山本が具体化してくれた、そんな頷きだった。

ここで、アメリカの帰国子女である小木ローラ美波が手を挙げた。 
「そもそも男性は女性なんて、下に見ているでしょう?特に日本は男尊女卑がずっとあると思います。平等なんて夢物語じゃないの?」
小木の意見は核心だった。
ここで一気に流れが変わった。
中村は震えていた。香山は感心した目つきで山本に質問した。
「では、山本さん、どうするのが良いと思いますか?」
「これは簡単には行かない問題です。一番の問題は平等とは、環境や立場によって大きく左右されます。先に述べた命そのものは平等です。しかし、生まれた環境が金持ちと貧乏なら、すでに平等ではありません。加えるならば、金持ちだけど冷たい家庭、貧乏だけど暖かい家庭では、どちらを選択するかは個人の価値観で変わります。平等とはその時々で変わるもの、という認識を持たなければなりません。それに…女性が言う平等の主張には盲点があります」
「盲点?」
三浦は首を傾げた。
山本は一息ついて続けた。
「男性が引き受ける不利な事を、女性もやらなきゃならなくなるよってこと!」
「不利な事って?」 
三浦が聞いた。
誰もが、山本の演説に引き込まれた。香山でさえ、じっくりと聞く姿勢を崩さない。話すスピードもゆっくりとしていて抑揚もある。
「例えば、仕事によっては二十四時間勤務の仕事もあります。ホテルのフロントとか、コンビニとか…夜間工事も入りますね。そういう職業では、女性の方も夜中の勤務を組み込まれたら、どう思いますか?」
誰も返事は無かった。三浦も黙ってる。
「それって、女性にとっては不利な事ですよね。でも、その大変な部分は男性が引き受けてるんですよ」
「会社も女性社員の夜間勤務は、何かと問題が起きる可能性があるから、避けてるところもあります。でも、女性が平等を望むなら、それも受け入れないと不平等だ、と思いませんか?」
香山と福田が大きく頷いている。
「残業は男がやって、女は帰ります…重くシンドイ仕事は男性の役目でアタシ達は関係ありません…それでは男が不満爆発になる。女性はそれでも平等を求めますか?人事はどうしますか?」
山本は香山にむき直した。さすがの香山も黙りだした。
「会社はどう考えてるんですか?」
小木ローラが遠慮無く聞いた。
福田も渡辺も、マズい表情で香山を見るしか出来なかった。
「あっ、すいませんでした。これは私達のディベートでしたね…会社の見解を聞く場ではなかったですね…」と振った山本が矛先を変えた。
「みんな、生まれも育ちも違えば、平等と感じる事も違う。さっきも言ったけど、女性社員は残業の件も含めて、優遇されてる面があることも認識してほしい。田山さんの疑問がその通りで、平等の定義を分かってないのに主張しても意味はない。会社は人間が作るものだ。もし、会社が本気で平等を唱えるならば、人事だけでなくて各部署の老若男女を集めて検討すべきです」
「それって無理なんじゃ…」
田山が山本をみながら呟く。
「無理と思ったらそこで終わりだ。でもね、僕はそれほど平等にこだわる必要は無いと思ってます」
「なんでかね?」香山の声だった。
「自分が必死にやって届かなければ、まだ足りなかったかな?と思えばいいんですよ。会社はそんなに都合良く判断はしてくれないし甘くもない。でも身近にいる誰かが評価してくれればいいんです。また次回頑張ればいいんですよ。小木さんの言う通り、平等は夢物語でも本人が楽しく仕事が出来るなら不満なんてないんですよ。だから、平等なんて考えない。それよりも…」
「何だね?」
「頑張りを期待してるのに、出る杭を叩く事はなんとかなりませんかね?」
アールイーディーカードでも、最近は事なかれ主義が蔓延し、誰もが思いきった事が中々出来ないでいた。
山本はここぞ、とばかりに続けた。
「欲や立場で、出る杭を平らにしようとするから、みんな縮こまって飛び出した事をしなくなるんす。失敗したら評価が下がる、それでは誰も貝のように何も言わなくなります。それでも何かしらの意味はあります。まぁ、内容にもよりますが、健全な失敗は構わないでしょう。それを会社にはお願いしたく思います」
全員が凍りついた。三年目研修で取締役の香山に意見するなんて、前代未聞でしかない。福田も渡辺も、香山の心中を伺うように見ている。
「必ずしもそうではないよ」
「まぁ、出方にもよりますけどね。でも、今後はそういう事への改革も期待出来ますかね?」
「ん?…あぁ」そう答えるしかない。
「では、まとめに入りますが、平等の定義を同一にする、男性は女性の不利なところを見直す、女性は男性がやっている不利な事も引き受ける。コレが私の平等だと考えます。だけど…」ここで香山を真っ直ぐ見た。
「会社は、社員が伸び伸びと働ける環境を、ミスしてもやり直せるようにチャンスを作って欲しいですね…以上です」
中村以外の全員が拍手した。

「では次のテーマです」

(あいつ…面白いなぁ)

香山は心中で、山本に興味を持った。
いきなり平等は成り立つのか?とテーマに逆行する言葉から入る。ディベートで引き込む時に使うテクニックだ。その上で、自分の意見を理解してもらうために、山本は香山を仮想敵にして、周りを賛同させた。
それだけなら単なる文句言いでしか無いが、その上で難なく平等は必要無いと意見を打ち立てた。女性に不利な事を引き合いに出して、黙らせるあたりは香山にも無かった発想だ。確かにそれを言われたら、女性が主張する偏った平等も切り返すことは出来る。
最後に平等なんて当てにせず、自分がどう満足出来る心理で働くか?の方が確かに健全だし、大切な事だ。
このディベートで与えたテーマの解決は望んでいない。だが、山本は平等の結論を出しつつ、平等をタテに職場の環境改善要求をサラリと出した。
香山はこの時点で、異動させる事を考えていた。


