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三浦の想い
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山本は会社を飛び出し、銀座にあるケーリンミシン本社に向かった。ミシンが売れてた時代に、銀座にある賃貸ビルを買い取り、自社ビルとしている。
五階でおりて、社長の守山 賢太郎が待つ社長室に入った。アポは取ってある。
山本は考えたスキームを、余すとこなく話した。
守山も一抹の安堵が顔色に出ている。
「KFCの資金を…大丈夫なのかね?」
「今は月末の手形決済に間に合うよう、ウチの経営陣が手続きをしています。我々としても御社を潰すわけにはいきません!全力でサポートさせて貰います」
「…ありがとう、だがその後が…」
守山は下唇を噛んだ。
「まったく佐伯浩介は何を考えてるんだ!計画倒産なんて、社長のする事じゃないぞ!持ち逃げしやがって!」
頭に来るのは痛いほどわかる。しかし、今は行方を追うことが先決だ。
「KFCに資金を戻すには、佐伯の行方を追わなければなりません。何か手がかりのようなものはありませんか?」
守山はミシン業界一筋で生きてきた男だ。良くも悪くも疑う事を知らない。佐伯からすれば、騙すのは容易だったろう、と山本は思った。
「そんな事言われても…決算書と佐伯の経歴書ぐらいしか無いな」
「拝見出来ますか?」守山はデスクの上にあるファイルを渡した。
売上もケーリンミシンと似たようなものだが、取引先は国内だけでなく海外にも幾つか見られた。
(インド…マレーシア…香港…)ページを捲ると中国の字があった。
「海外とも取引してたみたいですね」
「あぁ、だから信用した面もあるんだ。それだけ手広くやってると思ってな…」
「佐伯は工場はどこに作ると?」
「確か中国と言ってた…」
(たぶん、そこだ…)
中国は経済開放を始めてから、日本企業もこぞって工場を建てている。上海、広州、大連あたりに経済技術特区として海外企業を誘致していた。新聞で読んだ事を思い出した。
だが、中国と言っても広く、誰に売るのかもわからない。おそらく、計画倒産をするぐらいだから、売り先にもメドがついていたはずだ。もう売られてるかも知れない。だが売る前に現物を押さえないとKFCに資金を戻すことは出来ない。
「あの…ミシン二百台はかなりの規模ですよね?」
冷めたコーヒーを飲みながら、守山はセブンスターに火をつけた。
「そりゃあ、かなりのもんだよ。我々のような小さいところは無理な数だ。例えばアパレルブランドやチェーン化を展開する大企業が仕入れる規模だ」
「でも、サエキ縫製は失礼ですが、御社と同じくらいの規模ですよね?疑わなかった理由は何ですか?」
「そこなんだが、佐伯が言うには中国で大企業の下請専門の工場を作るということだった。各企業から受注する為には、規模もそれなりのハコが必要になる。それが中国なら人件費も建設費も安く出来るから日本の半額で建てられる、って話だった」
(なるほど、一応スジは通ってる…)
「もう一つ教えてください、なぜ御社のミシンだったのでしょうか?」
「ふん…キミは若いから知らないのもムリはないんだが、ウチは元々業務用ミシンのトップランナーだったんだよ」それは知らなかった。
「そうなんですか」
守山は自慢気に口を開けた。
「実はウチのミシンが爆発的に売れたのは、他ではマネの出来ないスペックを持っていたからだ」セブンスターの吸い殻を灰皿に投げ捨てた。
「というと?」
「ミシンはスムーズに稼働させる為には潤滑油が必要なんだ。だが、これがたまに漏れて縫製中の繊維についてしまう事があるんだ」
「御社のは違った?」
山本もコーヒーをすすった。
「ウチのは、特殊なパーツを開発して、漏れないようにしたんだ。そしてもう一つある」
「もう一つ、とは何ですか?」
「針のコーティングを変えて、他社の倍の稼働しても切れ味を保つ事に成功したんだ」
「それはすごいですね…」
「あぁ、画期的な機械だよ。値段は高いが、ほとんど値引きしなくても売れた。驚くべき事は、そのスペックは十年経った今でも、ナンバーワンなんだ」
「業界では有名な機械なんですね」
「うん、だが時代の流れというかなぁ~何もかもが回転の早い商品が企業の売上を支える時代に変わったよ。業務用ミシンも、そのせいでタフな職人が好むものより、パートのオバちゃんでも簡単に扱える機械が主流になってね…ウチはその波に乗り遅れたんだ」
守山の目が遠くを見つめている。時代の移り変わりは、時には無情である。
「ミシンはコンピューターが制御する時代に入った。人間はボタンを押すだけで、難しい縫製も機械がやってくれる…そうなれば、いくら高いスペックを持っていても勝ち目はないんだ」
「しかし佐伯はそこに目をつけた…」
「ん?どういうことかな?」守山にはピンとこなかった。
「たぶん、佐伯はそれを知っていて御社のミシンに目を付けた…下手に電子化が詰め込まれたミシンだと、何か故障が起きたら修理も大変でしょう?だから、シンプルで高品質の御社のミシンなら、後腐れも無く売れる、と判断した…」
「ちくしょう!」バン!とテーブルを叩いた守山の悔しさは肌身でわかる。
「わかりました、社長、私は素人ですが人間の欲にかられた心情はわかります。必ず佐伯を捕まえます。社長も協力をお願いします」
山本は起立して頭を下げた。
「いや、私の方こそお願いする。元は私の判断ミスから始まったことだ」
ケーリンミシン本社を後にして、駅の公衆電話から秘書室にかけた。
三浦の優しい声に癒されるが、今はそれどころではない。
「アッ、山本さん!大丈夫?」
事情は知っているようだった。
「なんとかな。社長のスケジュールを教えてくれ」
「今は津崎部長と、ケーリンミシンへの融資稟議で打ち合わせてるわ」
「じゃあ、あと三十分で戻るから、天野室長にも連絡してメモを入れておいてくれるか?」
「わかった、ねぇホントに大丈夫?」
「そう言えばメシがまだだったな。この件が解決したらご馳走してくれよ」
少し明るい声に三浦は安堵した。
「うん、わかった…」
時間通りに戻った山本は、狭山と天野に
守山からの情報を伝えた。
「大した情報は無い、ということか?」
「いや、そうでもありません。佐伯はケーリンミシンだから狙ったのでしょう。確証はありませんが、たぶん売り先は中国と思います」
「証拠はあるのかね?」
狭山は茶菓子を食べていた。
「ありませんが、もう少し情報が欲しいので、社長にお願いがあります」
「なんだい?伸ちゃん」
「アールイーディの各店に確か、テナントでABCBが入ってましたよね?」
ABCBはアバカブと呼び、若い女性をターゲットにした国内のトップブランドだ。新製品の広告は大々的にやるので有名だった。
「あぁ、それが?」
「そこのトップに話を聞きたいのですがコネはありませんか?」
「聞いてどうする?」
天野が聞き返した。
「あの業界は、他社を出し抜く為に情報戦が激しいと聞いた事があります。もしかしたら中国で工場を建てる話を知っているかも知れません」
「ほぉ…なるほど」
天野が相槌を打った。
狭山も考えている。天野は入社して五年間はアールイーディの服飾部門にいた事があるから多少はわかった。確かに最新のトレンドを気にする業界だから、何かしらの情報が得られるかも知れない。
「チョット待ってくれ」
鞄から手帳を取り出し、デスクの電話をかけだした。
「あぁ、もしもし…狭山です…」
そう言ってアバカブの常務である児玉陽子と話していた。幸い今晩のアポが取れた。天野が三浦を呼び出し、会合で使う料亭の席を予約させた。
その夜7時ー
料亭《あおやぎ》には、狭山と天野、そして山本が社長車に乗って到着した。
その後すぐに児玉の専用車が止まった。
玄関で挨拶を交わし、予約の座敷に揃って座った。
パールホワイトのスーツが、ブランド業界の『らしさ』を演出してた。児玉はアルバイトからのし上がった叩き上げである。アバカブの女傑と呼ばれていた。
「いや、すまないね~突然…」
狭山が一礼する。
「ホントにご無沙汰しています。狭山社長!お互い年取りましたねぇ」どうやら若い時からの顔見知りのようだ。
「チョット、ゴタゴタがありまして、陽子さんに教えて欲しくて。今日はウチの若い秘蔵っ子を連れてきましたよ」
「アラ!何かしらぁ?狭山さんがそんな事言うなんて、よっぽど優秀なのね?」
山本を見る目はオバさんではなく、一人の経営陣の目だ。叩き上げの凄みも含んでいる。
アルコールを頼み、食事も一通り済ませた頃に児玉が切り出した。
「で、教えて欲しい事って何かしら?」
山本が姿勢を正して、ゆっくり聞いた。
「最近、アパレル業界で中国に大規模な工場を建てる話を聞いたことはありませんか?」
想像もしない質問に児玉は、怪訝な目を向けた。
「どういうこと?意味がわからないわ」
おちょこの日本酒をグイッと飲んで、山本を見直した。
「実は…」とケーリンミシンと佐伯の事をかいつまんで話した。もちろんKFCの事は省いた。
「…なるほどね、それで情報が欲しいってわけねぇ」
「陽子さん、知っていたら教えてくれないか?お礼はするよ…」
「何してくれるの?」
狭山が面喰らった。言葉にウソは無いが、具体的なお礼までは考えていない。
「いや…そうだなぁ~」
天野も困った顔をしている。そんなオヤジ達を尻目に、児玉は山本をジィーッと見続けていた。
「そうね、じゃあこの子を貸してちょうだい!」
山本を含む全員がエッ!?と声を発した。
「この子気に入ったわ。いい目してるもの、ネッ、いいでしょう?」
(なんだ、この展開は?)山本も児玉の意図が読めずに困惑した。だが、今は情報が欲しい、おそらく児玉は何かしら知っていて、お礼を求めている。
「…分かりました。では、この件が解決したらご連絡致します」
「もし、今って言ったらどうする?」
イタズラな目つきで山本を見つめた。児玉の目に狭山も天野も存在していない。
「それはダメです。全てが終わってからにして下さい」
負けじと見返した。
「じゃあ、教えないって言ったら?」
「仕方ありません」
児玉は微笑んだ。まるで男を言いなりにする女帝のようだった。
「なら、今から…」と言葉にに被せるように山本は口を開いた。
「情報は結構です。今の私には佐伯の行方を追う事が何よりも優先します!ケーリンミシンの存亡がかかっています。もし、教えていたたけないなら、他をあたるしかありません」
天野はハラハラしていた。相手は女傑と呼ばれた児玉だ。天野ですら迫力負けになる。狭山はジッと見守っていた。
睨み合いのような時が流れ、沈黙の座敷に押し潰されそうな雰囲気だった。
「ふふっ…」児玉が笑い出した。
「狭山さん、いい部下をお持ちなのね」
「でしょう」
狭山は自ら日本酒を注いでいる。
「ねぇ、アナタ…ウチに来ない?」
「ハッ!?」
「信念を持って仕事する人の目を久しぶりに見たわ…ブレない男の目ってやつね。ごめんなさい、チョットだけイジワルしてみたかったの…」
頬杖をしながら、山本の肩に触れた。
「いくら女傑と言われるワタシでも、狭山さんを前に、こんなカワイイ子をたぶらかさないわよ」
狭山も笑っている。
「おいおい、頼むよぉ…ウチの若いもんを困らせないでくれ。オレならいつでもいいぞ~」
「何よ!度胸も無いくせに!奥様にアタマ上がらないって聞いてるわよ」
「ウチのヤツは良妻なんだよ」
「アラ!私が悪妻だったって言うつもりなの?」
場が一気に和んだ。
児玉は山本を向いて話し始めた。
「…ウチの競合でシーズニングってブランドがあるの。そこが今度、上海に工場を移転するみたいよ。かなり大規模な工場になるって…」
(シーズニング…)
「ありがとうございます。その工場はいつ建設が始まるのですか?」
「今年中って聞いたわ。ただ、一つ問題があってね」
「問題?」天野が聞いた。
「ウチも考えたんだけど、現地法人の条件として合弁会社なのよ」
合弁会社とは、日本企業と中国企業の合同出資の事を指す。出資が少なくて現地労働者を確保できる為、一見リスクが無いように見えるが、中国企業側にも重要事項の拒否権があったり、中国の事情に流される面もある。
しかも、相手によっては多額の出資を盾にして、無理難題を言われるトラブルも少なくない。
「中国側としては技術の吸収という狙いはあるんだけど、無断盗用されるリスクが高くて。オマケにまだ賄賂が通用する国でね~。謄本や定款を知らない間に平気で書き換えたり出来ちゃうのよ。だから、ウチは当面落ち着くまで見送る事にしたの。でも、シーズニングは踏み切ったはいいけど、どうやら現地で揉めてるみたい。ハッキリとは分からないけど、中国側が難癖つけて不利な条件を突然言ってきたって…」
(てことは…まだ売られてないかも)
児玉の情報が確実なら、佐伯はヤキモキしているかも知れない。ミシンの売り先はシーズニングか中国企業か?
「あの、建設も含めて必要な機材はどちらが揃えるのですか?」
「合弁会社の場合は、中国側が買って揃えるケースが多いわね」
ならば、佐伯の売り先は中国企業だろう。おそらくシーズニングに条件を出すぐらいだから、佐伯も値切り交渉を受けてる可能性は高かった。
その晩は児玉に礼をして帰社した。
車に乗り込む児玉に「必ず連絡します」と約束した。
児玉も「待ってるわ」と残して去った。
気がつけば夜11時を回っていた。
残った三人はそこで解散した。
家に戻った山本は、どっぷりと疲労していた。考える事が多すぎるのと、児玉との駆け引きもシンドイものがあった。
シャワーを浴びて、留守電がチカチカ光っている事にやっと気づいた。
三浦からだった。中村の一件以来、時々連絡がくる。
【もしもし~三浦です。時間遅くてもいいので連絡ください】
(なんだろ?)
