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二章 サキュバスと騎士
宿屋
しおりを挟む「あー疲れた。やっと宿に着いたー」
長い山道を歩き続け、ようやく小さな町の宿屋に着いたアスベルたちは、荷物を置いて一息つく。
「明日も1日、歩き通しになる。今のうちに休んでおけ」
部屋に入るなり倒れるようにベッドに寝転がったリリアーナとは違い、アスベルは普段と変わらない淡々とした仕草で椅子に座り本を取り出す。
「てか、2人で一部屋なのね。今更あんたがあたしをどうこうするとか言わないけど、部屋くらい別々でもよかったんじゃない?」
「……それも考えたが、見たところお前に大した戦闘能力はない。1人で勝手に街を出歩かれ、問題を起こされてもことだ」
「あたし、そんな子供でもないけどね。あたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? そう簡単に捕まったりはしないわ」
「何を言っている。捕まったからこそ、今の状況があるのだろう?」
「うっ……。それはそうだけどさ……」
逃げるように視線を逸らすリリアーナ。アスベルは本を閉じ、何かを確かめるように部屋の中を見渡す。
「それに、お前が馬鹿をやっていた頃とは情勢が違う。詳しい理由は知らないが、上は魔族の国では立場がある筈のお前の処刑を決めた。……一応、聞いておくが、何か心当たりはあるか?」
「……知らないわ。人間の考えることなんて」
「ま、大方、魔族の国との会談で何か問題でも起こったのだろう。……事実、魔族の国との友好条約に反対していた人間も多い。そういった人間が何か工作をした可能性もある」
「あたしが単に、すっごい悪人だったってだけかもしれないわよ?」
「だったら俺がお前を斬るだけだ。問題はない」
「あんたってほんと、はっきりしてるわね……」
ベッドに寝転がったまま、乾いた笑みを溢すリリアーナ。ベッドに寝転がったままバタバタと脚を動かすのは、もしかしたら彼女の癖なのかもしれない。なんてどうでもいい思考を追いやり、アスベルは言う。
「そもそも、お前に原因があるのならそれを隠す理由がない。上層部は大した説明もせず、お前の処刑を命じた。それで何があったのか、大方予想がつく」
「……人間って、いちいちもの考えすぎなのよね。正しいとか、正しくないとか。答えがないことをぐるぐる考えて自滅する。馬鹿みたい」
「それは魔族も同じだろう? いや、今は寧ろ魔族の方が規律に厳しいと聞くが?」
「だからあたし、あの国が嫌いなの。こんなことにならなければ、帰るつもりなんてなかったわ」
「その考えが分からない訳ではないが、お前の自由の為に他人を食い物にするようなやり方は、褒められてことではないな」
「あんただって、上の命令を無視してあたしを逃してるじゃない。同じ穴のムジナよ」
自分が楽しいか楽しくないかでしか、物事を測れないリリアーナ。それが正しいか正しくないかでしか、物事を測れないアスベル。2人の旅は一見、順調に見える。しかし同時に、些細なことで全てが瓦解してしまうような危うさを孕んでいる。
「さ、ちゃんと休めたし、ご飯でも食べに行きましょうか? お肉が美味しいってお店、さっきこの宿の主人に聞いたのよね」
「馬鹿かお前は。ここで不用意に外出したら、今まで隠れて移動してきた意味がないだろう? 本来ならずっと宿に泊まらず、野宿で済ます予定だったんだ」
「は? そんなのあり得ないわ。あたし、あの国に帰ったら、もう人間の国には戻れないかもしれないのよ? ちょっとくらい遊んだっていいじゃない!」
「その軽はずみな行動のせいで、今のお前があるのだとさっき言ったばかりだ。俺がその辺で何か買ってきてやるから、お前は部屋で大人しくしてろ。……ただでさえお前は、目立つんだ」
「えー! なにそれ! あたしを置いて、自分だけ楽しく外出する気? ずるい!」
