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三章 別れた騎士
二度目の逃避行
しおりを挟む「はぁ……はぁ……。ちょっと、休憩……」
断頭台から飛び去り、追手も見えなくなった山道で地面に降りたリリアーナは、両膝に手を置いて肩で息をする。
「やはり、体力がないのは変わらないようだな」
アスベルは周囲を警戒しながら、軽く息を吐く。
「あんたが重いのが悪いのよ。あんたみたいなのを抱えて、長いこと飛んでられないっての。……しばらく牢屋に閉じ込められてたって聞いたのに、あんたちょっと重くなってるんじゃない?」
「昔から、食べようが動こうが体型は変わらない性質だ。一月程度、引きこもったところで俺の体重は変わらない」
「なにその羨ましい体質。あんたほんと、人間離れしてるわね……」
「どうやら俺は、人間じゃないらしいからな」
「そ。どうでもいいわ」
リリアーナは呆れたように息を吐いて、擬態の魔法を使い翼とツノを隠す。
「なんだ、翼は隠すのか?」
「下手に飛び回ると疲れるし、何より目立つでしょ?」
「……そうだな。賢明な判断だ」
アスベルは周囲に誰もいないのを確認してから、ようやく少し肩から力を抜く。
「それで、これからどうするつもりだ? 国境の警備は、以前よりはるかに厳しくなっている筈だ。潜伏するにも、お前は目立ち過ぎる。見つかって捕まるのは、時間の問題だ」
「ほんと、どうしようかしらね。実は勢いで来ちゃったから、何も考えてないのよ。……そもそもかなり無理しちゃったし、魔族の国にはもう帰れないかもね」
なんてことないように、リリアーナは笑う。アスベルは呆れたように、目を細める。
「やはりお前は、もう少しあと先考えて行動するべきだな」
「あと先考えた結果が、大人しく死を受け入れるなんてことになるあんたに、そんなこと言われる筋合いはないわ」
「いや、俺はただ……」
アスベルは反論の言葉を口にしようとするが、途中で飲み込む。こうして彼女と一緒に逃げ出してしまった以上、何を言っても言い訳にしかならない。
「なによ、黙り込んで。……やっぱり怒ってる? あたし、勝手なことしたから……」
「いや、お前を拒絶することはできた。死のうと思えば、あの場で自分の首を斬り落とすことも俺にはできた。なのに俺は、お前の手を取った。そんな俺に……お前を責める資格などないさ」
「…………そ。ならいいのよ」
少しの間、なんとも言えない空気が辺りに広がる。暑くもなく寒くない、木々に囲まれた山中。心地いい風が、2人の間を吹き抜ける。
「ま、だから俺も生きたいように生きてみるさ。まだ先は何も見えないが、生きていれば何か見えてくるかもしれないからな」
「そうするといいわ。あんたは何でも、即断即決過ぎるのよ。あんたはもう少し、自分が傷つくことで誰かが傷つくこともあるってことを、学ぶべきよ」
「耳が痛いな。きっと今は、お前が言うことの方が正しいのだろう」
アスベルはいつもの無表情で頷く。リリアーナは、この男ほんとに分かってるの? と苦笑する。
「では、この礼はいつか必ずする。……お前も、あまり無茶ばかりするなよ?」
それだけ言って、1人で勝手に歩き出そうとするアスベル。そんなアスベルを、リリアーナは慌てて止める。
「ちょいちょい! 待ちなさいよ! あんたなに勝手に、1人でどっか行こうとしてるのよ!」
「……? これ以上、俺と来る意味はないだろう?」
「いや……は? あんた、なに言ってるの?」
「いや、リリィ。お前は自由に生きたいのだろう? やりたいことを、やりたいようにして生きる。俺にはまだその生き方の価値は分からないが、それでも俺はそんな風に生きるお前が……嫌いではない」
「……それがどうして、1人で行くことになるのよ?」
「この国で俺はもう、お尋ね者だ。俺が魔族だという噂も流れている。しばらくは、人前に出るような生活はできない。だから今後はしばらく、どこか人も魔族も寄りつかないような山奥に潜伏し、今後のことを考え直してみるつもりだ」
アスベルの声は、やはり淡々としている。リリアーナはこの男の鈍感さに、段々と腹が立ってくる。
「……行く場所がないのは、あたしも同じだけど?」
「お前は……お前なら、またいくらでも貴族を騙して潜伏できるだろう? 俺を匿ってくれるような貴族なんていないが、お前なら匿うという男は腐るほど──」
「てい!」
そこでリリアーナは、アスベルの頭を叩く。
「なんだ? 虫でもいたか?」
「ちゃうわ! ……あんたね、ほんと……鈍いとかそういう次元じゃない。『虫でもいたか?』じゃないわよ、ほんと」
リリアーナは呆れたように息を吐いて、アスベルを見る。
180cmを超える高い身長。艶やかな黒髪に、同じく漆黒の瞳。この前の戦いでついた傷は既にもう治っており、長いあいだ牢屋に閉じ込められていたとは思えないほど、肌も綺麗だ。
……悪くない。寧ろここまでの上物は、魔族にも人間にも中々いないだろう。きっとこの前の宿屋の主人のように、或いは止めにきた騎士団の少女のように。彼の鈍感さに苦しめられてきた女性は、数多くいるのだろう。
「ま、それでも、それを全部帳消しにするくらい、性格がぶっ飛んでるんだけど」
ほんと、こんな男の何がいいのだろう? と、リリアーナはアスベルの顔を覗き込む。
確かに、悪い男ではないのは分かる。しかしそれでも、自分ならもっともっといい男を捕まえられる。それこそ本気になれば、国王にだってみそめられる自信がある。
「……でもまあ、仕方ないじゃない。惚れちゃったんだから」
「……ん? 何か言ったか?」
「山奥の暮らしも、偶には悪くないんじゃないのって言ったの! ……星とか綺麗そうだし。日がな一日、本でも読みながらのんびり釣りっていうのも、悪くないかもね」
「……? お前は、何を……」
「だ、か、ら! あたしもついて行くって言ってるの! ……いいでしょ? どうせ、あんたみたいな奴が1人でごちゃごちゃ悩んでも、大した答えなんて出せないんだし。だからあたしが、付き合ってあげるわ!」
うっすらと頬を赤くして、怒ったような顔でアスベルを睨むリリアーナ。それでもアスベルは、本気で分からないと言うように首を傾げる。
「俺と来ても、退屈なだけだぞ?」
「大丈夫。あんたと旅をして、退屈した時なんて一度もなかったから」
「だが、俺は──」
「あーもう、しつこい! 行くって言ったら、行くの! ……あたしは傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバス。リリアーナ・リーチェ・リーデンよ? これ以上、あたしに恥をかかせるような真似をさせないで!」
背伸びをして、くしゃくしゃとアスベルの髪を無茶苦茶にするリリアーナ。アスベルにはやはり、そんな彼女の気持ちが分からない。
「……やはり、敵わないな」
しかしそれでも、そんな彼女を見ていると、胸が軽くなるのは確かだった。
「分かった。なら、一緒に来るか? リリィ」
乱暴に撫でられたせいでボサボサになった髪を直しながら、アスベルはリリアーナを見る。
「だから、行くって言ってるじゃない。せいぜいあたしを楽しませてよね? アスベル」
そんなアスベルを見て、リリアーナは笑った。その笑みは普段の彼女の笑みとは違う、どこにでもいるただの少女のような笑みだった。
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