その日の夜ー

宴会後に山本は風呂上がりにビールを買っていた。ロビーには誰もおらず、みな疲れで眠っている。
ソファーに腰掛け、タバコを吸いながらビールを煽った。
ふと気配がした。
「山本クン!」振り返ると三浦と小木、そして手塚寛子がパジャマを着て手を振っていた。彼女らも風呂上がりだった。
「今日はスゴかったね!」
「そうかな?」
「私の言いたかった事を、あんな例えで話してくれたなんて、よくわかるなぁって思っちゃった」
三浦が横にチョコンと座った。小木も手塚も山本を囲むように座った。
「私なんか何も言えなかった…」
手塚が少し落ち込んだ顔をした。
「いきなり男女平等なんて言われてもわかんないよなぁ~仕方ないべや!」
山本は北海道弁で返した。
「ズッと考えてたの?」
三浦もビールを片手に持っている。
「店でカード募集してた時にお客さんで、女性下着メーカーに勤めてる人と話しててね…その時に女性ばかりの職場では逆転現象が起きてることを知ってね。
考えたことはあるよ…」
「今まで、男の人ばかり優遇されてると思ってたけど、言われると確かに女性はイヤな事はしなくて済んでるよね」
三浦が納得していた。
「確かに有利な事だけじゃなく、不利な事も受け入れないと不平等は無くならないよね…」
手塚も続いた。
小木がまた帰国子女らしい疑問を投げかけた。
「なんで、日本はこうなの?アメリカはあんまり問題にならないけどなぁ…」
「それは違うよ。第一にアメリカは貧乏人は治療してもらえないだろ?日本みたく国の保険が無い。命そのものに平等とは言えないだろ?」
小木には腑に落ちない様子だった。
「そうかなぁ?」
「欧米人は日本より、割り切りがハッキリしているから納得しているだけで、それを平等と並べるのは横暴です」
納得のいかない小木は黙っていた。
それは三浦も手塚も同様だった。
「でもさぁ…山本さんて説明が上手だよね~なんか、引き込まれちゃった…」手塚が笑って肩を叩いた。
「うん、そう思う」
小木もそこは同調していた。
「グループディスカッションでは同じ組みになるといいなぁ…」三浦の笑顔は確かにキレイだった。

「おっ、やってるな」
振り返ると香山が浴衣姿で、やってきた。部屋から来たみたいだ。
「お疲れ様でーす」
「山本くん、今日は中々良かったなぁ」
「恐縮です。大した事を言えませんでしたが…」
「いやいや、オレを敵にした舌策は見事だよ。中村でさえ何も言えなかったもんなぁ…」
「エッ?アレって作戦だったの?」
三人の女子は目を丸くした。
「いゃぁ、そこまで考えてなかったけど、人事部長の意見も聞きたくて…」
「もう、ドキドキしちゃったわよ」
手塚が胸に手を当てた。
「まぁ、部長だから懐は深いだろうな…と思ってますから。怒ってますか?」
「あはは、あれぐらいで怒ってたらオレはストレスで死んでるわ!」

これ以降、研修では幾度となくディスカッションが繰り返され、解放される頃には全員がクタクタになっていた。

それから数ヶ月経った8月の暑い日に、山本は異動を命じられた。
(経営企画室?)辞令には書かれていた。無論、香山の意向が働いていた。
「なんで私が?」
千葉支店長の三俣も首を傾げている。
「わからんよ…オレも手放したくないのだが…」
そう言って机を叩いた。
異動は三月と九月にあるが、目標半ばで営業が異動になる事はあまりない。
大抵は、目標に目処が立つ三月が定石だった。
「代わりが富山から来るらしい。中澤拓真って知ってるか?」
同期だが、あまり交流はない。
「ハイ…同期です」
「みたいだな、引き継ぎは頼むぞ~」
半分投げやりで三俣は退社した。
よほどアタマにきたらしい。
(仕方ない…か…)
研修以降、同期も忙しくあまり連絡を取る事も少ないが、三浦と小木とはたまに連絡していた。

「エッ!?ホントなの?」三浦の第一声が受話器から響いた。
「アァッ、なんでかわからんけど…」
「じゃあ、コッチに来たらご飯行きましょうね~!ローラにも伝えておくね」

九月初日ー

山本はたまにしか来ない本社の雰囲気に飲まれそうになった。支店と違い、冷たい塊のビルの中で自分が保てるか不安に襲われた。
三十階建てのテナントビルの全てを借り切っている。受付嬢を見ても同じ会社とは思えなかった。
少し早めに着いて、二十九階にある経営企画室で降りた。上は取締役の各部屋、そして社長室と秘書室がある。

フロアには数人しかいない。誰もが山本には無関心らしく、誰もコッチを見ない。
手前の机に、初老の男が座っていた。
「あのー、今日からこちらに異動になった山本と言いますが…」
老眼鏡を外して、顔を向けた男はわからないような顔をしていた。
「…んー、わかんないなぁ…常務が奥にいるから…」指の方向にパーテーションがあり、人影が見えた。
山本は恐る恐る覗いた。
「あのー、今日から…」
声で新聞を閉じた男は、笑顔で返した。
「おぉっ!山本くんだな!待ってたよ」
(この人が天野さん!?)
支店勤務の人間は、役員の顔なんて覚えていない。
社内でキレ者と名高い常務は、意外と気さくな感じで近づいた。
「ハイ…よろしくお願いします」
「はっはっはー、香山さんから聞いてるよ、何でも研修ではかなりスゴかったらしいなぁ…オレも聞きたかったよ」
「いや、大した事は無いのですが…」
「ここは、色んなお偉さんと話しをしなきゃ勤まらん部署でな!」
天野はコーヒーをグイッと飲んだ。
「信念と度胸があって、口が上手なヤツが欲しくて香山さんに頼んでたんだよ」
今更ながら後悔した。天野が言うほどのモノが自分にあるとは思えなかった。
「まぁ、慣れてくればわかるよ。後で上司を紹介するから」と言われ、真っさらなデスクで先に届いていた荷物を解いて整理していた。
経営企画室では大きく三つのセクションに分かれている。
〈経営課〉〈予算課〉〈関連事業課〉
経営課は会社全体に関わる事業計画や稟議書の対応、財務・経理・人事等の各部署との調整、親会社との折衝等あらゆる事に対応する。
予算課は文字通り、全社の予算執行の為、数値の策定と実績管理が主な仕事だった。
山本は関連事業課に配属された。
退社した人の穴埋めらしい。

程なく、上司の課長である片岡幸一と次長の美田園 良が出社した。
挨拶したものの、二人とも素っ気ない「よろしく」だけを返した。
山本の配属された関連事業課は経営企画室の中でも色の違う仕事だった。
実体のある子会社五社とペーパーカンパニー七社の実績管理と資金繰りが主な仕事だった。
本体の管理を行う経営課とも連動して、親会社であるアールイーディーの経営企画室に報告する。目標通りにいかないと、改善案を要求される。
実体のある子会社は、運送屋、電器屋、債権回収、ミシンの訪問販売とどれも異業種だった。
山本は毎月の実績報告を各社の社長か部長に督促し、乖離がある場合は改善案を出してもらう、そんな仕事だったが、社長からすれば親会社と言うだけで、そこらの若僧に言われる事は面白い筈はなく、たちまち嫌われ者となった。
それでも、改善案が無ければ、本体から合併を言われる可能性があった。アールイーディーカードでも、バブルが弾けてから、不良債権が膨らみ子会社の人員を取り込む余裕などある訳も無い。
山本はそんな経営の脂ぎった環境にどっぷり浸かった。
一方のペーパーカンパニーは、アールイーディーカードの不良債権移し先として必要だった。
この頃の有価証券報告書には、資本比率が二十パーセント以下の会社は明記しなくて良かったため、そこに不良債権を移せば、とりあえず本体は安全に見える。そうする事で銀行からの資金調達を繰り返していた。アールイーディーカードに限らず、ほとんどのノンバンク会社はこの手を使った。