「ゴタゴタ言うな。お前の見た目は目立つ。少し歩いただけで、騒ぎになるかもしれない。そうなれば、何か面倒に巻き込まれるかもしれない」
「……あたしが絶世の美女なのは分かるけど、同じ場所にずっと閉じこもってるのって、あたし嫌いなのよね」
「我慢しろ」
「それが正しいことだから? ……あたし、そういう考え方嫌い。正しい正しいって、意味わかんない。いくら正しくても、楽しくなければ意味ないでしょ?」
非難するような目でアスベルを見るリリアーナ。彼女の目はどこか、人の心を見透かすような鋭さがある。……いや実際、彼女は大抵の人間の考えを、なんとなくではあるが把握することができる。
……目の前の男は、その例外ではあるが。
「とにかく、お前はここで大人しくしてろ」
それだけ言って、部屋から出ていくアスベル。
「あーあ。ちょっとは面白い男かもと思ったけど、やっぱつまんない男ね、あいつ」
でも、とリリアーナは思う。こんな風にここであたしを1人にしたら、勝手に外出するかもとは考えなかったのだろうか? と。……或いはアスベルも、無意識のうちにリリアーナのことを信用し始めているのかもしれない。
「ふふっ。ま、当然よね。なんてったってあたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデン。あたしに落とせない男はいない」
さて、そうと決まれば今のうちに楽しく外出でもしようか。そんなことを考えたところで、コンコンコンと部屋をノックする音が響く。
「────」
リリアーナは慌ててベッドから起き上がる。この宿に来たのはついさっき。訪ねてくるような人間に、心当たりはない。
「…………」
リリアーナは何も言わず、ただ黙ってドアを見つめ続ける。するとまた、コンコンコンと音が響いて、ノックの主が声を上げる。
「すみません。この宿の者なのですが、アスベル様はいらっしゃいますでしょうか?」
「……なんだ」
その声は、ついさっき聞いたばかりのこの宿の主人の声だ。リリアーナは疲れたように息を吐いて、ドアを開ける。
「なに? アスベルなら出かけてるわよ」
思えば、本名で部屋を借りるなんて不用心なのはあいつの方じゃない、なんてことを思うリリアーナ。宿の主人である背の低い女性は、残念そうに笑う。
「そうですか。お休みのところ、失礼いたしました」
と、女性はそのまま頭を下げて、部屋から離れていく。リリアーナはなんとなくその女性の表情が気になって、小さな背中に声をかける。
「アスベルの奴に用があるなら、あたしから伝えておいてもいいけど?」
「そうですか? ……いやでも、そんな大した用事ではないので……」
照れたように頬を染める女性。ああ、この女はアスベルに惚れているのだな、とリリアーナはすぐに勘づく。
「そ。ま、無理にとは言わないけど、あいつもいろいろ忙しそうにしてるし、顔を合わせる機会はもうないかもしれないわよ?」
「……そうですね。アスベル様は、とてもお忙しい方ですから」
女性は遠い目をして、リリアーナの方に視線を向ける。
「では一言だけ、お礼を伝えて頂けませんか? この前は、助けて頂きありがとうございました、と」
もう一度、頭を下げてそのまま立ち去る女性。リリアーナはなんだか妙な気分になって、その女性の後ろ姿が見えなくなるまで見つめ続ける。
「……なんか、初恋相手を前にした子供みたいな顔ね」
果たして自分に、そんな初々しい思い出はあっただろうか? 何人もの男を誑かして遊んできたが、誰かを愛したことなんて一度だってありはしない。
「ま、あたしはサキュバス。人間を食い物にする生き物。恋も愛も、あたしには必要ない」
リリアーナは冷めた目で、ドアを閉じる。そしてそのままベッドに倒れ込み、目を瞑る。……どうしてか、外出するような気分ではなくなってしまった。
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