人間なんて単なる養分だと見下している傲慢なサキュバスのお姫様が、ただの人間に恋するまでと恋したあと

式崎識也

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三章 別れた騎士

呼び声

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「……ふふっ」

 昼間からベッドの上に寝転がり、左手の薬指に光る指輪を見つめるリリアーナ。どこにでもあるような、シンプルな指輪。彼女はこの指輪より何倍も……いや、下手をすれば何百倍もの価値のある指輪を贈られたことが、今まで何度もある。

 それらは牢屋に入れられた時、全て没収されてしまったが、それでも彼女がその気になれば、もっと高い指輪を手に入れることなんて容易いことだ。

「あーあ、バカみたい」

 それでもこんなに嬉しいと思ってしまうのは、この指輪を見ていると昨日のアスベルの言葉を思い出すから。何も感じない……味覚すらほとんどないと言った彼。それはとても悲しいことだったけれど、それでも彼はリリアーナに側にいて欲しいと言った。

「あいつ、あんな恥ずかしい台詞……よく真顔で言えるわね」

 リリアーナは初めて告白された少女のような初々しい表情で、ベッドの上を転がる。自分が自由に笑っていることが、アスベルの救いになる。自分が彼の隣に居続ければ、彼もいずれ楽しさや幸せを感じられるようなるかもしれない。そう思うとどうしてか、胸が熱くなる。どうしても頬が緩んでしまう。

「昼間から何をだらけている?」

 と、そこで何やら作業を終え屋敷に戻ったアスベルが、ダラけきったリリアーナを冷めた目で見つめる。リリアーナと反してアスベルの態度は、普段と何も変わらない。

「別に、いいでしょ? あたしはケイマのサキュサキュだから、何をしてもいいの」

「……自分の決め台詞を略すな。なんだ、ケイマのサキュサキュって。傾国の魔女。サキュバスの中のサキュバスだろう? 何を言っているのか、分からなくなってるぞ?」

「いいの。……それよりほら、こっち来て膝枕してあげる」

「悪いが俺はこれからそこの湖に、今日の分の食糧を──」

「いいから!」

 リリアーナは強引に、アスベルをベッドに引っ張る。……いや、本来ならいくらリリアーナが引っ張ったところで、アスベルを動かすことなんてできない。2人の間には、それだけの力の差がある。

「……仕方ないな」

 それでもアスベルが彼女の膝に寝転がったのは、彼自身が彼女を拒絶していないから。

「こうしてみると、あんたやっぱり結構いい顔してるわよね」

「自分の顔の良し悪しなぞ、自分ではよく分からん」

「たいして手入れもしてない癖に、こんなに肌が綺麗なのはムカつくけど……」

「肌ならお前の方が綺麗だろう?」

「……素でそういうことを言っちゃうあんたは、きっといろんな子を勘違いさせてきたんでしょうね」

「自覚的にいろんな男を騙してきたお前に、そんなことを言われたくはないな」

「うっさい。口答えするな」

 リリアーナは優しく、アスベルの頭を撫でる。アスベルは身体から力を抜き、ただぼーっと天井を眺める。

「キスしていい?」

 と、リリアーナは問う。

「……好きにしろ」

 と、アスベルは答える。

「顔色1つ使えないわね。なんかあんたのそういうところ、ちょっと癖になってきた」

「やはりお前は、噂で聴くよりずっと子供っぽいな。……いや、ただ自由なのか、お前は。俺はお前のそういうところが好きだ」

「……馬鹿ね」

 リリアーナはアスベルにキスをする。……いや、しようとしたところで、アスベルは慌てて身体を起こした。

「なによ? 今になって照れてるの? あんたも案外、可愛いところが──」

「違う。……屋敷に誰か、近づいてきている」

「────」

 リリアーナの顔色が変わる。アスベルは淡々と、告げる。

「いくつか罠を仕掛けておいたのだが、どれにも引っかかった形跡はないな……。とるなると相当の使い手か、或いは特殊な力を持った魔族か……。とにかく、俺が様子を見てくれる。お前はいつでも逃げられるよう、準備をしておけ」