ペーパーカンパニーは赤字垂れ流しとはいえ、経理処理は発生する。ミニシステムを導入して、関連事業課の嘱託社員の菊池が伝票処理を担当していた。
この男は定年まで、あと七年を迎えた気の良いおじさんである。しかし、美田園と片岡のウケは良くなかった。

慣れないうちは子会社とペーパーカンパニーの実績を纏めて、経営陣に報告するだけでも一苦労だが、決裁が必要な稟議書のハンコを貰いに行く事も頻繁にあった。これが中々のハードな仕事だった。
関連事業課の稟議書は大抵が良くない事案のため、各部署から嫌われた。
しかも山本は毎回それを持ってくるため顔見知りになると、行くだけでイヤな顔をされた。
最初はお願いベースで何とか、ハンコをくれたがそのうちイヤミが飛んでクドクドと言われる。山本も慣れると面倒臭くなり「社長命令です!」と伝家の宝刀を平気で言うようになった。

慌ただしく半年が経った。

「山本さん!今晩空いてる?」
秘書室に社長のアポを確認に行くと、三浦が誘ってきた。来た当初に歓迎会をしてくれて以来の誘いだ。
「あぁ、今日は早くに終わりそうだけど…社長大丈夫なの?」
秘書の仕事は社長とリンクしているから、終わりの時間がハッキリしない方が多い。
「うん、今日は社長も早上がりだって!だから、久しぶりにご飯行かない?ちょっと相談事も…」少し声のトーンを下げて話した。
「了解です、じゃあ駅前の大五郎はどうかな?」
「うん!あとでね」
秘書室にも顔を知ってもらう為に、山本は北海道土産は必ず秘書室にも届けた。その甲斐あって、今では社長や役員のスケジュールが厳しい時も何とかしてくれるようになった。
営業の知恵が役に立った。

外は冬のにわか雨だった。置き去りの傘を久しぶりに出して、大五郎に入ると三浦はすでに来ていた。
「ワリィ、遅れたね」
「ううん、私も今来たとこ!」
カウンターに並んで座り、アルコールとツマミを何種類か頼んだ。
「お疲れ様でしたぁ」と乾杯し、ビールを一気に飲み干した。
「プハァ!」
「ふふふっ…すごい飲みっぷりね」
「あぁ、あの職場はおかしいからな、ビールでも飲まないとやってられんわ」 
厚揚げのネギ添えを口に放り込む。
「で、相談ってなんだ?」
「実は…人事の中村くんのコトなんだけど…」外では同期をクン付けで呼んだ。
「あいつが?」
「この間、告白されちゃって…」
想像もしていなかった。本社に来ても挨拶程度で、ろくに話もしていない。明らかに研修の事を根に持っていた。
「へぇー、で、どーすんの?」
「うん、その気は無いって答えたんだけど…」三浦の歯切れが良くない。
「けど…?」
「イヤだ!って。オレは諦めないって」
山本はビールを追加した。
「しつこそうだもんな。それで?」
「それが悩みなの…何回言っても聞かなくて、必ず惚れさせるって」
「三浦の好きなタイプじゃなのね」
今度はベーコンの肉巻きを始末した。
「あの人元々好きじゃないの…なんか、目が怖くて…」
「エリートだからなぁ、プライド高いからな。確か慶応だよなぁ」
「だから、どうしたら良いかわかんなくて…」
「ちなみに好きな人はいないの?」
三浦は黙った。
「いるのね?」山本も察した。
「まだ、ハッキリとしてないけど、いいなぁ~って感じの人は…いる…」
「誰なん?」
「それは秘密…」
「好きな人がいるって伝えた?」
「うん、でも聞かなくて…」
三浦もやっとビールを始末した。
「私ね…今まで彼氏に恵まれなくて、今度はちゃんと結婚を考えて付き合いたいのよ…だから彼は…」
「問題外なワケね」
中村じゃ山本でもイヤになる。
「ごめんなさい…でも、誰にも相談出来なくって…」
「美人の頼みは断りませんよ…」山本は灰皿にタバコを擦り付けて消した。
「あいつはプライド高いからなぁ~、それを黙らせるには…」
腕組みしながら三浦を見た。
「まぁ、それほど難しくはないよ」
「ホントに!?」
「あいつはプライド高いけど、小心者だから、そこを突けば崩れるだろうな…」
「どーいうこと?」三浦は乗り出した姿勢で目が大きく開いた。
「だって、社長秘書に手を出そうとしてんだろう?度胸あるよなぁ~、だからそれをネタにチョイと脅せば諦めるだろ」ビール二杯目も始末した。
「あのね…確証ないんだけどね…」
三浦の顔がまた不安色に染まった。
「ここ数日の事なんだけど、家に帰る時につけられている気がするの…」
「それってストーカーってやつか」
この辺りから、ストーカーという言葉が使われ出していたが、身近に聞いたのは初めてだった。
「怖くて…」
「ふむ…」軽くビールを飲んでタバコに火をつけた。
「…毎日?」
「週末近くなると感じる…」
三浦の二杯目から進んでいない。
「そっか…じゃあ協力して撃退するか」
「どーすれば…」
三浦の不安な目も色気がある。今言えばビンタされるだろう。
「任せろ、なんとかするわ」

