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三章 別れた騎士
役目
しおりを挟む「この国を救うため、リリアーナ・リーチェ・リーデンを……殺して欲しい」
その言葉を聞いた瞬間、アスベルの目の色が変わる。それは困惑……ではなく、決別。アスベルは今明確に、目の前の男を敵だと認識した。
「……グラン団長。それはどういう意味ですか?」
しかしアスベルも、いきなりグランに襲いかかるような真似はしない。グランとアスベルの付き合いは長い。彼が何の意味もなくそんなことを言い出す人間ではないと、アスベルは既に知っている。
「彼女……サキュバスクイーンという種族は、本来この世界にいちゃいけない存在なんだよ。あれは、淘汰されるべくして淘汰された種族だ」
「言葉の意味が分かりません」
「……サキュバスクイーンという種族は、神に愛された種族なんだ。彼女の身体は神の依代たりうる。神の力がどれだけ凶悪か、君にも……理解できるだろう?」
「────」
アスベルは思わず一歩、後ずさる。アスベル・カーンという人間……人造人間が、産まれる前のこと。アスベルがまだアスベルではなく、心を持ったただの少年だった頃。
彼が住んでいた街は、彼が愛していた友人たちは皆、神の力に飲み込まれて消えた。アスベル自身もまた、その力によって命を絶たれた。その少年の死体から造られたのが、今のこのアスベル・カーンという人間だ。
故にアスベルの脳髄には、神への恐怖と恨みが焼きついている。
「天使を滅ぼし、竜族を滅ぼし、ありとあらゆる種族を滅ぼしてきた最悪の災害が、彼女の身に宿っている。……彼女の意思とは関係なく、サキュバスクイーンという種族は神に愛されてしまっているんだ。何かのきっかけでその力が目覚めれば、世界が滅びる可能性だってある」
「……なら、上がリリィの処刑を決めたのは、初めからそれが分かっていたから……」
「いや、それはない。いくら狡猾なギルバルト卿でも、そこまでのことが分かっていたなら、もっと強引な手段をとった筈だ。彼は騎士団とは違う国王陛下直属の騎士……ロイヤルナイツを、自由に動かせるんだから」
「…………」
アスベルは、答えを返さない。珍しく彼は、動揺……というより、困惑していた。
「その情報は、確かなのですか? サキュバスクイーンが神に関わっているなんて話、俺は──」
「これは、とある書物と魔族の国の代表であるキードレッチから、もたらされた情報だ。リリアーナは、魔族の国の切り札だった。彼女が平等を重んじるあの国で『姫』と呼ばれていたのは、彼女に単独で世界を変えるほどの力があったからだ」
「……確かにそう考えると辻褄は合いますが、確証が……」
「確証なんて必要ない。これはそういう次元の問題じゃないんだ。神の力の恐ろしさは、君も分かってる筈だろ?」
「…………」
アスベルはまた、言葉に詰まる。グランは続ける。
「ことが起こってからでは遅いんだよ。リリアーナ・リーチェ・リーデンがどれだけ素晴らしい女性でも、彼女は所詮、神の器でしかない。あれは……生きてちゃいけない生き物なんだ」
「……っ」
その言葉は、アスベルの胸を抉った。自分に生きてもいいと言ってくれた少女が、この世界に存在してはいけない生き物だった。
……ああ、それはなんて、滑稽なのだろう? あの少女のどこまでも自由に羽ばたく翼は、初めから何の意味もないものだったのだろうか?
「……僕が今、酷いことを言っているのは分かる。君が僕を殺して、サキュバス……リリアーナと2人で逃げると言っても、僕は決して抵抗はしない」
「俺は……」
アスベルは続く言葉を紡げない。だって彼は……迷ってしまったから。
「君が本気で彼女を守るなら、きっと誰も彼女を殺すことはできないだろう。……他ならぬ彼女自身が君を殺すまで、君は彼女を守り続ける」
グランはタバコを取り出し、火をつける。……けれど手が、震えていた。彼はタバコを咥えることはせず、ただ消えていく煙を見つめ続ける。
「アスベル。君をここで、正式に騎士団から除隊する。君はこれで、僕の命令を聞く理由がなくなった」
アスベルは驚きに目を見開く。グランは乾いた笑みを溢す。
「……僕が伝えなくても、君はいずれ自分で気がつく。或いは他の誰かが、伝えてしまうかもしれない。だから、恨むなら僕を恨んでくれて構わない。僕を恨んで、僕を殺したって構わない」
グランはそこでようやくタバコを咥え、涙を堪えるように大きく息を吐く。まるで自身の血を飲んでいるかのような、壊れた表情。
グランは、真っ直ぐにアスベルを見つめ、言った。
「正しさか、幸せか。道は、お前の意思で選べ。たとえその選択でどんな結末になったとしても、僕はお前の選択を……お前の意志を、尊重する」
まるで我が子でも見るかのような顔でアスベルを見つめ、グランはそのままアスベルに背を向ける。
「……グラン団長」
アスベルは最後に、そんなグランの背中に声をかける。
「なに?」
グランは普段通りの声で応える。
「今までお世話になりました。この御恩は、いつか必ず返します」
「いいよいいよ、別にそんなの返さなくて。……その代わり君が僕みたいなおっさんになったら、可愛い若造に余計な世話でも焼いてやってくれ。…………だからそれまで死ぬなよ? アスベル」
背中を向けたまま、手をひらひらと振って立ち去るグラン。アスベルはそんなグランに無言で頭を下げ、彼の背中を見送った。
「……何を悩んでいるんだ、俺は」
神の力による大災害。それによってもたらされた資源の過活。それが先の魔族との戦争のきっかけだ。リリアーナを放置すれば、またあの地獄が始まるかもしれない。そうでなくても、神の力はアスベルから全てを奪った元凶だ。
ならもう、やるべきことは決まっている。
アスベルは長い時間かけて、屋敷に戻った。その頃にはすっかり辺りは暗くなっており、夜の闇が這い寄るように屋敷を飲み込む。
「遅い! このあたしを待たせるなんて、あんたほんといい度胸してるわね!!」
散々待たされたリリアーナが、怒った顔で……それでもどこか嬉しそうな顔で、アスベルを見る。そんなリリアーナに、アスベルはいつもの無表情で言った。
「リリィ、久しぶりに星でも見に行かないか?」
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