タバコをふかしながら、ダイヤルを回すと、すぐに三浦が出た。
待っていたらしい。
「あっ、山本だけど…」
「ごめんなさい。お疲れのところ…」
「いや、大丈夫だ。どーしたの?」
「あのね…多田クンと開クンが今週末に上京してくるって連絡があったの…」
「へぇ…そうなんだ」
「それで、美佐子と由紀も集まってご飯食べに行こうかって話してたの。山本クンどうかな?と思って…」
三浦の声が、少しおっかなびっくりの感じに聞こえるのは、山本の事情を知っているからだろう。
山本はそんな気分にはなれなかった。
「いやぁ、ゴメン。ムリっぽい…」
「…そうだよね。今は大変だもんね…ごめんね…」
「みんなにはよろしく伝えて。あと、オレの仕事の話はオフレコで…」
「わかってるわ…そこは安心して」
秘書だから、というわけでもないが三浦には安心できた。
「じゃあ、おやすみ」
「あっ…」
「ん?」
「落ち着いたら、ご飯…約束して!」
「了解です」
三浦の声で落ち着いたが、解決がつくまで、休日も動かないとならない状況に覚悟を決めてベッドに潜った。
児玉と会った日から一週間が過ぎた。
山本はケーリンミシンの本社に寄り、児玉とのやりとりを守山に全て話した。
「そうか…シーズニングが」
「まだ、佐伯が絡んでいる証拠はありません。しかし、かなりの可能性で関わっている気がします…」
だが、次の一手が浮かばなかった。
守山が意を決したように呟いた。
「…当たってみるかい?」
「エッ?当たるって?」
「シーズニングだよ」
「でも…」
守山はヘビースモーカーで、わずか十五分の間に三本も吸っている。
「まぁ、中国側と交渉していれば面識が無いかも知れんが…」
「アポ取れますか?」
「ん、以前に仕事を請け負ったことがあるんだ。縫製部のやつだけどな…」
守山は受話器を取って、シーズニングに電話した。
幸い、相手も守山の事を覚えていて簡単にアポが取れた。名目はミシンの売り込みだ。
昼前に日比谷駅から五分ぐらい歩くとシーズニングのビルが見えてくる。さすがにアパレルらしく、ファッショナブルなデザインだ。
受付で名乗ると、先方に繋いでくれた。
各部屋もオープンオフィスで、場違いな二人は少し気恥ずかしくなった。
「どうも、守山さん!」
応接室にノーネクタイの男が入ってきた。スーツは二人のクラシックではなく、モードタイプなのも業界らしい。
「ご無沙汰しております」守山が頭を下げると、スマートに名刺を山本に渡してきた。
《縫製部 円山 宏》とある。
円山は山本の名刺を見るなり驚いた。
「アールイーディカードの方ですかぁ!
ボク、カード持ってますよ!」
「ありがとうございます」
社交辞令かも知れないが、それより本題に入った。
「ところで、御社では業務用ミシンの買い替えはありませんか?」
「ミシンですか?今のところ無いかな」
頭をかきながら呑気な返事をした。
「そうでしたか。いや、御社が中国に工場を建てると聞きましてな。もしかして需要があるのでは?と思った次第です」
「よくご存知ですねぇ。どこから聞きましたか?」
「まぁ、私も業界ですから色々と情報は入ってきますよ」上手くかわした。
「いやぁ、その件は無くなりましてね」
突然の言葉に二人は驚いた。円山がびっくりしたぐらいだ。
「エッ!?無くなった?」
「えぇ、残念ですがね。中止になっちゃって…ハハ」
「何でですか?」
山本はマズイ状況に焦った。
「詳しい事は、上の連中しか知らないんですが、何でも中国側と上手くいかなくなったみたいですわ」
喋りは変わらず呑気な口調だ。
「あの…差し支えなければでいいのですが、縫製ミシンはどこのメーカーを?」
「いや、それもホントなら中国側が揃える予定だったから、どこのメーカーかなんて知りません」
二人は完全に落胆した。佐伯への糸口がバッサリ切られてしまった。
「あっ、でもこの間もウチにミシンの売り込みに来た人がいましてね」
(まさか!?)守山は佐伯の経歴書にあった写真を見せた。
「この人ですか?」
円山はジッと見て笑った。
「アハッ!そうそう!この人ですよ~
いきなり二百台買いませんか?って。ムリだって、跳ね除けましたけどね」
「それで?」守山が円山に迫った。
その迫力に押され、半分ビビりながら答えた。
「…いやぁ、そしたら一億の三割引きでもいいからって粘られたんですけど、断りましたよ」
「あの…連絡先は聞いてませんか?」
「名刺も無かったし、知らない人でしたから…なんか怪しげな感じもあったから
何も聞いてませんよ」
「それ、いつの話ですか?」
「おとといですよ」
シーズニングを出た二人は、近くの喫茶店でコーヒーを頼んだ。
「やっぱり来てたか…」
「でも、収穫でしたね。佐伯は中国にも売れずに困っている…」
「これで連絡先でも分かれば…」
悔しそうな守山の気持ちは、山本も同じだった。
「くそー!」セブンスターの箱が空になり、握り潰して新品を開封した。
「でも、中国に売られてなくて幸いでしたね。売られたら、もう手が届かない」
山本の言葉には守山も頷いた。
「戻りましょう」
「私も他に売り込んでないか調べてみるよ」守山も鼻息が荒い。
「社長…なるべく隠密ですよ。御社のミシンが騙し取られたなんて探られたら、大変な事になります」
諭すように山本は守山を制した。
「ありがとう、そうだなぁ」
社に戻った山本は、シーズニングの面談の件を天野と狭山に話した。片岡と美田園は、責任逃れのように聞こうとしない。その態度に腹が立って仕方ない。
狭山と天野は、山本の報告を聞いてうな垂れた。
「ダメか…まさかシーズニングに来てたとはなぁ…」
「申し訳ありません。早くに行動していれば、狭山を捕まえられたのですが…」
本音だった。しかし過去は戻らない。
「他に手はないものかなぁ~」狭山の言葉に天野も答えられなかった。
「とりあえず、佐伯の家を突き止めようと思います」
それぐらいしか思いつかない。
「そうだなぁ…そうしてくれ」狭山の力の無い言葉に、二人も同調するしかなかった。
席に戻ると、赤城が話しかけてきた。
ここのところ、天野の命令で山本の仕事の大半をやって貰っている。
「大丈夫ですか?」
「万策尽きた気がするよ…」
「もう、課長も次長もなんで何もしないのかしら?アタマくるんですけど」
一番アタマにきているのは山本だ。
「まぁいいさ」
「いつも、悪いね。仕事を頼んで…」
「それは大丈夫ですよ。山本さんは専念して頑張ってくださいね」
「うん、ありがとう」
経費の精算を済まして、会社を出た。守山からのファックスで、佐伯の自宅に向かった。東西線の西葛西駅で降りて、立ち並ぶマンション街をすり抜け、一軒家が並んでいる。佐伯の家は、ヒッソリとしたアパートの二階にある。随分と古い様相に驚いた。
差別する訳ではないが、仮にも社長の地位にあった人間が住むには、あまりにボロい気がした。
ファックスにあった二〇二号室に、表札は無かった。電気メーターも動いていない。隣からオバさんが出てきた。
山本を見て怪しげな顔色をしている。
「あのー、こちらに佐伯さんという方が住んでいた、と聞いてきたのですが…」
山本の全身を、怪訝な目で見回した。
「アンタ誰?」
「こういう者です」名刺を渡した。
オバさんは、アールイーディカードの事を知らないらしく、チラッとだけ確認して返した。
「ふーん…で、何の用なの?」
「佐伯さんを探してるのですが…」
「アンタみたいのが、何人か来て同じ事を聞いていったけど知らないわよ。そんなに親しくもなかったしね」
想定していたが、聞くと少しショックは出てくる。おそらく債権者の連中であることは容易に想像がつく。
「そうですか…もう住んでいない?」
「もう見なくなったから、そうなんじゃないの?」
「じゃあ、どこに行ったか知らないですよね」
「親しくないって、そういうことでしょ?」
「わかりました」
オバさんは、そのまま出て行った。
(手がかりなしか…)
ふと、郵便物が目に入った。ドアポストに僅かな白い封筒が刺さっている。
迷ったが、サッと取り出してポケットに閉まった。
駅までの通りにある公園のベンチで、白い封筒を出した。
宛名は佐伯で、差出人は書いてない。
ホントなら開けてはいけないが、手がかりへの欲が勝ってしまい、丁寧に開封した。便箋と写真が一枚。写真には女性と小学低学年らしき女の子が、笑って写っている。
(奥さんと子供か?…)
便箋には短文でこう書かれている。
【本当は三人で暮らしたかった、その思いは届かないのでしょうか?】
何かの事情で離れ離れで暮らしている事は文面からでも読み取れる。
写真をじっくり見たが、場所がどこかもわからない。
(どこで何をしてるのか…どんな気持ちなのだろうか?…)
ふと、佐伯の人生に起きたであろう不幸が家族を分けてしまった、そんな情景が浮かぶ。
山本は何も掴めないまま、ケーリンミシ本社へと向かった。
佐伯は焦っていた。ケーリンミシンから引っ張った二百台の荷物は、未だトラックの荷台に眠ったままだ。シーズニングの工場が白紙になろうが、中国が買ってくれれば大金を手に出来たはずなのに。
奴らは二回目の交渉で、大幅な値切り交渉をしてきた。半額の五千万なら買い取る、ダメなら買わないというシンプルな交渉だった。
元がゼロなら五千万でも、売るべきだったが欲をかいたのが裏目に出た。まさかシーズニングとも揉めてるとは予想外だった。建設が確定してるなら、奴らの交渉は跳ね除ける自信があった。だから、強気に突っぱねた。
結果、何もかも消えてしまった。
(チクショウ…)
佐伯は大久保駅の安酒場で、焼酎を煽っていた。もう六杯目を腹に流し込んだ。
(あれさえ、無ければ…)
今でも、銀行の担当者が乗り込んできた時を思い出す。
メインバンクの新東京銀行が、外資系のフェデラルバンクに吸収された。多額の不良債権で行き詰った新東京銀行は、自主再建を断念し、身売りをしたニュースはテレビで知っていた。
それでも、借りた運転資金は問題無く返済していたから、まさか借入金の引き上げを通告されるとは想像すらしていなかった。
何度理由を聞いても、新しく融資基準が変わり、サエキ縫製は過剰融資と判断された、としか言わない。
納得いかない佐伯は、何度も新東京銀行の本社に出向き事情を話すが、返してもらえないなら、担保処分を実行する…の一点張りで話し合いにならなかった。
足が壊れるぐらいに、代わりの銀行を巡って資金融資を頼んだことを忘れる事はできない。
結局、どこも融資はしてくれず最初の不渡を出してしまった。それでも何とか社員の給料だけは確保したが、佐伯を信じてくれる社員にどうしても真実が言えないまま時が過ぎてしまった。
佐伯は社長として、最低の手段を選択するぐらい心は追い詰められていた。
もう、社員などどうでもいい…自分を、会社を潰した銀行もどうでもいい…そんな思いは狂気の行動へと走らせた。
倒産後に取引先からシーズニングの工場移転を知り、ケーリンミシンの転売を思いつき計画倒産の絵図を頭に描いた。
現地に飛んで、コーディネーターから詳しい情報を掴み実行に踏み切った。
上手くいくはずだった。順調に進めば、今頃は大金を抱えて、妻と娘と新天地で幸せに暮らしているはずだった。
妻は何度も佐伯に優しくしてくれた。
佐伯の体を気遣い、無理を決して言わなかった。だが、そんな妻の思いを無視して、佐伯の心は金の亡者に変わった。
やりきれなくなった妻は『さようなら』と一言書いて消えてしまった。
(くそう!)大量のミシンは会社から逃げる時に、持ち出した四トン超トラックの荷台にある。
駐車場に停めて、そこで寝泊まりしていた。風呂は二日に一度、近くのサウナで済ましている。
ものがミシンだけに、売り先はどうしても限られる。切り売りする事も考えなければならない。だが、社長の肩書きを放り出した今では、怪しいブローカーぐらいにしか思われない。シーズニングに行った時も、相手の見る目が語っていた。
佐伯は出口の無い迷路に涙を流した。
山本はケーリンミシン本社の休憩室で、業界紙の《縫製新聞》を読んでいた。今は何か情報が欲しかった。おそらく、売り先を探している佐伯も、この新聞を見ているはずだった。
特に工場新設とか、改装、拡大といったワードを探した。
だが、コレと思う記事はなかった。
「ここにいたのか…」
守山が缶コーヒーを二つ持って現れた。
「もう春かぁ…」窓の外には桜が七分咲きで揺れていた。
「今年は花見なんて、呑気な事も出来ないなぁ…山本クンは花見はするのか?」
缶コーヒーを差し出して、グイッと飲むが気分のせいか苦味がキツい。
「いや、花見なんてしばらくしてないですね、今年は順調な開花なのかな?」
「ははは…そういうオレもテレビも見てないから、わからんのだ」
山本も軽く笑った。
守山が、ため息混じりに語り出した。
「なぁ、人間て何やってんだろうなぁ…
桜は毎年同じ時期に咲く。それも一ヶ月も保たないで散ってしまう。けど、桜は長い事我慢して、また春に咲く。決して年中咲こうとはしない、それでいいんだろうな…強いよなぁ」
「そうですね、桜は咲き続ける…強いですね」
「時々思うんだよ…人間て地球の頂点にいるって言われているが、自然が狂えば簡単に死んでしまう生き物だ、と。植物は環境が変わって一度は滅びかけても、その中から生き残るモノが出てくる、ホントは人間が一番弱いのかも知れない」
守山の言葉は身に沁みた。
「けど、私達は生き残らなければ…」
「あぁ…もちろんだ!」残りの缶コーヒーを空にして立ち上がった。
「さて、次の対策を考えよう!」
「はい!」
山本はそのまま、自分の会社に戻った。
自席に座るなり、天野から内線で呼び出しがかかった。ファイルを抱えて社長室に向かう。ここのところ自席にいるより社長室のソファーに座ることの方が多くなった。
「どうだった?」
何も収穫は無かったが、妻からの便箋を差し出した。二人は回し読みしてテーブルに放り投げた。
「家族もバラバラか…」
「はい、アパートも質素なところでした。佐伯もストイックな生活で、会社を大事にしていたんだと思います」
「フン…」天野は鼻息で返事した。
「どうすべきか?…だなぁ」
狭山は「今日は休んで体をいたわれ」と山本の労をねぎらった。
「はい…」と言ったが、正直心中は休まるものでもない。
自席に戻ると片岡が、横にやって来た。
「なんかあったか?」半分イヤミ口調の態度も慣れてきた。
「いや、何も…」
「大丈夫かぁ~?KFCの資金が返せないとマズイんだろうなぁ~」
他人事のような片岡に、横にいた赤城が闘牛のようにものすごい形相で睨んだ。
「…と。まぁ、がんばれや」
赤城に怯んだ片岡は自席に戻った。
「ありがとう」
赤城は顔を真っ赤にしていたが、思い出したように手を叩いた。
「アッ、忘れてた!アバカブの児玉さんって方から電話がありましたよ」
「エッ、なんて?」
「戻ったら電話がほしいって…」
(何だろう?)と思った時に片岡が読んでいた新聞の見出しが飛び込んできた。
【中国経済特区 規制緩和へ】
山本は走って片岡の新聞を取り上げた。
「オイ!何するんだ!?」
いきなり新聞を取られて、怒り心頭だが山本は無視した。
長々と書かれていたが、要約すると《中国経済特区は合資・合弁会社に加え、日本企業のみの出資である独資会社の設立も認める》というものだった。
つまり、百パーセント子会社が認められる事になったという事だ。
(児玉さんはこの件で…?)