その週の金曜日ー

三浦は定時で会社を出た。
山本は先に出て、三浦の後をつける存在を探した。
冬の気温は寒くコートは手放せない。
三浦は白のロングコートを羽織って駅に向かっていた。
見失わない程度の距離を保ちながら、後に続く。
(いないな…)らしき人物はいない。
三浦が歩くと、周りの男性は注目するが、それを気にかけてる場合ではない。
離れて電車に乗っても気配はない。
四つ目の駅で三浦が降りた。
通勤時間が短いのは、都会では贅沢と呼ばれる。
(いいなぁ~近くて…)
改札の階段を降りた時に、大きな柱の影に見覚えのある姿が目に入った。
(中村!)
三浦には見えていない。方向と逆にある柱だから、背を向けてしまえば視界に入らない。中村は三浦の背中を刺すように見ていた。
そして三浦の後をついていった。
(いけませんねぇ…中村クン)
三浦は商店街を抜けて、住宅街へと足を運ぶ。中村もついていく。
五分も歩くと、三浦は自宅の玄関に消えた。中村もそこでジッと見ている。
しばらく動かない。
十分待ったところで、山本が叫んだ。
「マズイよ、中村!」
ビクッとして中村が振り返る。
「や、山本!…なんで…」
「人事部のエリートクンが、社長秘書をつけ回すなんて、懲戒免職ものだぜ!」
「イヤ…これは…ちが、違うんだ!」
目の焦点が定まらない。
「駅からつけてたろ?オレも全部見てたよ…三浦から相談されてなぁ~」
中村の顔は完全に青ざめていた。
「みっともないマネはやめろよ、これ以上、彼女につきまとうなら社長に直訴するってよ…」
「ま、待ってくれ!それだけは…頼む」
中村の狼狽ぶりは凄かった。
「じゃあ、彼女には二度と近づかないって誓うか?」
「あ、ああっ…誓う、誓うよ!」
「だったら帰れ!」
中村は山本の横を隠れるようにそそくさと歩いた。
「オイ!」山本の声に背筋が伸びた中村は恐る恐る振り向いた。
「二回目は無いと思え!」
「は、はい…」中村はダッシュで山本を後にした。

山本は近くの公衆電話から、三浦を呼び出した。
「もしもし…」
「山本です」
「どーだった!?」心配の声が伝わる。
「やっぱり中村だった…かなりビビってたから、もう大丈夫だぞ」
その言葉に三浦は安堵の声に変わった。
「ホントに?ありがとう!」
「今度、メシ奢れよ」
「うん、約束する」

電話を切って、山本は家路についた。
三浦は山本の助けに感謝しつつ、想いを馳せていた。
(彼女いるのかな…)
研修から始まって、そばで仕事をしている山本を気になり始めていた。
部屋に飾られた研修の写真には、たくさんの同期がいるが、三浦の横にいる山本を見て、微笑んでいた。

翌週ー

朝から経営企画室は揺れていた。
理由は不良債権が予想の二倍近く膨らんだことだった。一千億円の予想に対し、千七百億円まで増えていた。大手証券会社が倒産し、取引先の倒産報告が毎日法人融資部に届いていた。
緊急の取締役会が開かれ、対策に皆頭を痛めていた。
「問題は引当金です…」取締役経理部長の神谷が重く口を開いた。
「法人融資部の今後の見解は?」
社長の狭山が老眼鏡を外した。
「はい、フォレスト証券の倒産による連鎖倒産は一応の収束を迎えたようです。
これ以上の不良債権は増えない、と見込んでおります」
法人融資部を統括する風間が立ち上がり、書類を見ながら報告した。バブル時は花形部署で、風間もイケイケの雰囲気だったが、今や一番のお荷物部署に変わってしまい、風間への風当たりも強くなっている。
「対策については?」
狭山が一番の問題をぶつけた。
「とりあえずペーパーカンパニーの七社に分散して、債権譲渡するしか…」
分かっていたが、改めて会議にため息が次々と流れる。
オブザーバーとして、経営企画室の主要メンバーも同席していたが、良い解決策が見つからないまま一時間ちょっとで終了した。これでペーパーカンパニーの赤字が増える事になる。

その日の夜ー
山本は秘書室で、取締役のスケジュールを確認していた。中野恭子が全体のスケジュール調整を担っている。
「ハァッ…もうどうなるのかしら?」
お局的存在で、二年前まで社長秘書も兼務していたが、今は三浦に変わっている。それ以降、中野の心中はササクレ立っていた。歳も三十五を迎え独身を続けているのも一因だろう。
「また不良債権が増えましたからね」
「もう!法人融資部はいらないわ!」
気持ちは分かるが、誰もが銀行の紹介案件を疑わなかった時代では仕方ない。
「よし…これで報告会は明後日でいいですね」
関連事業課の役員報告会の日程はいつも、調整しないと決まらない。
「そうね、ところで山本クンも大分慣れたみたいね」
「そうしないと、身が持ちませんよ」
中野は秘書室内でも疎まれているが、山本はそれほど嫌いでもなかった。
「中野さん、この後は?」
「エッ?帰るわよ…」
「予定無いならメシでも行きません?」
中野は驚いた。他部署はもちろんのこと、秘書室でも誘われたことは無い。
うるさいと思われるからだが、それは本人も分かっていた。
「アナタ…珍しいわね、誰もアタシなんか誘わないのに…」
「イヤなら構いませんよ!」
「ふふっ…いいわよ」

二人の帰り先は方向が同じだった。
相談して二つ先の駅で降りて、日本食の美味い店に入った。
山本はビールを、中野はワインで乾杯した。
最近は仕事が変わったせいか、アルコールの量も増えつつある。
「でも、山本クンて経営企画室にいないタイプよね…」
「そうですか?別に珍獣でも無いと思ってますけど」
「だって経企の人って、エラそうな態度の人ばかりだもの…アナタは全然違う」
「あまり気にした事ないですけどね。それぞれ役目が違うだけでしょ?」
「それ!そういう発想が無いのよ。他の人達には…美田園さんなんて、いい例じゃない、ふんぞり返ってさ…」
「それは同感します。オレも嫌われてるみたいですし…」
「そうなんだ…でも一番変わってるのは私を食事に誘う事よ…」
「別に変じゃないでしょ?」
「私を誘うなんて、オタクの室長でもないわよ…」
「そうですか。でも中野さんて、よく仕事してるなって思いますよ。すごい…」
思わぬ発言に中野は笑った。
「エェーッ!アタシのどこがスゴイの?単なる行き遅れたお局秘書よ…」
「行き遅れてるかは知りませんが、少なくとも長い事、あの海千山千の役員連中を支えてんだから。誰にでも出来る事じゃないですよ…」
中野は初めて、社内の人間に暖かい言葉をかけられた気がした。
「そんな…ホントに?」
「何でも仕事は大変ですよ、中野さんは何を言われようが、負けずに頑張ってるでしょ!男だってイヤになりますよ」
思わず泣きそうになった。
「そんな事言ってくれるのは、アナタだけよ…」
「不思議なんですけど?」
「エッ!?何が?」
「中野さんクラスなら、誰かと結婚しててもおかしくないのに、独身主義でしたか?」こんな質問、普通なら怒鳴りちらすが、何故か山本にはできなかった。
「まぁ、別に無かった訳じゃないけど…縁が無かったってことよ」
「そうですか…あっ!機会があれば言おうと思ってたんですけど…」山本はビールをお代わりした。
「何かしら?」
「なんか悩んでませんか?」
心中が騒ついた。
「エッ…悩み?」
「なんだろ?秘め事か生い立ちかな?わかんないけど、そう見えるんですよ」
「秘め事…」
心当たりはある。中野は秘書室長の富田と不倫関係にあった。もう五年になるが、結婚した富田を好きになり、煮え切らないまま今に至る。
「考え過ぎですかね?」
中野は山本の観察眼に驚いた。秘書室でさえ誰にも気付かれていない部分を見抜かれて見る目が変わった。
「女を三十五年もやってると色々あるものよ」とゴマかしたが、内心はドキドキしていた。
フイに中野は思わぬ事を聞いた。
「山本クンは好きな人いるの?」
「いや~、いないですよ」
「どんな人がタイプなの?」
「うーん、ついてきてくれる人…かな」
「そーなんだ!アタシは違うなぁ~」
山本がエッ?という顔をした。
「中野さん、そのタイプでしょ!?」
「違うわよ、私はそんな男の人に頼らないもの…」
「いや!中野さんは絶対引っ張って欲しい、と思うタイプですよ」
「なんでそう思うの?」
「どー言えばいいかなぁ、ホントに男に頼らないタイプなら、あんなに寂しい目をしないと思うんですよ」
「何それ?」
「仕事の合間で、フイに寂しい目をするんですよね~」
山本が自分を見ていたなんて、想像すらしなかった。(見られてたんだ…)
「してないわよ」ワインの追加を頼んで山本にサラダを取り分けた。
「ハハ…まぁ、オレの勝手な思い過ごしですかねー?」
雰囲気を察した山本もはぐらかした。
しばらく他愛もない話で、二人は笑った。中野も腹の底から笑った。随分と忘れていた事だ。
ふと気になった。
「ねぇ…なんで寂しい目をしてると思ったの?…」
「言ってもいいですか?」
「…うん」 
「富田室長を見る目が違うんですよ…」
(!!!)いきなりの核心を突かれた。
「エッ!?…な…エッ…そう?」
「寂しい目で後ろ姿を見てましたよ…オレ、三回は見たなぁ…」
何かが沸き上がった。絶対に言ってはイケナイ事を白状しそうだった。
だが、白状する前に山本から真実を言われ吐きそうになった。
「…辛いでしょう」
その言葉は中野の壁を崩した。
(知ってる、この子は知ってる!)
中野の頭は真っ白になった。
思わず頷いてしまった。
「大丈夫…誰にも言いませんよ」
「…なんで?」(知ってるの?)と聞きたかったが、そこまで言えない。
「秘書室の人はみんな個人主義で他人には興味が無い。だから気づかないのかもしれませんね。でも、何となく中野さんが富田室長に好意があるのは、わかりますよ!目が語ってる…」
山本には隠せない思いでいっぱいになった。飛び降りる覚悟で口を開いた。
「もう五年になるわ…あの人を好きになって…」
「確か奥さんが…」
山本もそこで止めた。話した中野の思いを察しての配慮だった。
「ええ…でも、好きになってしまった…いわゆる不倫…なの…」
「断ち切れない?」
静かに頷く。
「室長はどう言ってるんですか?」
「…今は別れられないって。でも、別れる気がないのはわかってるの…」
「そりゃあ辛い恋ですね…それが悩みたったんですね…」
山本の言葉に涙が出た。こんな静かに話を受け入れてくれるなんて。しかも、かなり年下の男に言われるなんて、中野は嬉しかった。
ずっと誰かに言いたくて、でも言う相手もいなくて、そんな矛盾を抱えてヤケ酒を飲んだ事も一度や二度ではない。
「…どうしたらいいか、わからないの」
「やっぱり好きなんですね」
「あの人が卑怯なのはわかってるの…奥さんがいながら、私も…そんな怒りが何度も私を苦しめた…」
「飲みましょう!吐き出して少しスッキリしましょう!」山本の配慮がたまらなく嬉しかった。
クドクドと説教されるより、黙って理解してくれる方がありがたい。結局、二人でワインを二本も空けた。
その日二人は流れでホテルに泊まった。

酔ってはいたが、記憶はハッキリしている。中野は年下の男に身を任せる事に躊躇は無かった。
「…ホントにいいの?」
「中野さんだけ秘密をバラすのはフェアじゃないですよ。明日から何時もの二人で、今日だけ中野さんには恭子になって貰いますよ…」
山本が自分に恋を抱いてないのはわかる。しかも、ボランティアのように抱くのも大人の付き合いで分かっていた。
それでも良かった。今は何もかも吐き出したい…その思いが全てに勝った。
「好きにして…こんなオバさんだけど」
「恭子…」
「…はい」山本はグッと中野の腰を引き寄せた。
「ん…んん…ンフ…」年下のキスとは思えないほど濃厚だった。舌が歯をこじ開け、乱暴に入ってきた、と思えば次に優しく中野の舌を愛撫する。
(ン…すご…い)中野はたまらず、山本の頭に両手を回した。
唇は山本の口に吸い込まれ、息もできない。そこから、舌は耳やV字に開いたブラウスから見える鎖骨を舐める。
「ハァァァッ!」
富田とはまるで違う愛撫に酔った。アルコールの手助けもあるが、山本の舌は中野の理性を剥がした。
年下の男に翻弄されるなんて、考えもしなかったが、胸を揉まれた時の電気ショックは想像を遥かに超えた。
「ハァァァッ…ダメ…そんな…アァッ!」
ボタンが外される。
(ダメ…ダメ…)
心の叫びは言葉にはならない。
「大きいんだね…」
年下に似つかわしくない声が耳元で囁かれる。
「恥ずかしい…アァッ…アン!」 
ブラウスの中に手が入り、ブラの上から激しく揉まれ、中野は何もかも飛んだ気がした。
「今度は…」山本の手はブラの中に滑り込んだ。その間もディープキスで、彼の行動を読めない状態にさせられた。
「ほら、乳首が固い…」
「イヤァン…アァッ!ダメ!…アァッ」
シャワーを浴びてないことも忘れるぐらい、翻弄された。
「何カップ?」
まるで年上の男性に抱かれているような気分だった。十近くも年上の中野は、まるで年下のような声で返した。
「…C」
「やっぱりね」
ブラウスを脱がされ、ブラ一枚の姿に山本も配慮した。
ワイシャツもTシャツも脱いで、中野の右手を股間に当てがった。
(ア…すごく固い)
「恭子がオバさんじゃない証拠だよ…」
いきり勃つ肉棒の温度はズボンの上からでもわかる。
中野は摩った。ゆっくりと摩り続けた。
山本の手は、中野のお尻をタイトスカートの上から触り、時にグッと掴んだ。
まるで痴漢のような触り方に中野は、たまらず身体を密着させた。
「イヤらしいのね…」
「恭子が悪いんだよ…」
そんな言葉は富田も言わない。でも嬉しかった。自分の女としての魅力を言ってくれる、そんな山本のワザに中野はキスをせがんだ。
スカートをお尻沿いに捲り、パンティが顔を出した。
「お局なんて、とんでもないな…」
「ふふっ…お局のオバさんよ…」
また褒めてほしくて自虐した。
「オバさんには早すぎる…」
パンティ越しの愛撫は、中野の感度を更に高めた。
山本はベルトを外し、パンツごと脱いだ。若くて反り返った肉棒が、中野の口を待っている。先から汁が溢れていた。
「すごい…こんなになってる…」
「恭子もね…」山本はパンティの中に手を入れて茂みの向こうに入った。
もうグッチョリとした愛液が、指をヌルヌルにした。
「ハァァァッ…アァッ!アン!」
固いクリをコリコリされると、立ってられなくなる。山本の肩を掴み、なんとか姿勢を保とうとするが、押し寄せる快感の攻撃が腰を崩した。
「ほら、コリコリしてる…」
「いやぁ…言わないで…アァッ!アァッ…ダメぇ…」
そのままベッドに倒れこみ、裸になった二人は、束の間の愛撫に没頭した。
中野の股間に顔を埋める。
「ハァァァッ…ダメ!洗ってないからぁ!キタナいわ…アァッ!」
恥ずかしさがこみ上げる。山本の舌に勝てない。シャワーもしていない股間を許すなんて、今まで中野の辞書にはなかった。だが、そんな事を気にしない山本の舌は中野の陰部を弄んだ。
「美味しいよ…」
その言葉にまた壊された。
「アァッ…アッアッ、アァッン…いい」
「じゃあ、これは?」フッと舌が無くなると、指が入ってきた。
もう準備は出来ている。
「ハァァァッ!それ、ダメぇ!アァッ!
ダメぇ!イク!イク!」
言いながら中野は少しずつ潮を吹いた。
ピュピュッと小さい放物線を描きながら、山本の身体にかかった。
「いやぁ!見ないでぇ…アァッ!ァン…でちゃうぅぅ!」
更にピュピュッと三回に分けて、出た潮は全部山本にかかった。
「アァッ…アッ…」小刻みに揺れる中野の身体を山本は、容赦なく指を動かした。中野の声がいきなり大きくなる。
「アァッ!だめぇ!それだめぇ!アッ!
ハァァァッ…おねがい!」
もう年上の尊厳など完全に壊された。
Gスポットより、少しズレた位置が中野のポイントと知り山本の指が加速する。
「いやぁ!アァッ!壊れる!こわれちゃう!山本クン!アァッ!」
「恭子…イキたいだろ?」
「は、ハイ!イカせてぇ!」
グリグリ回す指に感度が頂点を目指す。
「イク!イク!イク!」そこで中野の動きが止まった。山本もそのまま動かない。言葉も失ったまま果ててしまった。

「ハァハァ…ん…ハァッ…」
「今度はこっちだよ」
抱き起した中野の前に汁まみれの凶器が、これ見よがしに光っていた。
(あぁ…すごい)
自然に中野の口は肉棒全てを包んだ。何度も何度も、根元と先を往復して丁寧に舐めた。
三時間前まで、レストランで普通に話していた後輩の肉棒を欲している自分なんて頭の片隅にも無かった。
「いいよ…」頭を撫でられた。褒められる子供のように嬉しかった。
「ン…ンフゥ…ジュル…ハァッ…」
スジも袋も舐めつくした。山本も年上のフェラに興奮していた。
二人はお互いの秘部を舐めあった。
必死にフェラするも、山本の舌がクリを攻めるたびに仰け反った。
「アァッ…ン…ジュル…ハァッ!アァッ」
山本はアナルも刺激した。
「だめぇ!そこはキタナいからぁ…ハァッ!アァッ…いや!アァッ…」
富田もしない愛撫に我を忘れた。
「じゃあ、いきますか…」スグにゴムをつけて、中野の陰部で擦ると電気が走る。もう欲しくてたまらなかった。
ズブズブッと重く固い肉棒がめり込む。その分だけ快感が中野を襲った。
「ハァァァッ…すごい!山本クン!アァッ!ついてぇ!」
ズンズンと腰が動くたびに、快感に中野の自由は奪われ、スラリと伸びた脚がグラインドに合わせて揺れた。
「アァッ!アン!すごい!ハァァァッ…だめぇ…こわ…れちゃう…」
突然抜かれ(?)と思ったとたんに奥まで一気に突き上げられた。
「ハァァァッ!アァッ!ひ、卑怯よ!」
そのまま奥で止まり、グリグリを始めた。子宮が肉棒にかき回された。
「ひ、ヒィィ…それ、だめぇ!アン…アァッ!アウッ!」
パァンパァンと肌がぶつかる音に中野は抱かれる女の喜びを全身で感じていた。
「変えようか…」山本はバックの体制で中野の腰を沈めた。しなるシルエットがたまらない。
「ほら!」また肉棒が中野の秘部を虐めた。この時、中野は奴隷になっていた。
「ハァァァッ!ひどい!ひどいわぁ!アウッ、アァッ…アッ!」
年下に犯されているような感覚に、中野のM癖が湧き上がる。
「アッアッアッ!ァン!」パンパンと打ちつける腰の動きに抵抗など出来る術もなく、中野はひたすら枕を握りしめ快感と闘った。しかし虚しい抵抗だった。
「だめぇ!イク!イッチャウ…」二度目の果てがやってきた。ブルブル震わせ、静かに枕を離した。
「最後は…」グルンと仰向けにされて、座位で突き上げた。中野は山本を掴み、山本の手は中野の腰をホールドしている。
「もうだめ…おかしくなる…山本クン…アタシこわれちゃうよ…」
「その方がいいよ…」中野のロングの髪をかきあげて、小刻みに子宮を突いた。
「アッアッアッ…アァッ!だめぇ…」
中野も三浦に負けず細い身体だ。
座位でも重さは感じない。
何度も繰り返し、山本にも最後の時が訪れた。
正常位で脚を限界まで開き、黒い肉棒がキャリアウーマンの陰部に食い込む景色が山本の射精を早めた。
最後にパァン!と奥を突いて、ゴムを外した。
白濁の液が中野の胸に広がった。
「アァッ…スゴイ量…」
何本ものスジを作った精液は、中野を汚して、山本が感じたモノを全てを出しきっていた。