「あたしも一緒に──」

「必要ない。戦闘になれば、巻き込む可能性もある。お前はしばらく、この部屋にこもっていろ。何かあれば声を出せ。そうすればすぐに俺が駆けつける」

「……分かったわ。でも、無理だけはしないでね?」

 心配そうなリリアーナの頭を軽く撫で、アスベルは屋敷の外に向かう。

「なんなのよ、1番いい時に邪魔して。空気の読めない奴ね……」

 リリアーナは強張った身体から力を抜くように、小さく息を吐く。彼女はアスベルを信頼していた。彼がいるなら、どんな敵が来てもどうにかなると、そう信じていた。

「……ん? 声……」

 ふと、声が聴こえた気がして窓の外に視線を向けるが、そこには誰の姿もない。リリアーナは嫌な予感に手をぎゅっと握りしめ、アスベルが出て行ったドアを見つめる。

「無茶しないでね、アスベル」

 そのかぼそい声は、誰にも届かず部屋の静かさに飲み込まれた。


 ◇


 アスベルは警戒しながら、屋敷の外に出る。すると、そこに居たのは……。

「罠が作動しないわけだ。流石にその大きさは、想定していなかった。……久しぶりだな、ピクシー」

 そんなアスベルの言葉を聞き、小さな羽で空を飛んでいる少女──ピクシィのミミィは、不服そうに声を上げる。

「なんだ、人間ですか。貴方に用はありません。リリアーナ様はどこですか?」

「先にこちらの質問に答えろ。……どうして、ここが分かった? 答えによっては、俺はお前を斬らなくてはならない」

「できるんですか? 人間如きに」

「試してみるか?」

 2人はしばらく睨み合う。……が、目の前の男に折れる気配が全くないことを感じ、ミミィは諦めたように息を吐く。

「私たちピクシーが魔法に長けているのは、ご存知でしょう? その魔法の中には人探し魔法も、存在するのです」

「あまり、聞いたことがない魔法だが……」

「そもそも私たちピクシーは、他の種族のように表に出ることを好みません。貴方たち人間がピクシーの魔法を知らないのは、当然のことです」

「この場所を知っているのは、お前だけか?」

「私が人間や魔族に通じていると? 馬鹿なことを言うのは辞めてください。私にとって1番大切なのは、リリアーナ様ただ1人。この私が、あのお方の不利になるような真似をする訳がないでしょう?」

「…………」

 アスベルは少し考える。このピクシーは確かに、自分が死にそうになりながらも、リリアーナを逃す為に戦っていた。彼女がリリアーナを大切に想っているのは、嘘ではないだろう。

 それに見たところ、周囲に他の生き物の気配はない。ピクシーだろうと何だろうと、近づく生物の気配を見逃すような真似をアスベルはしない。……例え相手が、どんな魔法を使っていたとしても。

「分かった。リリィは奥の部屋にいる。会いたいのなら、ついて来い」

 アスベルは歩き出す。ミミィは不服そうに、その背に続く。

「……どうでもいいことですけど、随分と親しげに呼ぶのですね? リリアーナ様のことを」

「あいつがそう呼べと言ったからな」

「そうですか。リリアーナ様はお優しい方ですから。……でもあまり、勘違いをしない方がよろしいかと」

「それは、どういう意味だ?」

「あのお方は、人間などでは決して測れない価値観で動かれるお方です。貴方のような人がずっとあの人の側に居られるなんて、考えないことですね」

「そうか。気をつけよう」

 ミミィの言葉を意に返さないアスベル。ミミィはそんなアスベルの態度が気に入らないのか、冷たい目でアスベルの背中を睨みつける。

「リリィ、戻った──」

「アスベル! 戻ったのね! よかったー無事で! 怪我ない? ないわよね?」

 部屋に戻ったアスベルに、勢いよく抱きつくリリアーナ。そんなリリアーナの頭を撫でてから、アスベルは言う。

「お前に客だ」

「客? ……って、ミミィじゃない! 貴女どうして、こんなところにいるのよ!」

 心底から驚いたというような顔をするリリアーナに、ミミィは先程までとは別人のような顔で答える。

「リリアーナ様は国を出られる前、私に自由に生きろと言って下さりました。ですので私は、リリアーナ様の側にいたいと考えここに来たのですが……もしかして、ご迷惑だったでしょうか?」

「そんなことないわ。貴女に会えてあたしも嬉しい。……あ、そうだアスベル。あんた昨日、街で紅茶買ってきてくれたでしょ? あれ、どこにあるの?」

「台所の棚……いや、俺が淹れてくる。積もる話もあるだろう?」

「それは有難いけど、あんた紅茶淹れるの下手だし……。ま、いいわ。下手ならあたしが淹れ直すから、今回はお願いするわ」

 その言葉を背中で聞いて、部屋を出て行くアスベル。ミミィはアスベルの姿が完全に見えなくなってから、口を開く。

「リリアーナ様、ご無事で何よりです」

「ミミィの方こそ、元気そうでよかったわ」

「……私のことはいいのです。それより……リリアーナ様。あの男とはどういう関係なのですか? 見たところ、とても親しそうに見えたのですが、やはりそれはいつもの──」

「ううん、違う」

 リリアーナはミミィの言葉を遮り、言う。

「あたし、これからはあいつの隣で生きていくって決めたの。ここでの生活は静かだけど、楽しいし。飽きたらまた、どこか遠くに旅に出るのもいいかもね。これからずっとあいつの隣で生きていく。それがあたしの、1番の願い」

「それは、つまり……」

「うん。あたし、あいつに惚れちゃったみたい」

 リリアーナは笑う。とても幸せそうな、今まで一度も見せたことがないような笑み。

「…………」

 ……ああ、とミミィは思った。

「リリアーナ様。大丈夫です。リリアーナ様の魂は、私がお救いしますから……」

「ミミィ……? 貴女、何を……」

 ミミィは何もない空間から、真っ白な鍵を取り出す。そして彼女は、それを両手で握り締め……言った。

「神よ、我れらが祈りに救いを──アミリス・リーチェ」

「────っ!」

 その瞬間、リリアーナという少女の意識は真っ暗な闇に飲み込まれた。

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