すぐに自席に戻り、児玉に連絡をとったら意外にすぐ繋がった。
「ご連絡遅くなって申し訳ありません」
「アラァ、伸ちゃん元気?」
親戚のオバちゃんみたいな口調だが、何か明るい感じがした。
「お電話いただいてたそうで…」
「新聞みたかしら?」
「はい、中国の規制緩和ですね?」
「話が早いわね。ちょっと話したい事が出来たの…興味ある?」
「どこへでも伺います!」
「ふふっ!じゃあこれから会社に来てくれないかしら?」
「すぐに伺います!」
鞄を抱えて、片岡のデスクにあった新聞を鷲掴みにしてダッシュした。
アバカブの本社は南青山にある。
ガラス張りのフロアーには、多数のマネキンが着飾る服が鮮やかな彩りを演出していた。歩く社員の姿もそう見える。
受付に行くと話が通っていたようで、すぐに児玉の部屋に案内された。
面白いもので業界によって受付嬢のタイプも全然違う。やはり華やかな業界ゆえ女性も洗練されている気がした。
「失礼します」
かなり広い児玉の部屋は、狭山とも違い、女性らしく花があちこちに飾られている。
「ごめんなさいね、急に呼び出して…」
「いえ、常務の呼び出しなら」
「ふふっ、まぁ座って」
「素晴らしい部屋ですね…明るく華やかさが全然違います…」
「あら、お世辞でも嬉しい~」
「本音ですよ。私達のような金融屋ではこれ程の部屋はありませんよ。今度、役員室を改装する時の参考にしたいぐらいです」
「じゃあ、狭山さんの部屋をやっちゃえば?」
「はい、常務の命令と言っておきます」
「ふふっ…貴方は楽しい人ね。話すのが好きになったわ」
「まだまだ若輩です。ところで…」
「そうそう!例の規制緩和の話ね。実は急展開なんだけど…」
秘書がノックして、コーヒーを運んできた。何と目の前でドリップしている。
「これもおもてなしなの。入れ立ての方が美味しいでしょう?」
確かに。三浦に話す事が増えたな、と思った。
「急展開とは?」
「昨日の役員会で決まったんだけど、ウチも本格的にあっちに工場を作る計画が動き出したの…」
「ずいぶん急展開ですね」
「ほら、前にも話したけどウチも保留にしてたでしょう?あの規制緩和はウチのメリットと合致するから動き出したってわけ!」
やはり入れ立てのコーヒーは美味い。
意外と商談をまとめるキッカケになるかも知れない。
「いつ頃ですか?」
「今年中にメドをつけて、来年になるわね。今は新設の問題をクリアにしなければならないんだけど…一番大事なのは」
児玉もコーヒーを飲み、付いた口紅を拭った。
「総責任者がアタシなの…」
「常務が?」
「なんか貴方に常務って呼ばれると、違和感あるわね…陽子でもいいわよ」
「いやいや、それはダメです!」
山本は児玉のペースに追いつくのが必死だった。気に入られてるようだが、いくら何でも、名前で呼ぶ事は誤解を招く。
「いいじゃない!二人だけなんだから」
「じゃあ児玉さん、でいいですか?」
「もう、金貸しは頭固いのね!まぁいいわ、でね…現地視察出してからなんだけど、正式に決まったら記者発表しようと思うの」
「アッ、あのシーズニングはどうするんでしょうか?規制緩和でまた復活するんじゃ…」
「その事だけど、シーズニングは無理なのよ」
「どうしてですか?」
「あそこは先代の社長が作ったんだけど、急死して今は二代目のボンボン社長が後を継いだのよ」
「ボンボン社長…」
「これが、バカ息子でね。取引先から聞いたんだけど、あの工場新設もボンボンが一人で決めちゃったんだって。ところが、何の整備も下調べもせずにやっちゃったから揉めて白紙になったのよ。しかもね…」
「まだ、あるんですか?」
「白紙だけならいいけど、出資した資本金を中国側が返してくれなくて損害が出てるのよ」
「どのくらい?」
「二億円!」
「でも、交渉はしてるんですよね?」
「シーズニングは法務部が弱いのよ。ウチは権利とか特許があるから、早くから固めているけど、あそこはちゃんとしてないから交渉もゴタゴタしてるのよ」
「それなら、無理もわかります」
「でしょう!また工場新設なんて言ったら株主が黙ってないわ。それでなくても二億円の責任を社内で擦りあってるんだから…」
児玉はここまで話して、山本の横に座り直して、ジッと見つめた。
香水の匂いは甘く柔らかく感じた。
児玉の外見と良く合っている。
中野のように、年齢の割に太っておらずその気になれば落とせる男はたくさんいるだろう。確か四十五歳と聞いていたが実際はそれより若く見える。
「さて、ワタシのお気に入りクンはどんなスキームを描いたのかしら?」
確かに、児玉の話で頭に描いたスキームがあった。
しかしそれをお願いするのは躊躇してしまう。
児玉に何のメリットもないからだ。
「あの…聞いていいですか?」
「うん、どうぞ」
時々、可愛い声を出すのは計算なのか?それとも天然なのか?
「なぜ…私をそんなに?」
「ふふっ…やっぱり気にするわよね、一度しか会ってないものね」
今度は肩にしな垂れた。誰か入ってきたら確実に誤解される。
「アナタの目よ…」
「目…?」
「ブレることなく、真っ直ぐ信念を貫く目よ。これって大事なの。それに…」
足を組み直した。タイトスカートから伸びる足の線もキレイと言えた。
「アナタ、苦労してる顔つきね?」
なるほど。女傑は見る目がある、というのは現実だった。山本の生い立ちを、見抜いていたようだ。
「少なくとも、薄っぺらな若者ではないと思うけど違う?」
「それはわかりませんが…」
「で、聞かせて…」
「ですが、児玉さんに何一つメリットがありません…」
「やっぱりね…同じ事考えてたんだ…頭いいのね」
何となくそんな気もした。児玉とは気があうかも知れない。
「ですから、これは私の頭の中だけの事とします…」
「アタシは…いいわよ…」
思いがけない言葉に驚いた。
「記者発表すれば、佐伯がアプローチしてくる、それを利用したいって言って」
まるで、若いツバメを口説くように児玉は耳元で囁いた。
「しかし…」それでも躊躇う。
「言って…」考えた。悩んだ。その中には児玉の意図が読めないこともある。
「私は何をすればいいのですか?」
「いらないわ…何もしなくていいの…一言、命令して…言う通りにしろって…」
これは試されてるのか?その通りにしたら、殴られて帰れ!と言われるのか?わからなかったが、一か八か賭けに出た。
意を決して飲み込んだツバの音が耳にすごく響いた。
「陽子…言う通りにしてくれ」
児玉は見たことのない優しい微笑みで「はい」と答えた。
この時、児玉には目論見も駆け引きも無かった。ただ、心の奥にある男に尽くす心が蘇っていた。
児玉は、アパレルトップを走る本社の一室で、若い男の肩に寄り添い無言で暖かさに酔っていた。
山本は児玉の肩に手を回しグッと掴んだ。児玉は顔を見上げて、山本の気遣いを嬉しく思っていた。
アバカブから戻った山本は天野に、児玉の提案を話した。希望の光を受けたような顔が現れた。
「本当にいいのか?」
「はい、記者発表する前に連絡をくれるそうです」
「…わかった。社長は親分のところに行ってる。戻り次第私から報告しておく」
どっと疲れが出た。
あまり眠っていない。
秘書室の中に仮眠室があった。有事の際に役員が使うものだが、それを思い出して、秘書室に向かった。
入り口のデスクで三浦がワープロをパチパチと叩いている。
「山本さん…どうしたの?」
「すまん…仮眠室貸してくれ…」
「大丈夫?」三浦はかなり心配している。富田経由で話は聞いていたが、直接聞くことはしづらいものがあった。
仮眠室に入るなり、ベッドに倒れこむように山本は横になった。
「山本クン?」
三浦の呼びかけも聞こえず、そのまま眠った。
三浦は気を効かせて、タオルケットをかけて、ドアの鍵を閉めた。
目を覚ますと、一瞬どこかわからなかった。時計は夜の八時を指している。
(あぁ…仮眠室で…)
大きなアクビをしてから、ドアを開けると、三浦が書類の整理をしていた。
「あっ、起きたのね」
「すまん…」寝起きだから頭がボォーッとしている。
「疲れてるのね…」
「…うん、残業?」
「うん…まぁそんなとこ!」本当は違った。山本が起きるのを待っていた。秘書室は全員とっくに帰っている。
「ホントごめんな…」
「もう帰る?」
「そうだね…」
「じゃあ、一緒に帰ろ?」
久しぶりに三浦の顔を見て、少し心が和んだ。
「メシでも行くか?」
「うん!」
経営企画室も全員が帰っている。
鞄だけ持って本社を出た。
「春だね」道路沿いの桜がキレイに咲いている。
「そうだなぁ」
まだ眠気が残っている。
二人は路地の奥にある小さな居酒屋に入った。
ビールとレモンサワーで乾杯して、運ばれた料理を口にした。
「この間、多田クン達とご飯したよ」
忘れていた。
「あ~そうだったな、元気してた?」
「うん、みんな元気だったわ。平クンは結婚するんだって…」
「へぇ、地元の人?」
「高校から付き合っている彼女だって言ってた…」
「なんか幸せそうだったなぁ~」
三浦は何気なく山本の反応を見ていた。
「そういえば、三浦って好きな人いるんだっけ?」
「うーん、まだわかんない…」
「何が?」
「本当は色々話したいけど、忙しい人だから、あまり話せないの…」
「ふぅーん…」
三浦は時折見る山本の姿に、どんどん惹かれていった。上司の片岡も美田園も何もしてくれなくても、孤軍奮闘している山本の姿は尊敬に値する。
だが現状では言えなかった。
「何とかなりそうなの?」
「うーん、わかんないけどなるかも知れないなぁ」
捉えどころの無い答えに三浦も突っ込みたいが出来ない。
「なぁ…オレってどんな男に見える?」
唐突な質問に三浦は箸を止めた。
「エッ、なんで?」
「ちょっと…ね」
「うん…スゴイと思う…あんなに大変な仕事を一人で引き受けて、必死にケーリンミシンを救おうとしているし…」
そこで止めたのは、山本への個人的な想いをどう表現していいかわからなかったからだ。
「他にある?」
「…あと、何となくだけどね。時々暗い顔つきになる…」
「仕事の疲れだろう?」
「最初はそう思った。でも、そうじゃない気がしてる…なんていうか、心の奥に何かあるみたいな…」
「そうなんだ…暗いのかな?オレって」
「ううん、普段は明るいし、優しいと思うわ。たまにそんな気がするだけ…」
「なるほどね…アッ、お願いがある!」
「お願い?」
「仕事片付いたら、デートしないか?」
「アレ、ご飯の約束は?」
「いま食ってるよ…」
「そうか…エッ、デート?」
「イヤか?」
「ううん、嬉しい!絶対いく」
思いがけない山本の誘いに、三浦は心がトキめいた。
それから二時間後に別れた。
山本は家に戻るのが面倒になり、三浦を送ってからビジネスホテルに泊まった。
翌日ー
狭山も天野から話を聞いて、山本のスキームを実行する指令を出した。
山本もケーリンミシンに出向き、守山に話した。守山も興奮して、佐伯を絶対捕まえる思いが更に増した。
そして、一カ月後。
ついに児玉から連絡が来た。
一週間後に記者発表する連絡が入った。
児玉と山本は、児玉行きつけのレストランで食事をしていた。
「いよいよね」グラスワインをクイッと飲む児玉には、相応の色気が纏ってる。
「感謝しています。常務に…いや、陽子さんには…」
「ふふっ…いいの。アナタに会ってから昔に戻っちゃったのよ」
「昔ですか?」
「ワタシね、結婚していたことがあるのよ。もう二十年前になるけど」児玉は過去を語り出した。
「一度、妊娠してね…でも四ヶ月で流産したの。原因は分からなかったけど、自分が悪い…て思い込んだの」
「…」
「ダンナはいい人だった。優しくてアタシを大事にしてくれた…」
「なんで離婚を?」
「その優しさが辛かったの、勝手よね。
強引にでも抱きしめて欲しかったの…でもね、そんな事があってからこうして仕事をしていると、つくづく女は向かないなぁって思うことがあるの」
「何がですか?」
「男の人にはわからないけど、女は子供を産むか産まないか、ていう期間があるけど適齢期を過ぎれば、産みたくても産めなくなる。それが仕事と重なると選択に迷う時がある。ワタシは子供が出来たけど流産して、あんな辛い事は二度としたくない、って思ったの。ワタシが仕事に没頭したのは流産があったから…体の中で赤ちゃんを殺しちゃったのよ。それから逃れる為に仕事に打ち込んだのよ。これは男には無い悩みでしょう?もともと女は仕事にはハンディがあるものよ。だから向かないなぁって…」
「そうだったんですか…」
「アナタを初めて見た時に、何でかトキめいちゃったの…ダメね…そんな気持ち無くしてたと、思ってたのに…」
児玉は外の夜景を見ながら、浸るように続けた。
「一目惚れかも知れないわ!女は惚れた男の前では無力になるものよ…」
「そんないい男じゃないですよ…」
児玉はフッと笑った。
「女はイイ男を図るのは外見じゃなくて中身よ。アナタのブレない信念を持つところは間違いなくイイ男よ」
メインの肉がとても柔らかい。こんな美味い肉は食べたことがない。
「光栄です」山本も笑った。
「ねぇ…もし一度だけアタシを抱いてって言ったらどうする?」
「それは、記者発表の見返りですか?」
「ううん、単なる女として…」
山本は不思議な気分だった。大物の女傑がいるのに、なぜか不器用な女が目の前にいる、としか感じなかった。
もちろん抱くことに抵抗はなかった。
「ちょっと待っててください」
山本は席を外し、十分で戻ってきた。
席に座らず児玉の腕を掴み強引に連れ出した。
「エッ!?ちょっと…どうしたの?」
そのまま、上にあるホテルのエレベーターに引っ張った。
階のボタンを押して、児玉を強く抱きしめ耳元で囁いた。
「イヤなら降りてください。降りなければ無理にでも連れて行きます」
児玉は抵抗もせず身を任せている。
こんな大胆な事が出来るのも若さゆえだろう。児玉は羨ましくもあった。
山本は部屋を取る為に席を立った。
貰ったカギを取り出し、そのまま児玉を連れ込み、いきなりキスを始めた。
「ンン…ン……」少し抵抗したが、力が抜け、山本の唇に素直に従った。
何度も何度も唇を貪り、児玉のリップも唾液で剥がれている。
耳元で「怒りますか?」と聞いた。
児玉は首を横に振り、山本に抱きついた。山本も強く抱きしめ、背中からお尻まで愛撫した。
「…ねぇ、オバさんでも大丈夫?」
山本は無言で、児玉の左手を股間に当てた。固く張った肉棒に児玉は微笑んだ。
「…すごい、山本クン…」
「常務も色気がすごいですよ…」
「いや!常務なんて…」
山本がイタズラ顔で笑った。
「わかってるよ、陽子…」
「もぅ…年上をからかったのね~」
服の上から、お互いの身体を触りまくり息が荒くなる。
「待ってて…シャワー浴びてくる…」
山本から離れて、奥のシャワー室に消えた。静かな部屋に、服を脱ぐ音が聞こえる。シャワー室の開く音が聞こえると山本は行動を開始した。
服を脱いで、そのままシャワー室に乗り込んだ。児玉は突然の来訪者に驚いた。
「エッ!? ダメよ…」
そのまま抱きしめ、またキスを浴びせた。児玉は恥ずかしがったが、だんだん身体を任せるようになった。
山本はマジマジと児玉の身体を見た。
「ダメよ…恥ずかしいわ…見ないで…」
「ほら、見て!陽子…」
いきり勃つ肉棒に児玉は釘付けになった。反り返りが若さを強調している。
「大丈夫…陽子の身体に感じてるよ」
「ホントに…いいの?」
「咥えて!」逆らえない。児玉は二十才も年下の男の命令に従った。
肉棒が熱い。すごく固い。久しぶりのオトコを握って理性が飛んだ。
「ンフ…ン…ン…」熟女のフェラはネットリと巻き付くようだ。竿の全てに舌がまとわりつくように、若さを包みこむ。
「あぁ…」
ジュルジュポ…と児玉の唾液が浴室に垂れていく。
「どんな気分?」
先っぽを舌でチロチロしながら、感想を口にした。
「なんか小娘になったみたい…」
嬉しかった。長いことセックスもしていないと、自信が無くなってくる。身体の老いが醜く感じ見られるのがたまらなくイヤになる。
だが目の前にいる若い男の肉棒は、まるで自分を叩く棒のように固い。
ベッドに戻った二人は獣のように求めあった。山本も年齢など、些細な違いぐらいしか思わず児玉を攻めた。
足を広げクンニを始めると、大きく喘ぎ声を発した。
グチュグチュ…と淫靡な音が児玉を大胆にさせる。
「ハァッ…だめぇ…アァン…アッ!」
「ホラ、大事なとこ舐められてるよ」
「いやぁ…アァン…言わないでぇ…ハァッ…アッ…」
陰部は愛液で光り、山本のクンニを待っている。指を入れると、児玉の反応は更に敏感になる。
「ハァッ!アァン!だ、ダメェ!ハァァァッ…アン」
少し肉はついてるが、小ぶりで形の良い乳房もクビレも、まだまだ現役で通用する、と思っていた。
乳首をコリコリしながらのクンニに、児玉は山本の頭をかきむしった。
「ハァッ!ダメよ!そんなぁぁぁ…ハァッ!アン!」
それを続けてると、児玉はすぐに果てた。身体が仰け反る。
「ハァッ!アッ…イク…ハァッ…」
イク時の反応は様々だ。児玉は声より身体で表現するタイプのようだ。
今度は四つん這いにした。
「ハァッ、恥ずかしいわ!山本クン!」
「だめ!」
腰を沈めくびらせて、アナルも陰部も舐めつくした。
「いやぁ!そんな…アッ、ハァッ…」
もう常務の肩書きなど無くなっている。
今の支配者は二十才年下の男だ。
クリを弄び、指を中に入れてゆっくりかき回した。児玉の秘部は柔らかく、弾力は無いものの、吸い付くような粘膜の動きがあった。
重く大きな快感が児玉をおかしくする。
「ハァッ!アアッ!ダ…メ!クッ…ハァッ…それ、だめぇ…」
中でグルグル回した。児玉は子宮全部に感度があるようだ。
「ホラ、かき回すよ!」
「ハァッ!だめぇ!イク!イク!ねぇ!
イクわ!イク…」
フッと児玉が崩れた。
「ハァハァハァッ…」二回もイカされ児玉は力が入らなかった。
山本のキスが、また児玉の性欲を高めた。唇を吸い合い、唾液を飲み強く抱きしめられると、女の無力を知らされた。
シックスナインでお互いの性器を可愛がった。児玉は無心で肉棒を咥えた。
そこでも軽くイカせて、正常位に戻した。児玉は虚ろな目をしている。
「入れるよ…」
いきなり、山本は児玉の両手を頭の上で押さえつけ、口をキスで塞いだ。
「ンン!ンフ!ンンンン…」
ズブッと体内で鈍い音がする。
めり込む肉棒に児玉は、抵抗せず感じていた。
「ンン…」キスから解放すると児玉は山本を見つめた。
「ひどいわ…山本クン…」
「もっと気持ち良くなりたい?」
「うん…メチャクチャにして…」
ズンズンと奥まで突いた。山本は溜まったものを年上の頼りない女の身体にぶつけた。
「ハァァァッ!アアッ!すごい!ハァァァッ…アン!」
パァンパァンとぶつかる肌の音が児玉を更に堕とした。
バック、騎馬位、そして正常位に戻り最後の時がやってきた。
「陽子!イキそうだ…どこに出せばいいんだ?」
「アアッ…アン!くち!お口に出して」
「飲めるか?」
「ハァァァッ…アッ!う、うん!飲みたい!飲ませて…」
最後に奥を突いて、児玉の口に液まみれの肉棒をねじ込んだ。
(ドクッ…ドクドクッ…)
児玉の口に白濁の粘液が注がれる。
大量の放出した山本の液を全て飲み込んだ。その顔は淫靡というにふさわしい。
児玉は肉棒の掃除を始めた。根元まで吸い込み、尿道に残る精子まで絞るように飲んだ。
児玉は山本の腕枕で少し眠った。時間にして十分ぐらいだ。
山本の温かい胸は、とても安心できた。
「ごめんね…寝てたね」
「気持ち良かったですよ」
「ふふっ、ありがとう…スゴく良かったわ、あんなに感じたのは久しぶり…」
「もっと自信持っていいですよ。陽子さんの身体に…」
「エッ!?そんな…恥ずかしい…」
「いっぱい出たでしょう?」
「…うん、すごかった…」
「アナタはまだまだ現役だから大丈夫…色気がすごかった…」
児玉は褒められた気分を味わった。
「ありがとう…大丈夫だから…アタシはもう求めないから安心してね」
「これ以上求められたら、ヒモになりますよ!」
「それもいいかもね…ふふふっ!」
翌日。二人はいつもの関係に戻った。
記者発表の日ー
佐伯はニュースを聞いて、会場を訪れた。新たにミシンが売れる可能性を感じて、児玉とコンタクトを取りたかった。
他の業者より早く商談を持ちたくて、会見後にアプローチするつもりだった。
一時間で会見が終わり、佐伯は揃えたスーツを纏い児玉に近づいた。
「初めまして」児玉は佐伯だとわかった。確かに鬼気迫る顔をしている。
(この男ね…)
「どちら様ですか?」
「佐伯と申します。工場の新設と伺いまして…是非買って頂きたいモノがあります。かなりのお得な話です…」
売りつける事しか頭にない佐伯には、言葉の選択など考えられなかった。
「そう…お得なら考えるけど」
「それは大丈夫ですよ」
「では、明日十時に本社に来てくださいね。遅れたら話は無しよ」
「必ず…」
児玉は秘書達に囲まれ車に消えた。
佐伯は笑いを必死に抑えた。
欲とは怖いもので、手に届きそうになると自分に都合の良い事しか考えない。
今の佐伯は正にそれだった。
翌日十時ー
佐伯は児玉の部屋に通された。
待っていると、児玉が遅れて入って来た。薄い水色のスーツがよく似合う。
「お得なお話って何ですの?」
「はい、業務用ミシンを二百台持っております。本来なら一億しますが、八千万円でお譲りしたいと…」
「そうねぇ…確かにミシンは必要だけど
二百台は多くない?」
「形あるものは、いつかは壊れます。残りは予備としておけばいいかと…」
「なるほどねぇ…ところでどちらのミシンなの?」
「…」迷った。
「言えないなら買えないわよ…わかんないメーカーのミシンなんて信用ないもの。そうでしょう?」
佐伯はボソッと呟いた。
「ケーリンミシンです…」
「あぁ…ケーリンさんの…そうね、あそこのミシンは優れてるモノね…」
「はい、八千万はお得ですよ。常務…」
「いいわ、八千万で契約しましょ!」
この瞬間、佐伯の心中はガッツポーズを
何度も繰り返した。やっと、大金が手に入る。二千万は痛いが、売れない日々を思えば割り切れる額だ。
「で、現物はどこにあるの?」
「明日にでもここに運べますが…」
「じゃあ、今すぐ持ってこれる?」
「ハッ?今ですか?」
「小切手はすぐ出せるけど…」
佐伯の心に太陽が差し込んだ。あと数十分で待ちに待った大金が手に入る。
少し考えれば、児玉の態度もおかしい事がわかるはずだ。児玉は佐伯の身元を一切確認していない。だが、佐伯がそれに気づく余裕はなかった。
「わかりました!すぐ持って来ます」
佐伯は飛び出して、児玉の部屋を出て行った。
三十分後にトラックがやって来た。業者用の搬入口に止まり、荷台を開けると段ボールの山が現れた。
児玉は部下に確認させた。
間違いなくケーリンの文字が刻印されたミシンだった。
その時、佐伯の視界に数人の人影が見えた。こっちに向かってくる。
(!)佐伯は守山の姿を認めた。
「やっと会えたなぁ…佐伯!」
「守山!なんで…?」
佐伯は守山と数人のケーリン社員に囲まれた。佐伯はその場に崩れた。
「あなた達は誰なの?」
そこに山本が現れた。
「初めまして、児玉常務。私はアールイーディーカードの山本と申します。お騒がせした事はお詫びします。実は、このミシンは盗難されたモノでして。この男が現れるのを待っていました」
「あら、これ全部盗難品なの?」
「はい、そんなものを買われては、御社の名前にキズが付きます。改めてケーリンミシンの品をお持ち致します」
「そう、それならいいわ」
「ありがとうございます」
児玉は目配せして、うな垂れた佐伯を見つめた。
前後して山本と児玉が打合せしたのは、あくまで児玉は知らないスタンスという形にした。万が一、逆恨みで児玉に被害が及ばない為の山本の配慮だった。
そして、十年保証付きでこのミシンはアバカブが買い取る商談もまとめた。児玉も工場のコンセプトとして、耐久性のあるミシンを求めていたから、スムーズに話は決まった。ミシンは一度総点検してから引き渡す事になっている。
狭山と天野は山本からの報告に歓喜し、美田園と片岡は落胆した。
守山は実損が無かったことで、佐伯を警察に突き出す事はしなかった。
山本は、ケーリンミシン本社の休憩室で佐伯と相対していた。
「佐伯さん、何でこんな事を?」
「…あんたらのせいだ!」
「私たち?」
「あんたら金貸しは、こっちの都合なんか考えないで、勝手に借入を返せ!と言ってくる。基準に合わないとか、業績が悪いとか、ふざけんな!と言いたい。オレはキチンと返済していた…一度も遅れた事もないんだよ!」
黙って聞いた。
「オレだって家族がいるんだぞ!まるで虫けらを踏みつけるように、容赦なんかどこにも無い!オレだってこんな事をしたくなかったよ、でも、生きていく為にに仕方なかったんだよ!」
「なぁ、オレが悪いのかよ!? オレは被害者だぞ、お前らの被害者なんだよ!」
睨みつける目が痛かった。金貸しは貸す相手がいるから、成り立つ商売だ。大抵の会社はどこからか借金をしている。
それが、骨身になって染み付いた頃に引き剥がされては、生きていけないのも道理と言える。それを解決する術を山本だけでなく、誰も持っていない。
山本はポケットから便箋を出した。
泣きながら俯く佐伯もそれを見た。
「アナタの自宅に伺った時にポストに入っていました。申し訳ありませんが、中身を拝見しました。見て下さい」
佐伯は写真と便箋を見て、唇を噛み締めてさらに泣いた。
「奥様は待っています。佐伯さんが帰ってくる事を望んでいます…」
佐伯は答えず、ただ嗚咽を漏らしていた。山本も黙っていた。
外の桜は満開の時期になり、見事な花を咲かせていた。
守山と山本は佐伯の話をしていた。
「今回はキミには随分世話になった。ありがとう」
頭を下げられ山本も恐縮した。
「いや、みなさんのおかげですよ」
「なんか、山本クンさ。顔つき変わったなぁ…」
「そうですか?自覚ありませんが…」
「ウン、一皮向けた男の顔だな!」
正面切って言われると恥ずかしくなる。
「でも、こんな時代だから、佐伯さんみたいな人はたくさんいるんでしょうね…」佐伯の言葉を思い出した。
「そうだなぁ、オレだって佐伯になっていてもおかしくないからな。ちょっと横にズレたら、同じ事してたかも知れん」
「…そうですね」
「あのな、彼ウチで働いて貰おうかと思ってるんだが…」
突然の言葉に耳を疑った。
「エッ!?佐伯さんを?」
「あぁっ…彼は単身で中国に行って商談してるだろ?基本は出来る人だと思うんだ。バイタリティーも充分だ。それにウチも商売を広げる為に海外にも展開する必要があると思うんだ。さすがに本社勤務は風当たりが強すぎるから、当面は海外で新規開拓をやって貰おうかと…な」
「さすが社長ですね…私には思いつかない発想ですよ」
「それぐらい柔軟じゃなければ、社長なんて出来んよ!」
「災い転じて福とする、ですかね?」
「上手い事言うなぁ…」
守山は鼻でため息をついた。
「よし!これから二人で祝杯あげに行こうか!」
「まだ、明るいですよ」
「いいじゃないか!会社には直帰するって言っておけ!」
「わかりました。お供します…」
山本は改めて、人の繋がりの大切さを知った。
二人は会社を出て、桜を見ながら駅に向かった。
「山ちゃん!桜キレイだなぁ!」
「そうですね」
初めて守山に『ちゃん』付けて呼ばれ、一歩近づいた気がした。
風が吹き桜の花が舞った。その中の一枚が山本の肩に舞い降りた。
五階でおりて、社長の守山 賢太郎が待つ社長室に入った。アポは取ってある。
山本は考えたスキームを、余すとこなく話した。
守山も一抹の安堵が顔色に出ている。
「KFCの資金を…大丈夫なのかね?」
「今は月末の手形決済に間に合うよう、ウチの経営陣が手続きをしています。我々としても御社を潰すわけにはいきません!全力でサポートさせて貰います」
「…ありがとう、だがその後が…」
守山は下唇を噛んだ。
「まったく佐伯浩介は何を考えてるんだ!計画倒産なんて、社長のする事じゃないぞ!持ち逃げしやがって!」
頭に来るのは痛いほどわかる。しかし、今は行方を追うことが先決だ。
「KFCに資金を戻すには、佐伯の行方を追わなければなりません。何か手がかりのようなものはありませんか?」
守山はミシン業界一筋で生きてきた男だ。良くも悪くも疑う事を知らない。佐伯からすれば、騙すのは容易だったろう、と山本は思った。
「そんな事言われても…決算書と佐伯の経歴書ぐらいしか無いな」
「拝見出来ますか?」守山はデスクの上にあるファイルを渡した。
売上もケーリンミシンと似たようなものだが、取引先は国内だけでなく海外にも幾つか見られた。
(インド…マレーシア…香港…)ページを捲ると中国の字があった。
「海外とも取引してたみたいですね」
「あぁ、だから信用した面もあるんだ。それだけ手広くやってると思ってな…」
「佐伯は工場はどこに作ると?」
「確か中国と言ってた…」
(たぶん、そこだ…)
中国は経済開放を始めてから、日本企業もこぞって工場を建てている。上海、広州、大連あたりに経済技術特区として海外企業を誘致していた。新聞で読んだ事を思い出した。
だが、中国と言っても広く、誰に売るのかもわからない。おそらく、計画倒産をするぐらいだから、売り先にもメドがついていたはずだ。もう売られてるかも知れない。だが売る前に現物を押さえないとKFCに資金を戻すことは出来ない。
「あの…ミシン二百台はかなりの規模ですよね?」
冷めたコーヒーを飲みながら、守山はセブンスターに火をつけた。
「そりゃあ、かなりのもんだよ。我々のような小さいところは無理な数だ。例えばアパレルブランドやチェーン化を展開する大企業が仕入れる規模だ」
「でも、サエキ縫製は失礼ですが、御社と同じくらいの規模ですよね?疑わなかった理由は何ですか?」
「そこなんだが、佐伯が言うには中国で大企業の下請専門の工場を作るということだった。各企業から受注する為には、規模もそれなりのハコが必要になる。それが中国なら人件費も建設費も安く出来るから日本の半額で建てられる、って話だった」
(なるほど、一応スジは通ってる…)
「もう一つ教えてください、なぜ御社のミシンだったのでしょうか?」
「ふん…キミは若いから知らないのもムリはないんだが、ウチは元々業務用ミシンのトップランナーだったんだよ」それは知らなかった。
「そうなんですか」
守山は自慢気に口を開けた。
「実はウチのミシンが爆発的に売れたのは、他ではマネの出来ないスペックを持っていたからだ」セブンスターの吸い殻を灰皿に投げ捨てた。
「というと?」
「ミシンはスムーズに稼働させる為には潤滑油が必要なんだ。だが、これがたまに漏れて縫製中の繊維についてしまう事があるんだ」
「御社のは違った?」
山本もコーヒーをすすった。
「ウチのは、特殊なパーツを開発して、漏れないようにしたんだ。そしてもう一つある」
「もう一つ、とは何ですか?」
「針のコーティングを変えて、他社の倍の稼働しても切れ味を保つ事に成功したんだ」
「それはすごいですね…」
「あぁ、画期的な機械だよ。値段は高いが、ほとんど値引きしなくても売れた。驚くべき事は、そのスペックは十年経った今でも、ナンバーワンなんだ」
「業界では有名な機械なんですね」
「うん、だが時代の流れというかなぁ~何もかもが回転の早い商品が企業の売上を支える時代に変わったよ。業務用ミシンも、そのせいでタフな職人が好むものより、パートのオバちゃんでも簡単に扱える機械が主流になってね…ウチはその波に乗り遅れたんだ」
守山の目が遠くを見つめている。時代の移り変わりは、時には無情である。
「ミシンはコンピューターが制御する時代に入った。人間はボタンを押すだけで、難しい縫製も機械がやってくれる…そうなれば、いくら高いスペックを持っていても勝ち目はないんだ」
「しかし佐伯はそこに目をつけた…」
「ん?どういうことかな?」守山にはピンとこなかった。
「たぶん、佐伯はそれを知っていて御社のミシンに目を付けた…下手に電子化が詰め込まれたミシンだと、何か故障が起きたら修理も大変でしょう?だから、シンプルで高品質の御社のミシンなら、後腐れも無く売れる、と判断した…」
「ちくしょう!」バン!とテーブルを叩いた守山の悔しさは肌身でわかる。
「わかりました、社長、私は素人ですが人間の欲にかられた心情はわかります。必ず佐伯を捕まえます。社長も協力をお願いします」
山本は起立して頭を下げた。
「いや、私の方こそお願いする。元は私の判断ミスから始まったことだ」
ケーリンミシン本社を後にして、駅の公衆電話から秘書室にかけた。
三浦の優しい声に癒されるが、今はそれどころではない。
「アッ、山本さん!大丈夫?」
事情は知っているようだった。
「なんとかな。社長のスケジュールを教えてくれ」
「今は津崎部長と、ケーリンミシンへの融資稟議で打ち合わせてるわ」
「じゃあ、あと三十分で戻るから、天野室長にも連絡してメモを入れておいてくれるか?」
「わかった、ねぇホントに大丈夫?」
「そう言えばメシがまだだったな。この件が解決したらご馳走してくれよ」
少し明るい声に三浦は安堵した。
「うん、わかった…」
時間通りに戻った山本は、狭山と天野に
守山からの情報を伝えた。
「大した情報は無い、ということか?」
「いや、そうでもありません。佐伯はケーリンミシンだから狙ったのでしょう。確証はありませんが、たぶん売り先は中国と思います」
「証拠はあるのかね?」
狭山は茶菓子を食べていた。
「ありませんが、もう少し情報が欲しいので、社長にお願いがあります」
「なんだい?伸ちゃん」
「アールイーディの各店に確か、テナントでABCBが入ってましたよね?」
ABCBはアバカブと呼び、若い女性をターゲットにした国内のトップブランドだ。新製品の広告は大々的にやるので有名だった。
「あぁ、それが?」
「そこのトップに話を聞きたいのですがコネはありませんか?」
「聞いてどうする?」
天野が聞き返した。
「あの業界は、他社を出し抜く為に情報戦が激しいと聞いた事があります。もしかしたら中国で工場を建てる話を知っているかも知れません」
「ほぉ…なるほど」
天野が相槌を打った。
狭山も考えている。天野は入社して五年間はアールイーディの服飾部門にいた事があるから多少はわかった。確かに最新のトレンドを気にする業界だから、何かしらの情報が得られるかも知れない。
「チョット待ってくれ」
鞄から手帳を取り出し、デスクの電話をかけだした。
「あぁ、もしもし…狭山です…」
そう言ってアバカブの常務である児玉陽子と話していた。幸い今晩のアポが取れた。天野が三浦を呼び出し、会合で使う料亭の席を予約させた。
その夜7時ー
料亭《あおやぎ》には、狭山と天野、そして山本が社長車に乗って到着した。
その後すぐに児玉の専用車が止まった。
玄関で挨拶を交わし、予約の座敷に揃って座った。
パールホワイトのスーツが、ブランド業界の『らしさ』を演出してた。児玉はアルバイトからのし上がった叩き上げである。アバカブの女傑と呼ばれていた。
「いや、すまないね~突然…」
狭山が一礼する。
「ホントにご無沙汰しています。狭山社長!お互い年取りましたねぇ」どうやら若い時からの顔見知りのようだ。
「チョット、ゴタゴタがありまして、陽子さんに教えて欲しくて。今日はウチの若い秘蔵っ子を連れてきましたよ」
「アラ!何かしらぁ?狭山さんがそんな事言うなんて、よっぽど優秀なのね?」
山本を見る目はオバさんではなく、一人の経営陣の目だ。叩き上げの凄みも含んでいる。
アルコールを頼み、食事も一通り済ませた頃に児玉が切り出した。
「で、教えて欲しい事って何かしら?」
山本が姿勢を正して、ゆっくり聞いた。
「最近、アパレル業界で中国に大規模な工場を建てる話を聞いたことはありませんか?」
想像もしない質問に児玉は、怪訝な目を向けた。
「どういうこと?意味がわからないわ」
おちょこの日本酒をグイッと飲んで、山本を見直した。
「実は…」とケーリンミシンと佐伯の事をかいつまんで話した。もちろんKFCの事は省いた。
「…なるほどね、それで情報が欲しいってわけねぇ」
「陽子さん、知っていたら教えてくれないか?お礼はするよ…」
「何してくれるの?」
狭山が面喰らった。言葉にウソは無いが、具体的なお礼までは考えていない。
「いや…そうだなぁ~」
天野も困った顔をしている。そんなオヤジ達を尻目に、児玉は山本をジィーッと見続けていた。
「そうね、じゃあこの子を貸してちょうだい!」
山本を含む全員がエッ!?と声を発した。
「この子気に入ったわ。いい目してるもの、ネッ、いいでしょう?」
(なんだ、この展開は?)山本も児玉の意図が読めずに困惑した。だが、今は情報が欲しい、おそらく児玉は何かしら知っていて、お礼を求めている。
「…分かりました。では、この件が解決したらご連絡致します」
「もし、今って言ったらどうする?」
イタズラな目つきで山本を見つめた。児玉の目に狭山も天野も存在していない。
「それはダメです。全てが終わってからにして下さい」
負けじと見返した。
「じゃあ、教えないって言ったら?」
「仕方ありません」
児玉は微笑んだ。まるで男を言いなりにする女帝のようだった。
「なら、今から…」と言葉にに被せるように山本は口を開いた。
「情報は結構です。今の私には佐伯の行方を追う事が何よりも優先します!ケーリンミシンの存亡がかかっています。もし、教えていたたけないなら、他をあたるしかありません」
天野はハラハラしていた。相手は女傑と呼ばれた児玉だ。天野ですら迫力負けになる。狭山はジッと見守っていた。
睨み合いのような時が流れ、沈黙の座敷に押し潰されそうな雰囲気だった。
「ふふっ…」児玉が笑い出した。
「狭山さん、いい部下をお持ちなのね」
「でしょう」
狭山は自ら日本酒を注いでいる。
「ねぇ、アナタ…ウチに来ない?」
「ハッ!?」
「信念を持って仕事する人の目を久しぶりに見たわ…ブレない男の目ってやつね。ごめんなさい、チョットだけイジワルしてみたかったの…」
頬杖をしながら、山本の肩に触れた。
「いくら女傑と言われるワタシでも、狭山さんを前に、こんなカワイイ子をたぶらかさないわよ」
狭山も笑っている。
「おいおい、頼むよぉ…ウチの若いもんを困らせないでくれ。オレならいつでもいいぞ~」
「何よ!度胸も無いくせに!奥様にアタマ上がらないって聞いてるわよ」
「ウチのヤツは良妻なんだよ」
「アラ!私が悪妻だったって言うつもりなの?」
場が一気に和んだ。
児玉は山本を向いて話し始めた。
「…ウチの競合でシーズニングってブランドがあるの。そこが今度、上海に工場を移転するみたいよ。かなり大規模な工場になるって…」
(シーズニング…)
「ありがとうございます。その工場はいつ建設が始まるのですか?」
「今年中って聞いたわ。ただ、一つ問題があってね」
「問題?」天野が聞いた。
「ウチも考えたんだけど、現地法人の条件として合弁会社なのよ」
合弁会社とは、日本企業と中国企業の合同出資の事を指す。出資が少なくて現地労働者を確保できる為、一見リスクが無いように見えるが、中国企業側にも重要事項の拒否権があったり、中国の事情に流される面もある。
しかも、相手によっては多額の出資を盾にして、無理難題を言われるトラブルも少なくない。
「中国側としては技術の吸収という狙いはあるんだけど、無断盗用されるリスクが高くて。オマケにまだ賄賂が通用する国でね~。謄本や定款を知らない間に平気で書き換えたり出来ちゃうのよ。だから、ウチは当面落ち着くまで見送る事にしたの。でも、シーズニングは踏み切ったはいいけど、どうやら現地で揉めてるみたい。ハッキリとは分からないけど、中国側が難癖つけて不利な条件を突然言ってきたって…」
(てことは…まだ売られてないかも)
児玉の情報が確実なら、佐伯はヤキモキしているかも知れない。ミシンの売り先はシーズニングか中国企業か?
「あの、建設も含めて必要な機材はどちらが揃えるのですか?」
「合弁会社の場合は、中国側が買って揃えるケースが多いわね」
ならば、佐伯の売り先は中国企業だろう。おそらくシーズニングに条件を出すぐらいだから、佐伯も値切り交渉を受けてる可能性は高かった。
その晩は児玉に礼をして帰社した。
車に乗り込む児玉に「必ず連絡します」と約束した。
児玉も「待ってるわ」と残して去った。
気がつけば夜11時を回っていた。
残った三人はそこで解散した。
家に戻った山本は、どっぷりと疲労していた。考える事が多すぎるのと、児玉との駆け引きもシンドイものがあった。
シャワーを浴びて、留守電がチカチカ光っている事にやっと気づいた。
三浦からだった。中村の一件以来、時々連絡がくる。
【もしもし~三浦です。時間遅くてもいいので連絡ください】
(なんだろ?)
タバコをふかしながら、ダイヤルを回すと、すぐに三浦が出た。
待っていたらしい。
「あっ、山本だけど…」
「ごめんなさい。お疲れのところ…」
「いや、大丈夫だ。どーしたの?」
「あのね…多田クンと開クンが今週末に上京してくるって連絡があったの…」
「へぇ…そうなんだ」
「それで、美佐子と由紀も集まってご飯食べに行こうかって話してたの。山本クンどうかな?と思って…」
三浦の声が、少しおっかなびっくりの感じに聞こえるのは、山本の事情を知っているからだろう。
山本はそんな気分にはなれなかった。
「いやぁ、ゴメン。ムリっぽい…」
「…そうだよね。今は大変だもんね…ごめんね…」
「みんなにはよろしく伝えて。あと、オレの仕事の話はオフレコで…」
「わかってるわ…そこは安心して」
秘書だから、というわけでもないが三浦には安心できた。
「じゃあ、おやすみ」
「あっ…」
「ん?」
「落ち着いたら、ご飯…約束して!」
「了解です」
三浦の声で落ち着いたが、解決がつくまで、休日も動かないとならない状況に覚悟を決めてベッドに潜った。
児玉と会った日から一週間が過ぎた。
山本はケーリンミシンの本社に寄り、児玉とのやりとりを守山に全て話した。
「そうか…シーズニングが」
「まだ、佐伯が絡んでいる証拠はありません。しかし、かなりの可能性で関わっている気がします…」
だが、次の一手が浮かばなかった。
守山が意を決したように呟いた。
「…当たってみるかい?」
「エッ?当たるって?」
「シーズニングだよ」
「でも…」
守山はヘビースモーカーで、わずか十五分の間に三本も吸っている。
「まぁ、中国側と交渉していれば面識が無いかも知れんが…」
「アポ取れますか?」
「ん、以前に仕事を請け負ったことがあるんだ。縫製部のやつだけどな…」
守山は受話器を取って、シーズニングに電話した。
幸い、相手も守山の事を覚えていて簡単にアポが取れた。名目はミシンの売り込みだ。
昼前に日比谷駅から五分ぐらい歩くとシーズニングのビルが見えてくる。さすがにアパレルらしく、ファッショナブルなデザインだ。
受付で名乗ると、先方に繋いでくれた。
各部屋もオープンオフィスで、場違いな二人は少し気恥ずかしくなった。
「どうも、守山さん!」
応接室にノーネクタイの男が入ってきた。スーツは二人のクラシックではなく、モードタイプなのも業界らしい。
「ご無沙汰しております」守山が頭を下げると、スマートに名刺を山本に渡してきた。
《縫製部 円山 宏》とある。
円山は山本の名刺を見るなり驚いた。
「アールイーディカードの方ですかぁ!
ボク、カード持ってますよ!」
「ありがとうございます」
社交辞令かも知れないが、それより本題に入った。
「ところで、御社では業務用ミシンの買い替えはありませんか?」
「ミシンですか?今のところ無いかな」
頭をかきながら呑気な返事をした。
「そうでしたか。いや、御社が中国に工場を建てると聞きましてな。もしかして需要があるのでは?と思った次第です」
「よくご存知ですねぇ。どこから聞きましたか?」
「まぁ、私も業界ですから色々と情報は入ってきますよ」上手くかわした。
「いやぁ、その件は無くなりましてね」
突然の言葉に二人は驚いた。円山がびっくりしたぐらいだ。
「エッ!?無くなった?」
「えぇ、残念ですがね。中止になっちゃって…ハハ」
「何でですか?」
山本はマズイ状況に焦った。
「詳しい事は、上の連中しか知らないんですが、何でも中国側と上手くいかなくなったみたいですわ」
喋りは変わらず呑気な口調だ。
「あの…差し支えなければでいいのですが、縫製ミシンはどこのメーカーを?」
「いや、それもホントなら中国側が揃える予定だったから、どこのメーカーかなんて知りません」
二人は完全に落胆した。佐伯への糸口がバッサリ切られてしまった。
「あっ、でもこの間もウチにミシンの売り込みに来た人がいましてね」
(まさか!?)守山は佐伯の経歴書にあった写真を見せた。
「この人ですか?」
円山はジッと見て笑った。
「アハッ!そうそう!この人ですよ~
いきなり二百台買いませんか?って。ムリだって、跳ね除けましたけどね」
「それで?」守山が円山に迫った。
その迫力に押され、半分ビビりながら答えた。
「…いやぁ、そしたら一億の三割引きでもいいからって粘られたんですけど、断りましたよ」
「あの…連絡先は聞いてませんか?」
「名刺も無かったし、知らない人でしたから…なんか怪しげな感じもあったから
何も聞いてませんよ」
「それ、いつの話ですか?」
「おとといですよ」
シーズニングを出た二人は、近くの喫茶店でコーヒーを頼んだ。
「やっぱり来てたか…」
「でも、収穫でしたね。佐伯は中国にも売れずに困っている…」
「これで連絡先でも分かれば…」
悔しそうな守山の気持ちは、山本も同じだった。
「くそー!」セブンスターの箱が空になり、握り潰して新品を開封した。
「でも、中国に売られてなくて幸いでしたね。売られたら、もう手が届かない」
山本の言葉には守山も頷いた。
「戻りましょう」
「私も他に売り込んでないか調べてみるよ」守山も鼻息が荒い。
「社長…なるべく隠密ですよ。御社のミシンが騙し取られたなんて探られたら、大変な事になります」
諭すように山本は守山を制した。
「ありがとう、そうだなぁ」
社に戻った山本は、シーズニングの面談の件を天野と狭山に話した。片岡と美田園は、責任逃れのように聞こうとしない。その態度に腹が立って仕方ない。
狭山と天野は、山本の報告を聞いてうな垂れた。
「ダメか…まさかシーズニングに来てたとはなぁ…」
「申し訳ありません。早くに行動していれば、狭山を捕まえられたのですが…」
本音だった。しかし過去は戻らない。
「他に手はないものかなぁ~」狭山の言葉に天野も答えられなかった。
「とりあえず、佐伯の家を突き止めようと思います」
それぐらいしか思いつかない。
「そうだなぁ…そうしてくれ」狭山の力の無い言葉に、二人も同調するしかなかった。
席に戻ると、赤城が話しかけてきた。
ここのところ、天野の命令で山本の仕事の大半をやって貰っている。
「大丈夫ですか?」
「万策尽きた気がするよ…」
「もう、課長も次長もなんで何もしないのかしら?アタマくるんですけど」
一番アタマにきているのは山本だ。
「まぁいいさ」
「いつも、悪いね。仕事を頼んで…」
「それは大丈夫ですよ。山本さんは専念して頑張ってくださいね」
「うん、ありがとう」
経費の精算を済まして、会社を出た。守山からのファックスで、佐伯の自宅に向かった。東西線の西葛西駅で降りて、立ち並ぶマンション街をすり抜け、一軒家が並んでいる。佐伯の家は、ヒッソリとしたアパートの二階にある。随分と古い様相に驚いた。
差別する訳ではないが、仮にも社長の地位にあった人間が住むには、あまりにボロい気がした。
ファックスにあった二〇二号室に、表札は無かった。電気メーターも動いていない。隣からオバさんが出てきた。
山本を見て怪しげな顔色をしている。
「あのー、こちらに佐伯さんという方が住んでいた、と聞いてきたのですが…」
山本の全身を、怪訝な目で見回した。
「アンタ誰?」
「こういう者です」名刺を渡した。
オバさんは、アールイーディカードの事を知らないらしく、チラッとだけ確認して返した。
「ふーん…で、何の用なの?」
「佐伯さんを探してるのですが…」
「アンタみたいのが、何人か来て同じ事を聞いていったけど知らないわよ。そんなに親しくもなかったしね」
想定していたが、聞くと少しショックは出てくる。おそらく債権者の連中であることは容易に想像がつく。
「そうですか…もう住んでいない?」
「もう見なくなったから、そうなんじゃないの?」
「じゃあ、どこに行ったか知らないですよね」
「親しくないって、そういうことでしょ?」
「わかりました」
オバさんは、そのまま出て行った。
(手がかりなしか…)
ふと、郵便物が目に入った。ドアポストに僅かな白い封筒が刺さっている。
迷ったが、サッと取り出してポケットに閉まった。
駅までの通りにある公園のベンチで、白い封筒を出した。
宛名は佐伯で、差出人は書いてない。
ホントなら開けてはいけないが、手がかりへの欲が勝ってしまい、丁寧に開封した。便箋と写真が一枚。写真には女性と小学低学年らしき女の子が、笑って写っている。
(奥さんと子供か?…)
便箋には短文でこう書かれている。
【本当は三人で暮らしたかった、その思いは届かないのでしょうか?】
何かの事情で離れ離れで暮らしている事は文面からでも読み取れる。
写真をじっくり見たが、場所がどこかもわからない。
(どこで何をしてるのか…どんな気持ちなのだろうか?…)
ふと、佐伯の人生に起きたであろう不幸が家族を分けてしまった、そんな情景が浮かぶ。
山本は何も掴めないまま、ケーリンミシ本社へと向かった。
佐伯は焦っていた。ケーリンミシンから引っ張った二百台の荷物は、未だトラックの荷台に眠ったままだ。シーズニングの工場が白紙になろうが、中国が買ってくれれば大金を手に出来たはずなのに。
奴らは二回目の交渉で、大幅な値切り交渉をしてきた。半額の五千万なら買い取る、ダメなら買わないというシンプルな交渉だった。
元がゼロなら五千万でも、売るべきだったが欲をかいたのが裏目に出た。まさかシーズニングとも揉めてるとは予想外だった。建設が確定してるなら、奴らの交渉は跳ね除ける自信があった。だから、強気に突っぱねた。
結果、何もかも消えてしまった。
(チクショウ…)
佐伯は大久保駅の安酒場で、焼酎を煽っていた。もう六杯目を腹に流し込んだ。
(あれさえ、無ければ…)
今でも、銀行の担当者が乗り込んできた時を思い出す。
メインバンクの新東京銀行が、外資系のフェデラルバンクに吸収された。多額の不良債権で行き詰った新東京銀行は、自主再建を断念し、身売りをしたニュースはテレビで知っていた。
それでも、借りた運転資金は問題無く返済していたから、まさか借入金の引き上げを通告されるとは想像すらしていなかった。
何度理由を聞いても、新しく融資基準が変わり、サエキ縫製は過剰融資と判断された、としか言わない。
納得いかない佐伯は、何度も新東京銀行の本社に出向き事情を話すが、返してもらえないなら、担保処分を実行する…の一点張りで話し合いにならなかった。
足が壊れるぐらいに、代わりの銀行を巡って資金融資を頼んだことを忘れる事はできない。
結局、どこも融資はしてくれず最初の不渡を出してしまった。それでも何とか社員の給料だけは確保したが、佐伯を信じてくれる社員にどうしても真実が言えないまま時が過ぎてしまった。
佐伯は社長として、最低の手段を選択するぐらい心は追い詰められていた。
もう、社員などどうでもいい…自分を、会社を潰した銀行もどうでもいい…そんな思いは狂気の行動へと走らせた。
倒産後に取引先からシーズニングの工場移転を知り、ケーリンミシンの転売を思いつき計画倒産の絵図を頭に描いた。
現地に飛んで、コーディネーターから詳しい情報を掴み実行に踏み切った。
上手くいくはずだった。順調に進めば、今頃は大金を抱えて、妻と娘と新天地で幸せに暮らしているはずだった。
妻は何度も佐伯に優しくしてくれた。
佐伯の体を気遣い、無理を決して言わなかった。だが、そんな妻の思いを無視して、佐伯の心は金の亡者に変わった。
やりきれなくなった妻は『さようなら』と一言書いて消えてしまった。
(くそう!)大量のミシンは会社から逃げる時に、持ち出した四トン超トラックの荷台にある。
駐車場に停めて、そこで寝泊まりしていた。風呂は二日に一度、近くのサウナで済ましている。
ものがミシンだけに、売り先はどうしても限られる。切り売りする事も考えなければならない。だが、社長の肩書きを放り出した今では、怪しいブローカーぐらいにしか思われない。シーズニングに行った時も、相手の見る目が語っていた。
佐伯は出口の無い迷路に涙を流した。
山本はケーリンミシン本社の休憩室で、業界紙の《縫製新聞》を読んでいた。今は何か情報が欲しかった。おそらく、売り先を探している佐伯も、この新聞を見ているはずだった。
特に工場新設とか、改装、拡大といったワードを探した。
だが、コレと思う記事はなかった。
「ここにいたのか…」
守山が缶コーヒーを二つ持って現れた。
「もう春かぁ…」窓の外には桜が七分咲きで揺れていた。
「今年は花見なんて、呑気な事も出来ないなぁ…山本クンは花見はするのか?」
缶コーヒーを差し出して、グイッと飲むが気分のせいか苦味がキツい。
「いや、花見なんてしばらくしてないですね、今年は順調な開花なのかな?」
「ははは…そういうオレもテレビも見てないから、わからんのだ」
山本も軽く笑った。
守山が、ため息混じりに語り出した。
「なぁ、人間て何やってんだろうなぁ…
桜は毎年同じ時期に咲く。それも一ヶ月も保たないで散ってしまう。けど、桜は長い事我慢して、また春に咲く。決して年中咲こうとはしない、それでいいんだろうな…強いよなぁ」
「そうですね、桜は咲き続ける…強いですね」
「時々思うんだよ…人間て地球の頂点にいるって言われているが、自然が狂えば簡単に死んでしまう生き物だ、と。植物は環境が変わって一度は滅びかけても、その中から生き残るモノが出てくる、ホントは人間が一番弱いのかも知れない」
守山の言葉は身に沁みた。
「けど、私達は生き残らなければ…」
「あぁ…もちろんだ!」残りの缶コーヒーを空にして立ち上がった。
「さて、次の対策を考えよう!」
「はい!」
山本はそのまま、自分の会社に戻った。
自席に座るなり、天野から内線で呼び出しがかかった。ファイルを抱えて社長室に向かう。ここのところ自席にいるより社長室のソファーに座ることの方が多くなった。
「どうだった?」
何も収穫は無かったが、妻からの便箋を差し出した。二人は回し読みしてテーブルに放り投げた。
「家族もバラバラか…」
「はい、アパートも質素なところでした。佐伯もストイックな生活で、会社を大事にしていたんだと思います」
「フン…」天野は鼻息で返事した。
「どうすべきか?…だなぁ」
狭山は「今日は休んで体をいたわれ」と山本の労をねぎらった。
「はい…」と言ったが、正直心中は休まるものでもない。
自席に戻ると片岡が、横にやって来た。
「なんかあったか?」半分イヤミ口調の態度も慣れてきた。
「いや、何も…」
「大丈夫かぁ~?KFCの資金が返せないとマズイんだろうなぁ~」
他人事のような片岡に、横にいた赤城が闘牛のようにものすごい形相で睨んだ。
「…と。まぁ、がんばれや」
赤城に怯んだ片岡は自席に戻った。
「ありがとう」
赤城は顔を真っ赤にしていたが、思い出したように手を叩いた。
「アッ、忘れてた!アバカブの児玉さんって方から電話がありましたよ」
「エッ、なんて?」
「戻ったら電話がほしいって…」
(何だろう?)と思った時に片岡が読んでいた新聞の見出しが飛び込んできた。
【中国経済特区 規制緩和へ】
山本は走って片岡の新聞を取り上げた。
「オイ!何するんだ!?」
いきなり新聞を取られて、怒り心頭だが山本は無視した。
長々と書かれていたが、要約すると《中国経済特区は合資・合弁会社に加え、日本企業のみの出資である独資会社の設立も認める》というものだった。
つまり、百パーセント子会社が認められる事になったという事だ。
(児玉さんはこの件で…?)
すぐに自席に戻り、児玉に連絡をとったら意外にすぐ繋がった。
「ご連絡遅くなって申し訳ありません」
「アラァ、伸ちゃん元気?」
親戚のオバちゃんみたいな口調だが、何か明るい感じがした。
「お電話いただいてたそうで…」
「新聞みたかしら?」
「はい、中国の規制緩和ですね?」
「話が早いわね。ちょっと話したい事が出来たの…興味ある?」
「どこへでも伺います!」
「ふふっ!じゃあこれから会社に来てくれないかしら?」
「すぐに伺います!」
鞄を抱えて、片岡のデスクにあった新聞を鷲掴みにしてダッシュした。
アバカブの本社は南青山にある。
ガラス張りのフロアーには、多数のマネキンが着飾る服が鮮やかな彩りを演出していた。歩く社員の姿もそう見える。
受付に行くと話が通っていたようで、すぐに児玉の部屋に案内された。
面白いもので業界によって受付嬢のタイプも全然違う。やはり華やかな業界ゆえ女性も洗練されている気がした。
「失礼します」
かなり広い児玉の部屋は、狭山とも違い、女性らしく花があちこちに飾られている。
「ごめんなさいね、急に呼び出して…」
「いえ、常務の呼び出しなら」
「ふふっ、まぁ座って」
「素晴らしい部屋ですね…明るく華やかさが全然違います…」
「あら、お世辞でも嬉しい~」
「本音ですよ。私達のような金融屋ではこれ程の部屋はありませんよ。今度、役員室を改装する時の参考にしたいぐらいです」
「じゃあ、狭山さんの部屋をやっちゃえば?」
「はい、常務の命令と言っておきます」
「ふふっ…貴方は楽しい人ね。話すのが好きになったわ」
「まだまだ若輩です。ところで…」
「そうそう!例の規制緩和の話ね。実は急展開なんだけど…」
秘書がノックして、コーヒーを運んできた。何と目の前でドリップしている。
「これもおもてなしなの。入れ立ての方が美味しいでしょう?」
確かに。三浦に話す事が増えたな、と思った。
「急展開とは?」
「昨日の役員会で決まったんだけど、ウチも本格的にあっちに工場を作る計画が動き出したの…」
「ずいぶん急展開ですね」
「ほら、前にも話したけどウチも保留にしてたでしょう?あの規制緩和はウチのメリットと合致するから動き出したってわけ!」
やはり入れ立てのコーヒーは美味い。
意外と商談をまとめるキッカケになるかも知れない。
「いつ頃ですか?」
「今年中にメドをつけて、来年になるわね。今は新設の問題をクリアにしなければならないんだけど…一番大事なのは」
児玉もコーヒーを飲み、付いた口紅を拭った。
「総責任者がアタシなの…」
「常務が?」
「なんか貴方に常務って呼ばれると、違和感あるわね…陽子でもいいわよ」
「いやいや、それはダメです!」
山本は児玉のペースに追いつくのが必死だった。気に入られてるようだが、いくら何でも、名前で呼ぶ事は誤解を招く。
「いいじゃない!二人だけなんだから」
「じゃあ児玉さん、でいいですか?」
「もう、金貸しは頭固いのね!まぁいいわ、でね…現地視察出してからなんだけど、正式に決まったら記者発表しようと思うの」
「アッ、あのシーズニングはどうするんでしょうか?規制緩和でまた復活するんじゃ…」
「その事だけど、シーズニングは無理なのよ」
「どうしてですか?」
「あそこは先代の社長が作ったんだけど、急死して今は二代目のボンボン社長が後を継いだのよ」
「ボンボン社長…」
「これが、バカ息子でね。取引先から聞いたんだけど、あの工場新設もボンボンが一人で決めちゃったんだって。ところが、何の整備も下調べもせずにやっちゃったから揉めて白紙になったのよ。しかもね…」
「まだ、あるんですか?」
「白紙だけならいいけど、出資した資本金を中国側が返してくれなくて損害が出てるのよ」
「どのくらい?」
「二億円!」
「でも、交渉はしてるんですよね?」
「シーズニングは法務部が弱いのよ。ウチは権利とか特許があるから、早くから固めているけど、あそこはちゃんとしてないから交渉もゴタゴタしてるのよ」
「それなら、無理もわかります」
「でしょう!また工場新設なんて言ったら株主が黙ってないわ。それでなくても二億円の責任を社内で擦りあってるんだから…」
児玉はここまで話して、山本の横に座り直して、ジッと見つめた。
香水の匂いは甘く柔らかく感じた。
児玉の外見と良く合っている。
中野のように、年齢の割に太っておらずその気になれば落とせる男はたくさんいるだろう。確か四十五歳と聞いていたが実際はそれより若く見える。
「さて、ワタシのお気に入りクンはどんなスキームを描いたのかしら?」
確かに、児玉の話で頭に描いたスキームがあった。
しかしそれをお願いするのは躊躇してしまう。
児玉に何のメリットもないからだ。
「あの…聞いていいですか?」
「うん、どうぞ」
時々、可愛い声を出すのは計算なのか?それとも天然なのか?
「なぜ…私をそんなに?」
「ふふっ…やっぱり気にするわよね、一度しか会ってないものね」
今度は肩にしな垂れた。誰か入ってきたら確実に誤解される。
「アナタの目よ…」
「目…?」
「ブレることなく、真っ直ぐ信念を貫く目よ。これって大事なの。それに…」
足を組み直した。タイトスカートから伸びる足の線もキレイと言えた。
「アナタ、苦労してる顔つきね?」
なるほど。女傑は見る目がある、というのは現実だった。山本の生い立ちを、見抜いていたようだ。
「少なくとも、薄っぺらな若者ではないと思うけど違う?」
「それはわかりませんが…」
「で、聞かせて…」
「ですが、児玉さんに何一つメリットがありません…」
「やっぱりね…同じ事考えてたんだ…頭いいのね」
何となくそんな気もした。児玉とは気があうかも知れない。
「ですから、これは私の頭の中だけの事とします…」
「アタシは…いいわよ…」
思いがけない言葉に驚いた。
「記者発表すれば、佐伯がアプローチしてくる、それを利用したいって言って」
まるで、若いツバメを口説くように児玉は耳元で囁いた。
「しかし…」それでも躊躇う。
「言って…」考えた。悩んだ。その中には児玉の意図が読めないこともある。
「私は何をすればいいのですか?」
「いらないわ…何もしなくていいの…一言、命令して…言う通りにしろって…」
これは試されてるのか?その通りにしたら、殴られて帰れ!と言われるのか?わからなかったが、一か八か賭けに出た。
意を決して飲み込んだツバの音が耳にすごく響いた。
「陽子…言う通りにしてくれ」
児玉は見たことのない優しい微笑みで「はい」と答えた。
この時、児玉には目論見も駆け引きも無かった。ただ、心の奥にある男に尽くす心が蘇っていた。
児玉は、アパレルトップを走る本社の一室で、若い男の肩に寄り添い無言で暖かさに酔っていた。
山本は児玉の肩に手を回しグッと掴んだ。児玉は顔を見上げて、山本の気遣いを嬉しく思っていた。
アバカブから戻った山本は天野に、児玉の提案を話した。希望の光を受けたような顔が現れた。
「本当にいいのか?」
「はい、記者発表する前に連絡をくれるそうです」
「…わかった。社長は親分のところに行ってる。戻り次第私から報告しておく」
どっと疲れが出た。
あまり眠っていない。
秘書室の中に仮眠室があった。有事の際に役員が使うものだが、それを思い出して、秘書室に向かった。
入り口のデスクで三浦がワープロをパチパチと叩いている。
「山本さん…どうしたの?」
「すまん…仮眠室貸してくれ…」
「大丈夫?」三浦はかなり心配している。富田経由で話は聞いていたが、直接聞くことはしづらいものがあった。
仮眠室に入るなり、ベッドに倒れこむように山本は横になった。
「山本クン?」
三浦の呼びかけも聞こえず、そのまま眠った。
三浦は気を効かせて、タオルケットをかけて、ドアの鍵を閉めた。
目を覚ますと、一瞬どこかわからなかった。時計は夜の八時を指している。
(あぁ…仮眠室で…)
大きなアクビをしてから、ドアを開けると、三浦が書類の整理をしていた。
「あっ、起きたのね」
「すまん…」寝起きだから頭がボォーッとしている。
「疲れてるのね…」
「…うん、残業?」
「うん…まぁそんなとこ!」本当は違った。山本が起きるのを待っていた。秘書室は全員とっくに帰っている。
「ホントごめんな…」
「もう帰る?」
「そうだね…」
「じゃあ、一緒に帰ろ?」
久しぶりに三浦の顔を見て、少し心が和んだ。
「メシでも行くか?」
「うん!」
経営企画室も全員が帰っている。
鞄だけ持って本社を出た。
「春だね」道路沿いの桜がキレイに咲いている。
「そうだなぁ」
まだ眠気が残っている。
二人は路地の奥にある小さな居酒屋に入った。
ビールとレモンサワーで乾杯して、運ばれた料理を口にした。
「この間、多田クン達とご飯したよ」
忘れていた。
「あ~そうだったな、元気してた?」
「うん、みんな元気だったわ。平クンは結婚するんだって…」
「へぇ、地元の人?」
「高校から付き合っている彼女だって言ってた…」
「なんか幸せそうだったなぁ~」
三浦は何気なく山本の反応を見ていた。
「そういえば、三浦って好きな人いるんだっけ?」
「うーん、まだわかんない…」
「何が?」
「本当は色々話したいけど、忙しい人だから、あまり話せないの…」
「ふぅーん…」
三浦は時折見る山本の姿に、どんどん惹かれていった。上司の片岡も美田園も何もしてくれなくても、孤軍奮闘している山本の姿は尊敬に値する。
だが現状では言えなかった。
「何とかなりそうなの?」
「うーん、わかんないけどなるかも知れないなぁ」
捉えどころの無い答えに三浦も突っ込みたいが出来ない。
「なぁ…オレってどんな男に見える?」
唐突な質問に三浦は箸を止めた。
「エッ、なんで?」
「ちょっと…ね」
「うん…スゴイと思う…あんなに大変な仕事を一人で引き受けて、必死にケーリンミシンを救おうとしているし…」
そこで止めたのは、山本への個人的な想いをどう表現していいかわからなかったからだ。
「他にある?」
「…あと、何となくだけどね。時々暗い顔つきになる…」
「仕事の疲れだろう?」
「最初はそう思った。でも、そうじゃない気がしてる…なんていうか、心の奥に何かあるみたいな…」
「そうなんだ…暗いのかな?オレって」
「ううん、普段は明るいし、優しいと思うわ。たまにそんな気がするだけ…」
「なるほどね…アッ、お願いがある!」
「お願い?」
「仕事片付いたら、デートしないか?」
「アレ、ご飯の約束は?」
「いま食ってるよ…」
「そうか…エッ、デート?」
「イヤか?」
「ううん、嬉しい!絶対いく」
思いがけない山本の誘いに、三浦は心がトキめいた。
それから二時間後に別れた。
山本は家に戻るのが面倒になり、三浦を送ってからビジネスホテルに泊まった。
翌日ー
狭山も天野から話を聞いて、山本のスキームを実行する指令を出した。
山本もケーリンミシンに出向き、守山に話した。守山も興奮して、佐伯を絶対捕まえる思いが更に増した。
そして、一カ月後。
ついに児玉から連絡が来た。
一週間後に記者発表する連絡が入った。
児玉と山本は、児玉行きつけのレストランで食事をしていた。
「いよいよね」グラスワインをクイッと飲む児玉には、相応の色気が纏ってる。
「感謝しています。常務に…いや、陽子さんには…」
「ふふっ…いいの。アナタに会ってから昔に戻っちゃったのよ」
「昔ですか?」
「ワタシね、結婚していたことがあるのよ。もう二十年前になるけど」児玉は過去を語り出した。
「一度、妊娠してね…でも四ヶ月で流産したの。原因は分からなかったけど、自分が悪い…て思い込んだの」
「…」
「ダンナはいい人だった。優しくてアタシを大事にしてくれた…」
「なんで離婚を?」
「その優しさが辛かったの、勝手よね。
強引にでも抱きしめて欲しかったの…でもね、そんな事があってからこうして仕事をしていると、つくづく女は向かないなぁって思うことがあるの」
「何がですか?」
「男の人にはわからないけど、女は子供を産むか産まないか、ていう期間があるけど適齢期を過ぎれば、産みたくても産めなくなる。それが仕事と重なると選択に迷う時がある。ワタシは子供が出来たけど流産して、あんな辛い事は二度としたくない、って思ったの。ワタシが仕事に没頭したのは流産があったから…体の中で赤ちゃんを殺しちゃったのよ。それから逃れる為に仕事に打ち込んだのよ。これは男には無い悩みでしょう?もともと女は仕事にはハンディがあるものよ。だから向かないなぁって…」
「そうだったんですか…」
「アナタを初めて見た時に、何でかトキめいちゃったの…ダメね…そんな気持ち無くしてたと、思ってたのに…」
児玉は外の夜景を見ながら、浸るように続けた。
「一目惚れかも知れないわ!女は惚れた男の前では無力になるものよ…」
「そんないい男じゃないですよ…」
児玉はフッと笑った。
「女はイイ男を図るのは外見じゃなくて中身よ。アナタのブレない信念を持つところは間違いなくイイ男よ」
メインの肉がとても柔らかい。こんな美味い肉は食べたことがない。
「光栄です」山本も笑った。
「ねぇ…もし一度だけアタシを抱いてって言ったらどうする?」
「それは、記者発表の見返りですか?」
「ううん、単なる女として…」
山本は不思議な気分だった。大物の女傑がいるのに、なぜか不器用な女が目の前にいる、としか感じなかった。
もちろん抱くことに抵抗はなかった。
「ちょっと待っててください」
山本は席を外し、十分で戻ってきた。
席に座らず児玉の腕を掴み強引に連れ出した。
「エッ!?ちょっと…どうしたの?」
そのまま、上にあるホテルのエレベーターに引っ張った。
階のボタンを押して、児玉を強く抱きしめ耳元で囁いた。
「イヤなら降りてください。降りなければ無理にでも連れて行きます」
児玉は抵抗もせず身を任せている。
こんな大胆な事が出来るのも若さゆえだろう。児玉は羨ましくもあった。
山本は部屋を取る為に席を立った。
貰ったカギを取り出し、そのまま児玉を連れ込み、いきなりキスを始めた。
「ンン…ン……」少し抵抗したが、力が抜け、山本の唇に素直に従った。
何度も何度も唇を貪り、児玉のリップも唾液で剥がれている。
耳元で「怒りますか?」と聞いた。
児玉は首を横に振り、山本に抱きついた。山本も強く抱きしめ、背中からお尻まで愛撫した。
「…ねぇ、オバさんでも大丈夫?」
山本は無言で、児玉の左手を股間に当てた。固く張った肉棒に児玉は微笑んだ。
「…すごい、山本クン…」
「常務も色気がすごいですよ…」
「いや!常務なんて…」
山本がイタズラ顔で笑った。
「わかってるよ、陽子…」
「もぅ…年上をからかったのね~」
服の上から、お互いの身体を触りまくり息が荒くなる。
「待ってて…シャワー浴びてくる…」
山本から離れて、奥のシャワー室に消えた。静かな部屋に、服を脱ぐ音が聞こえる。シャワー室の開く音が聞こえると山本は行動を開始した。
服を脱いで、そのままシャワー室に乗り込んだ。児玉は突然の来訪者に驚いた。
「エッ!? ダメよ…」
そのまま抱きしめ、またキスを浴びせた。児玉は恥ずかしがったが、だんだん身体を任せるようになった。
山本はマジマジと児玉の身体を見た。
「ダメよ…恥ずかしいわ…見ないで…」
「ほら、見て!陽子…」
いきり勃つ肉棒に児玉は釘付けになった。反り返りが若さを強調している。
「大丈夫…陽子の身体に感じてるよ」
「ホントに…いいの?」
「咥えて!」逆らえない。児玉は二十才も年下の男の命令に従った。
肉棒が熱い。すごく固い。久しぶりのオトコを握って理性が飛んだ。
「ンフ…ン…ン…」熟女のフェラはネットリと巻き付くようだ。竿の全てに舌がまとわりつくように、若さを包みこむ。
「あぁ…」
ジュルジュポ…と児玉の唾液が浴室に垂れていく。
「どんな気分?」
先っぽを舌でチロチロしながら、感想を口にした。
「なんか小娘になったみたい…」
嬉しかった。長いことセックスもしていないと、自信が無くなってくる。身体の老いが醜く感じ見られるのがたまらなくイヤになる。
だが目の前にいる若い男の肉棒は、まるで自分を叩く棒のように固い。
ベッドに戻った二人は獣のように求めあった。山本も年齢など、些細な違いぐらいしか思わず児玉を攻めた。
足を広げクンニを始めると、大きく喘ぎ声を発した。
グチュグチュ…と淫靡な音が児玉を大胆にさせる。
「ハァッ…だめぇ…アァン…アッ!」
「ホラ、大事なとこ舐められてるよ」
「いやぁ…アァン…言わないでぇ…ハァッ…アッ…」
陰部は愛液で光り、山本のクンニを待っている。指を入れると、児玉の反応は更に敏感になる。
「ハァッ!アァン!だ、ダメェ!ハァァァッ…アン」
少し肉はついてるが、小ぶりで形の良い乳房もクビレも、まだまだ現役で通用する、と思っていた。
乳首をコリコリしながらのクンニに、児玉は山本の頭をかきむしった。
「ハァッ!ダメよ!そんなぁぁぁ…ハァッ!アン!」
それを続けてると、児玉はすぐに果てた。身体が仰け反る。
「ハァッ!アッ…イク…ハァッ…」
イク時の反応は様々だ。児玉は声より身体で表現するタイプのようだ。
今度は四つん這いにした。
「ハァッ、恥ずかしいわ!山本クン!」
「だめ!」
腰を沈めくびらせて、アナルも陰部も舐めつくした。
「いやぁ!そんな…アッ、ハァッ…」
もう常務の肩書きなど無くなっている。
今の支配者は二十才年下の男だ。
クリを弄び、指を中に入れてゆっくりかき回した。児玉の秘部は柔らかく、弾力は無いものの、吸い付くような粘膜の動きがあった。
重く大きな快感が児玉をおかしくする。
「ハァッ!アアッ!ダ…メ!クッ…ハァッ…それ、だめぇ…」
中でグルグル回した。児玉は子宮全部に感度があるようだ。
「ホラ、かき回すよ!」
「ハァッ!だめぇ!イク!イク!ねぇ!