ベッドで中野は山本の腕の中で、余韻に浸っていた。
「ありがとう…」
その言葉に思いが込められた。
「痛くなかったですか?」
後輩に戻った山本に中野は吹いた。
「ふふふっ…あんなに恭子って呼んだクセに…もう年下クンなの?」
「アハ…悪いクセなんですよね…年上でも、セックスの最中は可愛くて年下に感じちゃうんですよ」
中野はタオルケットを身体に巻いて、山本を見据えた。
「でも…嬉しかった…山本クンに分かってもらえて…」
「感想は?」
少しだけ悔しい思いもあり、照れ隠しで答えた。
「マァマァかな?」
「ふぇーっ!厳しいなぁ…」
「ふふふっ…ウソよ…」
山本のホッペに軽くキスをした。
「吹っ切れました?」
「…うん…なんかスッキリしたかも。アタシ何を拘っていたんだろう?」
「ハハ…それは自分にでしょう?」
「どういう意味?」
山本は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
「富田さんを忘れたら、それまでの自分を否定してしまう…だから、こだわったんでしょ、捨てられなかった…」
「…そうかもね…怖かったのかなぁ」
「中野さんは充分魅力があるから、その気になればいい男見つかりますよ」
「…アナタは?アタシじゃダメ?」
「オレはねぇ…たぶん中野さんには合わない男ですよ。きっとね…」
「年上だから?」
「いやいや、違います。中野さんがどうだとかじゃなくて、オレ自身がまだ恋愛に心を許せなくて…」
「どうして?」
「オレね、天涯孤独なんですよ。親は高校の時に事故で死んじゃって、それから親戚中をタライ回しにされて、人の心にある闇をたくさん見てきました。親戚からすれば、余計な穀潰しですしね。それこそ、晩飯を貰うのにイトコ兄弟に犬の真似とか、ブタの真似とかさせられた事もあるんです。幸いヒネくれる事は無かったけど、だからオレは人に臆病なんですよ…」
中野は、驚きの顔のまま無言になった。
それを山本は微笑みながら続けた。
「俺じゃダメだと思いますよ。中野さんは愛されないと…」
タバコに火をつけて、大きく吐いた。
それを中野が取って、後を追うように煙を吐いた。
「愛される…かぁ、確かにね…」
「人の心は何となく読めても、自分の事は悩んじゃう…だから恋愛も下手なんですよ。自分より相手の事ばかり考えちゃう。良いように見えるけど、女性はそれが不安にもなるでしょ?」
「そっか…道理で年下に見えなくなったワケだ…それで人の心理が読めるの?」山本は天井を見つめていた。
「どうでしょうね…まぁ、人の機嫌を見ながらの生活が長かったから、そうなったのかも…」
中野は吹っ切るようにベッドから降りた。
「まぁ、気持ち良くして貰ったし…」シャワーに向かう途中でクルッと山本を振り返った。
「アナタにいい人が見つかるといいね」
中野の本音だった。
「ハハ…」
その日は泊まって、別々に出社した。

翌日ー
富田が中野にメモを渡した。
《今晩、何時ものところで》
それを確認してから、中野はポケットからメモを取り出し、富田のポケットにねじ込んだ。
《終わりにします》それだけだった。
今まで、富田の誘いを拒否したことがない中野の顔は昨日と別人だった。
富田は驚くも、中野の後ろ姿を見つめるしか出来なかった。
(これでいいよね…山本クン)

