1 / 1
1
しおりを挟む私には、それはそれはかっこいい龍神の旦那様がいらっしゃる。
腰より長い真っ黒な髪。目の虹彩は金色。でも開きっぱなしの瞳孔は髪と同じ真っ黒。お月様の中に夜がいるような不思議な目。鼻筋はスッと通っていて、唇は薄くって、口の中にはぎらりと光る牙がある。背も高くて、旦那様の胸あたりに、ちょうど私の頭がくるような身長差。
総じて――この世のものとは思えない美しさとかっこよさ。
それが私の夫であり龍神でもある、『旦那様』だった。
婚姻のきっかけは、よくある生贄がどうたら、というやつだ。
神様といっても結構いろんな神様がいるらしくて――たとえば雨を司る神様、とか、豊穣の神様とか。そのときの国の状況によって、供物を捧げる神様は違うとかどうとか。そんな感じ。
なぜこんなに曖昧なのかは、この捧げる行事が『200年に一度』だからだ。だからみんな文献でしか知らないし、もちろん、生き証人だっていない。
でも残された記録を読む限り、この国は神様に供物を捧げたからここまで発展した、との記述が確かにあった。
確かに――うちの国は大きな災害にも恵まれず、水にも土にも恵まれ、伝染病も特に流行ることなく、それはとっても豊かな国だった。
そうして200年に一度の重要なこの機会。
なんと選ばれたのはこの私だったというわけだ。
結婚して一年。最初はとっても戸惑った。
だって供物だなんていうものだから、ぱくっと食べられるのを覚悟して旦那様の元に来たというのに――扱いだけでいえば、花嫁とかが近いような待遇で迎え入れられたからだ。
そして実際、旦那様はこう仰られたらしい。『レティシアは私の花嫁として扱え』と。
それはそれは驚いた。だって人間の国での私の待遇は本当に酷いもので、だからまさか神様のお嫁さんになる日がくるなんて思ってもなかったからだ。
そして旦那様はとっても優しくて、かっこよくて、――それに夜はすっごく情熱的で――私はすぐに大好きになった。
そんな素敵な旦那様。けれどたったひとつ不満があった。
それは――旦那様と会話ができないこと。これが、私が抱えるただひとつの不満点だった。
*
私お付きの龍人――イヴリンは、鏡の前で黙々と私の髪を梳かし続けている。
真っ赤な髪に金の瞳。旦那様と同じで開きっぱなしの瞳孔は真っ黒だ。
そんなイヴリン――人間の外見年齢に当て嵌めていえば30代もかくやという彼女。龍ではあるけれど、神様というわけではなかった。
イヴリンは龍「神」ではない。龍「人」の女性。
私も供物として捧げられるまで知らなかったのだが、――なんと、龍「人」もそこそこいるらしいのだ。
らしい、というのは、嫁いでこの一年、龍神様と私の住む、恐ろしく広いこのお城から出たことがなかったから。顔を合わせるのは旦那様とイヴリン。それに城で働く数名の龍人だけ。
外に出るとしてもお城の庭だけ。それ以上の外出は許されなかった。でもその庭だって、見たことのない綺麗なお花がたくさん咲いていたし、とっても広いし、特に問題はなかったのだけれど。
お城の外には龍人がいっぱいいるらしい。そして私の旦那様は、人間にとっては神様で、そして同時にこの龍の国を統べる龍王でもあるらしい。
……話が逸れてしまった。
とにかく、イヴリンは龍人だった。神様ではない。でも龍。旦那様と同じで、びっくりするほど美しい顔をしている。
ちなみに見たことはないけれど、旦那様もイヴリンも、本来の姿はちゃんと龍らしい。けれどあれはにょろにょろしていて生活し辛い。鱗や長い長い髭の手入れも面倒。だから姿形は人間の模倣をすることにした、とのことだった。
「……レティシア様。できましたよ」
「ありがとう、イヴリン」
髪を梳かしおえたイヴリンは、疲れたように肩を回す。その様子に思わず笑いが漏れた。
「……まったく、骨が折れますよ。奥様の髪に枝毛があったからもっと手入れをちゃんとしろ、だなんて」
「ふふ、そんなものあって当然なのに。旦那様ったら本当に神経質ね」
「神経質どころの騒ぎじゃありませんよ。……いえ、決して奥様を悪く言っているわけじゃありませんからね? 奥様に不満があるわけじゃないですからね? 私のこの不満は、全て、旦那様に向けられているものですから」
「わかってるわ。ありがとうイヴリン」
さぁて今夜のお召し物はどれにしましょうかね。と、鏡台を降りて、イヴリンとドレッサーの前に並ぶ。
私の容姿――銀髪に銀の瞳ではなかなか似合う夜着はない。黒いものだとそれなりに映えるが、清純さの象徴であるような白いものを着れば、『髪も服も真っ白で部屋の隅に溜まった埃みたいね』と罵られるだけで――、