イクわ!イク…」
フッと児玉が崩れた。
「ハァハァハァッ…」二回もイカされ児玉は力が入らなかった。
山本のキスが、また児玉の性欲を高めた。唇を吸い合い、唾液を飲み強く抱きしめられると、女の無力を知らされた。
シックスナインでお互いの性器を可愛がった。児玉は無心で肉棒を咥えた。
そこでも軽くイカせて、正常位に戻した。児玉は虚ろな目をしている。
「入れるよ…」
いきなり、山本は児玉の両手を頭の上で押さえつけ、口をキスで塞いだ。
「ンン!ンフ!ンンンン…」
ズブッと体内で鈍い音がする。
めり込む肉棒に児玉は、抵抗せず感じていた。
「ンン…」キスから解放すると児玉は山本を見つめた。
「ひどいわ…山本クン…」
「もっと気持ち良くなりたい?」
「うん…メチャクチャにして…」
ズンズンと奥まで突いた。山本は溜まったものを年上の頼りない女の身体にぶつけた。
「ハァァァッ!アアッ!すごい!ハァァァッ…アン!」
パァンパァンとぶつかる肌の音が児玉を更に堕とした。
バック、騎馬位、そして正常位に戻り最後の時がやってきた。
「陽子!イキそうだ…どこに出せばいいんだ?」
「アアッ…アン!くち!お口に出して」
「飲めるか?」
「ハァァァッ…アッ!う、うん!飲みたい!飲ませて…」
最後に奥を突いて、児玉の口に液まみれの肉棒をねじ込んだ。
(ドクッ…ドクドクッ…)
児玉の口に白濁の粘液が注がれる。
大量の放出した山本の液を全て飲み込んだ。その顔は淫靡というにふさわしい。
児玉は肉棒の掃除を始めた。根元まで吸い込み、尿道に残る精子まで絞るように飲んだ。
児玉は山本の腕枕で少し眠った。時間にして十分ぐらいだ。
山本の温かい胸は、とても安心できた。
「ごめんね…寝てたね」
「気持ち良かったですよ」
「ふふっ、ありがとう…スゴく良かったわ、あんなに感じたのは久しぶり…」
「もっと自信持っていいですよ。陽子さんの身体に…」
「エッ!?そんな…恥ずかしい…」
「いっぱい出たでしょう?」
「…うん、すごかった…」
「アナタはまだまだ現役だから大丈夫…色気がすごかった…」
児玉は褒められた気分を味わった。
「ありがとう…大丈夫だから…アタシはもう求めないから安心してね」
「これ以上求められたら、ヒモになりますよ!」
「それもいいかもね…ふふふっ!」
翌日。二人はいつもの関係に戻った。
記者発表の日ー
佐伯はニュースを聞いて、会場を訪れた。新たにミシンが売れる可能性を感じて、児玉とコンタクトを取りたかった。
他の業者より早く商談を持ちたくて、会見後にアプローチするつもりだった。
一時間で会見が終わり、佐伯は揃えたスーツを纏い児玉に近づいた。
「初めまして」児玉は佐伯だとわかった。確かに鬼気迫る顔をしている。
(この男ね…)
「どちら様ですか?」
「佐伯と申します。工場の新設と伺いまして…是非買って頂きたいモノがあります。かなりのお得な話です…」
売りつける事しか頭にない佐伯には、言葉の選択など考えられなかった。
「そう…お得なら考えるけど」
「それは大丈夫ですよ」
「では、明日十時に本社に来てくださいね。遅れたら話は無しよ」
「必ず…」
児玉は秘書達に囲まれ車に消えた。
佐伯は笑いを必死に抑えた。
欲とは怖いもので、手に届きそうになると自分に都合の良い事しか考えない。
今の佐伯は正にそれだった。
翌日十時ー
佐伯は児玉の部屋に通された。
待っていると、児玉が遅れて入って来た。薄い水色のスーツがよく似合う。
「お得なお話って何ですの?」
「はい、業務用ミシンを二百台持っております。本来なら一億しますが、八千万円でお譲りしたいと…」
「そうねぇ…確かにミシンは必要だけど
二百台は多くない?」
「形あるものは、いつかは壊れます。残りは予備としておけばいいかと…」
「なるほどねぇ…ところでどちらのミシンなの?」
「…」迷った。
「言えないなら買えないわよ…わかんないメーカーのミシンなんて信用ないもの。そうでしょう?」
佐伯はボソッと呟いた。
「ケーリンミシンです…」
「あぁ…ケーリンさんの…そうね、あそこのミシンは優れてるモノね…」
「はい、八千万はお得ですよ。常務…」
「いいわ、八千万で契約しましょ!」
この瞬間、佐伯の心中はガッツポーズを
何度も繰り返した。やっと、大金が手に入る。二千万は痛いが、売れない日々を思えば割り切れる額だ。
「で、現物はどこにあるの?」
「明日にでもここに運べますが…」
「じゃあ、今すぐ持ってこれる?」
「ハッ?今ですか?」
「小切手はすぐ出せるけど…」
佐伯の心に太陽が差し込んだ。あと数十分で待ちに待った大金が手に入る。
少し考えれば、児玉の態度もおかしい事がわかるはずだ。児玉は佐伯の身元を一切確認していない。だが、佐伯がそれに気づく余裕はなかった。
「わかりました!すぐ持って来ます」
佐伯は飛び出して、児玉の部屋を出て行った。
三十分後にトラックがやって来た。業者用の搬入口に止まり、荷台を開けると段ボールの山が現れた。
児玉は部下に確認させた。
間違いなくケーリンの文字が刻印されたミシンだった。
その時、佐伯の視界に数人の人影が見えた。こっちに向かってくる。
(!)佐伯は守山の姿を認めた。
「やっと会えたなぁ…佐伯!」
「守山!なんで…?」
佐伯は守山と数人のケーリン社員に囲まれた。佐伯はその場に崩れた。
「あなた達は誰なの?」
そこに山本が現れた。
「初めまして、児玉常務。私はアールイーディーカードの山本と申します。お騒がせした事はお詫びします。実は、このミシンは盗難されたモノでして。この男が現れるのを待っていました」
「あら、これ全部盗難品なの?」
「はい、そんなものを買われては、御社の名前にキズが付きます。改めてケーリンミシンの品をお持ち致します」
「そう、それならいいわ」
「ありがとうございます」
児玉は目配せして、うな垂れた佐伯を見つめた。
前後して山本と児玉が打合せしたのは、あくまで児玉は知らないスタンスという形にした。万が一、逆恨みで児玉に被害が及ばない為の山本の配慮だった。
そして、十年保証付きでこのミシンはアバカブが買い取る商談もまとめた。児玉も工場のコンセプトとして、耐久性のあるミシンを求めていたから、スムーズに話は決まった。ミシンは一度総点検してから引き渡す事になっている。
狭山と天野は山本からの報告に歓喜し、美田園と片岡は落胆した。
守山は実損が無かったことで、佐伯を警察に突き出す事はしなかった。
山本は、ケーリンミシン本社の休憩室で佐伯と相対していた。
「佐伯さん、何でこんな事を?」
「…あんたらのせいだ!」
「私たち?」
「あんたら金貸しは、こっちの都合なんか考えないで、勝手に借入を返せ!と言ってくる。基準に合わないとか、業績が悪いとか、ふざけんな!と言いたい。オレはキチンと返済していた…一度も遅れた事もないんだよ!」
黙って聞いた。
「オレだって家族がいるんだぞ!まるで虫けらを踏みつけるように、容赦なんかどこにも無い!オレだってこんな事をしたくなかったよ、でも、生きていく為にに仕方なかったんだよ!」
「なぁ、オレが悪いのかよ!? オレは被害者だぞ、お前らの被害者なんだよ!」
睨みつける目が痛かった。金貸しは貸す相手がいるから、成り立つ商売だ。大抵の会社はどこからか借金をしている。
それが、骨身になって染み付いた頃に引き剥がされては、生きていけないのも道理と言える。それを解決する術を山本だけでなく、誰も持っていない。
山本はポケットから便箋を出した。
泣きながら俯く佐伯もそれを見た。
「アナタの自宅に伺った時にポストに入っていました。申し訳ありませんが、中身を拝見しました。見て下さい」
佐伯は写真と便箋を見て、唇を噛み締めてさらに泣いた。
「奥様は待っています。佐伯さんが帰ってくる事を望んでいます…」
佐伯は答えず、ただ嗚咽を漏らしていた。山本も黙っていた。
外の桜は満開の時期になり、見事な花を咲かせていた。
守山と山本は佐伯の話をしていた。
「今回はキミには随分世話になった。ありがとう」
頭を下げられ山本も恐縮した。
「いや、みなさんのおかげですよ」
「なんか、山本クンさ。顔つき変わったなぁ…」
「そうですか?自覚ありませんが…」
「ウン、一皮向けた男の顔だな!」
正面切って言われると恥ずかしくなる。
「でも、こんな時代だから、佐伯さんみたいな人はたくさんいるんでしょうね…」佐伯の言葉を思い出した。
「そうだなぁ、オレだって佐伯になっていてもおかしくないからな。ちょっと横にズレたら、同じ事してたかも知れん」
「…そうですね」
「あのな、彼ウチで働いて貰おうかと思ってるんだが…」
突然の言葉に耳を疑った。
「エッ!?佐伯さんを?」
「あぁっ…彼は単身で中国に行って商談してるだろ?基本は出来る人だと思うんだ。バイタリティーも充分だ。それにウチも商売を広げる為に海外にも展開する必要があると思うんだ。さすがに本社勤務は風当たりが強すぎるから、当面は海外で新規開拓をやって貰おうかと…な」
「さすが社長ですね…私には思いつかない発想ですよ」
「それぐらい柔軟じゃなければ、社長なんて出来んよ!」
「災い転じて福とする、ですかね?」
「上手い事言うなぁ…」
守山は鼻でため息をついた。
「よし!これから二人で祝杯あげに行こうか!」
「まだ、明るいですよ」
「いいじゃないか!会社には直帰するって言っておけ!」
「わかりました。お供します…」
山本は改めて、人の繋がりの大切さを知った。
二人は会社を出て、桜を見ながら駅に向かった。
「山ちゃん!桜キレイだなぁ!」
「そうですね」
初めて守山に『ちゃん』付けて呼ばれ、一歩近づいた気がした。
風が吹き桜の花が舞った。その中の一枚が山本の肩に舞い降りた。
0
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