その時、関連事業課に一本の電話が掛かってきた。片岡が受け、しばらく話していると突然「ハァッ!?」という声と共に立ち上がった。美田園も驚いている。
山本は報告会の資料を纏めていたところで、片岡を凝視した。
「美田園さん…」
片岡の顔色が青くなる。
「どうした?」不思議な顔の美田園に片岡は耳打ちしていた。
「なんだと!?」
どうやらただ事ではないのはわかったが、訳が分からず山本は一年下の赤城美沙と顔を合わせたが、彼女も首を傾げていた。
「マズイ…天野さんに報告だ…」
バタバタと天野のデスク前の椅子に駆け寄り、三人でヒソヒソ話している。
天野は二人を連れて上の階に向かった。
「なんですか?」赤城に聞かれても分からない。「さぁ…」とだけ返して仕事を続けた。
やがて、片岡が降りてきて、山本の肩を叩いた。
「ちょっと来い!」
この美田園の腰巾着丸出しの片岡に山本は嫌われていた。
また美田園もあまり、山本の事を良く思ってない。それは、天野に気に入られているからだった。山本は何とも思ってないが、周りから見ても細かいイビリを時折してくる。
山本も仕事以外では無視していた。
同行で社長室にそのまま連れられた。
「失礼します」山本に気づいた狭山は「オォッ!伸ちゃん」と手招きをした。
「何があったんですか?」山本は広い社長室のソファーに腰掛けた。稟議書で何度も訪れているが、このソファーは柔らかすぎた。
「マズイぞ、ケーリンミシンが不渡を出すぞ」
「エッ!?」寝耳に水の話だ。片岡が受けた電話の相手、つまりケーリンミシン経理部長の滝口洋三から聞いた話はこうだった。
個人売りがメインのケーリンミシンは、新規の法人取引先のサエキ縫製から大量受注の話を貰った。一台五十万円のミシンを二百台の超大型案件だ。新規工場の開設に伴い、ケーリンのミシンを使いたいという話は関連事業課でも聞いており、大幅な売上増加を見込んでいた。先月の納品で、今月に代金が振り込まれる筈だった。だが、期日を過ぎても入金がない為、出向いて確認したところ会社の入り口に【今月をもってサエキ縫製は破産手続きとなります】という貼り紙が出迎えていた。慌てたケーリンミシンの経理部はサエキ縫製社長の佐伯浩介を探したが、自宅にも関係業者にもおらず、行方不明となった。ケーリンミシンの社員達も突然の倒産を知らされパニックに陥っていた。
問題は資金繰りだ。売上代金を見込んで、借りた資金はとっくに底をつき、支払いが今月末に迫っている。アールイーディーカード本体も、銀行からの借入はギチギチの状態で、ケーリンミシンに貸せる金などある筈もなかった。
「計画倒産…!?」
その言葉が社長室に響いた。
「資金は幾ら必要なんだ?」
狭山が片岡に確認した。
「一億です…」
ケーリンミシンの売上は五十億円、営業利益は二億円だ。余剰金など微々たるものしかない。
利益の半分も返済に充てれば、たちまち資金繰りは詰まってしまう。しかも、社員達の給料払いも同時期だ。
この時代は、それだけ経済が行き詰まりを起こしていた。売上が三千億あっても、一億の余剰金を捻出できない。
そんな会社は多数あった。
「親分に報告せんといかんな…」
狭山が言う「親分」とはアールイーディー社長の中川一二美だ。一代で築いたスーパーチェーン店の創始者であり、グループ総売上高一兆円を誇る最大チェーン店の絶対権力者である。
景気の冷え込みで、業績もそうだが、グループの持つ資産価値も下がっており、グループ各社でも業績の回復が見込めない会社はどこかしらに吸収合併を推進していた。
この事を報告すれば「一緒になれや」の一言が来るのは間違いない。
アールイーディーカードでも、六十名はいるケーリンミシンの社員を引き受ける事は出来なかった。
狭山としても頭の痛い問題である。このまま手を貸さず、倒産させる事が出来ない理由もあるから余計だった。
そもそもケーリンミシンは独立した会社で、業務用ミシンでシェアを伸ばしていた。しかし、電子化の開発に遅れてしまい、次々とライバルに抜かれ倒産寸前まで追い込まれたことがある。それを救ったのが中川一二美だ。まるで救世主のようにグループに加えることで世間のイメージアップを狙っての事だ。それを潰してしまう事は、逆にイメージダウンに繋がりかねない。
中川の側近である狭山は、イヤと言うほど中川の性格は知っている。
【より良い物を安く】をスローガンに走ってきた中川も、頂点を極めると権力と名声に取り憑かれた亡者に変わっていた。睨まれれば、狭山とて未来は危うくなる。
誰もが沈黙のままだった。
「銀行にウチが保証する事で、借りられないでしょうか?」
片岡が沈黙を破った。この重苦しい空気は耐えられない。
「ムリだろう…ウチへの融資でさえ資金不透明だ、と言われてるんだ。これ以上の与信はないだろう」
天野は現状を把握していた。
そこへ取締役財務部長である津崎が入ってきた。彼もアールイーディーからの出向組である。
「大変な事になりましたな…」
「津崎クン、ケーリンの資金をどこからか調達出来んかね?」
狭山がすがる思いで聞くが、津崎や首を横に振るだけだった。あれば、とっくに進言している。
山本は頭でスキームを組み立てていた。問題はあるが、当面だけならなんとか凌げる手だ。しかし、ここにいる連中の承諾が必要になる。
一度大きく息を吸って口を開いた。
「一つだけ案があります…」
全員が山本を見た。狭山も希望のまなざしに変わっていた。
「なんだ!?どんな案かね?」
「KFCです…」全員がハッ?とした。
「KFC?なんだ?それは…」
狭山も天野も思わぬ言葉に怪訝な顔つきだ。片岡に至っては、余計な事を言うな!という目で見ている。
「ケーリンファミリークラブ…つまり、ケーリンミシンが子会社で持っている前払式割賦会社です」
一番に気づいたのが天野だった。
「そうか!その手があったか!」
美田園は黙っている。
「…なるほど」狭山もやっと理解した。
前払い式割賦制度。それは一時期にミシン業界で流行った前払い式の積立金の事を指している。今で言う友の会のようなものだ。顧客から毎月定額で積立金を徴収し、限度額になるとプレミア利子をつけて、商品が買える仕組みになっていた。例えば五万円積立コースの場合、五万五千円相当の商品を選べるから、利率としては破格である。
しかし、これは銀行の預金業務に近い性質のため、しっかりした管理はもちろんだが、顧客の預り金を会社の運転資金に充てさせないために別会社で運用することが義務づけられていた。
しかも、支払いのトラブルもしばしば見られ、それまで登録制だったのが免許制度に厳しくされた。
山本の案はいわば禁じ手である。
美田園がそれを指摘した。
「だが、顧客の預り金を使う事は許されない事だ。それが、通産省にバレたら、KFCは一発で免許剥奪だ。それだけではないぞ!信用問題がウチにも及ぶかも知れん」
その通りだ、と片岡も便乗して山本を責めた。
「それはお粗末な考えだ!もっと、考えて発言しろ!」
これで上司にウケる、と思う片岡の心情はあまりにセコい。
「だから、一つ仕掛けを打つんです」
「なんだ?仕掛けとは…」
天野もわからない、という口調だ。
「ウチとKFCの間に元本保証の資金運用契約を結ぶんです。KFCが顧客資金の運用をしても問題にはなりません。銀行預金だって、運用してるのですから…」
「それで?その先はどうなる?」
狭山の体がソファーから乗り出した。
「今度はウチからケーリンミシンに超低利で融資をするんです」
「なるほど、それなら…」と天野は津崎に目で確認した。津崎も静かに頷いた。
「元本保証だから、顧客には迷惑はかけないということか…」
美田園と片岡は無言で山本を見ていた。
狭山と天野の目は山本しか見ていない。
二人とも心中で舌打ちをしていた。
「しかし…問題は残ります…」
「KFCの出資した一億の穴埋めをどうするか、だな?」津崎が答えた。
「はい…とりあえず、これで不渡りはなんとか出来ますが、KFCに戻す手段を考えないと…」
狭山が膝を叩いて口を開いた。
「よし!まずは伸ちゃんのアイディアを採用しよう。KFCの資金の事は同時に対策を考えくれ!」
「それですが、やるべき事は計画倒産を企てた佐伯浩介の行方を追うことが先決と思われます!」
「それをウチがやるというのか?」
片岡はとんでもない!という顔をした。
「ケーリンにも手伝って貰いますが、私達が知らん顔は出来ないでしょう…ミシン二百台を一気に売り捌くはずです。情報を掴まないと…」
確かにその通りだ。天野はKFCとの契約、ケーリンミシンとの調整を山本に、経理部と財務部の調整を津崎に一任した。一同異存も無く社長室を後にした。

片岡が美田園に休憩室で、ボソボソと話している。
「…たく、山本は調子に乗りやがって」
片岡は案を自分が捻り出せなかった事を後悔していた。
「まぁ見てろ!アイツに佐伯の足取りなんて掴めないさ!探偵じゃないんだ、シロートじゃ何も出来んよ」
「しかし、KFCの資金利用で天野さんや社長の心象が…」
「だが、KFC資金の穴埋めは不可能だ」
「しかし…」片岡は不満気だ。
美田園の顔がにやけている。
「フフッ…もし、アイツが佐伯を捕まえられなければ、天野と山本に責任を取らせれば、俺たちに怪我はない…」
片岡の顔が今度は晴れやかに変わった。
「なるほどー!だから、次長は黙っていたんですね!?」
「要は、ここだよ」頭を指で突いて二人は沸き上がる笑いを堪えた。

一方で、狭山と天野は社長室で山本の事を話していた。
「いや、あの若さで大したもんだな」
「彼は、子会社の事を頭に叩き込んでましたからね…だから、気づいたのでしょう…」
「でも中々浮かばないぞ、あのスキームは…」
「私も浮かびませんでした。元本保証の資金運用なんて」
「しかし、彼の言う通りKFCの資金は何としても回収せねばならんぞ」
「はい!心得てます」
「彼には、この仕事に専念させてくれ!多少の経費は構わん、彼にも伝えておいてくれ」
「かしこまりました」

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