――昔のことを思い出しかけたとき。コンコン、と扉を叩く音が響いた。
「……もう来やがりましたよ」
舌打ちをしたイヴリンは、渋々といった具合で扉を開ける。その先にいたのは――私の大好きな旦那様だ。
「旦那様!」
まだ服も整ってない。湯上がりの後に着ける簡素な服。とても旦那様にお見せできるものではなかったが、嬉しさのあまり旦那様に飛びついてしまう。
旦那様はその金の目をまん丸にしてから、ふっと優しく笑った。私の大好きな、旦那様の笑い方だった。
大きな手がゆるく私の頭を撫でて、旦那様の視線はイヴリンへ向けられた。それから二人は――私の知らない言葉で流暢に会話を始めた。
1年も経てばもう慣れたものだったが――私と旦那様は、今に至るまで言葉らしい言葉を交わしたことがなかった。
理由は至極単純で、『人間と龍では扱う言語が違うから』だ。
だから旦那様と会話をしたことがなかった。
イヴリンとの会話だって、イヴリンが人間の言葉を扱えるから成り立っているのだ。イヴリン曰く「奥様の付き人に据えるから人間の言葉を覚えろと命令された」らしい。
もちろん私だって最初はごねた。
意思疎通が図れないのは単純に面倒だし困り事が多い。だからイヴリンを介して、龍の言葉を教えてほしいと頼んだのに、
『『君の母語である人間の言葉を奪い、こちらの言葉を話させるのは、これまで君が培ってきたものに対する侮辱に等しい行為だろう』だそうです』
『なぁにそれ……』
『さあ? 私にもよくわかりませんね』
『人間の言葉を話しながら龍の言葉も覚えればいいだけじゃないのかしら……』
『一応私もそれは提案したんですけどね。きっぱり断られました』
『ええ……』
『あのクソ龍……ああいえ、つい口が滑ってしまいましたね』
言葉こそ棘があるが、イヴリンも本当に困ってる様子だった。
それでもごねにごねて、せめて挨拶ぐらいは教えてと頼み込んだ結果――
『奥様。3つだけ言葉を教えていいと旦那様から許可が降りました』
『本当!? どんなものなの!?』
しかしイヴリンはどこか顔色が悪かった。
金の目を気まずそうに泳がせて、
『……好き。愛しています。もっと。です』
その言葉に――顔と体が一気に熱くなった。
だってそのときにはもう、私はとっくに旦那様に抱かれていて、毎夜毎夜たくさんたくん愛されていたからだ。
そこにきてこの3つの言葉。それは、寝所でこの言葉を囁け、と暗に言われているのと同じだった。
『……それで……発音ですけどね……』
心底嫌そうな顔をしながらも、イヴリンは丁寧に発音を教えてくれた。
好き、愛してる、もっと。どの言葉も、人間の言葉の発音とは全然違った。何十回も練習して、どうにか習得できたのが懐かしい。
『『好き』、『愛しています』、『もっと』……どう、かしら?』
『うーん、完璧です。なにも言うことはありません』
『よかった! ありがとうイヴリン! これで旦那様と少しお話しできるわ!』
けれどやっぱりイヴリンは嫌そうな顔をしていた。仕方ない。私たちの惚気というか、そういうものに振り回されているのだ。嫌な顔をしないほうがおかしいだろう。
そしてその夜。さっそく旦那様に披露してみせたのだ。
『旦那様、旦那様。『好き』『愛しています』『もっと』……どうですか……?』
私の言葉を聞いた旦那様は驚いたような顔をした。それからすぐに、金色の目が少しだけ潤みだしたではないか。
『だ、旦那様……!?』
発音がおかしかっただろうか? 慌てる私をよそに、しかし旦那様にそのまま押し倒された。
月のように美しい目から、涙が一粒だけ溢れ落ちた。頬に当たったそれは冷たい。
しばらく考えこむようにじっとしていた旦那様が身を屈めて、私の唇を指でなぞった。親指が口の中に入ってきて、ぐにぐにと舌を捏ねる。
『はの……』
言え、と言われているのだろうか?
舌を掴まれたまま、覚束ない舌使いで一度囁く。龍の言葉で『好き』というのを。そしたら旦那様は満足したのか口から指を引き抜き、そのまま甘い口づけが降ってきた。
それからだ。旦那様に抱かれるたびに、その3つの言葉を使うようになったのは。
――でも私は気づいていた。
好き。愛しています。もっと。
この3つの言葉。旦那様は、一度たりとも私に囁いてくれたことがないことに。
1
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる